中編
長くなりそうなので分けました。
後編は、明日更新します。
嫌な予感は往々にして、手遅れなことが多い。
特に、今回の場合、ノアの嫌な予感はほぼ仕事をしなかったと言っても良い。
ノアは、日課となった、国王へ泣きつき…いや、報告を終え、行きよりは軽い足取りで戻ってきたところだ。
ちなみに今は丁度お昼の時間。つまりノアは、午前の授業を丸々サボった訳だ。
こういうところが、転校生が来る前から、不良として学生の間で広まり、更には友人を持たない一匹狼として有名になっていた。
ところが、問題の転校生が現れた瞬間、転校生に懐いた(周囲からはそう見えている)ため、元々ノアのサボり癖をよく思っていなかった生徒達が、目の敵にしだした。
そして始まる、ノアへの嫌がらせ。
それがノアを、増々教室から遠ざけるという、悪循環が生まれた。
さて、それは置いておいて。
現在、冷たい視線を浴びながら、ノアは食堂まで歩いている。
そして、食堂のドアの前で、ノアは異変に気がついた。
気がつくのが遅い。遅すぎる。
平常では、多くの生徒が集まり、お昼のこの時間となれば、食堂の外にまで聞こえるくらいの喧騒に包まれるのに、この日は静まり返っていた。
ここで漸く、ノアの嫌な予感が仕事をした。
ソッと扉を少し開ける。
すると、やっと声が聞こえた。
この女子特有の美しいソプラノ声は、チャーリーの婚約者であるレティシアのものであろうか。
「もう1度言ってくださいますか?」
「何度でも言おう。僕は、君との婚約を破棄する。そして、オリヴィアと婚約を結ぶことにした」
ノアの脳は、停止した。
それは、あまりにも受け入れ難い言葉だった。
レティシアの父は、この国で随一の公爵家の頭。
国王とも仲が良く、この国の経済を支える家だ。
だからこそ、その絆を強め、後世まで続いていくための、政略的な婚姻だったのだ。
正直、彼女の家がこの国から離れると、経済的に苦しくなることは、目に見えている。
そして、娘を溺愛しているあのや公爵が、こんなことになって、ブチ切れ、国を出ていかないなど、ノアには考えられない。
最悪な展開になってしまった、陛下ごめんなさい。
ノアは、真っ白になって辞世の句を考え始める。属に言う現実逃避だ。
しかし、その間にも状況は悪い方向へ転がって行く。
頭を振ったノアは、現実逃避を辞め、立ち向かう決意をした。
これも、自分が慕う陛下のため。
「何やっているんだ、バカ王子!!」
そう叫びながら、勢い良く、内開きの食堂の扉を開いたせいで、扉近くの数名の生徒の後頭部が犠牲になった。
それにごめんと謝りつつ、ノアは唖然としている観衆の間を縫って、チャーリーとレティシアが向かい合う現場へ到着した。
そして、チャーリーの胸倉を掴み、ガクガクと揺さぶりながら怒鳴った。
「どぉしてお前は、そんなに考えなしなんだ!?いつからそんなポンコツ王子になったんだよ!!国民を幸せにしたいって言ってたお前は何処に行った!?おい、答えろよ!」
「…殿下、白目向いてらっしゃいますけど、大丈夫ですか?」
「あ…」
レティシアの冷静な声に、ノアは我に返った。
ノアが手を緩めると、重力に従ってチャーリーの体が崩れ落ちる。
静寂が場を支配する。
そこに漂うのは、困惑と半数以上を占める、呆れ。
それを冷静に受け止めて、ノアは努めて明るい声で言葉を発した。
「やっちゃった✩」
テヘペロと聞こえてきそうなその態度に、呆れがさらに深まったのは、言うまでもないだろう。
チャーリーの気絶は一瞬だったらしい。
直ぐに目を覚ましたチャーリーは、状況を把握すると、ノアを睨んだ。
オリヴィアは、起き上がったチャーリーに、腕を絡めて、同じ様に、ノアを睨みつける。
「どういう事だ、ノエル」
ちなみに、ノアは学園に入る際、偽名を使用している。
「どういう事だって言うのは、こっちのセリフだポンコツバカ王子。略してポンバカ」
グルルと唸るノアに、チャーリーは頬に青筋をたてた。
「無礼な。今すぐ不敬罪で首にしてあげようか…」
「出来るならやってみろ、ポンバカ王子」
さて、こいつは真剣なのか、巫山戯ているのか。
観衆は困惑や呆れから抜け出すと、そう首を傾げた。
ただ、誰もノアを止めないのは、それだけ腹に据えかねているからだろう。
「貴様、無礼だぞ!!」
「お前はお呼びじゃない、ジャック。引っ込んでろ」
チャーリーとオリヴィアの後ろに控えていた、騎士団長の息子であるジャックが、怒鳴る。
その顔は、怒りによるものか、真っ赤である。
それに、ノアはやれやれと肩を竦め、ため息を重ねた。
「脳筋バカだとは思っていたけど、ここまで阿呆だとは思わなかった。ガッカリだ」
お前はバカでも、考えて行動ができるやつだった。
そう言葉を重ねたノアは、ジャックに哀れみ、蔑みの混じった視線を向けた。
「っ!!」
激昂したジャックが、腰から剣を引き抜く。
それに場がどよめくが、ノアは慌てもしない。
「誰が、お前に剣を教えたと思っている」
躊躇なく振り下ろされた剣の横腹を、ノアはパアンと手の甲で叩くことで、軌道をズラした。
それにより剣は、あらぬ方向の地面を切り裂く。
皆が、ノアの体捌きに目を見張る中、レティシアだけが小さく、もしかしてと、呟いた。
「なっ…俺の剣は、学園1なのに…」
「いつの間にそんなに視野が狭くなった?たかが学園1だろ?」
ノアの言葉に、実力に、ジャックは戦意喪失したようだ。
俯いて、カランと剣が、彼の手から零れ落ちる。
肩を落とす背中が、自己嫌悪に陥っているようだ。
一方、ジャックがあっさりと敗れたことで、チャーリーは動揺していた。それは、チャーリーの腕にしがみつくオリヴィアも同じ。
「こんなの、シナリオには無かったわ…」
そう小声で毒づくオリヴィアの声も、獣並の聴力を持つノアの耳にはバッチリと、届いた。
おいと、吐き出された言葉に込められた怒気が、オリヴィアに刺さり、彼女は顔を蒼白にした。
「シナリオって、どういう事だ?」
あまりの威圧に、オリヴィアはヒッと息をのんだ。
その彼女の様子を見て、チャーリーが彼女を庇うように、前に出る。
顔は蒼白であるが、その瞳は強い光が浮かんでいる。
その様子を見て、ノアは無性に泣きたくなった。
一生懸命、手塩をかけて育ててきた生徒達が、急に国を揺るがすほどの騒動を起こしたとなれば、泣きたくもなるだろう。
いや、若干泣いているか…。
「ポンバカ王子、その心意気は違う所で見たかった…」
「………」
感情の振り幅が激しい、別名情緒不安定なノアにチャーリーだけでなく、人垣を作っている生徒達も引いている。
スンと1度鼻を啜ってノアは、気持ちを切り替えたようだ。
改めて、オリヴィアを見る。
「改めて聞くが、シナリオについて話せ。拒否権は無い」
声高に告げるノアを、オリヴィアはキッと睨んだ。
可愛らしい容姿をかき消すほどの醜い表情に、ノアは嫌そうに眉をしかめた。
ノアは、これでも綺麗なモノ好きなのだ。
「何を言ってらっしゃるのかしら?」
あくまで白を切るオリヴィアに、ノアは素直に吐いた方がいいぞと忠告をする。
しかし、オリヴィアはそれを無視した。
チャーリーやすっかり蚊帳の外に置かれたレティシアは、困惑したようにノアを見る。
少なくとも、学園の生活からは、彼がこのような人物であることは予想だにしていない。
観衆の中で、多少彼と付き合いのある者は、驚くばかりである。
この後、彼が何をするのか、誰にも予想がつかない。
注目が集まる中、ノアは口を開いた。
「“知っていることをすべて話せ”」
明らかに、力が篭った言葉だった。それは、言霊と言うものだろう。
しかし、向けられたオリヴィアに変化はない。
チャーリーやレティシア、観衆が首を傾げる。
それと同じく、ノアもあれっと首を傾げた。どうも肝心なところで爪が甘い男である。
何が起こるのかと身構えていたオリヴィアは、何も無いことを確かめると、露骨にノアに蔑みの視線を向けた。
「虚仮威しかしら?」
「んー…何でだ…?」
オリヴィアの皮肉など、なんのその。
右から左に聞き流したノアは、自分の体を見下ろして、ポンと手を打った。
「ちょっと、無視しな――」
「イーサン、マントー」
ノアが一声かけると、人垣の中から、1人の男子生徒が歩みでるとノアにマントを渡して、立ち去った。彼の役割は以上で終了だ。
喚くオリヴィアを無視して、ノアは、今の自分には大きいマントをバサリと羽織った。