28. 椿
ひどく間が空き、果たしてどれほどの人が読んでくれるのかは分かりませんが、このお話は完結まで書ききるつもりなのでお付き合いいただけると幸いです。
近くで車が停車した音が聴こえ、私は身構えた。
此処に来てどのくらい時間が経ったか分からないけれど、
その間に通り過ぎる車は他に三台あった。しかし停車したのは今だけだ。
次いで扉が開く音、閉じる音。
さらに耳を澄ませて、音を拾う。
足音だ。
それも確かな足取りで、真っ直ぐに進んでくる。
(…はぁ、っ)
呼吸を変えるために小さく息を吐いてから瞼を下ろし、意識を聴覚に専念させる。音を立てずに蚊帳から外へ、音の方向へ向いて桜を庇うように。
両手にナイフを構える。
右手に投擲ナイフ三本、残りの二本は側に置いたまま。そして左手にサバイバルナイフ。逆手に握り、全身の筋肉と骨格の一部をすぐに動かせる覚悟を持つ。
一秒。
足音は止まず、確実にこちらへ向かってきている。囮の可能性を思いつき、前方のみではなく周囲の認識可能範囲まで注意を戻す。
二秒。三秒。四秒――
突如不自然な音が離れた位置から響いた。
それが何の音なのかを識別するより先に、音の発生方向へ体を動かす。
同時に悪寒が体を巡る。焦燥感に似た感覚に無意識下で筋肉が動く。左腕が上がりナイフを強く握り、意識を広く向けてさらに音を探る。瞬間、確かな破裂音と空を切る音を知覚し、その音により生まれる一本の線を認識、その軌道上にナイフを構える。
「…っあぁ!」
鉄と鉄が激しく接触する感覚が骨を伝う瞬間に握力を強めてその軌道を弾く。
続けて別方向から似た音が響き、一本の軌道が浮かび上がる。即座に身体を入れ替えて同じようにナイフを構える。
「ぐっ!」
今度も起動を弾いたが、ナイフが折れてしまった。折れた刃が左腕を薄く切り裂き血が流れる。
リセット。一秒。二秒。…
(…十秒。後続はない)
今飛んできたものはおそらく銃弾だろう。実際にこの身に受けるのは初めてだが、破裂音に感触、軌道に速度から想像されるものにそれ以外はない。正確な距離は分からないけれど視認可能な位置からではない。
狙撃銃、というやつだろうか。
一発一発に何程インターバルが生じるのかは全く分からない。二発は飛んできたけれど二つとは限らない。他にも潜んでいるものがいる可能性だって十分。警戒心は巡る血液に混じり全身へと行き渡り、発熱を伴って神経を緊張させる。
いけない。
小さく息を吐き、一度呼吸を戻す。
一度落ち着きを取り戻し再度意識が周囲に戻ると、先ほどの足音がさらに近く駆けるものに変わっていることに気付く。それもかなり近い距離に。
咄嗟に投擲の構えを確認し、音のする方向へ真っ直ぐに一本目を投げる。
…カサッ
恐らく向こうからはこちらが見えているのだろう、ナイフが投げられたことに気付き躱そうと動く。足音の主が体制を崩し、すぐ傍の樹に体を預ける。
その動きに素人だと確信した私はさらにそこへ全力で二本目のナイフを投げる。今度は少し高めに、しかし先程よりも正確に。
「―――っ!」
声にならない小さな悲鳴が漏れ、対象がしゃがみ込む音を聴いた。
これでもう逃げられない。
手にある三本目を持ち直し、確実に対象に狙いを定め―
「――椿っ!」
対象と同じ方向から名前を呼ぶ聴き慣れた声に、振りかぶった右腕を止めた。
上半身を急停止したことで身体の重心が移動する。その勢いを地面につけた膝で相殺して無理に体制を整え、地面に置いた二本のナイフを拾い、半歩後退り意識を再び周囲に戻す。
瞬間。
一発目と同じ方向からの軌道を再度聴き、
軌道を描く鉄の塊は背後から私の左肩を貫いた。
「――っあ」
その衝撃で左腕ごと持って行かれそうなほど。
前のめりに倒れそうになるのを両足で踏ん張り留まる。
途中で右足を軸に右回転し先ほどの二発目が放たれた方向へ身体を向け、予想される軌道上の桜の前へ移動する。
現時点で私に銃弾を弾く手段はない。
折れたナイフを投げ捨て、左の前腕を外に構える。
幸い腕への神経は切れていない。十分な可動域を残している。
放たれる四発目。
知覚した軌道に左腕を合わせ、衝撃に備える。
鉄の塊が命中し、血管を破り肉を抉り骨へ到達する寸前に強く腕を払う。脳へと痛みが伝わるよりも早く、常人を遥かに超える聴覚により認識された弾丸の速度を予測したからこそ出来た離れ業。それから痛みと衝撃が真に響いてくる。貫かれた左肩からは血が流れ出し、直ぐに止まる気配はない。来ているシャツの裾を捲くり口でくわえて張り、右手の投擲ナイフで横に破いていく。右脇腹まで裂いてからナイフを離して右手で無理やりに引き千切り、それを左肩に回して歯と右手を使って強く縛り、止血する。
「…っ、はぁっ」
止めていた息を吐き出し、現状を確認する。
判ったことが三つ。
放たれる一発の間隔が短くないこと。
そのインターバルを多少誤魔化す為に二手の狙撃を行っているという可能性。あくまで確定ではない。
もう一つは弾丸は直線を描かないこと。
その原因はおそらく風だ。どれだけ速いスピードで動く鉄塊であろうと、移動距離が長ければそれを無視することができない。つまり照準を合わせるのは容易ではなく、一発ごとに合わせる必要もあるんじゃないか。
ならば的が視認出来ず、動いていれば驚異で無くなる。
そして最後に、この狙撃は私を狙っている。
結論に至ると直ぐ様蚊帳を放り投げて毛布を払い、桜を抱き抱えた。鋭く鈍い痛みはあるが左腕はまだ動く。
とにかくここから離れよう。
今ちょうど近くで車が四台停車した音が聞こえた。銃声を聞いて止まったにしてはタイミングが不自然で、やはり離れたほうがいいだろう。開けた場所にいるとまた狙撃が襲って来る。ならばこのまま山道を駆け抜けて身を隠す。
「…桜、また少し動くよ」
今は眠っているのか意識のない桜を抱え直し、走り出す。廃屋の裏手に回り木々の間を抜け、下向きの傾斜で山を降りていく。車道の方向と反対側へひたすらに駆け出そうとして――
「っ…椿ぃっ!!」
今度ははっきりと百合の声だと判った。声の方を見やると確かにそこには見慣れた百合の姿があった。どうしてこんなところに―、そんな疑問がよぎる瞬間に私は走り出していた。
「百合、なんでここに」
「話は後!ついて来て、走れる?」
「…っ、問題ない」
改めて打たれた左腕の痛みを知覚しつつ目の前の背中を追いかける。
◇
木々を抜けた先には見たことのない黒い車がエンジンが掛けられたまま停まっていた。
「後ろへ乗って、すぐに出すから!」
百合は両手が塞がってる私を見て勢いよく後部座席の扉を開け、滑り込むように桜を抱えた私が車内に入ると気持ち易しめに扉を閉めてから助手席に座った。
「このまま出して一度下に降りて、私のナビに従って走って!」
「!副会長様左腕…」
「急いでっ!」
「なっ…ああもう!後でちゃんと説明してもらうよ!」
運転席に座っている人間は知っている。私が通っている学校の前生徒会長だ。何故こんなところにいるのだろうか。なぜハンドルを握っているのか、咄嗟に湧き上がる疑問をぐっと飲み込むようにする。
アクセルが踏まれる。急発進によって発生する衝撃を極力桜に伝えないように全身で緩衝を行う。左腕に鋭い痛みが走ったが構いはしない。それよりも今私がするべきことを考える。耳を澄ませば後ろに三台の車が走ってきているのが判った。一台なら一般乗用車の可能性のほうが大きいけれど――
「…何処に向かうつもり?」
百合は後ろを振り向かずに答える。
「私が持っているマンションの一室があるの。そこで一度桜をちゃんと寝かせて落ち着かせる」
「多分追われてる。ほとんど同じ速さで三台車が走ってるから」
「っとに…病院壊したり椿を撃ったり、随分やることが派手じゃないの…!」
苛立たしげに呟くと百合はジャケットの内側から何かを取り出した。
その何かを見て私は初めて百合が怖くなった。
右手に握られていたのは間違いなく拳銃だった。
「…なんで、そんなもの」
「雨宮さん!サイドミラー借りるわよ!」
助手席側の窓を開け、そこから右腕を外へ出し手に持つ銃の先端でサイドミラーを三度別別の角度から押して、銃口を後ろ側へ向けて引き金に指をかけ、発砲した。
直後にガラスか何かが割れた音とききぃっとタイヤがスリップした音が聞こえてくる。後ろを振り向くと後ろに居た車の一台のヘッドライトの右側が割れて、蛇行していた。
「いっ…たっ」
反動で変な方向へ曲がった右腕をすぐに引っ込めて抱えるようにして蹲る。
そのあからさまな奇行に驚いたのも束の間、確かな発砲音と鋭く高い音が響いた。音の発信源は後方から、振り向き後ろの車を見ると助手席側の男が半身を外に出して何かをこちらに向けていた。
何か―考えるまでもなく銃だ。
さっきの音は銃弾が地面に跳ねた音だろう。
構えたままという事は再び撃ってくるつもりなのだろう。
「アクセルを踏んで!」
百合が大きな声で言うと同時に車の速度が上がり、その分だけ重力による衝撃が生まれ、上半身を反らせる。その後に再度同じ音が響き、さらにすぐ近くで金属同士がぶつかり合った音が聞こえた。
言い終える前に衝撃と、何かが破裂する音が聞こえた。
反射的に私の右腕は桜を強く抱きしめた。
「なっ?!」
運転席から驚愕の声と同時に車体が傾き、手元のハンドルが左右に振れる。
それに合わせてさらに激しく車体が動き、ブレーキを強く踏んだことで横向きに滑るようにして停止する。その衝撃で私の身体は左側のドアへ叩きつけられた。
左肩から鋭い痛みが全身に広がって痺れる。込み上げてきた吐き気をぐっと抑えて耐える。
「っ椿!桜を抱えて逃げて!」
痺れる痛みに百合の高い声が頭に響く。
「…はぁー、っ、かはっ…に、げるったって…」
「いいからとにかく車の外に―」
「いいや、ダメだ」
その百合の言葉を遮るように前生徒会長の低い声が響く。
ドアを開けようとした百合の手が止まり、振り返るとある一点で視線が止まる。
そして私は左側のサイドミラーに映る光景を見て納得した。
全身を真っ黒なプロテクターで覆い、手に見慣れない銃を構える数人。
その銃口が真っ直ぐに私たちに向けられていた。
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