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月の御影  作者:
30/30

30.椿-回想、現在-

注※暴力描写・流血描写があります

物心がついた頃、一番古い記憶だけははっきりと覚えている。


(足りない……)


私はどうしようもなく不安定なままに感じた。

身体の一部とかじゃなく、感情がどうとかじゃなく。本来あるべきものがないと言うよりは、存在理由を持たないようで。


ただ、私は酷く空っぽだった。


刀のない鞘のように、錠のない鍵のように。



しかしその数年後、私は出会うことができた。


母の部屋に置かれた小さなベビーベッドの中で眠る小さな子。

ゆるく握られた小さな手を、薄く生え揃えている髪を、半開きになっている唇を。


そして、その小さな顔を見た瞬間に私は理解し、納得した。


『――ああ、私は、この子を守るために生まれてきたのだ』


小さな子の直ぐ傍で座っていた百合は、微笑んでいる。

それまで一度も見たことの無い姉の笑顔も、部屋に差し込む温かい光も、微かに聞こえる寝息も。その全てが優しく、穏やかに包んでいる。


その時こそが私の原風景となった。


 ◆


……私は4歳から9歳までの5年間、

ある研究所で手術と称した人体実験を繰り返していた。


――そこで、私は幾度と壊された。


研究所に連れられて初めの頃は、点滴や注射器で何度も薬を打ち込まれた。すこししてから、真っ白な部屋で台の上に縛り付けられて、白い服を着た人たちに囲まれ、メスのようなもので身体中を切られた。初めは肌を薄く切り、肉をピンで摘み、露出したそれをさらに切り刻み……


剥き出しにされた神経にさらに注射器で薬を打ち込まれ、激しい痛みに明滅する視界と伴に意識を手放す。そして次に目が覚めると激しい嘔吐感に襲われ、胃液混じりの内容物を撒き散らしてから再び意識を手放し、吐しゃ物の上に倒れて……


そんな繰り返しの時間が二年ほど続けられた。


『――何の為に?』


その答えは私の中で明白だった。



小学校に上がると、放課後に研究所へ連れられて実験を受け、次に目が覚めると家の洗面所に転がされている。そして学校に通い、放課後また研究所へ連れられる。


そんな毎日が一年ほど続いた。

そのときに受けた実験内容はあまり覚えていない。連れられて台に寝かされるとまず点滴を打たれ、意識が朦朧とする中全身のあらゆる箇所に管を差し込まれ、頭に何かを貼り付けられていた。それが何をされていたのかはわからない。


暫くして、内容は急激に苛烈さを増していった。


研究所に着くといつもと違う部屋に入れられ、そこにいた見たことの無い大きな男の人複数人に囲まれて、顔や腹部を中心に殴られ、蹴られ、踏まれ、投げられ、何度も私が動けなくなるまで痛めつけられた。動けなくなったあと少しの間放置され、少し動けるようになるまで回復すると再び痛めつけられを繰り返し行われた。青痣や鬱血、腫れが酷く、しかし初めのころに打たれ続けた薬のせいか、一日で殆ど元通りになっていた。


それほどまでに一方的に痛めつけられ他にも拘らず、私は一度も恐怖を感じることはなかった。


かわりに心から湧き上がってきたのは――好奇心だった。



『何度も私を痛めつけるこの男は、どうして私を怖れているのだろう』


『この痛みを、目の前の男が味わえばどんな反応をするのだろう』


『この男も私と同じように壊れてもすぐに元に戻るのだろうか』



どのタイミングだったのかはもう思い出せないけれど、確かに私はある日、男の振り下ろされた腕を掴み取り、噛み付いた。初めて見せる反撃に激昂したその男は、私の頭を掴み、硬いコンクリートの床に叩き付ける。後頭部から何か生温かいものが流れ出るのを感じながら私は意識を失った。



次に目が覚めたとき、そこは真っ白な天井の知らない部屋で、私の身体はそれはもう酷い有様だった。


四肢は包帯とギプスで覆われており、上体を起こそうとすると腹部に鋭く激しい痛みが走った。


暫く何も考えずただ天井を見つめていると、廊下を走る音が聴こえてきて二人の誰かが部屋へ入ってきた。そのうちの一人が言うに、意識を失った後の私は、男に両手足を折られ、肋骨を砕かれ、恥骨を踏み砕かれ、兎に角ぼろぼろに壊されたらしい。

あらかた言い終えた様子のその一人に、何故か私は口を開き、


「次はどうするの」


と聞いてみた。すると何も言わずに部屋の外へ出て行ってしまった。


その日は動かずに朦朧としたまま天井を見つめて、時折遠くから聴こえる音を探りながらいつの間にか意識を手放した。


次に目が覚めたとき、私の身体は随分と変化していた。


ぐるぐる巻きにされていた包帯やギプスは既になく、上半身を起こしても痛みがなかった。

何気なしに腹部や両手足を見やると、全身にあった幾つもの縫合の跡や、皮と肉が抉れてできた瘡蓋の跡が殆ど消えていた。

胸元と右わき腹の長い縫合跡はそのままだったが。


硬い台の上に寝かされていた私は台から降りて、反応の鈍い身体を動かしてみた。

手首、肘、肩、首、腰、膝、足首。軽いストレッチをしていると二人の誰かが部屋に入ってきた。

誰かたちが言うに、もはや修復不可能なほどに壊された私の骨や内臓、皮膚を移植手術したらしい。


そしてもうひとつ、私は半年もの間、ずっと眠り続けていたのだと。


あまりの実感のなさに少し混乱はしたが、記憶はまだ残っているし、意識ははっきりしていることを伝えると、誰かたちは今日一日部屋から出ないように、と言い残して部屋から出て行った。


その日の夜、台の上に座り動かずにいると、部屋に百合が訪れてきた。

初めはそれが百合とは気付かず、何も言わずに見つめていると、私の名前を呼びながら駆け寄り、抱きしめてきた。

その声を聞いてようやくこれが百合なんだと認識できた。

私に触れている百合の体が、あまりにも温かくて、そして半年もの間空白だった事実を少しずつ理解してきて、何故だか私の目から涙が零れた。


それから百合が何を言っていたのか、殆ど覚えていない。

覚えているのは、百合もまた泣きながら話していた事と、何度も「ごめんね」を繰り返していたこと。


百合に謝られるようなことをされた記憶が無い私には何の事か分からなかったけれど。


それから後、その研究所であったこと関してはさらに記憶が殆どない。

どんな実験をされていたのかも、私が何をしていたのかも。



そして9歳のある日から、私はその研究所に行かなくなった。

理由は、よく覚えていない。ただ、その日から私は一日の出来事や覚えたことを日記に記録するようになった。


その日記は一ヶ月ごとに清算する事にしている。

たとえば重複している内容だけを残し、一度しか書かれていないものは削る。

そうしてその一月の記録に纏めておく。

さらに一年がたてば12か月分の記録の中から3回以上の重複のみを残し、それ以外は切り捨てる。

そうしてその一年の記録に纏めておく。


結果、私にとって必要なことだけが記録に残る。


『――何の為に?』


いつか、誰かに訊かれた気がする。あれは、誰だっただろうか。

その答えは私の中で明白だ。


「私が生きているのは、生かされたのは、この子を―――桜を、守る為」


……桜が死ぬその時まで。


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