前編
「そして彼女はいなくなった」エリアーデ視点とその後のお話です。前作でモヤモヤするとのご意見を頂いたので、もう少し掘り下げました。ただ、モヤモヤがイライラに変わる可能性がなきにしもあらずなことをご了承下さいませ。
「ーー今度こそ、助けたい」
そして彼はここにいる
**
「エリアーデ様、またエルシアがリオン様と……」
私を気遣ってか、友人の声が遠慮がちに、けれど強く響く。見れば廊下の先には私の婚約者である、リオン・グレイル様とクラスメイトのエルシアが談笑していた。親しげな二人の様子を見つめながら、私は友人の心配そうな顔に微笑んでみせる。
「……リオン様は生徒会長ですから。エルシアさんがクラスに溶け込めていないのを気遣って、彼女に親切にしているだけですわ」
我が学院は一定の学力があれば誰でも入学できるけれど、特に貴族の子息令嬢は教育のため、入学を義務づけられている。だから貴族の多いクラスで庶民のエルシアは浮いてしまっているらしい。侯爵家の跡取りでもあり、生徒会長のリオン様は成績優秀で品行方正、誰であろうとも公平であるから、そんなエルシアの手助けをしてやるよう、教師からも言い含められているのは私も知っている。
けれど最近の二人の距離は、とても近く感じる。ああ今も、エルシアはリオン様の腕に触れていた。ただのクラスメイトと言われればそうかもしれないけれど、仮にも彼は私という婚約者が居る身なのだ。
「エルシアさん、婚約者のいる男性と親しくしすぎるのはいかがなものかと思います」
あるとき、私が友人のアイリーンとミアと共に、学院の廊下で彼女を見つけ、挨拶をした上でそう切り出せば、彼女はきょとんとした顔で首を傾げた。
「リオンは庶民の私に親切にして下さっているだけです」
「ーー『リオン』ですって?」
彼女が彼の名を呼び捨てにしたことに、胸がざわりと騒いだ。彼をそんな呼び方をしている者はいない。女生徒ならなおさらだ。婚約者の私でも、そんな呼び方をしたことはないのに。
ミアが険しい顔をして、エルシアに詰め寄る。
「あなたーーそれは馴れ馴れしすぎますわ」
「だってリオンが良いって言ったんです。私貴族の方達のしきたりなんて分からないし」
彼女がそう言って困ったように笑ったけれど、私は固まってしまって。
「ーー何してるんだ、エリアーデ」
リオン様が廊下の向こうからやって来て、私に問うた。どうやら誰かが彼を呼びに行ったらしい。
「リオン様、彼女と親し過ぎませんか」
「ただのクラスメイトだ。君が気にするようなことはないよ。……不快にさせたなら悪かった」
そうじゃない。そうじゃないの。
どうして名前を呼ばせているの?
どうして彼女ではなく、私に問うの?
不快ではなくてーー私は不安なの。
渦巻く感情を、けれど私は彼にぶつけることができなかった。
*
リオン様と私は幼馴染だ。彼は私の一つ年上で、父親同士が仲が良かったために良く一緒に遊んだものだ。彼の母親はリオン様が生まれてすぐ後に、町の暴動に巻き込まれて亡くなっていて、父親のグレイル侯爵は二度と同じことをおこさせまいと必死で働いた。
けれどそのせいで父親との時間をあまり持てなかったリオン様は、幼い頃から聞き分けが良く、執着心の薄い子供だった。子供が集まって玩具の取り合いになっても、ひとりあっさりと諦めて静かに輪を離れるような。これが欲しいと強請ることも無く、ただ傍観するような。
そんな彼が初めて欲したのが、私だった。
いつも側に居て一緒に遊んで、まとわりついていた私を優しく構っていてくれたリオン様。私は彼が大好きで離れたくなくて、彼もまた私を気に入ってくれていて。リオン様が同性である私の兄よりも、私を優先してくれるのが、幼心に密かな自慢だった。
ある日いつものようにうちの庭で遊び尽くした後、グレイル侯爵が「リオン、帰るよ」と彼に声をかけた。すると彼はしっかり私を抱き締めて叫んだのだ。
「いやだ!僕まだかえりたくない。僕たちずっといっしょにいるんだ」
私がびっくりして目をぱちくりさせていたら、グレイル侯爵が笑って彼に言葉をかけた。
「お前がそんなことをいうのは初めてだな。じゃあエリアーデをお嫁さんにもらうかい?そうしたら一緒に居られるよ」
「そうする!僕けっこんする!ねえ、いいでしょう!?」
冗談のつもりだった大人は、あまりのリオン様の勢いに圧されて。
「……あの、伯爵」
「ちょっと待て、今は聞きたくない」
「でもうちの息子が」
「君が余計なこと言うからだろう!嫌だね、うちの可愛い娘をやるもんか」
「大人げない……」
などとやりとりをはじめたのをよそに、私はドキドキしながらリオン様を見つめて。
「……わたくし、リィのおよめさんになるの?」
「そうだよ。おとなになったら」
嬉しそうに笑うリオン様の、初めてのワガママに恋に落ちたのだ。
そして数年後、本当に私達の婚約が決まった。
けれど、あれから十数年も経って、彼が学院に入学し、私達はなかなか会えなくなった。生徒からも教師からも信頼の厚い彼は、生徒会に入り、同時に時期侯爵としての勉強も始まってとても多忙になったからだ。私も同じように侯爵家に嫁ぐ身として、たくさんの勉強をしなければならなくなった。それでもあの日のリオン様の言葉を思い出せば、なんだって耐えられた。私だけが、彼の特別なのだからと。
ーーそう言い聞かせて。そう願って。
一年経って、私も学院に入学した時にはリオン様が「入学おめでとう、エリアーデ」と言葉をかけてくれた。私はそれだけで嬉しくて、ほころぶ顔を抑えられなかった。私の目をしっかりと見て言ってくれたその一言だけで、舞い上がるような気持ちになる。
たまに誘ってくれるランチも、私のことを気遣ってくれて、学院で楽しめるようにと話題を振ってくれているのが分かった。侯爵家の勉強が大変で、ついリオン様とのランチ中にうたた寝をしてしまったときも、淑女としてありえない失敗に恐縮する私に、
「エリアーデ、君がいつも頑張ってくれているのを知ってる。ありがとう」
と彼は頭を撫でてくれて。内緒だぞと笑って肩を貸してくれた。さりげない優しさだけれど、確かにそれは私に向けられていた。
私の恋心は幼いときからずっと変わらずーーむしろ膨れていくばかり。
学院で見る彼は、誰にでも親切だけれど、皆に等しい。生徒会長になってからは特に、そうしようと心がけているようにも感じた。
けれどエルシアが現れ、彼女は庶民であることを盾にして、リオン様へとどんどん近寄って行く。
リオン様はエルシアが庶民だから優しくしているのではない。クラスメイトだから。困っている友人だから。そう言っても彼女は「エリアーデ様は私が庶民だからお気に触るんですね」と聞く耳を持たない。そうではないのに。リオン様の無関心ゆえの公平さは、彼女が都合良く近づく口実になってしまっている。
リオン様にも彼女のことを問うたが、彼は「ただのクラスメイトだ。優秀な生徒だと思うけれど、それだけだ」と言ってとりあおうとしない。
ーー本当に、それだけ?
リオン様はエルシアに好意を持っている。それが恋愛感情ではないと、どうして信じられる?少なくともリオン様は、他人に一定以上の関心をもつような人ではないのだ。そんな彼が心を砕いていれば、エルシアが特別だと思ってしまう。
エルシアの態度を注意しているうちに、疑いと嫉妬にまみれていく自分が怖くなった。正しいことを言っているはずなのに、うっとおしげに変わっていく彼の視線に胸が痛くなった。彼はとうに昔の事を忘れている。私への気持ちもきっと。
婚約しているというのに、私はいつも怯えていたのだ。彼の執着心のなさに。いつかわたしも、彼の目に映らなくなるのではないかと。だからエルシアが彼の壁の中にどんどん踏み込んでしまうように見えたとき、私は心の中で多いに焦っていた。
エルシアが私の友人達の婚約者それぞれに言い寄っていると知ったのはそんな時だ。
アイリーンとミアの婚約者も、エルシアに名を呼び捨てにされ、腕を絡められ、二人きりで過ごしていたのだ。
「どういうことなの……」
せめてリオン様だけなら。リオン様だけを本気で想っているというなら、私だってまっすぐ戦うのに。
「エルシアさん、お話がありますの。ここでは何ですから、中庭へいらっしゃいませんか」
彼女をカフェテリアで見つけ、そう提案した。ここは人目がありすぎる。彼女の為にも静かなところへ連れ出した方が良いと思ったのだ。けれどエルシアは動こうとしない。
「何の御用ですか?わたし、またエリアーデ様のお気に触ること、しました?」
まるで叱られた子犬のように、ビクビクとこちらを見上げ、けれど大きな声をあげた彼女に違和感を覚えるが、動いてくれないなら仕方ない。
「一体どういうおつもりかわかりませんが、婚約者のいる男性と必要以上に親しくされるのは、いかがなものかと以前にも申し上げたはずです。わたくしの友人達も心を痛めております」
エルシアに問いただせば、彼女は怯えたように縮こまる。そのように萎縮されるような言い方をしただろうか。あえて淡々と聴こえるように、必死で気持ちを抑えているのに。いつもならこんな言葉、彼女は平然と聞いているのに。
その謎が解けたのは、リオン様が駆けつけたときだった。青い顔をして震えている彼女は、彼の目にさぞ庇護すべき者として映っただろう。今にして思えば、彼女は彼が来ることを知っていたに違いない。彼はエルシアを背に庇い、私を責めた。そして。
「言いがかりだろう。俺とエルシアはただのクラスメイトだし、それ以上は君の邪推だ。そもそも俺の友人を君に決める権利はない」
どうして?私はあなたの婚約者ではないの?婚約者が他の女性に言い寄られるのを女性を黙って見ていろと?どうして私を信じてくれないの?
「そうやって、あなたはいつも彼女を庇いますのね」
ーーもう、彼に庇われるべきなのは、私ではないの?
私は、クラスメイト以下の存在なの?
それとも……エルシアは、あなたの『特別』なの?
エルシアとリオン様を見ていられず、その場を離れた私に、友人達は口々に謝る。
「ごめんなさい、エリアーデ。わたくしたちのために」
「はっきり言って良かったのよ。エルシアがわたくしの婚約者にまで良い顔をしていると」
アイリーンとミアはそう言ってくれたが、友人の婚約者達の醜聞を広める訳にもいかない。カフェテリアには結構な人が居た。あんなところで友人のプライベートを詳細に晒すわけにいかない。もしかして、それも彼女の計算だったのか。それに彼女達のためだけではない。
「いいえ。あなた方の為だけじゃないわ。自分の為よ」
紛れも無く私はーー自分の嫉妬のためにしたのだ。
ある日、リオン様が私を呼び出した。エルシアが来てからすっかりご無沙汰になってしまっているランチのお誘いに、密かに期待しながら中庭に出向く。久しぶりに二人きりになれたのだ。私の心臓はドキドキとうるさいくらいに高鳴っていた。
隣に座るリオン様は穏やかな表情をしていて、そんな顔も長い間見ていなかったことに気づく。ーーまだ私は、嫌われてはいないと思って良いのだろうか。
最初は当たり障りない、お互いの近況を話して。リオン様が口を開いた。
「学年末のダンスパーティ、知っているだろう?」
ドキン、とひときわ大きな音をたてて、心臓が跳ねる。学院主催の一年に一度のダンスパーティは実質、恋人や婚約者のお披露目会と言われ、このパーティにリオン様と参加するのが、私の憬れだったのだ。
ーーもしかして、ダンスパーティのお誘い?
高鳴る胸を押さえて、彼の言葉を待つ。けれど彼の口から出たのはーー残酷な言葉だった。
「ーーエルシアと参加しようと思う」
エルシア、と。リオン様が。
ひくり、と喉が鳴って。わずかな声も出ない。
固まる私の前で、リオン様は言葉を続ける。
「彼女とペアを組んでくれる男子生徒が居ないそうだ。どうしても参加してみたい、今年だけだというから、断らなかった。ただの学校行事だし、君は友人や従兄弟殿もいるし、パートナーになってくれる相手には困らないだろう?生徒会長として放っておくわけにもいかない。勝手なことを言ってすまない、エリアーデ。……エリアーデ?」
嫌です、と。あなたの婚約者は私でしょう、と。あなたは彼女を選ぶの、と叫べたらどんなに良かったか。そんな生徒は他にも居るはずなのに、あなたはエルシアを特別扱いするのかと。
けれどもう一言も、言葉なんて出ない。
こんな話を聞く為に、私は呼び出されたのか。のこのこと、心躍らせて!
絶望に目の前が真っ暗になる。
その後どうやって彼と話したのかも覚えていない。茫然と歩き、気づけば一人で。
ーーリオン様は、彼女を選んだ。
違う。彼はダンスパーティに深い意味を感じていないから。
ーー私は彼に選ばれなかった。
違う。リオン様は知らないのだ。私がダンスパーティをどれだけ楽しみにしていたかなんて。
ーー私は彼の、何なの……?
ぼろりと。一度溢れた涙は次々に頬を伝って流れてゆく。
ずっと我慢していた。伯爵家の令嬢として、みっともない姿を見せてはならないと。リオン様に嫌われたくなくて。けれど、もう耐えられない。
「ーーッ!」
両手で口を覆っても漏れる嗚咽。涙が止まらない。
彼がそうと思わなくても、リオン様の手酷い裏切りは、私の心に大きなヒビを入れた。
「どうしたの、こんなところで。エリアーデ……エリアーデ!?」
「まあ、こんなに泣いて……こっちよ、いらっしゃい」
友人達は私を見つけて、人の居ない空き教室へと私を隠してくれて。事情を話せば声を震わせて怒ってくれた。
「ーーなんてことを。酷過ぎますわ、リオン様は。これではエルシアに何の感情もないと言われても、信じられませんわ」
「鈍感も無関心も、過ぎれば罪悪です。悪意のない悪ですわ。わたくし許せません」
自分のことのように、涙を浮かべて憤るアイリーンとミアに、私はまた涙が止まらなくなる。それでも二人に話したことで、少しだけ落ち着いた。
「わたくし、もう一度リオン様と話してみますわ」
ーーリオン様に自分の気持ちを伝えよう。言わなければ分かってもらえないのなら、全部ぶちまければ良いのだ。今まで彼の不興を恐れて、はっきり伝えなかった私にも問題がある。エルシアよりも先に、リオン様を説得すべきだった。
そう決心した私を、エルシアが密かに見ていたことなど知らずにーー。
*
「エリアーデ様、エルシアから伝言です。お話があるので時計塔で待っていると」
事態が大きく変わったのは、それからすぐのことだった。
まさにリオン様を呼び出そうとしていた私に、エルシアのクラスメイトがそう伝えて来たのだ。
「時計塔って……あそこは老朽化していて、立ち入り禁止のはずですわよ」
転入生のエルシアは知らないのだろうか。待たせている間に、事故でもあってはならないと、私は大急ぎで時計塔へ向かった。
冷静に考えれば、ここで誰かに伝えるなり、一緒に行ってもらえば良かったのだけれど、そのときの私は焦って混乱し、とにかく彼女の元へ急ぐことしか考えなかった。なにせ時計塔はもう明日にも取り壊しが決まっているほど、危険な場所なのだ。
時計塔の敷地にたどり着くと、普段は入れないよう鍵のかかったフェンスに覆われているはずのそこが、なぜか錠が外れて転がっている。エルシアがやったのだろうか?急いで中に入る。
「エルシアさん!いらっしゃるの?」
声を上げれば、上から「ここです」と声がした。かなり上の方まで登っていったらしい。私もギシギシと音をたてる古い階段を上ってゆく。
「どうしてこんなところに……ここは危ないのよ、一緒に下りましょう」
私が声を掛けると、彼女はクスクスと笑った。
「どうして?私がいなくなった方が、エリアーデ様は嬉しいんじゃないですか?私のこと、嫌いでしょう?」
嘲るような色を込めて言う彼女に、私は近づきながら言葉を返す。
「わたくしはただ、あなたに節度のある振る舞いをしてほしいと思っているだけですわ。友人達もーー」
私の目の前で、彼女は嗤った。
「それ、本当にご友人の為におっしゃってます?それともリオンのことですか?」
「……っ」
ーーこの娘は!
今までの態度全てが、計算なのだ。無邪気を、無知を装って、リオン様に近づいて。
私を挑発し、楽しんでいる。
今まで半信半疑だったけれど、もう間違いない。エルシアは、狡猾だ。
一気に膨れ上がった怒りのままに、私は彼女へと口を開いた。
「あなたは何を考えているのです。リオン様に近づいて、何を」
「ーーエリアーデ!」
彼女に詰め寄ろうとした私に、階下から鋭い声が上がった。そのまま声の主は一気に階段を駆け上がり、私と彼女の間に割り込む。
「なんのつもりだ、エルシアをこんなところに呼び出して」
私に問いかけたのはリオン様で、その口調に怯みそうになりながらも、彼の言葉に引っかかった。どうして私が責められなくてはならないのか。
「何を言って……呼び出されたのはわたくしのほうで」
リオン様の顔に怒りの色が浮かんだ。言い逃れと思われたのか。彼が嘘やごまかしを嫌っていることは、私が一番良く知っているのに。
彼は私の言葉を聞くこと無く、苛立たしげに吐き捨てた。今までに私が見たことのないような、表情で。
「ーー君との婚約も、考え直すべきだな」
ーーああ。
どこかで分かっていた。彼にはもう、私の言葉は届かない。幼い約束など忘れてしまったのだ。
リオン様は執着しない。彼の正義しか見えず、反する者は敵なのだ。私すら、もう。
「リオン様、それは」
固い声で返そうとした、瞬間。
足下でバキッという音がし、階段が大きく揺らいだ。ーーなに!?
思わず助けを求めて見上げた先で。
「エル!」
彼は、エルシアを呼んだ。彼女がぱっと顔を上げる。
私はそれに衝撃を受けて、凍り付く。
けれど次の瞬間、またしても更に大きな揺れが起こり、私達は三人とも床に投げ出されてしまった。メリメリと嫌な音を立てて階段が裂け始めていると、誰が予想できただろう。
「きゃあああ!」
私の隣でエルシアが大きな悲鳴を上げ、よろめいた彼女の背にぶつかった私の身体が宙に押し出された。
ーーあ。
息が止まる私の目に映ったのは、エルシアと、彼女に差し出された、リオン様の手。
ーーリオン様。
「エリアーデ!?」
崩れかけた階段を、咄嗟に掴んだ私の身体に鋭い痛みと衝撃、パラパラと小さな残骸が降る。私に気づいたリオン様が階段の上から私を覗き込んだ。
ーー怖い。怖い、誰か。助けて、リオン様。
がちがちと歯が鳴り、震える指先がずるりと滑っていく。この高さから落ちたら、きっと助からない。
「エリアーデ!」
リオン様が必死で私に手を伸ばそうとしてくれている。こんな時なのに、それが少しだけ嬉しくてーーけれど。
彼と、彼にしがみついているエルシアの姿を見た瞬間、頭が真っ白になった。
「あ……」
ーーああ。もう、いい。もう、捨ててしまおう。
彼を想う気持ちも、私ごと全て。
その瞬間、恐怖は消え去って。ただ哀しさだけが心を占める。
「あなたが選んだのは、私ではないのね」
彼の驚愕と、焦燥と、恐怖が入り交じった瞳を見つめたくなくて、ゆっくりと瞳を閉じる。
そんな顔をしなくてもいいのに。私はもういなくなるから。
そして、私は手を放した。
彼の前から、消えたのだ。




