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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

我ら異世界調査員(ファンタジック・フィールドワーカー)!【パイロット版】

やはり江戸前ダンジョンの息抜きに書いてた短編です。

短編というには少し長いですが、異世界情緒を少しでも感じていただければ幸いです。

◆調査番号第E-C78-2番 神聖クロッシア王国の奴隷◆


1.


「今回の任務内容を発表する」


 スイスに置かれたUNAWROユナーロの本部。その第三調査部オフィスで、装備一式を身に着けた俺に、部長がデスクからそう宣言した。

 俺は直立不動を維持し、その言葉に傾注する。


「今回の調査対象は、神聖クロッシア王国の奴隷である。かの国のこの身分の実態を、再度つぶさに調査するように」

「はっ! 任務、確かに承りました!」


 姿勢を正して了解を返す。


 だが同時に、俺は内心で首を傾げていた。なぜなら、今し方部長が「再度」と宣言した通り、かの国の奴隷については既に調査済みだからだ。

 まあ、再調査任務が今までになかったわけじゃない。前回から今日までの間に、新たな疑問点がどこかから出てきたのかもしれない。


「加えてもう一つ、任務を申し付ける」

「は? もう一つ、ですか?」


 だが続いた言葉に、俺は今度こそ実際に首を傾げた。


 通常、並行世界ロウアースの調査任務において、複数の調査を行うことはない。俺たちが調べるべきことは多岐に渡り、あまりにも膨大すぎる。それに反して、一人でできることには限界があるからな。

 にもかかわらず、もう一つとはどういうことだろう? 俺もこの仕事を初めて決して長いわけではないが、それでも数年に渡る調査員生活では初めてのことだ。


 俺がそんな疑問を抱いているのは百も承知なのか、部長は「まあまあ」と言いたげに手のひらで俺を制する。


「もう一つ、と言うが……実際のところはこちらがメインの任務となる」

「はあ……?」

「だが、この件はしばらく上層部のみに留めておかねばならない事情があるのだ。ゆえに、再調査任務の隠れ蓑を被ってもらうわけでな」

「なるほど」


 その言葉で、納得した。細かいことはわからないが、何か政治的なあれこれのある任務が回って来たってことか。

 UNAWROユナーロとて国連の一機関。複雑な現代情勢にあって、政治と無縁でいられるわけじゃないものな。


 しかし俺は、部長が続けた言葉に衝撃と共にさらなる納得を得る。


「うむ。君に与えるもう一つの任務は、奴隷の購入である」

「……本気ですか、部長?」

「もちろんだとも。順を追って説明する」


 俺がたった一拍の合間で返事ができたのは、単なる偶然に過ぎない。それだけ驚いたのだ。


 当たり前の話だが、二十二世紀の我らが地球ハイアースにおいて、人身売買は重罪である。それを、たとえロウアースでとはいえ、実行に移すのは明らかにまずいだろう。

 にもかかわらずやれと言うのだから、なるほど上が秘匿すると判断するわけだ。


「ロレンツ、ターミナル(調査員が身に着けるゴーグル型端末の通称)を起動したまえ」


 言われるまま、俺はかけていたターミナルを起動した。それは滞りなく起動を完了し、グラス部分に見覚えのない文字列が表示される。


「……『新機能がインストールされました』? 部長、これは……」

「つい先日、開発局が完成させた新システムでな。簡易ではあるが、マナス検査をその場で行えるものだ」

「は!? そ、それはまた随分な快挙ですね!?」


 驚く俺に、部長は静かに頷く。


 ハイロウ二つの地球を行き来するためにどうしても必要な能力、ポータル認知能力。その有無を調べるマナス検査は、今まで数日を要する上に、大規模な専用の道具が必要だったんだが。

 ターミナルに表示された説明文をざっと流し読んだ限り、これはそういう面倒な過程をすべて吹っ飛ばして、その場ですぐに確認できてしまうようだ。


 これはすごいな。調査員は慢性的に不足してるし、これがあればもっとロウアースの調査もはかどるぞ。


「……しかし、これでどうしろというんです?」

「ああ。そのシステムがあれば、ロウアースでもマナス検査が実施できる。つまりは、それに関した調査ができるようになるということだ」

「それは確かに。……ですが、その手の生態に関する分野は第二調査部の管轄では?」

「その通り。実際、その任務が君と同様あちらの調査員にも下っている。大手を振ってな」

「ではなぜ、うちにもお鉢が? それも極秘で……」


 我が第三調査部は、ロウアースの文化や風俗、歴史といった人文学の分野を調査する部署だ。それがなんで奴隷の購入に……って、待てよ?


「……まさか部長。買った奴隷で実験するつもりじゃないでしょうね?」

「そのまさかだ」


 俺の問いに、部長がため息混じりに頷く。


「まあ実験という言い方は、悪い言い方だがね。ロウアース人でも、ポータルをくぐってこちらに来れるのか? その解明のために、どうしてもロウアース人の協力が必要なのだよ」

「現地の協力者なら、俺も他のメンバーも持ってるでしょう。ダメなんですか?」

「残念ながら現状では、全エージェントの協力者がいずれもポータル認知能力を持たないのだよ。だから、禁断の領域に踏み込むことにしたのだ。どうせこちらに連れてくるなら、色々な研究に協力・・してもらいたいというのも上層部の本音だ」

「……マジっすか」


 部長の言葉に、俺はつい素に戻って応えていた。

 だが部長はそれを咎めず、話を続ける。


「そしてロウアースの様々な国の中でも、神聖クロッシア王国は最も奴隷に人権がなく、所有者の道具という扱いになっている国だ。もちろん戸籍なんてものはないし、奴隷は所有者に絶対服従。最も後腐れがないと言えるだろう」

「で、ですが! それでも一人の人間ですよ!? それを実験体としてハイアースに拉致ってくるなんて……!」

「私も同じことを言ったよ」


 そして部長が軽く首を振る。


「だが、じっくりと協力者を募るには膨大な時間がかかる。あちらをすべて信用するなど不可能だし、実際協力者を得ていない調査員も多い。人手不足で調査がなかなか進んでいないことも事実であり……何より、これを非人道的というなら、普段我々がしている取材交渉・・・・はどうなるのかと言われてね。言い返せなかったよ」

「…………」

「安心したまえ、実際のところは健康診断や遺伝子研究程度のものと聞いている。だからロレンツ、これは拉致ではなく、ハイアースへの招待だと思ってやってくれないか」

「……物は言いようっすね」

「私もそう思う」


 俺に対して肩をすくめて苦笑した部長の仕草は、いかにもアメリカ人らしいオーバーリアクションだった。


 やれやれ。正直気は進まないが、今はおっかないことをさせるわけじゃないと信じるしかないか。


 確かに、ロウアース人をハイアースへ招待すると言えば、それらしい名目でもある。あちらでの交流はあれど、こちらではないわけだし。

 何より、ロウアースでは奴隷の売買は普通のことだ。一フィールドワーカーとしては、現地の風習を自分たちの価値観で否定するわけにはいかない。むしろそこに溶け込み、彼らと共にあることでその生き方を学び、調べるのが俺たち……第三調査部に所属する調査員なのだから。


 そうだな、これから俺はロウアース人と同じように、彼らの文化的な購買活動をするのだ。そう思おう。


「……了解です。それではロレンツ・レーデラー、これより調査番号第E-C78-2番の任務に入ります!」

「うむ、健闘を祈る!」


 ターミナルを待機状態にしながら、俺は敬礼した。部長も敬礼を返し、それを確認してこの場を後にする。

 かくして俺の今回の任務が始まったのだった。


2.


 暗黒の空間を潜り抜けて、俺の視界がクリアになる。目の前には、中空に浮かぶ漆黒の球体。その表面を、青や赤、緑、黄色と言った様々な色の光が不規則に線を描きながら走っている。


 これがポータル。ハイアースとロウアースを結ぶ、門ってところだ。俺たち調査員は、これをくぐって二つの世界を行き来するのだ。

 周囲の様子は二十一世紀初頭のSF映画のようだが、ハイロウの往復はこのポータルのある地点でしかできない。なので、ポータルはこうやってハイアースの技術を結集して作られた厳重な部屋……ポータルルームと、それを覆う基地に守られている。

 その外装は遺跡の体で偽装されているが、中身はご覧の有様だ。調査員の活動拠点でもあるため、ロウアース的にはオーパーツな道具しかない。だからロウアース人がうっかり入れないように様々な仕掛けがあるが……それは俺の任務には関係ないので、割愛させていただこう。


 で、俺は表へ出る前に、ポータルルームの端に寄って検疫システムを作動させる。

 当たり前の話だが、同じ地球とはいえロウアースは違う進化をした異なる惑星だ。かつて大航海時代、天然痘や梅毒が各国で行き来した末に大問題となったように、病原菌なんかについては気を遣いすぎるに越したことはない。

 まあ、今のところは大きな問題は起きていないから、さほど気負う必要もないけどな。十分ほど、時間を食う程度だ。


『検疫完了。問題ありません』


 ほらな。

 というわけで、外に出るとしよう。気密室のような音を響かせながら、扉が開く。


「ローレ! お帰りなさい!」


 そして直後、俺は廊下で待ち構えていた少女に飛びつかれた。

 とはいえこれはいつものことなので特に驚くこともなく、むしろ盛大にそれを受け止める。


「ああ、ただいまサクラ」


 そう答えながら、少女――サクラの身体をすっぽりと抱きしめて、その柔らかい身体を堪能する。


 はすはす。


 ああー、心がぴょんぴょんするんじゃあ。


「……ちょ。ちょ、ちょっとローレ、そんなに匂いかがないでよっ。やん、お尻はだめっ! そ、そういうのは夜に! ねっ?」

「ああ、わかってる。まずは今回のことについて話し合わないとな」


 ひとしきりサクラの柔肌と匂いを堪能した俺は、キメ顔でそう言った。

 そんな俺に、若干呆れの視線を向けながらもサクラは頷く。


「そうそう、わかってればいいのよ」


 それからにこりと微笑む。

 控えめに言って天使である。この笑顔のために調査員をやっていると言っても過言ではない。


「会議室はCを取っておいたから、先に行っててくれる? 私は飲み物用意してくるから」

「わかった。あ、ついでにサクラのターミナルも持ってきてくれるか。インストールしたいデータがあるんだ」

「わかったわ。それじゃ、また後でね」


 それだけ交わして……いや、ついでに口づけも交わすと、サクラはご自慢の純白の長髪をふわりとなびかせて俺に背を向けた。


 俺の、ロウアースにおける協力者サクラ。サファイアのような美しい瞳と、新雪のような白い肢体の美少女。しかしその正体は、人の姿を借りているドラゴンだ。

 いい子だろう? 俺の恋人だ。誰にもやらないからな。


◆◇◆


 サクラに指定された会議室Cの扉に手をかざし、IDを承認。開いた扉をくぐって中に入る。

 それからテーブルには着かず、備え付けの端末を操作して説明に必要な情報を整理しておく。

 そうこうしているうちに、トレーにポットとティーカップを乗せてサクラがやってきた。


「お待たせ! 今日はね、リャスキアの白茶びゃくちゃが手に入ったからそれにしたわ。ローレ好きだったでしょ?」

「ああ、今年もそんな時期か。おう、ダンケな」

「どういたしまして。お茶請けはいつも通りビスケットにしたけど、よかったかしら?」

「ん、問題ない」


 テーブルに並ぶ白茶とビスケットに、思わず笑みがこぼれる。それぞれを口にすれば、それは否応にも深まっていく。


「あー、うまい。やっぱ料理はサクラに作ってもらうに限る」

「えへへ、もっと褒めてくれてもいいのよ?」


 両手で頬杖をついて、俺の顔を眺めるサクラ。控えめに言って大天使である。

 だがこの大天使様は、やる時はやるお方だ。俺が白茶を半分ほど減らしたところで、早速とばかりに本題に切り込んできた。


「それで、今回はどんな任務なの?」

「ああ、その前にサクラのターミナル、いいか?」

「あ、うん。はいこれ」

「オーケー。まずはこいつにデータを……っと」


 彼女のターミナルを受け取ると、俺はそれを自分のターミナルと同期させる。そうして、マナス検査のシステムをこっちにもインストールするのだ。

 これが終わるのには少し時間がいるから、その間に本題だな。俺はサクラに向き直った。


「今回の調査対象は、クロッシアの奴隷だ」

「……え? それって、もう終わってるんじゃなかったっけ? 再調査任務ってこと?」

「終わってるのはその通りだが、再調査ってわけじゃない。これは表向きの任務で、本命は奴隷の購入だ」

「……どういうこと? ハイアース人が奴隷を買うなんて、今までの経験からは考えられないんだけど」

「そう思うのも無理ないな。詳しい経緯なんだが……」


 首をかしげるサクラに、俺は部長に言われたことを順に説明していく。

 彼女は当初、怪訝そうな顔つきだったが、次第に得心した様子で小刻みに頷いていた。


「……と、まあそんな感じだな」

「そっかぁ、やっとこっちでもマナス検査できるようになったのね」


 そして、感慨深げにそう言った。


「じゃあ、今回買う奴隷はその後の研究のためなのね?」

「たぶんな」

「ってことは……私がハイアースに行ける日も、そう遠くはないかも!?」


 わくわくどきどき、といった様子で目を輝かせるサクラだが、それはまだ気が早いと思う。

 とはいえ、日ごろからハイアースで俺と暮らしたいと言ってくれる彼女の気持ちはわからなくないから、曖昧に笑い返すに留めておくが。

 彼女は、それだけで大体のところを察してくれるし。


「……こほんっ、それはさておいて、だけど……」


 まるで照れ隠しのように、彼女は慌ただしく備え付けの端末に駆け寄って操作を始めた。

 すると直後、仮想ディスプレイと共に様々な情報が空中に描写される。準備したのは俺だし、それも俺がしようとしてたんだが……まあいいか。


 内容は、かつて調査がなされた神聖クロッシア王国の奴隷の調査報告書だ。今回の任務を進める上で、必須となる情報と言える。

 フィールドワークをする上で、現地入りの前に手に入り得る現地の情報はできる限り知っておくことは必須なのだ。


「えーっと、『まず前提として、神聖クロッシア王国の奴隷とは人間扱いされていない道具である。ただし、社会の基盤となる極めて重要な道具である』……」

「らしいな。いわゆるきつい仕事の多くは奴隷にすべて回されていて、王国では人間はさして働く必要がない。その上ですべての国民には無償で最低限の金銭が支給されている。ハイアースで言えば、ロボットがやってるところを奴隷がやってる感じだ」

「『奴隷はすべて、最初から特定の目的のために専用の教育を施される。そのため、奴隷の大半は細分化された技能に特化しており、国民は己の目的にあった奴隷を各々求めるのである』か……これって、いわゆる養殖奴隷のことよね?」

「そのはずだ」


 サクラに頷きながら、俺はそれに関するデータを彼女に指し示す。


「クロッシアでは、百五十年ほど前から人族以外の人種を組織的に捕まえて、奴隷として生きるように教育している。それが何代も続いた結果、人族以外の種族はまさしく家畜になっちまってるわけだ」


 そんな生粋の奴隷は、生まれてから死ぬまでずっと人のために存在しているために、養殖奴隷と呼ばれる。

 そしてそのための施設が、奴隷牧場。映像記録を見る限り傍目には学校に見えるが、あちこちに逃亡防止用の鉄格子があって、監獄めいている。そこにいるのは、人以外の人種は人に従うことを至上とするように教え込まれる子供たち。まさに牧場だった。


 普通のハイアース人的には、ものすごく嫌悪感を抱く光景だろう。重要なライフラインとして認識されているがために、彼らを無碍にするクロッシア人がそうそういないのはせめてもの慰めか。焼け石に水かもしれないが。


 そしてこの調査記録は今から十年ちょっと前のものだが、この実態が今も続いていることは、現役の調査員である俺が一番よく知っている。


「ふーん……ってことは、買うためには『どういう奴隷を求めているのか』が重要になるわけね」


 軽く「ふーん」で流せるあたり、サクラの感性はやはりロウアース人だなあと思う。

 いやまあ、彼女はドラゴンだから、余計奴隷がどうのこうのってところには感慨は薄いんだろうけど。


「……でも、ローレが要るのは『ポータル認知能力を持った奴隷』よね。それがどこにいるかなんてわかりっこないんだし、言ったところでわかってくれるはずもないわよね……」

「そうなんだよなあ。『剣ができる』『家事ができる』ってくくりにはとらわれないから、できるだけ多くの人間を見ないといけないんだが……どういう口実が一番いいと思う?」

「うーん……その前に、奴隷商だけ回ってたら時間がいくらあっても足りなさそうよ。奴隷商ってクロッシア各地にいるんだし、末端をうろついてても仕方ないんじゃないかしら」


 俺の問いに、サクラが少し方向を変える。

 それから彼女は端末を数回操作して、仮想ディスプレイに王国の拡大地図を映し出した。その各所には、赤い光点が点灯している。


「……これがクロッシアにある奴隷牧場の分布ね。王国内の奴隷商はみんなこのどこかから奴隷を買って、それを売ってるわけだから……奴隷商はいっそ無視して、こっちに絞ったほうがいいんじゃないかしら?」

「なるほど、一理あるな」


 奴隷商は要するに仲買業者だもんな。供給元のほうが効率いいだろうし、それで行こう。俺は頷いた。


「過去の調査記録を見る限り、金持ちが道楽で調教未済の奴隷を直接牧場まで買いに行くことはたまにあるようだし……今回はそう言う設定で行くか。俺たちは大店の兄妹ってことで? 自分たちで一から育てたい的な感じで?」

「えぇー、そこは夫婦って言ってほしいなあ……」


 サクラが本題とは別のところに食いついて、唇を尖らせる。

 そこに気恥ずかしさとかは見えず、それが当り前だろうと言わんばかりの顔だ。


 いや……うん、確かに俺たちはそういう関係だが。ロウアースは医療技術が未発達な分、結婚適齢期がハイアースよりかなり低いから……パッと見幼いサクラでも見た目的にもあり得なくはないんだが。


「……い、いきなりそれは、ちょっと恥ずかしいと言いますか……」

「もーっ、ローレのへたれ! いいじゃない、今さらでしょ!」

「母君にはまだ報告してないじゃん!? さすがにまずくない!?」

「お母様の許可もなく私を食べたのはどこの誰かしら?」

「はい俺でしたッ!」


 ゴッ、という音が部屋中に響いた。俺の額が、テーブルにクリーンヒットした音だ。


 ぐふう。


 しかしこうなると、俺はサクラには勝てない。幼い見た目に反して、彼女は理詰めで語るタイプだ。実は俺より年上だったりするしな。

 だからなんだかんだで、俺はいつも論破されて彼女に従う羽目になるのだ。


「わかった、わかったよ……設定は大店の若夫婦な……。あー、衣装の準備しないとだな……」

「うふふ、クロッシアは確か既婚服の風習があったわよね。楽しみだわ♪」


 その後、終始一貫して機嫌のよかったサクラは、試着でさらに舞い上がった。

 そんな彼女は予想通りこの上なくかわいかったわけで、それを予想できたからこそ、俺も従わない選択肢は端からなかったんだけどな。


 ちなみにこの日の夜の大運動会は、ものすごく激しかったことを付け加えておこう。


3.


 それからおよそ一ヶ月、俺たちはクロッシア国内をあちこち駆けずり回って奴隷牧場をしらみつぶしにしていったが、なかなか目的のお相手は見つからないでいる。

 述べ二千人近い奴隷を見てきたが、成果なし。さすがにこれが一ヶ月は、ちょっときついものがある。


 正確に言えば牧場の調教師に一人、ポータル認知能力が認められたんだが……相手国で正しく権利を認められている国民を、ハイアースまで引っ張るのは色々と問題がある。

 あれにはがっくりきたもんだ。


「もう、まだ全部見て回ったわけじゃないんだからそんな落ち込まないの。ほら、なでなでしてあげる」


 なんて、サクラに慰められたのもいい思い出。


 そんなわけで、今日も俺たちは奴隷牧場めぐりだ。今日やってきたのは、王国北方に位置する交易都市ナールバナーダ。国境沿いにある街で、なかなかに活気がある街だな。

 馬車(に偽装しているだけで、実際はハイアース技術山盛りのハイパーカー。御者も馬もロボットである)の窓から顔を出してみれば、街の外からでもはっきりその活気を感じられる。


「やあそこの衛士さん、ちょっといいですか?」

「ああ、なんだ?」


 御者ロボットに指示して馬車を止めさせ、俺は街の門を警備していた衛士に声をかける。

 これが旧世紀の小説によくあるテンプレなら、高圧的な態度の衛士がいたりして一悶着起こりそう(他国では実際にあり得る)だが、この国に限ってはそういうことはほぼありえない。

 俺が声をかけた衛士も、にこやかに対応してくれた。


「ほう、奴隷牧場に直接買いにね」

「そうなんですよ。ちょっと、育つ前のところから仕込んでみたくてね」

「はは、そういうやつはたまに見かけるな。特にこの辺は野生奴隷を専門に扱う牧場もあるから、好事家が結構来るぜ」


 言うまでもないだろうが、養殖奴隷が生まれも育ちも奴隷牧場な奴隷なら、野生奴隷とは普通に人間として生活している人たちを無理やり捕まえてきて奴隷にした存在のことだ。

 長年養殖が続いてるので今のクロッシアでもその数はだいぶ少ないようだが、それでも野生奴隷がいるのは、つまるところ無理やりどこかからさらって来ているわけだ。


 まさしく非人道的であり、先の調査報告が発表された時はハイアースでも小さくない物議をかもした。

 結局は内政干渉になるからと誰も動かなかったし、俺にしても今何かをしていいわけでもないんだが……いい気分にはなれねえよなあ。

 それを表に出さず、会話を続けるのも調査員としての腕前ではあるけど……な。


「そのようですね。野生種を買うつもりは今のところないですが、選択肢に入れるのもなしではないかなと思っているところですよ」

「そうかい、あんたもいい趣味してる。ああ、場所だがな、普通の牧場は街の西側だ。言うまでもないだろうが、牧場は全部街の壁外になるから、中を歩き回っても意味ないぞ」

「ええ、お気遣いありがとうございます」


 内心の感情を抑えつつ、ままこんな感じで軽い世間話を交わす。その間も、大勢の人が街から出入りしている。

 他の国ではありえない光景だが、この神聖クロッシア王国は、文明度合が近世程度のロウアースにあって、突出して治安のいい国だ。モンスター被害とそれに伴う警戒はあれど、街の移動にわざわざ身分証を提示したりとか、入市税が取られたりということもないのだ。

 衛士も実のところ、最低限の治安維持程度の意味合いしかない。だからのんびりとこうやって会話もできるのだ。


 なぜそんな状態が成り立つかと言えば、国民はみなベーシックインカムによって最低限度の生活を国によって保障されているからだな。そして面倒なことは全部奴隷がやってくれるので、馬鹿な気を起こすやつがほとんどいないってわけだ。衣食足りて礼節を知るとはよく言ったもんだよな。


 まあ、奴隷にされてる人たちは他の国であれば一人の人間として認められ、それぞれが自由に生きている人種だから、この国の奴隷のあり方は人として正しくない、とも思うんだが。

 それでも、ナールバナーダの活気や行き交う人たちの明るい表情を見ていると、これも国として一つの在り方なんだろうとも思えてくるよな……。


「もう、いつまで話してるのよ。早く行きましょう、あなた」


 色々考えながら衛士と盛り上がりつつあった俺の隣に、サクラが焦れたように顔を出した。そのまま俺にしなだれかかり、早く早くと催促する。


 ここ一ヶ月ほど、設定に基づく演技とはいえ俺を夫と呼べることが嬉しいらしい彼女は、ノリノリで金持ちの若妻を演じている。半ば素だとは思う場面も多々あったが、今回に限っては完全に演技だな。

 さっきのセリフを意訳すると、こんな感じだ。


「(この街は複数奴隷牧場があるんだから、早く済ませないと時間が足りないわよ。だから)早く行きましょう」


 その点は俺もわかっちゃいるんだが、何分ここ一ヶ月空振りばっかりなので、ちょっとテンションが追いつかないのだ。あまり実のない雑談だってしたくなるさ。

 まあ、やらないわけにはいかないし、ここらが切り上げ時ではあるか。


 そう思って衛士に声をかけようとしたら、彼はぽかんとした顔でサクラに目が釘付けになっていた。

 ……美少女のサクラに見惚れるやつは多いが、ここまで行ったやつはなかなかいないな。御同輩ロリコンだろうか。

 だとしても、サクラには指一本触れさせないが。


「そうだな、そうしよう。……それじゃ衛士さん、お仕事中に申し訳ない」

「……え? あ、ああ。構わないよ。何もないと思うが、道中気をつけてな」

「はい、ありがとうございます」


 俺の言葉で我に返った衛士に見送られ、俺たちはいよいよナールバナーダの市内へと踏み込んだのであった。


 後ろから、


「くそう金持ちのところに美少女の嫁さんとか不公平すぎるだろ……! おお神よ、私が何をしたというのですか!」


 とかなんとか聞こえてくるが、俺はそれを全力で無視したのだった。


◆◇◆


 市内の高級宿にチェックインし、サクラと満ち足りた夜を過ごして翌日。

 俺たちは早速、西側にあるという奴隷牧場へと足を運んだ。


「この街の奴隷牧場は、戦闘奴隷を専門に飼育してるところらしいわよ」

「戦闘奴隷か……あんまり他では見ないジャンルだな」

「まあねえ、この国は国内だけで言えば平和だし。モンスターの対処くらいにしか使われない分、需要が少ないんでしょうね」


 ちなみに、戦闘奴隷は他国との戦争には使われない。なぜならクロッシアの戦争はすべて、神敵と戦う聖戦であり、そのような神聖なものに亜人(クロッシアにおける人以外の人種の総称)の手を借りるわけにはいかない、というのがこの国の理屈だ。

 孫子とかクラウゼヴィッツとかが聞いたら、あるいは鼻で笑うかもしれないが。宗教特有の理不尽さというのはままそんなものだ。


 さてさて、そんなわけでとある奴隷牧場の敷地へと入る。その途端、そこで控えていた受付担当らしき人物が御者伝いに馬車を誘導し始める。

 今回馬車はいかにも金持ちがお忍びに使ってそうな体裁にしてあるし、俺たちの格好もそれに準じている。牧場の関係者は奴隷商じゃないが、たまにその手の買い手がやってくるならそれ相応のノウハウがあるんだろう。


「いらっしゃいませ。当牧場に御用ですか?」

「ああ。ちょっと若い奴隷が欲しくて直接ね」

「ははあ、なるほど。畏まりました。すいませんが少々お待ちください、上の者に取り次ぎますので」


 実際、こんな感じでスムーズに話が進み、馬車を預けた俺たちはほどなくして、牧場のオフィス的な建物へと案内された。


「ドルトン牧場へようこそ。自分は案内役のデュータと言います。よろしく」


 現れたのは、恰幅のいい中年男性だった。この辺り伝統の、トーガ風な仕事着を身に着けている。


「私はロレンツという。こちらは妻のサクラ。よろしく頼むよ」


 妻の、という言葉に明らかにサクラが嬉しそうに胸を張る。


 その仕草をデュータはいぶかしげに眺めた後、取り繕うかのような笑みで俺へ正対した。

 接客態度としてはあまりよろしくないが、彼らは本来商人じゃない。通すべき奴隷商を飛ばしてるのはこっちなので、あんまり重箱の隅をつつくような真似はやめたほうがいいだろう。


「さて、本日はどのようなご用件でしょうか?」

「ああ、それなんだが……その前に」

「?」


 ここからは、正式な仕事になる。

 だから俺は、今まで目立つから外していたターミナルを取り出して装着した。サクラもそれに続く。


 当たり前だが、ターミナルはロウアースではあり得ない装備品だ。それを見たデュータは、意味が分からないといった様子で俺たちの顔を交互に見ている。

 そんな彼の眼前に、俺はペンライトに似たスティック状の道具を掲げた。

 それに彼の視線が思わずといった感じで吸い寄せられた、そのタイミングで俺はその道具から――。


◆◇◆


「どうだ?」

「オーケーよ、問題ないわ」

「よし」


 すべての準備を終えて、俺とサクラは頷き合う。


 その向かいでは、うつろな表情でぼんやりとしているデュータ。目の焦点は合っておらず、呆然自失どころか魂が抜けたかのような状態である。

 雰囲気としては、宇宙人が秘密裏に地球で生活している昔のSFコメディー映画に出てくる、「ピカッ」とやる記憶消去の道具を使われた人みたいな感じだ。

 まあ、消すと足すの違いこそあれ、記憶をいじったことは間違いない。俺たち調査員が仕事をしやすくなるように、色んな情報を一時的に教えたのだ。


 ……毎度のことだが、この取材交渉・・・・は強引で罪悪感がある。後遺症は(今のところ)ないし、最後は俺たちのこともきれいさっぱり忘れてくれるわけだが、それでもこれを毎回してたらそりゃあ奴隷購入に反論できないよな。


 ただ、ロウアースには密着取材なんて概念はまだないのだ。そしてハイアースに比べて危険度も非常に高い。

 それに、普通なら徹底して現地に溶け込み、時に取材対象に弟子入りするなりして実地で情報を得るのが正しいフィールドワークだが、そんな長々と時間をかけるわけにはいかない。

 ただでさえハイロウを行き来するためには、ポータル認知能力という稀有な才能が要求される。人手は常に足りておらず、よってあまりほめられたやり方ではないが、こうした取材交渉・・・・を行っているのだ。


 なお、この取材交渉・・・・はご覧の通りわりとアレな方法なので、詳細については極秘となっている。細かい描写をすっ飛ばしたのは、決して面倒だからではない。その点、ご了承いただきたい。


 閑話休題。


 とりあえずこれで、調査を始められる。

 俺はサクラにターミナルの各種システムを起動するように伝え、自身も同様にする。これでここから先は、二人のターミナルによってすべての映像、音声が記録されていくことになる。


「デュータさん、改めてよろしくお願いするよ」

「はっ。……あ、は、はい。こちらこそ、よろしく」


 俺の言葉で正気に戻ったデュータは、ぎこちなく会釈をしてきた。少し不思議そうな様子だが、取材交渉・・・・の直後はいつものことだ。俺は有無を言わせず話を進める。


「今回の件なんだが、実は少し自分たちで仕込んでみたくなってね」

「なるほど、なるほど。そう言う方はたまにいますよ」


 などと会話しつつ。


 とりあえずのこととして、別に何か特定の技能を持った奴隷を求めてるわけじゃないこと。そしてだからこそ、単に気に入った子が欲しいという旨を伝える。

 その上で、一つ一つ紹介してもらう形じゃなく実際に牧場内を見て回りたい。気に入った子がいた時のみ購入、ということで話を進める。


 普通なら、一見の客がそんなわがままを言ったら断られそうだが、取材交渉・・・・の効果は抜群で、あっさりと承諾された。科学の力ってすごいが、ここまで来ると逆に怖いものがあるよな。


「それでは実際に案内しましょうか。こっちです」


 そうして俺たちは、デュータの案内で奴隷牧場の飼育エリアへと足を踏み入れることになる。


 とはいえ、奴隷牧場の雰囲気は大体どこも一緒で、一見すると学校のような雰囲気になっている。

 育てられているのがみんな教育途中の子供だから、というのが大きいんだろう。そしてそのために必要な設備なんかは、ハイアースでもロウアースでもさほど違わない、ってことなんだろうな。


 ただ、ここは戦闘奴隷の牧場だ。今までの牧場では見たことのない、戦闘教練用の設備がそこかしこにあって、それが目を引く。

 的役らしき、鎧を着こんだ木偶人形。壁にずらりと並ぶ剣や槍、斧などの武器。集団戦闘用なのか、かなりの広場もある。そしてそこで子供たちに技を教え込んでいるのは、白い首輪を着けた屈強な体格の男。


「……教官も奴隷なんだな」

「それはそうですよ。洗礼を受けている国の騎士様や剣士様の技を、亜人なんぞに教えられるわけがない」

「なるほど、それはそうだ」


 ここ一ヶ月で今まで以上に慣れたが、この国のあからさまな人族至上主義は、不意に飛んでくるとやはりなかなか精神に来るものがある。

 この国はこれが普通だし、人族はおろか当の亜人たちすら大半がそれを受け入れてるんだから、俺がどうこう言うことじゃないけどさ。


「あの辺りは出荷が近い集団ですな。種族ごとに成人の歳が違うんで、見た目はだいぶばらついて見えるでしょうが」


 言われてそちらに目を向けてみれば、確かに比較的年かさのある子供たちが武器を振っていた。デュータの言葉通り、人族以外の種族が雑多に混ざっているな。

 狼のような耳と尻尾を持ったリカント族。成人でも人族の子供くらいの体格のピグミー族。尖った耳を持つエルフ族。この国で亜人と呼ばれる種族、揃い踏みだ。

 ただ、全体的にピグミー族が少ない。彼らは小人族とも呼ばれるくらい身体が小さいから、戦闘奴隷には向かないってことかな。


「リカント族が十三歳、ピグミー族が十歳、エルフ族が十八歳だったか」

「左様で。我々はその年齢に達したら奴隷商に卸す決まりになってます」


 頷きながら、俺は……いや、俺たちはターミナル越しに、奴隷たちを一人ずつ舐めるように見ていく。


 ターミナルにインストールされたマナス検査システムだが、さすがに大勢を一気に調べることはできない。一人一人ターミナル越しに映して調べないといけないのだ。

 が、それでも該当者がいない時はどうしようもない。連続して告げられる機械的なメッセージに、げんなりする。

 赤ん坊の収容区域とか、欠陥品(要するに反抗的な子)の収容区域とか、別の意味でも気が滅入るし……。早くこの仕事終わらせたいよ。


 だが、どうやら神は死んでいないらしかった。


「ローレ、ローレ! あの子!」


 それは知識を教え込む区域を見て回っている時だった。突然サクラがそう声を上げて、俺の腕をぐいとつかんだのだ。

 その声に、授業中だった子供たちの視線が集中するがサクラは気にしない。というか、そんな余裕もないようで、俺にデータを転送してきた。


「……いたか!」

「ええ!」

「これは……おおお、本当だ! 確かに! やったぜ!」

「本当にね! 長かったわー!」


 データを確認して、思わず両手でガッツポーズをした俺。

 そして急に盛り上がり出した俺たちに、デュータからも「なんだこいつら」って感じの視線が突き刺さる。


 いかんいかん、ちょっと羽目を外しすぎたな。


「おほん……あーっと、デュータさん、ちょっと」

「はあ」


 精一杯取り繕いつつ、デュータを手で招きよせる。その彼に目当ての子を見つけたことを伝え、購入の意思を告げた。

 彼は最初の十数秒は怪訝そうな顔をしていたが、とりあえずは商談になりそうと判断してか、その後はスムーズに応対してくれた。


 そうして俺たちは最初の部屋まで戻り、牧場側の準備などが終わるのを待つことになる。


「それではロレンツ様、準備が整うまでに契約を済ませてしまいましょう」

「そうだな、時間は有限だ」

「まずは、書類的なことですな。こちらが、ロレンツ様がお求めになった品の詳細になります」


 その言葉と共に手渡された書類は、いわゆる血統書のようなものだった。クロッシア的には奴隷はペットではなく道具なので、工業規格に合格した公的な性能検査書類、と言ったほうがより実態に近いか。

 書かれているのは、身長や体重といったパーソナルデータ、所有している技能の他、牧場内での成績など。それから、どういう親から生まれたか、その親はさらに誰から生まれたか、辺りだな。

 前回の調査記録によれば、購入者によっては混血(人と亜人は交配できる)を嫌う者もいるらしいから、それへの対策もあるんだろう。三代経れば純血とみなす、みたいなルールが確かあったような。


 まあ、いずれにしてもハイアース人である俺には、そういうところは一切問題ではない。

 注記に、愛想が乏しくコミュニケーション力に欠けるとかどうとか書かれているが、そもそも今回はポータル認知能力さえあれば、出自はおろか健康状態すら問題にならないからな。正直その程度、としか言いようがない。


「……問題なさそうだ」


 だから、とりあえず一通り読んだ体を装って俺は頷く。隣から覗き込んでいたサクラも同様だ。


「わかりました。では、次に値段の話を」


 ここで見積書が出てこない辺り、ハイロウの差を感じる。

 値段が口頭で決まるというのは、個人的には違和感がある。かつてのヨーロッパのように、こちらでは紙が貴重品というのもあるだろうけどな。


 まあ、とはいえ今回は言い値で買うつもりだから、正直あまり気にすることでもない。

 任務である以上、ここまで来て買わないという選択肢はないし、金持ちを装っている……というか、今まで使う機会がなくてため込んできた金があるから、実際に俺たちは金持ちなのだ。


 デュータが、調教未済の製品を売ることによるリスク的なこととか、対象の才能が上々だからとか、いろんなことを説明してくれているが、すまん。正直右から左にスルーだ。


「……ということで、そうですな。三千ベテルでいかがです?」

「買おう」

「え。あ。は、はい、ありがとうございます」


 即答は想定外だったのか、デュータは一瞬唖然とした。しかし、眼前に差し出された重々しい袋を見て、すぐに我に返って頭を下げてくる。

 それから人を呼んで金額の確認と回収をさせると、入れ代わりで契約書が俺の前に差し出された。


「それでは、こちらにサインを……」


 出てきたのは、本当にただの契約書だ。俺が特に補足を入れる必要もないくらいだ。


 俺は頷きながら、そこに己の名前を書きこむ。……羽ペンというのにどうにも慣れないので少し歪んでしまったが、これくらいならただの悪筆の範囲内だろう。


「これでいいかな?」

「はい……。……はい、これで契約成立です。それではもう少しお待ちを。すぐに連れてきますのでね」

「ああ」


 そこから待たされること、およそ三十分ほど。

 部屋の中に、数人に連れられてリカント族の少女が入ってきた。


 先に見た書類によれば九歳とのことだが、早熟のリカント族らしく既に女性として身体が整いつつあるようだ。簡素な奴隷服を着ているので、少々目の毒だなこりゃ。

 あまりそういうところに目を向けていると、隣の相棒が怖いので次に行こう。


 髪、そして耳と尻尾は、赤だ。リカント族のそれらはいくつか色のバリエーションがあるが、確か赤はかなり珍しい色で、尊ばれることが多いんだったかな。

 顔は予想より整っている。サクラにはさすがに負けるが、その辺りは俺の好みもあるわけで。人によってはこちらのほうがいいと言うやつも十分いるだろう。

 その顔に表情はないが、ピーンと伸びきった尻尾を見るに、単に緊張してるんだろう。彼女にしてみれば、青天の霹靂だったろうしな。


「それではロレンツ様、こちらです」

「ああ、ありがとう」

「最後に契約の儀式をすれば、購入はおしまいです」


 俺の正面に奴隷の少女を立たせつつ、彼女と共に持ち込まれた円盤のようなものをデュータが眼前まで持ち上げる。


「最後の契約について説明します。こちらは契約盤と言いまして、魔術契約を行うための道具です」

「ああ、知っている。そこに権利者の血を垂らして魔術処理をするんだったな?」

「ご存じなら話は早い。一滴でいいんで、血をいただいてもよろしいですかな?」

「も、もちろんだ」


 頷く俺に、太めの針が差し出される……。


「大丈夫? 私がやろっか?」


 針の先端を見て顔色を変えた俺に、サクラが耳打ちしてくる。

 正直魅力的な提案だが、この程度のことでビビるわけにはいかないだろう。仮にも彼女は恋人だぞ、契約に必要とはいえ出血を強いるなんて俺にはできない。


 ええいままよ!


 俺は意を決して、針を指先に突き立てた。すると小さく血が吹き出し、そこが赤く染まる。


「それをこちらに……あ、ここです。はい、どうぞ」


 そうして言われるままに、俺は指先から滴る血を契約盤の中央に落とした。


 すると刹那、その中央からうっすらと光が漏れ、円盤全体に広がった。ジャパニメーションでよくある、魔法陣のような形の光。それが全体を一気に走ったのだ。

 次いでその光は、逆に中央に吸い寄せられるようにして集まっていく。


 いや、ように、じゃないな。本当に光が吸い寄せられているようだ。契約盤の中央、俺が血を落とした箇所は少しだけ盛り上がっていて、その中に入っているように見える。

 そうして光が減っていき、遂には円盤から光が完全に消えた頃。


「はい、登録はこれで完了と。最後に……」


 デュータが、そう言いながら契約盤の中央の手をやった。さっきも言った、少しだけ盛り上がっているところだ。

 そこが、ぱかりと開いた。どうやら蓋になっていて、そこに小指の爪程度の大きさの宝石が入っていたようだ。


「魔石か……」

「その通りで」


 人差し指と親指でデュータが取り出したそれは、水晶のようにほぼ色のない透明だ。だがその中には、先ほどの光と同じ色の光が揺らいでいるのが見える。


 そしてデュータは、奴隷少女に背中を向けさせると、彼女が着けていた黒い首輪の背面にぽっかりと空いていた穴に、魔石をはめ込んだ。

 すると今度は、魔石に蓄えられていた光が放出される。それはそのまま、先ほどの契約盤とは真逆に光を次々に吐き出していき、首輪全体を覆っていく。そしてその光が広がるにつれて、真っ黒だった首輪の色が白くなっていった。


「はい、これですべての契約が終わりました」


 やがて、首輪全体が白に染まったのを見計らって、デュータがそう宣言する。

 それを受けて、奴隷少女の尻尾が嬉しそうに左右に揺れた。


 なるほど、これが魔術を利用した契約か。事前情報で知っていたし、記録映像で契約の流れは見てもいたが、こうして直に見ると感慨深いものがあるな。


 この魔術によって、奴隷少女の主人が俺であると登録された。今後彼女は、俺からのあらゆる命令に従うことを強いられる。魔術による強制力は強く、よほど魔術に長けたものでなかければ抗うことはできない。この辺りはまさに奴隷といった感じだな。

 もちろん例外はあるが、その辺りは今さら俺が再調査するまでもないので、先の調査結果を参照にしてもらいたい。


「さあロレンツさん、どうぞお受け取りください」

「ありがとう、デュータさん」


 そうして俺はデュータに頷くと、彼からまさに差し出された奴隷少女の頭をなでる。

 シャンプーの類がないからだろう、その感触は少しごわついていた。


 が、そんな俺の手を見つめる奴隷少女の無表情な顔に反して、すごい勢いで左右に揺れる尻尾とのギャップに、思わず笑みがこぼれたのだった。


◆◇◆


 さて、かくして無事に奴隷を持つに至った俺たちなわけだが、牧場ってのはあくまで商品を出荷するだけの場所であり、俺たちが買った少女にしても最低限のものしか与えられていなかった。

 これが奴隷商から買えば、商会によって衣服や武具などの品がサービスの一環としてついていたりするが……それを期待するのは野暮ってものだろう。

 かといって、裸足で歩かせたり、簡素な奴隷服のままで行動させるのは気が引ける。目のやりどころにも困るし。


 ということで、その日の残りはおおむね備品の購入で費やされた。

 衣服屋などでは、奴隷にそれなりの服を着せたいと言ったら奇特な人を見る目をされたが、ここは譲れない。色んな意味で。


 服選びは、基本的にサクラにお任せだ。俺に女性の服を選ぶ目を期待されては困るのだ。

 そのサクラは、普段はハイアースの服を着てるおかげで選択肢の少なさに辟易していたみたいだが。それでも、誰かを着せ替え人形にしたがるのは、ロウアースでも女性に共通の感覚なのだろう。終始楽しそうだった。


「サクラ、俺は大切なことに気がついた」

「何よ急に?」


 一通りの買い物を終えて、その日の夜。宿屋の部屋でくつろいでいると、不意に閃いた俺は思わずサクラに言い寄っていた。


「あの奴隷の子、名前がない」

「……ああ、そういえばそうね」


 サクラの反応が薄い。けど仕方ない、ドラゴンは元々その習慣がない種族だからな。


 ならばと奴隷少女の書類を改めて開いたが、そこにも名前は書かれていない。これじゃあいろんな場面で不便だな。

 事前の調査記録には、その辺りのことは確か書かれていなかった。というか、フィールドワークに協力してくれた人の名前は、記録では仮名で書かれるからな。実際はどうやってるんだろう?


「とりあえず、本人から確認取るか。サクラ、連れてきてくれるか?」

「わかったわ」


 俺の言葉に頷いて、サクラはぱたぱたと駆けて行った。


 ある程度以上のグレードの宿屋では、宿泊部屋の中にさらに小さな部屋が設けられている。奴隷はそこで寝泊まりさせるのが一般的らしい。もちろん同じ空間で寝泊まりすることを許す人もいるようだが、そこは人それぞれだな。

 今回については、そもそも部屋に俺とサクラが使うでかいベッド以外に寝床がないため、奴隷部屋を使わせている。決して邪険にしているわけではない。


「ローレ、連れてきたわ」

「ご主人様、呼んだ?」

「おう」


 サクラに連れられてやってきた奴隷少女は、やはり表情が乏しい。しかし尻尾を見ればその心境はよくわかる。

 ぴんと張っているところからみるに、緊張してるんだろう。取って食いやしないが、やはり奴隷という立場にとって、契約者ってのは怖いのかね?


「あーっと、とりあえず楽にしてくれ」


 そう言ってみたが、少女は小さく首を傾げるだけだ。緊張をほぐそうと思ったんだが……まあいいか。


「早速だが本題に入ろう。君の名前を教えてくれるか?」


 だが、そう問いかけた俺に返ってきたのは、驚くべきものだった。


「わたし、名前ない」

「……マジで?」


 マジという言葉が理解できなかったのか、少女は再び首を傾げる。

 とりあえず尻尾がゆっくりと下がっていったので、緊張はほぐれたみたいだが……。


「名前がないってのはどういうことだ? ご両親からつけられてないのか?」

「ん」


 迷うことのない肯定に、俺は絶句した。


 それから少し時間をかけて話を聞いてみたところ、彼女だけでなく奴隷にはすべて名前がないらしい。

 特殊な生態故に名前が不要なドラゴンには、確かにこの習慣はないが……それは上位種族とも言えるドラゴンが例外なだけだ。クロッシア以外の国では、リカント族にだって名づけの習慣はあるのに。


「クロッシア人にとって、奴隷は道具。そして、道具に名前をつける人はそう多くはない。だから奴隷には名前がない、ってことなのね」

「特に養殖奴隷は、生まれる前から奴隷になると定められてるし、そう育てられる。だから名前はなく、必要になったときは識別番号で判断されている、か……」


 奴隷少女の説明は少々たどたどしいところがあったので、サクラとまとめてみると、大体そんなところらしかった。

 彼女たち奴隷の首輪にはそれぞれ奴隷ごとにシリアルナンバーが記されており、それで呼ばれているんだとか。


「……この文化は、俺には受け入れられそうにないな……」


 だが、俺の率直な感想はそれだった。昔のディストピアもの作品じゃあるまいし……人格、人権ってものがなさすぎるだろう。


 けれど、それに対して奴隷少女はこう言ったのだ。


「? なんで?」


 そう言った時の彼女の瞳や表情は、困惑に満ちていた。尻尾は力なくだらりと垂れさがっていて、その態度との矛盾も見受けられなかった。

 つまり彼女は、本心からそう言ったのだ。俺の、人格否定に対する憤りを、理解できないのである。


 正直、ぞっとする。今俺の目の前にいる、耳と尻尾以外は人間とさして変わらない女の子が、自分の意思や意志を一切持っていないことを、当然と受け入れている。こんなの、もはや洗脳じゃないか……。

 それでも、それを彼女の前で否定するわけにはいかない。それをしてしまったら、彼女の存在そのものを全否定してしまいかねない。


 だから。


「……たとえ道具であっても、匠が作った一品ものには名前が与えられることはよくあることだ。だからお前にも、名前を与えようと思う」


 俺に今できるのは、それくらいだった。


「名前……わたしに?」


 その申し出に、表情の乏しい彼女の顔色が変わった。それほどまでに珍しい事なのだろう。

 けれど、俺には彼女をモノ扱いするのはどうしてもできそうにない。今の段階でも限界ギリギリだったのに、これ以上は無理だ。


 ただ、


「……どういう名前にしようかな……」

「え、ローレってばあんだけ啖呵切っといてノープランだったの?」

「しょうがないだろ、まさか名無しだなんて思わなかったんだから」


 どうにも締まらない俺だった。やれやれ。


「何かいい案はないか?」

「私に振られても困るわよ……ドラゴンに名前なんて必要なかったんだから。今は名前を呼ぶのも呼ばれるのも嬉しいし、意味のあることだってわかってはいるけど……それでもやっぱりなじみが薄いわ。そもそも私だって名付け親はローレよ?」

「そうだった」

「私の時は、ローレの大好きな国が象徴にしてるお花にちなんでくれたんでしょ? そんな感じでいいんじゃないかしら」

「花か……そうだな、そうするか……」


 女の子の名前を花にちなむのは、珍しくない。まあヨーロッパ圏ではそこまででもないが、日本ではわりとよくあるしな。


 しかし俺、日本のことは第二の故郷だと思ってるが、知識が偏ってるんだよな。花とか正直詳しくない。

 どうしたものかと思いつつ、奴隷少女に目を向ける。彼女は尻尾をゆるゆると左右に揺らしながら、やはり小さく首を傾げた。


 ふむ。


 赤い髪……耳、尻尾……ふんわりと外側に広がって見える……。

 ……ケモミミ……犬っていうか狼系少女……剣術が使える……。


 む? 待てよ、犬耳で剣が使えるキャラが昔のゲームにいたな。髪とかは赤くなかったけど、植物の名前だった気がする。あれは剣じゃなくて刀だったが……。

 なんだっけ……えーっと……あれは確か、カナダの国旗の……。


「……そうだ。モミジ。モミジにしよう」


 言い切って、俺は頷いた。

 それを聞いて、サクラも得心した様子で頷く。


「ああ、楓の別名だっけ。日本だと、紅葉した楓の葉っぱをモミジって言うのよね、確か」

「おう。赤いから……ってのはちょっと安直かもしれないけど」

「ううん、良いと思うわ。似合ってる」

「そっか。うん、よし。なら、これで決まりだな」


 サクラからも同意を得て、俺は改めて奴隷少女に向き直る。

 そしてその肩にぽんと手をやりながら、その名前を宣言した。


「モミジ。今日からお前の名前は、モミジだ」


 それを聞いた彼女は、それまで緊張した様子だった尻尾が嬉しそうに激しく動き始めた。顔色は相変わらず変化に乏しいけど、尻尾は素直だなあ。

 そして彼女――モミジは、少し眉をひそめて口を開いた。


「も、みぃじ?」


 ああ、日本語は同じ母音が連続することが多いから、慣れるまでは言いづらいか。


 俺はサクラが日本語を勉強し始めた頃のことを思い出しながら、ふっと笑う。それから、モミジに視線を合わせて名前を呼ぶ。


「モミジ」

「もみーじ?」

「モ・ミ・ジ」

「も……み……じ」


 お、今のはちゃんと言えてたぞ。


「モミジ」

「もみじ?」

「そう! よし、言えたな。偉いぞ、モミジ」


 ちゃんと発音できたので、俺は彼女の頭をぐしぐしとなでた。

 そしてその瞬間だ。


「ん! わたし、モミジ!」

「お……」

「あら」


 今まで表情のなかったモミジが、はっきりにぱっと笑った。

 それは一瞬ではあったが……彼女は確かに笑っていた。

 まさに秋の山をにぎわせる、赤々とした紅葉のように。そんな、かわいらしい笑みだった。


4.


 翌日。俺たちは朝早くにナールバナーダを出立して、一路ポータル基地に向かっていた。


 最大の目的を果たした以上、長居は無用。表向きの理由である奴隷についての再調査にしても、通常奴隷は名前を持たないという成果がある。

 成果というには微妙かもしれないが、そもそもカムフラージュなので、これはぶっちゃけ何もなかったとしても問題はないのだ。


 そして今、俺たちは馬車の中で実のところをモミジに語っていた。

 俺が異世界人であること、この世界の調査のために来ていること、その調査にモミジの力が必要なこと……などなど。


 とはいえ、いきなりそんな話をしてもモミジにはよく理解ができていないようだ。そもそも異世界という概念自体を、ちゃんと理解できているかどうかってレベル。

 なのでここは、異世界をものすごく遠い国という解釈をしてもらい、なんとかスタートラインに立つことができた。


「いいかモミジ。これがハイアースの道具だ。四次元収納と言ってな」


 そして俺は、ハイアースの技術を実際に見せることにした。明らかに差のあるものを見せれば、俺がこの辺りの人間じゃないことはわかるだろうからな。


 ということで、今見せているのは大きさや質量を大部分無視して小さなものの中にしまうことのできるバックパック型の道具。

 まあ、わかる人にはそう言うより、耳のない猫型ロボットがお腹につけてるポケットって言ったほうがわかりやすいだろう。名前もそれにちなんでいて、察しの通り日本人の発明である。

 さすがに俺はただの人間なので、かの猫型ロボットみたいにやたら重いものは入れられない(正確には、入れられるが取り出せない)が、軽いが大きいといったものを入れるにはこれほど便利なものはない。


 その辺りのことを噛み砕いて説明しつつ、実際にものを出し入れしてみせる。大きいものから小さいものまで、色んなものが収納を出入りする。


「すごい! ご主人様は、魔法使い?」


 ただ、どうやら加減を間違えたらしい。確かに、極限まで発達した科学は魔法と区別がつかないとは二十世紀のとある偉人の発言だが……。

 ……まあ、技術を使ってる分にはさほど違わないし、とりあえずはそれでいいか。

 一応、魔法使いって点だけは訂正しておかないとだけどな。


「いや、俺はそんな大それたものじゃないよ。ただ人に作ってもらった道具を使ってるだけだ」

「じゃあ魔術道具!? それでもすごい!」


 本当に尊敬しているような色の視線が色々と痛い。俺がすごいわけじゃなくて、ハイアースの技術がすごいだけなんだけどな。

 しかしモミジは相変わらず表情が薄いが、今は好奇心やら尊敬やら、色んな感情が透けて見える。尻尾を見るまでもない。この辺りはまだ歳相応って感じだな。


「まあな……それはそうだが、うん。俺のことはいいんだ。それよりモミジ、これを君に渡しておくぞ」


 一通りハイアースの説明を終えて、俺は四次元収納から刀身がないと見てわかるサイズの剣を取り出した。剣とは言ったが、知らずに見たらその正体は見抜けないだろうな。

 実際、モミジも何が何だかって様子で、とりあえずといった感じでそれを受け取った。


「何はともあれ、まずは騙されたと思ってその柄を握って引いてみな」

「ん」


 不思議がっていたモミジだったが、その俺の指示に迷うことなく従って、柄を引いた。

 するとその瞬間、極端に小さい鞘の中から光があふれる。と同時に、柄が引かれる動きに合わせて何もないところから刀身が生じていく。ほどなくして、それは完全な剣の姿を取って俺たちの目の前に現れた。


「!? え!?」


 明らかに入っていなかったであろう長さの剣ができたことに、モミジは目を丸くして驚いている。種を知っている身には、微笑ましい光景だ。


「そいつはレーザーブレードって言ってな。ハイアースの武器の一つだ。見ての通り場所を取らない、普段は重さがない剣なのさ」

「す……すごい……」


 もちろん引き抜かれて正しい姿となった今、レーザーブレードには相応の質量がある。だが、モミジはそれを特に苦も無く持ち上げて、刀身をしげしげと眺めている。伊達に戦闘奴隷として育てられたわけじゃないんだろう。


「モミジは牧場では剣術が得意だったんだろ? だからそれはモミジが使うといい」

「えぇ!?」

「実は俺、あまり剣は得意じゃないんだ。だけどこういうのは、使える人間が使うのが一番だと思ってな」

「そ、そんな。わたし、奴隷です。服とか靴とか、だけでも十分、です。剣はこれで……」


 レーザーブレードを慌てて鞘に戻して、モミジが牧場から持ってきた唯一の私物の剣を抱き寄せた。よほど驚いたのか、ろくに使えもしない敬語を片言で言ってくる。

 確かに、わざわざ奴隷に魔術の力を持った武器(実際は違うわけだが)を渡すなんて、クロッシアではあり得ない。奴隷の側もそれが常識なんだろう。


 しかし、俺は別の国どころか別の世界の人間だ。そんな常識は知らない。

 それに、モミジの剣が古い数打ちであることはターミナルが既に見抜いている。それではいざという時、活躍できるかどうかわからない。


 だから俺は首を振って、彼女の言葉を遮った。


「安心しろ、これはあげるんじゃない。貸すだけだ。必要なときは返してもらうから、そのつもりでいてくれ」

「わ、わかった、です」


 だってこれ、ターミナルに並ぶ調査員の備品だからな! 他人にあげたら俺が怒られる!

 貸すのはどうなんだって? いいんだよ。グレーゾーンってやつだ。俺以外にも、現地の協力者に対して貸し出してるやつは結構いる。要は黙認されてるわけだ。


 なんでそうなるかっていうと、調査員たちから不人気だからだな。だって、銃と剣の二択なら銃を選ぶだろ、普通。威力的にも取り回し的にも。

 古き良き日本のポップカルチャーが好きな身としては、このレーザーブレードはわりと好きな武器なんだが……残念ながら、現実は非情だ。ロマンとリアルは相容れないのである。


 一方、ロウアースではまだまだ剣は現役の武器。当然こっちの協力者も、剣のほうがなじみがあるわけで。

 その辺りの実情が絡み合った結果、レーザーブレードは貸与に限って黙認されているのだ。


「それじゃ、使い方の説明をするぞ。まずはスタンモードだ」

「ん!」


 というわけで、今後も機会があればモミジにはレーザーブレードを使わせることになるだろう。俺は久しく使ってなかったせいでおぼろげな使い方を、ターミナルの力を借りながら説明していく。

 初日の旅路は、そんな感じで過ぎていくのだった。


◆◇◆


 その後も、さして大きな問題はなく馬車はのんびりと進んだ。

 ハイアースじゃ考えられないスローペースだが、これには一応考えがある。今後のために、モミジへの教育をしたほうがいいと思ってな。

 何せ彼女は現在、今後ハイアースに来てもらう候補筆頭だ。少しでもハイアースの知識をもっていてもらうに越したことはない。


 前にも言ったが、幸いクロッシア王国の治安は群を抜いていい。あからさまに豪華な見た目の馬車で、護衛も連れずに旅をしていようがそうそう問題は起こらないのだ。

 これが他の国だと、賊なりモンスターなりに襲われる可能性が百五十パーセントくらいあるんだけどな。往路で絶対に襲われ、復路でも大体襲われるの意味。


 ともあれそんなわけで、道中の時間をたっぷりと使って、ターミナルもフル活用して様々な知識を身に着けてもらうことにした。と言っても、十日もあれば基地に着けるくらいだから、本当に基礎的なことだけだが。


 ……と、思っていたのだが。

 ナールバナーダを経って七日目にして、俺たちは盗賊に遭遇……して立ち往生している団体と、遭遇してしまった。


「クロッシアで賊に襲われるとか、また珍しいこともあるもんだ」


 その現場を、街道の後方から眺めながら俺は思わずつぶやいた。その左右で、サクラとモミジはうんうんと頷いている。


 場所は、北方の仮想敵国群からの防波堤にするため、クロッシアがあえて開発していない森の近くを通る地点。どうも森のほうから襲撃を受けたらしい。

 ターミナルの遠視機能のおかげで、その様子はまるで目の前のことのように見えていた。

 襲われている馬車は全部で三台で、賊がその馬車を破壊しないように立ち回っているようなところから、目当てはその中身だろう。荷物を狙われてるってことは、あの団体は小規模ながらキャラバンってところかな?


「全員顔を隠してるのが気になるところではあるが、まあ賊だな」

「どうするつもりなの?」

「どうもこうも、道はまっすぐ平坦なままあそこに直進だぞ。さすがに見て見ぬふりはできないだろう」

「ローレならそう言うと思ったわ」


 俺の即答を受けて、サクラもまたしたり顔でもって即答した。

 そんな彼女に頷いて見せつつ、俺は四次元収納からショックガンを取り出す。スタンモード専用の、非殺傷武器だ。

 それからモミジの頭に手を伸ばす。


「モミジも行けるな?」

「ん、任せて」

「よし。それじゃ……勝利条件、キャラバンを救出せよ。作戦はいのちだいじに、敵もできるだけ殺さない方向で。ドライ……ツヴァイ……アイン……ロス!」


 そうして俺の声を受けて、御者ロボットが馬車の速度を上げた。そのまま一直線に、前方で馬車を襲撃する賊たちに突っ込む。


 もちろんただ突っ込むだけではない。俺は御者台に立ち、ショックガンを連射する。

 剣はからっきしな俺だが、こっちのほうは多少自信がある。今も、一台の馬車にとりつこうとしていた三人を一気にノックアウトさせている。

 そこに馬車が躍りこんでくるのだから、現場は一気に騒然となった。


 だが俺たちとしては、これこそ好機。少しでも混乱が収まる前にかたをつけよう。

 その意図を汲んで、サクラとモミジが馬車から飛び出した。そしてその勢いのまま、手近なところにいた賊にそれぞれ躍りかかる。


 モミジの相手になった賊はかろうじて持ちこたえたみたいだが、サクラの相手になった賊はかわいそうだな。彼女が魔法の光をなびかせて腕を振るった次の瞬間、抵抗むなしくぶっ飛んでるもんな。

 その後も大体はサクラ無双である。まあ、人の姿をしていても彼女はドラゴン。束になろうと人間が勝てる相手じゃないわな。


「サクラ、奥は任せるぞ!」

「ええ、任せといてよね!」


 元気よく返事が来るのを聞き届けて、俺はモミジの援護に入る。

 彼女の動きに迷いはないが、やはり技が未成熟で、圧倒的というわけにはいかないようだ。若いゆえに動きも素直で、フェイントなんかには結構引っかかってるみたいだしな。


 そんなモミジに二人がかりで来てるようなので、とりあえず一人にバシっとショックガンを一発ぶち込んでおく。


「ありがと!」

「気にすんな」


 それからも、できるだけ彼女が孤立しないように立ち回る。


 とは言っても、基本的に俺は後方支援だ。積極的には動かず、全体を俯瞰したり襲われてた側を助けたりするのをメインにやっていく。だって近接戦苦手だし。

 大丈夫、俺にはまだ襲われてた人を介抱するという、大事な仕事があるから。


「大丈夫ですか?」

「すいません、助かりました。やたら統率がとれていて、うちの護衛もてこずっていたんですよ」


 ショックガンで気絶した賊を転がしながら、まさに切り付けられそうになって腰を抜かしていた男の手を取る。彼はそれで立ちあがりながら、深いため息をついた。


「……確かに、随分と動きが洗練されている賊ですね。これじゃあまるで、どこかの軍隊だ」

「とりあえず、答えは彼らに聞きましょう……って、これは」


 男が、倒れていた賊の身体を仰向けにして声を上げたので、何かと思って見てみれば。


「リカント族? しかも……首輪をしていないってことは」

「……恐らく野生種ですね。国内の野生のリカントは五十年ほど前に絶滅しているはずので、他国から入り込んできた可能性が高いでしょうか……」


 相変わらず野生種という表現には違和感ありまくりだが、今は気にしている場合ではない。

 男の言葉が正しいとなると、この賊の正体はなんとなく察しが付く。

 そして俺は、察しをつけたと同時に、ターミナルの録画機能をオンにしていた。この状況はあるいは、今後何かの役に立つかもしれないととっさに思ったのだ。


「リカント族の国の、隠密部隊と言ったところですかね?」

「かもしれませんね。北では亜人の小国がいくつか林立してるので、どの国かまではわかりませんが……」


 言いながら、男は賊の持ち物を検めていく。が、そこはやはりと言うか、手がかりになりそうなものは皆無であった。

 その端では、彼の護衛らしい数人の奴隷たちが、気絶した賊たちを並べて縛り上げている。


 そうこうしているうちに、向こうではサクラ無双が終わったらしい。まったく疲れを見せず、散歩から帰ってくるような雰囲気で彼女が戻ってきた。


「お疲れ。相変わらずのお手前で」

「ふふ、これくらいお安い御用よ」


 にこりと笑うサクラをなでてあげながら、俺は視線を遠くに向ける。そこでは、最後の賊がモミジと激しく切りあっていた。

 他よりも一際大柄な賊は、既に被り物を切られてか顔が露わになっている。やはりそれはリカント族であり、どうやら壮年の男性のようだ。黒い耳と尻尾が特徴的だな。

 明らかに動きが達人のそれだが、どうも様子がおかしい。モミジに対してかなり遠慮したような立ち回りしかしていないぞ?


「姫! どうか剣をお引きください!」


 その時、賊の男がたまりかねたように声を上げた。


「姫……?」

「なにそれ初耳ね」


 言葉の相手は……モミジだろうなあ、どう考えても。言われた本人は、あまり受け答えをする余裕がないようで、無言だが。


「そういえば、聞いたことがありますよ」


 そこに、気絶した賊を検めていた被害者の男が割って入ってきた。検分は終わったらしい。

 周囲を見渡せば、賊たちは全員完全に捕縛されていた。これで残るは、モミジと戦う一人だけか。


「赤毛のリカントは、約五十年前に我が国が滅ぼした国の王族の特徴、らしいですよ。その国に限らず、野生種のリカントにとって赤は高貴な色らしいです。だからではないですかね?」

「詳しいですね」

「奴隷商をやっていると、自然と亜人のことにも詳しくなるんですよ」


 そうして肩をすくめて見せる男。


「奴隷商だったんですか。ということはあの馬車の中身は」

「すべて商品ですよ。先だって大口の注文があったので、ナールバナーダに買い付けに行っていたのです。戦闘奴隷という注文だったので、買い付けたのは大半がリカントでして……」

「なるほど? では彼らの目当てはその解放でしょうか」

「恐らくは」


 やれやれと言いたげに、男は首を振る。


 だが、俺は賊のほうの言い分も察せられた。

 自分と同じ種族の人間が、他国で奴隷として家畜扱いされているのを見て、何とも思わない人が果たしてどれだけいるだろう。きっと彼らは、クロッシアに潜入してそういう立場に落ちている同胞を救おうとしたんだろうな。

 あるいは、クロッシアに侵攻するための足掛かりを得るための、隠密部隊だったかもしれないが……どうやら、録画を初めて正解だったようだ。


「ローレ、ローレ。モミジが押されてるわ。どうする?」


 おっと。話し込んでいられるのもここまでか。


 視線を戦いに戻せば、確かにモミジが押されている。いや、今までも決して優勢だったわけじゃない。加減されているからこそ、互角に見えただけだ。それでも劣勢になってきたと言うことは、体力的な限界が近いのかもしれない。

 このままだと、そう遠くない未来にモミジは負けるだろう。状況がある程度分かった今、相手に容赦したい気持ちも少なからずあるが……現地の法的には、あっちのほうが圧倒的に悪なんだよなあ。

 外国の領内で現地人を襲ってるんだし、ここであっちに肩入れしたら、後々面倒なことになりかねないよな……複雑な心境だ。


「こちらは終わりましたし、私の護衛も出しましょう」


 案の定、男からそう提案された。

 ほらな、やめといてよかった。俺は内心の感情をできるだけ抑えつつ、それに頷いた。


「助かります」

「いえいえ、助けてもらったのは私の方ですから。おいお前たち、あの赤いのに加勢しなさい」


 そして男の指示を受けて、捕縛した賊の近くで警戒していた奴隷たちが、一斉に武器を構えて駆け出した。


 それを見た最後の賊が、あからさまに顔をしかめる。彼に向かっていった奴隷は全部リカント族だったのだ。彼にしてみれば、単に敵が増えたってよりも精神攻撃になったのかもしれない。

 だから、というわけでもないかもしれないが。賊は直後に構えを解くと、躊躇なく背を向けて森の中へと一目散に逃げていく。


「ここで逃げるか」

「私は賢い選択だと思うわよ?」

「そうだけどさ」


 捕まったっていいことないのは間違いないだろうし。

 そんな賊を追って、護衛の奴隷たちも続々と森の中へと駆けこんでいく。だが、その中にモミジの姿はなかった。


 彼女は、もう限界だったのだろう。剣を杖にして、地面にへたり込んでいた。


「モミジ、大丈夫か?」

「は……っ、はあ……っ、ご、ごめん、なさい……勝て、なかった……」


 乱れた呼吸もそのままに、モミジが言う。俺に向けられた彼女の顔は、いつもの薄い表情ではなく、悔しそうな半泣きであった。

 その様子に苦笑を漏らすと、俺は彼女の身体を抱き上げる。既に大人になりかかっている彼女だが、その身体はさほど重くはなかった。


「ご、ご主人、さま……」

「お前はがんばったよ。初めてにしては上出来だ」

「で、でも……」

「いいんだよ。そもそも、まだ教育が終わってないお前を引き取ったのは俺だからな。これからがんばればいい」

「……ん……、ぅ、う、ぐすっ……」


 俺の言葉が染みたのか、モミジは俺の胸元に顔をうずめて泣き始めた。できるだけ声を抑えるその様は、どことなく子供らしく見えた。

 そんな彼女をそのままに、ゆるりと向き直ると、そこにはどこかとげとげしい視線を向けるサクラが。


「……サクラ」

「ふーんだ。別に、悔しくなんかないんだからね」

「めっちゃ悔しそうですがな」


 頬を膨らませてそっぽを向くサクラ。控えめに言って熾天使である。

 さて、どうやって機嫌を取ろうか……。


 なんて考えていると、森の中から戦闘奴隷たちが帰ってきた。だが、そこにあの賊の姿は見当たらない。


「ご主人様、申し訳ありません。取り逃がしてしまいました」


 そして、主である奴隷商の前に跪いて、そう報告した。


「……森は連中の庭みたいなものだから、無理もないか。まあいいでしょう、大半は捕まえたことですし」


 報告を受けた奴隷商は、わりと穏便にそう言うと、捕まえた賊たちに目を向けた。

 大将格と思われる相手を逃がしたとはいえ、そもそも彼は捕まえようとして遭遇したわけじゃないものな。商人にとっては、まず生きていてこそだろう。


「とりあえず、捕まえた連中は馬車に押し込んでおくとして……中に空きがないですね。少し整理しないと」

「連れて行くんですか?」


 奴隷商が、捕まえた人間を連れて行く。それに嫌な予感を覚えた俺は、思わず口を挟んでいた。


「もちろんですよ。どうもきな臭いものがありますからね」

「ああ、騎士団に突き出すわけですね」

「ええ。それにエルフならともかく、リカント野生種なんて高値のつかないものを、苦労して売りさばくなんて割に合いませんし」

「ああ、そういう……」


 彼はどうやら、根っからの商人であるようだ。

 その後、彼は陣頭指揮を執って馬車の中を整理させて、捕縛した賊を乗せるスペースを確保した。そうしてそこに、一人一人を放り込んでいく。


 その頃にはモミジも立ち直り、いつもののっぺりとした顔で俺たちの後ろに控えていた。


 そして立ち直っていたのは彼女だけではない。気絶から覚めた賊たちが数人、縛られながらも抵抗を試みては力づくで大人しくさせられていた。

 彼らは暴れながら、一様に叫ぶ。その内容は大体同じで、


「我々はお前たちを助けに来たんだぞ!」

「リカント族は人間の家畜なんかじゃない!」

「目を覚ませ!」

「悔しくないのか!」


 と言ったところだ。どうやら、やはり同胞を解放するための襲撃だったようだ。


 だが悲しいかな、その言葉に耳を傾ける奴隷は一人もいなかった。

 それどころか、「こいつらは何を言ってるんだ?」と言った感じでささやき合う始末。クロッシアが長年施してきた洗脳的教育は、かくも強固なものらしい。

 一応思想の伝播を恐れてか、奴隷商の男はさらに馬車の中の整理を進めたようだが。


 その様子を、俺はやはり複雑な心境で眺めていたが……その時だ。俺はさらに衝撃を受けることになる。


「姫! 姫がなぜ奴隷などに身をやつして平気な顔をしておられるのか!」

「人間の言いなりになるなど、我らの誇りを忘れてしまわれたのか!」


 言葉の矛先が、モミジに向けられたのだ。


 やはり、赤毛の彼女はリカント族にとっては高貴な存在なのか。あるいは彼女の出自は、かつてクロッシアに滅ぼされたとかいう王族なのかもしれない。

 五十年ほど前というなら、彼女の書類に係累として書かれている存在はもしかするともしかする。これは後々調べたほうがよさそうだ。


 俺はこの時、そんなことを考えていた。だから、モミジから飛び出た言葉に、不意打ちのごとくすさまじい衝撃を受けたのである。


「ご主人様……」

「ん? なんだ?」

「……あの人たちは、何を言ってる?」

「……んん?」

「わたし、理解できない。だって、リカントは人間に奉仕しなきゃいけない下等種。神様がそう作った。あんなことしてたら、神罰が下る」


 その言葉に俺はもちろん、叫んでいた賊たちは脳天を殴られたようなショックを受けたようだった。愕然として大口を開けたまま、完全に硬直してしまったのだ。

 無理もない。モミジは自らの意思で、リカント族とは人間に使役されなければならない存在だと思っていると、はっきり口にしたのだ。リカントの自由と尊厳のために戦っていた連中にとって、それは信じがたいものだったに違いない。


 しかもその認識が奴隷のリカントたちにとって常識ということは、彼女の言葉を聞いた周りの奴隷たちの反応からして明らかだ。彼らはみな一様に深く頷いており、誰の目から見ても全面的に同意していたのだから。

 彼らにとって、人間に反抗した賊たちはまさに悪でしかないのだろう。彼らの正義は、あくまで人間に奉仕することというわけだ。


 ……この実態を十数年前に調査した担当者は、報告書に主観的なことをほとんど書いていなかった。あくまで冷徹に、見たままのことを淡々と書き記す……そんな感じの文章に仕上がっていた。

 確か……。


「『教育的な洗脳によって形作られた、絶対服従の特殊な身分階級がクロッシアにおける奴隷であり、長く代を重ねたことで彼らは既に、自分たちが道具であると信じて疑っていない』……だったか。ガチなんだなあ……」

「ローレ?」

「いや、なんでもないよ。ただ……言い表しようのない不快感で心がもやもやするだけだ」


 奴隷の扱いが、かつてのアメリカの黒人に対するそれのようなものであったら、俺はこうも悩まなかっただろう。あの時、彼らは奴隷として酷使される環境を良しとしていなかったし、自分たちの尊厳や矜持を保っていたのだから。

 だがこの国の奴隷は、そうじゃない。置かれている環境は絶対服従とはいえ、決して過酷ではない。住環境はむしろハイアースのかつてよりいいことがほとんどだし、奴隷としてとはいえ教育を受けることもできている。

 そして何より、洗脳の結果とはいえ、奴隷の全員がそれを受け入れている。外国にいる、自由な立場の同族をおかしいと断じるレベルで深く根付いているのだ。彼らは人間に奉仕することを、もはや尊厳や矜持としてしまっている。


 そんな彼らに対して、俺が何か言えるだろうか? 言えるわけがない。

 ハイアースの基準でおかしい、野蛮だと否定するのは簡単だが……それは彼らの存在を完全に否定することと同じだ。


 正邪の別とは、一体なんなんだろうな。頭が痛くなってくる。


「……ご主人様? 大丈夫?」


 無意識に、俺は頭を抱えていたようだ。下から、モミジが心配そうな様子で覗き込んでいた。その尻尾が、元気なくだらりと下がっている。


 残念ながら……俺を心配してくれているだろう彼女を全否定できるほど、俺は聖人君子じゃない。彼女を買ってしまったことを考えれば、資格もないだろうしな。

 だから俺は、彼女の頭をそっとなでるしかない。そして何でもない、と言うしかないのだ。


 そんな俺の背に、小さな手がそっとあてがわれた。その手が、ゆっくりと俺をなでさする。慈しみに満ちた、優しい手つきだった。


「……ありがとうな、サクラ」

「いつだって私がいるわ。だから無理はしないで?」

「ああ、わかってる」


 そうして俺は、小さくも頼れる最愛の人をそっと、しかしぎゅっと、抱きしめた。


◆◇◆


 それから十日ほどが経った。


 俺たちはあの後、奴隷商の男によって騎士団に突き出されたリカント族の行く末も取材してから、基地に帰還している。

 その詳細は、今回の主任務からは外れるから割愛させてもらうが、捕縛された亜人がどうなるのかという点は、奴隷身分を紹介する上で補足説明足りうるものだと判断できるため、カムフラージュの任務だった表向きの再調査任務の報告書で書き連ねるつもりでいる。


 基地に戻ってからは、モミジに対するハイアース教育で大体時間が過ぎたので、これも割愛。こっちについては、本当に特筆すべきこともなかったので、気にしなくても大丈夫だ。


 そうして迎えたこの日。俺はモミジと共に、遂にハイアースへ帰還する。


「ううぅぅー……私だけ留守番なんてひどいわよぉ……」


 ポータルルームで、サクラがむくれていた。


「言いたいことはものすごくよくわかるが……こればっかりは、なあ……」


 対する俺は、そう言うしかない。

 だってしょうがないじゃないか。サクラはポータルを認知できないのだ。現状、ハイロウの行き来にポータルが必須である以上、こればっかりはどうすることもできない。


「わかってる、わかってるけどぉー……」


 彼女も見た目は幼いが、子供ではない。そこはわかっているんだろうが……。


「……新参のモミジが、私を差し置いて先にハイアースに行けるのが羨ましいのぉー!」

「ごめん、なさい?」


 直前とは一転してむきーと拳を振り上げるサクラに、モミジは小さくなりながら俺の背後に隠れた。

 そこから顔だけを出して、眉をハの字にしている。尻尾がだらりと下がっていて、少し震えている。完全に怯えているな。


 まあ、サクラの正体を知ってしまったら、大体のロウアース人はそうなるだろうが。何もそこまで怯えずとも。


「ああいいなあ、いいなあ! ハイアースの街をこの目で見てみたい! あっちの街をローレと歩きたい! なんで私にはポータルが認知できないのかしら!」


 一方のサクラは、だんだんとヒートアップしていた。


 彼女と出会って早数年。恐らくロウアース人で今一番のハイアース通な彼女は、いつだってこっちで留守番なのだ。俺がハイアースに戻っている間、彼女はこの基地に一人。いつもそれを表立って吐露しないが、やはり相応に堪えていたんだろう。

 ただ待つ身は辛いというのは、古今東西物語や詩歌で言われてきたことだ。それは世界を超えても、同じ地球である以上変わらないのだ。


 とはいえ、ここで立ち往生しているわけにはいかないのも事実。だから俺は、


「サクラ」

「何よっ……んむっ!?」


 不意をついて、サクラの唇を奪った。

 彼女は一瞬大きく身じろぎをしかけたが、すぐに緊張を解いて俺に身体を委ねてくる。

 十数秒ののち唇を離せば、俺の目の前にはそのサファイアのような美しい瞳を潤ませたサクラ。その白雪のような肌に赤みがさして、とても色っぽい。


「……いつか、いつか一緒に暮らそうな」

「……うん」

「そのためにも、今はモミジが必要だ。彼女の協力が……」

「わかってる……。世界の壁を超えるくらいすごい技術を持ったハイアースだもの、きっといつか、私も行けるようになるって信じてる」

「ああ、あっちは今も日進月歩で進化し続けてる。大丈夫さ、きっと」


 言いながら、俺はサクラの白髪を手櫛でそっとすく。絹糸など目じゃない手触りの白髪が、さらりと俺の手をくすぐった。

 それに応じて、サクラもこくりと頷く。


「……でも、それでもまたしばらく会えなくなるのよね……寂しいわ」

「俺もだ。次は……いつになるだろうなあ……。でも、できるだけ早く戻ってくるから」

「うん、待ってる。……ローレ、愛してるわ」

「ああ、愛してるよ、サクラ」


 そうして俺たちは再度、今度は軽く、ついばむ程度のキスを交わして、互いの身体を離した。


 それからサクラは視線をモミジに向けると、ズビシと効果音を出す勢いで彼女を指差す。


「モミジ、いいわねっ? 私がそっちに行けるかどうかはあなたにかかってるわ! がんばるのよ!」

「ん! わたし、がんばる!」

「よろしい!」


 背筋も尻尾も耳も、すべてをぴんと立たせて直立不動の敬礼をしたモミジに、サクラは満足げに頷く。その顔に、もう悲壮感は一切なかった。いつもの彼女がそこにいた。


「それじゃローレ、あっちのお仕事しっかりね!」

「おう、任せとけ」

「行ってらっしゃい!」

「ああ、行ってくる!」


 そうして俺たちは互いに背を向けると、真逆のほうへ歩き出す。

 俺はポータル、つまりはハイアースへ。サクラは基地、つまりはロウアースへ。


 ほぼ無音に近い、しかしかすかな音と共にポータルルームの扉が閉まり、この場には俺とモミジだけとなる。


「ご主人様……」

「ん?」

「……いつも、ああいうこと、してる?」

「……よし、行くぞ!」

「あっ、ご主人様待って!」


 しまった。今日は人の目があることを失念していた。

 モミジはと言えば、大人になりかかってる……つまりは思春期真っ只中の女の子だ。少し刺激が強すぎたかもしれない。


「いいかモミジ、お前にはまだ早い」

「んぅ……」


 でも早すぎってわけでもないなあと思いつつも、俺は言う。


 それに対して露骨に不満そうに唇を尖らせたモミジをなで、その気をそらすことにする。

 リカント族の彼女にとって、なでまわされるのはご褒美だ。すぐにとろんとした顔になり、ぱたぱたと尻尾が揺れ始めた。

 ちょろい。


「よし、行くぞ!」

「んっ!」


 十分に気をそらしたところで、俺は声を上げる。

 それにはっきりと同意を得たことを確認して、二人並んでポータルの正面に立った。


 その中心部に手を伸ばし、無音で黒い球体の中へ手のひらが吸い込まれていく。モミジが、恐る恐るそれにならった。


「ポータルの起動方法は、言われなくとも本能でわかるはずだ。いけるな?」

「ん、だいじょうぶ」

「よし。じゃあ、行くぞ。ポータル・オン!」

「ポータル・オン!」


 その瞬間。一切身じろぎもせず、ただその場にたたずむだけだったポータルが一気に膨張した。

 それはモミジはもちろん、俺をも包み込むほどの大きさへとあっという間に膨らみ、俺たちの視界は漆黒に塗りつぶされる。

 このまましばらく身を委ね続ければ、俺たちはハイアースのポータルルームへと転移するというわけだ。そうすれば、今回の現地任務は完了。後は、報告書を作成するデスクワークへと移る。


 とはいえ、ここが一つの区切りであることには変わりない。だから俺は、この闇の中でいつもの独り言を呟くのだ。


「ロレンツ・レーデラー、第E-C78-2番の調査を終了します」


Fin.

ここまで読んでいただきありがとうございます。


前書きに書いた通り息抜きに書いてた短編なんですが、こっちは前作の「天台座主に(ry」と違って元々構想があって、プロットもあったやつをとりあえずためしに書いてみようと書き始めたものです。

そんな経緯があるので、調査員とか言いつつあんま調査してないんですが、これは第一話として説明回的な話のつもりで構築したので、どうしても仕方ないと言いますか……。


でもこのまま一話だけの状態で眠らせておくのももったないし、せっかくなので今回パイロット版という形で投稿してみました。

異世界ロウアースが存在し続ける限り、人の文化を扱うロレンツの仕事はなくならないので、案さえあれば短編集くらいの感じで長編に組みなおせるかなと思ってます。

もしこのパイロット版の受けがいいようなら、連載化するのもありかな……なんて思いつつ。

ですので、読んでくださった方はもしよろしければ、忌憚のない意見を聞かせていただきたいところ。

ついでに、ロウアースの知りたいものとかあればコメントいただくと、もしかしたら連載化する・・・かもしれません……。

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[良い点] この小説を読み始めてすぐに、私が読みたかった小説はこれだったんだなと思いました。ヒューマンドラマとしても、SF異文化調査物としても非常に面白い作品です。特にこの後のもみじやその他ロウアース…
[良い点] なんだかSFとファンタジーが上手い具合に混ざってて面白かったです‼然り気無く主人公が仕事にかこつけて現地妻作ったりしてるのも人間味があっていいし、科学サイドは安易に科学技術で俺tueeee…
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