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掌編小説集6 (251話~300話)

石の上にも

作者: 蹴沢缶九郎

登山を趣味とする田中は休日を利用し、ある山に来ていた。田中の登る山は、起伏が激しく急勾配な斜面が続き、ほぼ手付かずな自然の状態であり、この山に登山をする者など年に数人を数える程度であった。

それに加え、田中の登っている登山ルートは、その数人ですら昇らない上級者の登山道である。


「整備された山道を登って何の意味がある。苦労し、険しい山を登ってこそ登山の醍醐味なのだ」


と、体力に自信のある田中はあえてこの山を選んだのだった。


入山して二時間、獣道にも等しい山道を歩き、そろそろ山の中腹を過ぎようとした所で、突然、田中の目に興味を引く光景が飛び込んできた。


人の倍はあろうかという大きな岩の上に、みすぼらしい姿の男が目を(つむ)り座禅を組んでいる。人がめったに訪れないであろう山奥で、座禅を組んでいる者がいれば、田中が好奇心から、思わず声をかけるのも無理もない話である。


「すいません、そこで何をされているのですか?」


田中の問いかけに、座禅を組んでいた男はゆっくりと目を開けて答えた。


「見てわかりませんか? 精神を統一しているのです」


男の身なりを見た所、どこかの修行僧には到底思えない。不思議に感じた田中は続けて聞いてみた。


「一体何でそんな事をしているのです?」


「簡単に説明すると、邪念を追い払う為です…。そんな事より、私の事など放っておいて、早く行ってください」


精神を集中する時間を邪魔された男は、いい加減田中の存在を鬱陶しく思ったのか、登山を続けるよう促すが、田中の興味は消えない。


「何故こんな所で座禅を組もうと思ったのですか?」


「しつこいお人だ…。よろしいですか、私はある時、人間の汚さが嫌になり、社会の生活に疲れた。そこで私は、俗世間を切り捨て、この山で精神の修行をしようと考えた。その果てにあるのは魂の浄化であり、人間を超越した存在とも言える。この岩に座り、精神の統一を始めたのです…。するとどうだ、自分の中の邪念が消えていくのがわかった。清々しい気分だ。まるで、身体が無くなってしまったような感覚さえある…。しかし不思議な事に、この感覚はどうやらこの岩の上でしか味わえないらしい…。そこが、まだ私の修行不足な部分で…」


男の話を聞いていた田中は、男に対して羨ましさに似た感情を抱いた。日々仕事に追われ、(せわ)しない毎日。上司や同僚との軋轢の中で、田中は生活に疲れていた。

田中は駄目で元々と、男に申し出た。


「僕もその感覚を味わってみたくなりました。どうかお願いです。その岩の上で、僕にも精神の修行をさせてください」


「冗談を言ってはいけない。私がこの境地に達するまで、どれだけの苦労をしたと思っているのだ。さ、もういいでしょ、私に構わず、早く向こうに行きなさい」


「そんな事を言わず…」


田中は岩によじ登り、拒む男を押し退け、無理矢理岩の上に座り込んだ。すると、不思議な出来事が起こった。磁石同士がくっつくが如く、田中の身が岩に引っ付き離れなくなったのだ。


「これはどういう…」


事態が飲み込めず困惑する田中に、岩から離れ、喜ぶ男は説明した。


「やったぞ!! これで自由だ!! 実は私も元々は登山にこの山に来たのだ。あれは三年前だったかな、登山中、その岩の上で座禅を組む男を見かけた私は、男から色々話を聞くうちに羨ましくなり、今のお前のように男をどかして岩に座り込んだ。しかしそれが運の尽き、どうやっても岩から離れられなくなってしまった…。男の話では、人と入れ替わる事で自由になるらしい…。人が訪れるのを長く待ったよ、何せこんな山奥だ、三年も待った…。そして今日、お前が現れてくれた」


「この野郎、俺を騙したな!!」


やっと立場を理解した田中であったが、時既に遅し。


「おいおい、騙したなんて人聞きの悪い。私を無理矢理どかして座ったのはあんたなんだ。では、私はそろそろ行くが、あ、そうそう、食事の心配ならしなくて大丈夫だ、不思議な事に岩の上では飲まず食わずで生きられる。…そんなに落ち込むな、運が良ければ明日にでも人が来るかもしれないだろ。まあ、悪ければ一年後か、三年後か、或いは…」

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