枕返しの怪
8月16日
庄屋さまの娘が夜な夜な、枕返しに悩まされているという。
枕返しとは何か。
近頃実態が明らかになり、話題となったのでご存知の方も多いことと思う。古くから「芸能界の闇」と呼ばれまことしやかに存在のほのめかされてきたもので、主に若いアイドル等が「若さの特権」を有力者に差し出す替わり、様々な便宜を図って頂く事を指す。
万一、有力者の方が主に若くないアイドル等を好まれる場合は「過ぎた年月」を差し出した方が良いこともあるが、一般的にはやはり若い方が好ましいことだろう。
自分を鑑みるに、それはもちろん若いアイドルの方が効果はあるものなのであろうが。
しかし例えば森口博子に便宜を図るよう頼まれた場合!これは危ない。なんでも便宜を図ってしまいそうだ。
だが、残念ながら自分にはそのような力はない。力が欲しいときに与えてくれる都合のよい神もいない。
若者よ、与えられる事を待つことなかれ。主は自ら求める者に恵みを与う。
行動は若さの特権だ、欲しいものは奪え。
世はまさに世紀末。アーメン。
―聞いて、おられますか。
問いかける庄屋さまの声に世紀末からふと我に返り、元禄の世に帰って来たのは江戸から来たサムライ。ナンジャモンジャエモンである。
せっかくこれから若さに任せて森口博子に便宜を図ってやろうと思っていたものを。
無粋なものだ、と心中で舌打ちしつつ、目の前の初老の男に視線を戻す。
聞けば庄屋さまの娘は村のアイドルとして無軌道な若者たちに人気のあるという美貌の乙女。それはそれは夜な夜な、悩ましいことになっているに違いあるまい。
有力者め。けしからん。
―お困りで、ござろう。
暫し間を置いて返答をモンジャエモンを、思慮の深さ故と受け止めたのであろう。
信頼のおけそうな相手であると判断したためか。
慎重に、言葉を選びながらではあるが。
目に頼るような色を見せはじめた庄屋さま、こちらも暫しの間を置きその口を開く。
―出来うる限り内密に、穏便に願いたいのです。
立場のある者として。否。年頃の娘を持つ父親としてか。それは当然の感情であろう。うら若き乙女が夜な夜な悩まされているなど、いかに本人には責のないこととは言え醜聞は免れまい。
―委細。承知、致した。
なにひとつ委細を承知していないモンジャエモンではあったが、その端然とした居住まいは確かに、信頼するに十分であるように庄屋さまの目には映った。
枕返しとは、今で言う中部地方から山陰にかけて出没したと言われている妖怪。夜中、家人が眠りについた折りに床に悪戯をすると言われているが、地方によって伝承が異なりドイツ人民俗学者のウンコ=シタイナー氏によればそれは大別して二種。
ひとつは眠っている人の枕を抜いて上下逆さまに入れ替えるというもの。
もうひとつは、寝ているうちに枕を動かし、足元に持っていってしまうというもの。
変わり種として、眠っている人をわざわざ宙に浮かせて敷布ごと天地を入れ替えてしまうものもいるという。
夢の神であるとも、悪夢の使いであるとも言われるが、なんにしろその実態は「寝相が悪い」こと。
寝ているうちに枕がひっくり返っていたり、とんでもないところに移動していたという経験を妖怪の仕業と捉えた人々が作り上げたものであろう。
―しかし、当家の枕返しは少々、勝手が異なりまして。
なんで誇らしげに言うんだよ、と思いつつ、モンジャエモンは後に続く。
道すがらの説明で状況はある程度把握出来た。思っていたものと少々異なるのが残念ではあるが。
ではあるが。
―こちらがその、枕返しの間でございます。
とりあえず今晩は娘の替わりに拙者がその寝室で一夜を過ごし、実際に体験してから怪異の対策をとるのがよかろう。
モンジャエモンの申し入れを庄屋さまは受け入れ、早速娘の寝室へと案内していた。
少々残念、ではあるが、若い娘の寝室で一夜を過ごすというのは、それはそれで。
―ふむ…みたところ。取り立てて変わりはない寝室のようではあるが…。
ではあるが。若い娘の寝室で一晩眠るというのは、取り立てて変わりはない寝室であっても、それはそれで。
―さて。鬼が出るか蛇が出るか、はたまた週刊フライデーされてしまうのか。
モンジャエモンは胸に去来する一抹の高揚を禁じ得ないのであった。
夜半。
寝苦しさにふと、目を覚ましたモンジャエモンは、異様な気配を察し。
枕元の大小に手を伸ばしたところ、枕が増えていることに気が付いた。
―これは。一体。
部屋を見回すモンジャエモン、その部屋の片隅。
猿か獣か、人か魔か。影のように佇む異形の姿。
何者か、いや。
そうだろう、現れたのだ。枕返しだ。
件の枕返しで間違いあるまい。だが。しかし、これは。
―マクラオカエシニキタ。マクラオカエシニキタ。
やはりそれか。そう来たか。
枕を返却しに来るとはこれは予想外。一本とられた。
庄屋さまの得意げな顔が目に浮かび、苦笑いを浮かべるモンジャエモン。
しかし、これは逆にどうしたものか。
さすがは妖怪の行い、意味がさっぱりわからない。
これでは対処もなにもないではないか。
―なぜ、枕を返す。
モンジャエモンの問いにキョトンとした表情を返す妖怪、枕返し。
いや。枕返し、なのかこれは。
枕を返しに来たのだから、それは枕返しなのであろうが。
―マクラオカエス、ヨクナイカ。ナゼ、ヨクナイカ。
よくはないだろう。さりとて、悪いとも言えまいが。
どうやら悪意はないようだが、毎晩枕を返しにこられては迷惑きわまりないだろう。
普通に考えて、家中が枕だらけになってしまうではないか。
―借りてもいないものを返す必要は、あるまい。
とにかく枕を返すのはやめさせねばなるまい。
このままでは、庄屋さまの家が枕屋敷となって驚愕の枕屋敷!夜な夜な枕の増える枕ビジネスの実態!などと面白おかしく週刊フライデーされてしまうのは時間の問題だ。
―ムカシキキンノトキ、カリタ。ヒャッコクライ、カリタ。ドウスレバイイカ。ムシロ、ドウスレベイイカ。
む、借りたのか。
そう言えば。かつてこの地方が飢饉に見舞われたおり、時の庄屋が枕を配り、中身の籾殻を食うことでどうにか難を逃れたと聞いた覚えがある、それがこの庄屋か。
しかし困った、これでは恩返しではないか。
わけのわからない妖怪のやることとは言え、筋が通っている以上、無下にはできまい。
どうすればいいか、むしろ、どうすれべいいか…。
―悪いようには、せん。
モンジャエモンは約束し、とりあえず眠いので寝ることにした。
朝起きると、枕が三個に増えていた。おのれ。
翌晩から、娘はモンジャエモンの指示により、枕を二つ並べて寝ることとなった。
つまり。空いている枕は妖怪に借りていってもらい、かわりに返しに来た枕を置いていってもらえばよいのではないか?という算段である。
これならば枕も増えないし、妖怪のアイデンティティも崩壊しないので気のすむまで枕を返してもらえばよいだろう。
うら若き乙女の寝室に、枕がふたつ、布団はひとつ。
やがて庄屋さまの娘は家人を通して良からぬ噂がたち、ほどなくして面白おかしく週刊フライデーされてしまうのであった。