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月の御影  作者:
26/30

26. 百合、月夜


「雨宮さん、貴女に頼みたいことは二つ。

一つは今から言う場所で椿を拾って、…このキープレートに書かれた部屋に連れて行ってあげて欲しいの」


ウエストポーチからそのキーを取り出し、彼女に差し出す。

私の掌からそれを掴むと、キーホルダーのプレートを確認する。


「ふむ、僕の記憶だと随分と高級なマンションだったような気がするね」


「間違ってないわ。入口扉とエレベーターの暗証番号はその裏に書いてあるから」


「…この部屋は、君が買ったのかい?」


「まさか、貰ったのよ。個人資産で一億五千万も出せる余裕なんて無いわ」


「ならこれ以上は聞かないでおこう。それで、もう一つは?」


キーをポケットにしまい、私を見て尋ねる。

これは、ずっと雨宮さんが望んでいたことであり、私の覚悟でもある。


「…椿のこれからを、貴女に任せたい」


私の言葉を聞いた雨宮さんは僅かにその瞳を揺らした。

だけどそれだけで、軽いと息を吐いてから静かに私を見た。


「…それは確かに僕の願いであったけれど、副会長様は納得しないだろう?」


「今まではそう。だけどもう限界なの」


「どういうことだい?」


「私はもうすぐ死んでしまうから」


その言葉が意外だったのか、瞳孔が開き、ハンドルを握る左手に力が入ったのが分かった。それでもまだ信じていないという表情だ。まっすぐに私の目を見つめる。私も真っ直ぐに見つめ返す。少しの間を置いて、雨宮さんは私が本気だということを感じてくれた様子で口を開いた。


「…君は一体、何を抱えているのかな…。切羽詰っているのは伝わったけれど」


「それで十分よ」


「僕が納得しない。ただの我が儘だけれど、せめて百合嬢が何をしようとしているのかは聞かせて欲しい」


「意外ね、貴女は目的さえ達成出来ればいいってタイプかと思ってた」


「心外だね、僕は納得できないものを許容したことはない」


あくまで関心の向いたことだけでしょう、と言いかけたけれど止めた。

ずっと椿にしか興味がないといった態度だった雨宮さんに、それは私が初めて彼女に見た人間味に思えたから。


「…いいわ、貴女には話しても。とりあえず車を走らせて、私がナビをするから」


「分かった」


なれた動作でギアを変え、アクセルを踏む。

外車の心地いいエンジン音が低く身体に伝わってくる。


「…ええと、何から話せばいいのかしらね」


「ではまず副会長様が何故今から向かおうとしている場所にいるのか」


「ごもっともだわ。その説明をしないといきなり迎えと言われても納得できないわね。

少し分かりにくいかもしれないけれど、私の視点での思考展開を話していくわ。


先ず、家に椿がいない。そしてさっきみた通り桜の病室にいるはずの桜の姿がなかった、それもあの惨状で。ただならぬことが起きていることは十分に考えられること。


…そしてこれは説明が難しいのだけれど、

私はあの状況に関して一つ…いえ、二つ心当たりがあるの。

もしも椿が桜を連れて何処かへ行ったのなら今から向かう場所以外に考えられない」


「その理由は?」


「他に宛がないもの。逆に言えばそこにいなければもうどこにいるか見当も付かないわ」


「確信はないのかい?」


「ええ、全て私の想像だから」


「なら次に、あの状況に関する心当たりとは?」


「…今日の20時50分頃に、家の電話に本条茉莉花からの通話履歴が残っていたの」


「本条くんから?」


「照合したから間違いなく、彼女の携帯から掛けられていた。

私が電話のあるリビングに降りたのは21時過ぎで、その時に既に椿はいなかった」


「…成る程、それで想像か」


「確証はないけれどね」


「そうは見えないね…まあ、百合嬢の真剣さが十分答えになるよ。そして」


「もう一つは、その…正直、説明するのが難しいわ」


「ふむ?なら無理に説明してくれなくていい。

では最後に、君が死ぬというのは?」


「それは………」


そのままを伝えようとして、言葉に詰まる。

余りにも深くて歪なお話だから、改めて説明しようとすれば複雑だ。

左手を胸に当て、内側で起こる鼓動を感じながら深呼吸をする。


「私のこの心臓は、桜に移植することにしたの」


「移植?」


「ええ、それ以外に桜が助かる方法がないわ」


「…そういえば妹さんが何の病気なのか知らなかったね」


「診断された疾患は一つ二つじゃないけれど、

ただ一つ言えばあの子の心臓が動かなくなってきているの」


「動かなく?」


「心拍回数が異常な程に下がり続けてる。

心臓の伸縮拡張の回数が触れて分かるほどに少ないの。

当然血圧は下がる、そして桜には生まれた時から造血障害があった。輸血か骨髄移植無しに体の血液量をまともに増やせない。――するとどうなるか、分かるかしら」


「…貧血を起こすね」


「その通りよ、そして桜は衰弱していった。

今では生命維持装置がないとまともに血液供給が行えないほどに。

それでも当然衰弱は止められない」


「だから移植が必要だと」


「そう…しかし、これはあくまで可能性の話よ。

そもそも桜の病状のほとんどが原因を突き止められていないのだから、

移植が本当に治療として有効かははっきりしてない」


「な…っ、なら手術をしても二人共死ぬことも…?」


「その可能性もあるわ」


「…そんな」


「移植手術自体常に失敗は付きものでしょう。

今回のは失敗の可能性が普通より高いだけよ」


「だけって…、そんな簡単な話でもないだろう?!」


「いいえ、それだけの話よ。それ以上はないわ」


「っ…君は死ぬのは怖くないのかい?」


「私にとっての恐怖とは大切な妹を失ってしまうことよ。

それを上回る恐怖なんてない」


「…身勝手だね、自分の都合ばかりじゃないか。

それにどちらにせよ副会長様は家族を一人以上失うということになる」


「だから貴女に頼みたいの。椿は私が死んでも生きていけるけれど、

桜が居なくなれば生きていけないかもしれない。だから支えてあげて欲しいの、あの子の心を」


「……なんだよ、君が支えてやればいいじゃないか。

百合嬢こそ副会長様の姉だろう?」


「桜を助けることが、あの子を支えることに繋がるの。

そしてもし助けられなかったときは、貴女があの子を支える。

全ては二人の為に私ができる精一杯なの」


「自己犠牲なんて偽善者のすることだ」


「血の繋がった妹達の為だもの、愛と言って欲しいわね」


「…歪だよ」


「…そう思うかしら」


「思うさ、副会長様もその妹君も不憫でならないね」


彼女が何に不快感を覚えているのかはっきり分かる。

実の姉の心臓を移植され、生き延びることになる桜の、

私一人の意思で雨宮家に引き取られるよう手はずを整えられた椿の気持ちを、

確認すらしていないのだから。


そしてなにより私が椿のことを見ようとしないことに憤りを感じている。

その感情は、それだけ彼女が椿に対して執着心が強いことを示唆する。

――椿のことを、愛してくれる。


「私はそんな貴女だから安心して頼めるの」


「…ああそうかい」


それから雨宮さんは明確に拒絶の態度を見せて運転を続ける。


そんな彼女を見て私は何も言わず目的地の位置をナビに入力し、マップ表示にしておく。きっと彼女ならわざわざ私が指示しなくたってこれだけで十分だろう。


私はシートに深く座り直し、そっと瞼を下ろしてこの後のことに思考を巡らせていった。


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