前編
「大丈夫。王子様で無くても、貴方は貴方ですわ」
そう囁く1人の可愛らしい令嬢の前で、この国の第二王子であるチャーリーは、目を丸くした。
時期外れの転校生が来たということで、様子を見に、平常は騒がしいからと避けている食堂へと足を運んでいた。
事前の情報収集で、男爵令嬢であることが判明していた。
曰く付きの令嬢かと思い、学園の風紀が乱されないかという懸念を抱いていたのだが、少し言葉を交わしただけで、彼女は、自分が被っている王子の仮面を見抜いた。
それだけではない。
王子では無く、一個人のチャーリーとして欲しかった言葉を言ってのけたのだ。
聡い女性だ。その上、慈愛に満ち溢れている。
こんな言葉、婚約者のレティシアはまず言わないだろう。
彼女は、良くも悪くも真面目な女性だからだ。
だから、チャーリーは彼女と比べてしまった。
チャーリーの目に、レティシアと比べ、自分を理解してくれたこの見知らぬ令嬢が、魅力的に写ってしまったのだ。
それは、自分が王子であるということから逃げたとも言える行為だった。
しかし、チャーリーはその過ちに気づかない。
歯車が一つ欠ける。
「貴方の名前は?」
「オリヴィアですわ」
2人は食堂の騒ぎは増々大きくなっていたのに、気が付かないまま、甘い雰囲気を纏わせ始めた。
「…マズイ」
それを見守る影が一つ。
◇◆◇◆
コッコッコッと硬質な足音を響かせながら、1人の少年が王宮の廊下を走る。
走るだけでも無礼なのに、彼は明らかに、彼には大きいであろう服を着ており、更にはローブの紐を結びながらであった。
その場で無礼だと首を切られてもおかしくない有様だ。
しかし、侍女も執事も、通りすがりの貴族も、彼の無礼を見ても何も言わない。
それどころか、またかと苦笑し、少年に頑張れとエールを送る始末だ。
少年の年は、15歳ほどであろうか。
あどけなさを残してはいるが、男らしい凛々しい顔立ちは、この国では珍しい黒髪と紅目と相まって、狼のような印象を与える。
見た目の年齢から言ったら、学園に通う時期で、王宮に用事も無さそうな少年が向かった先は、国王の執務室だ。
そのドアを少年はノックもなくバタンと、荒々しい音を立てて開いた。
他国でこんなことをしたら、即刻首にされるだろうが、この国は異例であった。
無礼極まりない少年を、部屋の中でペンを動かしていた国王と宰相は、苦笑して迎え入れた。
「陛下ぁぁ!!!もう嫌だ、あのバカ王子のお守り!!いつからあんなポンコツになったんだよ、アイツは!!」
半泣きになりながら、執務室に足を踏み入れた瞬間、少年に異変が起こった。
1歩踏み出す事に大きく…いや、成長している少年は、国王の元へたどり着く頃には、精悍な青年になっていた。
先程よりも、大きく成長した体に、先程ブカブカだった服が、ピッタリと合っている。
「俺のっ…俺の教育が悪かったのか!?なぁ、陛下ぁぁ!!」
俗に言うカッコイイ20代後半の男が、国王の胸倉を掴んだ瞬間、絶望したように、膝から崩れ落ち、机の上にべシャリと潰れた。
バサリと机の上の書類が、余波を受けて、浮き上がる。
先程まで半泣きだったのに、グズグズと本格的に泣き始めた男は、“シベリアンハスキーが、病院に行くのを嫌がって飼い主に泣きつく”のと同等の愛嬌があった。
幻覚であるが、国王と宰相の瞳には、威厳のある狼が耳を垂れてキュイキュイと鳴いているようにしか見えない。
「落ち着けノア。アベル、紅茶入れてやれ」
「はい」
アベルと呼ばれた宰相は、持っていた書類を置くと、奥の給湯室へと向かった。
その間に、国王がノアを起こして、近くのソファに座らせた。
ほどなくすると、アベルが良い匂いのする紅茶を持って、戻ってくる。
それを啜ってホッと一息ついたノアは、国王から差し出されたハンカチで鼻をかむと、ようやく泣き止んだ。
それを見守っていた国王とアベルが、どうしたのだと、口を揃えて問いかける。
「聞いてくれ、チャーリーが惚れた…そうそう、オリヴィアって言う令嬢が、次々と男を侍らし始めて…」
曰く、騎士団長の息子やら、学級委員のクラスの男子とか諸々、
取り敢えず、イケメンに手を出しているようだ。
それを聞いた国王と宰相が、深々と溜息を吐いた。
「その娘、魅了の魔法とか使ってないか?」
「そう思って、俺も調べたんですけど、不思議なことに、彼女には、魔法の才能が無いんですよね…」
資料、資料と言って取り出された彼女のステータスには、確かに、魔力を示す数字がゼロであった。
不思議なことだと、宰相が顎に手を当てた。
「この姿で行って、注意しても、学生の姿でも、聞いてもらえなくて…。国家の財産に手をつけようとした時は、慌てて止めましたけど…」
クォンと、幻覚の狼の尻尾と耳が垂れ下がる。
ノアは、元々チャーリーの家庭教師だった。
その頃のチャーリーは、飲み込みが良く、自分を兄だと慕ってくれる、可愛い弟分だった。
それが、どういう訳か、自分どころか、誰の助言も耳に入らないようである。
明らかに異常だ。
「それと、レティシア様を無理やり悪役にしようとしてます」
キツイ言葉を言われただの、ノートを破かれただの、階段から突き落とされただと、嘘をチャーリー達に吹き込んでいる。
是非、レティシア様のはフォローをしてあげて欲しい。と、言葉を重ねる。
そこで、国王とアベルは、はてと首を傾げた。
「その辺りのフォローも出来るように、貴方が学園にいるのでは?」
その、見た目の年齢を変えられる体質を以て、いざという時、対応できるように。
その言葉に、ノアはバツが悪そうに、肩を縮こまらせた。
「実は俺、あの令嬢の取り巻きだと思われているんだ…」
チャーリーを注意する為に近づいたのに、そう令嬢に思われて、付きまとわれて、現在、学園の多くの生徒から嫌われていると、肩を落とすノアに、国王とアベルは絶句した。
だから、無理矢理悪役にされているレティシア嬢に自分は近づけない。
あちら側からしたら、俺は今、憎き敵なのだから。
「まあ、最悪にはならないように気をつけるよ…」
すっかり参ってしまっているノアに、国王は頑張ってくれと声を掛けるしかなかった。
ただでさえ、家の仕事に書記としての仕事、更には学園生活という三重生活を行っているのだ。
彼の心労は重なるばかり。
「…今度、長期休暇やるから、どっか旅行にでも行けよ」
「うん、そうする…」
ノアは、ベソっと、ベソをかきながら、学園に戻っていった。