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変身

作者: CLIP
掲載日:2018/04/13

                              


結婚してもうすぐ1年になる美也子の不満…

それは夫の哲也が新婚当初からほとんど家にいない事。

仕事が忙しい上に、独身時代からの趣味、釣りに明け暮れている。

夏はもちろん、冬でも休みになると早起きして釣りに出かける。

仲間と一緒の時もあれば、一人でふらりと行ってしまう時もある。

「ねえ、今度私も連れて行って…」

美也子がそう頼んでも、女連れだと『やれトイレだ』とか『寒い』とか気が散るから嫌だ、

ときっぱり拒否されてしまった。

そんな訳で、仕事もしていない美也子はいつも家でひとりだった。


日曜日…起きたら哲也の姿はなかった。

もちろん愛用の釣り竿もなかった。

「また釣りに行ったんだわ…」

美也子はまた長い1日を一人で過ごす事になった。

結婚と同時に地元を離れた美也子には

休日だからと言って遊ぶような友達はまだいなかった。

子供でもいれば、退屈している暇もないだろうし

哲也だって、少しは家にいてくれるかもしれない。

電話でそんな愚痴をこぼす美也子に、実家の母親が言う。

「哲也さんは真面目で優しい人だし、毎週どこにも行かないで

旦那さんがゴロゴロしてて邪魔だって言ってる人に比べれば贅沢な悩みよ」

確かにそうかもしれない…でも美也子は寂しくて仕方なかった。


気分転換に買い物でもしようとひとりぶらっと街に出た。

洋服を見たり、本屋をのぞいたり…でもなかなか時間は経ってくれない。

「どこかでお茶でも飲もうかなあ…でも一人で入るのも嫌だし」

そう思って辺りを見回した美也子の目に1軒の店が目に入った。

地下へ続く階段、イーゼルに置いたキャンバスには

カット・パーマ・カラーと料金が書いてあった。

「美容院か~」

その下に書いてある言葉に美也子は惹き付けられた。

『髪型を変えたら、何もかも変わるかもしれない…』

ちょうどその時、階段の下にわずかに見える扉が開いて女の人が出て来た。

店の人らしい男の人と楽しげに話しをしている。

「本当にありがとう…すごく嬉しい…」

お礼を言っているのはお客である女の人だった。

そのまま階段を上って、美也子の横を通り過ぎて行った。

肩に付くくらいのボブが彼女の顔に本当に似合っていたし

何より、彼女の顔は輝くばかりに嬉しそうだった。


彼女を見送った美也子はしばらくそこに立っていた、そして

(何もかも変わるかもしれない…)

その言葉に惹き込まれるように、美也子は店への階段を下りていた。

木で出来た扉に『OPEN』の札が掛かっている。中はまったく見えない。

美也子は恐る恐るその扉を開けた。

「いらっしゃいませ」

さっき女性客を送り出していた男が出迎えた。

店内には他の客もいなかったし、従業員の姿も見えなかった。

「初めての方ですね」

背が高く、端正な顔立ちの男だった。

「は、はい…」

美也子は小さな声で答えた。予約もなしで来てしまった事に今気が付いた。

そんな美也子の心を察したように男が言う。

「ちょうど予約もないし、どうぞ…私は三神と言います。」

そう言えばあのキャンバスに『MIKAMI』と描いてあった気がする。

こちらへ…と言われ案内されたのは鏡の前のイスではなく応接セットのようなソファだった。

ほどなくして三神がティーカップを持って来てテーブルにそっと置いた。

そして向かいのソファに座り、じっと美也子を見つめて微笑んだ。


「まずはお茶でも飲みながらお話を聞きましょう」

今まで美也子が行っている美容院とはまったく違うパターンだった。

受付で『今日はカットですか、パーマですか?』と決まり文句の事を聞かれる。

いきなり向かい合ってお茶を飲むような所は一度もなかった。

何て答えてイイか判らずに美也子は目の前のティーカップに手を伸ばした。

それは不思議な香りのするお茶だった。飲んで見ると味は紅茶のようだったが…

「ハーブティーです。あなたのイメージに合わせて淹れてみたのですが」

(私のイメージ…ってどんなのだろう…)

美也子はその言葉に自分を振り返って見た。

そんな様子を三神がじっと見つめている。

「あなたの今の気持ちを何でもいいから話してください」

三神の言葉に誘われて、美也子は話し出した。

そのお茶はまるで魔法の薬のように、美也子を素直に語らせた。

自分の今の状況、夫への不満、今までの自分三神はじっと聞いていた。

そして時折入れる言葉…それは美也子の心の奥に入り込んでいった。


「結論は出てますね」

「結論?何のですか?」

美也子には何が何だかわからなかった。

「あなたは変わるべきです、今のあなたは自分を持っていない」

(自分を…?持ってないってどう言う事なの…?)

頭の中で、三神の言葉がぐるぐると回っている。

「あなたは変わる事が出来る…今がその時ですとにかく…

私にすべて任せていただきますよ、いいですね…?」

優しく…しかしきっぱりと三神は言った。

美也子はその言葉に酔うように、そして頷いていた。

「じゃあ、始めましょう…」


打ちっぱなしのシンプルな壁に大きな鏡とイスがひとつ

その奥にはシャンプースペースがある

「まずはシャンプーから…」

導かれるままに美也子イスに座ると、背もたれが倒された。

丁寧なシャンプーだった。三神の細い指が、髪を洗うと言うよりも

美也子の頭皮をすべりまわっているような感覚だった。

(気持ちイイ…)

美也子はその指の感触にうっとりしていた。そしてシャンプーが終り鏡の前のイスへ…。

鏡には背中まで届く髪が濡れて光って映っていた。

三神がその後ろからカットクロスを広げながら近づいて来る。

「思いきり変えますから…あなたには今それが必要です。

そう、時には自分自身にショックを与えるくらいにね…」

その言葉に美也子は身体を固くした…

(そんなに…?そんなに変えられてしまうの?私…)

拒否したい気持ちとは裏腹に、三神の言葉に

酔い続けていたい彼にすべて任せてしまいたい…

そんな事を美也子は思っていた。

カットクロスが首に巻かれ、美也子はもう後戻り出来ない、そう思った。

どんな風にされてしまうのか、それさえも聞けないままカットが始まろうとしていた。

心臓が苦しくらいにドキドキしていた。

「あなたは今から生まれ変わるのだから…」

三神のそんな声もどこか遠くで聞こえてるような気がする。

横の髪を三神がそっと掴む…そして次の瞬間

『ジョキッ…ジョキッ…』

「え…う、うそ…」

思わず声が出てしまった。耳のすぐ下辺りでバッサリと切られてしまった。

三神の手には30センチ以上もある美也子の髪が握られていた。

「これくらいで驚くのはまだ早いからね…」

その髪をバサッと下に落とし、更にザクザクと髪を切り進めた。

耳の下で切られた横の髪に揃えるように、そのままぐるりと後ろまで…

「あっ…」

襟足の生え際ギリギリの所にハサミが当たる、その次の瞬間

『ジョキッ…ジョキッ…』

(そんな所で…)

美也子は驚いていた…襟足の髪がバッサリと切られたのが見えなくてもわかる。

カットクロスをつたい、重たげに髪が落ちて行く音がはっきりと聞こえた。

鏡にはすっかり短くなった髪が映っていた…残っているのは左側だけ

その長く残った髪も、三神のハサミによって、あっという間に切り落とされてしまった。


「ショ、ショートですか…?」

美也子はようやく口を開いてそうたずねた。しかし、三神は何も答えない…

ただ厳しい目で美也子と髪を見つめている。

そしてあご上くらいのボブになった美也子の髪を更に切り始めた。

耳の上の髪が持ち上げられたかと思うと、根元近くにハサミが入る

『バサバサ…』

さっきあんなに切ったのに、まだまだ髪が切られている。

三神の持ったハサミが、くしで持ち上げられた髪をどんどん切り落として行く。

それが耳のすぐ上からトップにまで上がって行く。

(か、刈上げ?それもこんなに短く上の方まで…)

美也子は、まるで変わってしまった自分のサイドの様子を鏡の中に見ていた。

そのまま後ろにまわり、さっき襟足ギリギリに切った髪を

またくしですくいあげるようにして切っていく。

『チョキチョキ…』

休みなく続くハサミの音と、地肌に触れるほど髪を短く切っている感触が

下の方だけでなく、どんどん上の方に上がってくる

(そんなに上の方まで刈っているの?)

美也子は見えないだけに後ろがどうなってしまっているのか

そんな事を考えるだけで、心臓は高鳴り顔が赤くなってくるのが判るほどだった。

後ろが終ると、三神は反対側にまわり、また同じ動作を繰り返した。

根元近くでばっさり切られて落ちていく髪…

その後には、1~2センチほどの刈上げになった髪が残されているだけだった。


「さてと…」

三神は刈上げになったサイドと後ろの部分を見つめ

次は前髪を持ち上げた。

「こんなに長くして顔を隠していたら良くないね」

その言葉が終ると同時に、いきなり

『ジョキッ…ジョキッ…』

と前髪を切り始めた。それは額の真ん中よりかなり上…

生え際からほんの3センチの辺りだった。

いつも眉が隠れるくらいの長さにしていた美也子にとって、

それはあまりにも衝撃的だった。

長い髪をばっさり切られて、刈上げになった事もそうだけど、

額のほぼ全部が出され、顔を隠している前髪がなくなった事の方が

ショックだったかもしれない。美也子は鏡の中の変わり果てた自分を見て、

恥ずかしさと戸惑いを覚えた。

そんな気持ちにはまったく構いもせず、三神は更に前髪を切った。

それは『切る』と言うより『なくす』と言った方がいいほど…

ハサミをたてに入れたりしながら、あっという間に1~2センチほどになってしまった。

もちろん、髪はねる筈もなく、額の上の方にツンツンと立ちあがっている。

「こ、こんなに切っちゃうんですか…」

切られてしまった後では言っても仕方がないと思いつつ

美也子は言わずにはいられなかった…動揺して声が震えている。

「君は…これがあれば安心、とか守ってもらっている、とかそう言う意識が強いからね・・・」

その言葉の意味は美也子にも判るし思い当たる事もある、でも…

三神は前髪を切り終えると、今度はトップの髪にハサミを入れた。

『ジョキッ…ジョキッ…』

ハサミの音がする度に、驚くほどの髪が美也子の目の前を落ちていく。

カットクロスの上を滑り、そのまま膝の上に溜まっていた。

(こんなに…さっきあんなに切ったのに…)

三神の手に見え隠れしているトップの髪は3センチくらいに切られて、

前髪同様ツンツンと立ち上がっていた。

やがて、トップの髪も全部切り終り、三神は少し離れて全体を見ていた。

それと同時に、美也子も、鏡の中の自分を見つめていた。

(こんなに切られてしまったんだ…)

改めて自分を見た感想だった。サイドも後ろもハサミでかなり上の方まで刈上げになっているし、

トップの髪はまるで葱坊主のように立っている

そして、いつも目の上まで下ろしておいた前髪は、

もうなくなってしまったと言っていいほど、短くされてしまっていた。


「やっぱりまだまだだな…」

三神が独り言のように言った言葉を聞いて美也子はドキっとした。

(まだまだ?こんなに短くされちゃったのに…まだまだって?)

少し離れた所の棚から、三神が何かを持って戻って来た。

その彼の手にあった物を見た美也子は背筋を震わせた。

(バリカン…?まさか…あれで…?うそ…)

「徹底的にやった方がいいね」

美也子に言ったのか、自分に言い聞かせていたのか…

三神はバリカンをコンセントに繋ぐとスイッチを入れた。

『ウィ---ン…』

音を立てて動き出したバリカンが美也子の背後から迫ってくる。

「ちょっと下向いてて」

そう言うと同時に、襟足にそのバリカンがぴたっと当たった。

美也子はその刃先の冷たさと、振動にビクンとした。

(襟足だけ…下の方だけよね…)

美也子は心の中でそう願っていた。

でも、その気持ちとは裏腹に、バリカンはとどまる事を知らずに

襟足から後頭部に向かってどんどん上がっていき

ついには、つむじの方までいってしまった。

(うそ…そんなに刈ったら坊主になっちゃう…)

ようやく止まったバリカンを三神はまたその隣りの襟足に当てる

そしてまた上に上にと刈上げていく。

休みなく動き回ったバリカンは、後ろをすっかり刈り終えると、

今度は横の髪に食い付いてきた。

こめかみの辺りの髪も、耳の上も、五分刈りのような長さに刈られ

そのままどんどん上に上がっていく。

後ろと違って、すっかりその様子が見える。

そして反対側も、同じように刈られてしまい、

どこから見ても、まるっきり男のようなスタイルになってしまった。

男にしても、かなり短いほうかもしれない…。

更にトップとバリカンで刈った所をハサミでキレイにつなげて

三神はようやくハサミを置いた。


「どうですか?この髪型は…新しい自分は…」

カットクロスを付けたままの美也子の肩に後ろからそっと手を掛けながら言う。

美也子は鏡の中の自分を見つめた。

ギリギリまで、そう限界に近い長さまで切られてしまった髪…

顔も、耳も、首も、まったく隠しようがなくなってしまっている。

「今まで、親に、ご主人に、そして髪にも依存していたあなたを変えるには

こうして徹底的にすべてをさらけ出してしまうしかないと思ってね…」

三神の言葉が心の中に入ってくる。

「でも…こんなに短くなってしまって、主人やまわりの人がなんて言うか…」

美也子の言葉に三神はくっ、と笑った。

「自分の気持ちはどうなんですか?あなたは誰かの付属じゃない

自分がイイと思うなら、誰に何を言われても胸を張っていればイイ…」

確かに、そうだ。当たり前の事に今まで気がつかなったんだ。でも…

「それにしても…短過ぎるような気がするけど…」

ロングヘアだった美也子にとっては、あまりに衝撃が強いのも仕方ない。

「そうかもしれない…だけど髪は必ず伸びてくる

この髪が伸びて前とおなじ髪形になったとしても…」

三神は、言葉を切って美也子の目をじっと見つめた。そして

「その時のあなたは、もう前のあなたじゃないんだよ」


「大丈夫、あなたは変わったんだ、胸を張って歩いて行って下さい」

三神がドアの前まで行き、ドアノブに手を掛けた。

「ありがとうございました」

お辞儀をした三神に、美也子は思わず口を開いた。

「お礼を言うのは私の方です…ほんとに、嘘みたいに気持ちが軽くなりました」

それは思いもかけない程明るくはっきりとした声だった。

開け放たれたドアから、美也子は外への一歩を踏み出し

来た時とは、まったく別人のようになって階段を上がりはじめた。


通り過ぎる人が、美也子の髪型を見ているような気がしていた。

ビルのウインドウに自分を映して見て美也子は微笑んだ。

「哲也さんはなんて言うかしら?長い髪が好きだったから、怒るかな?

母はきっと驚くだろうな…父は…」

隣りの奥さんや行き付けのパン屋のお姉さんはどんな反応をするだろう

とにかく早くこの髪型を私を知っている誰かに見せたい、

美也子はそんな事を考えながら歩いていた。

三神の言う通り、髪型を変えた事で、自分の気持ちが嘘のように変わってしまった事に、

美也子は気が付かないほどそれを受け入れていた。



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