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月の御影  作者:
24/30

24. 百合

私は走り続けていた。

息が切れて肺が痛みを訴えるのも構わずに。


しかし突然鳴り響くクラクションの音で思わず足を止めた私は、

我に返り、今自分がどこにいるかを認識した。


私は信号のない4車線の中央側にいた。

病院の白い壁面が見えるほどに近くまで来ていたことに理解は少々遅れてやってくる。

今私の前で止まってくれた車がもし止まらなかったら。

ただ漠然としていたものが突如として目の前に現れたような、不意打ちにやってきた死の現実を恐れた。

軽く頭を下げて渡ろうとした車道を、もう一本の車線に注意しながら引き返す。

幸いクラクションを鳴らした車はそのまま発進して見えなくなっていき、こちらに何かをしてくることもなかった。


そのことに安堵した瞬間肺に溜まっていた空気が勢いよく吐き出て、喘いだ。

身体から汗が溢れ、鳩尾辺りが冷えたように感じられた。


今ここで死んだら、だめだ。

まだ私は目的を果たせていない。


ただ単純に死にたくないと思ったのではないと自分に言い聞かせて、

先ほど確かに感じた死への明確な恐怖を頭の隅へ追いやろうとするが、次に身体がそれを理解したのか震えだした。

咄嗟に両腕で自分の身体をぎゅっと抱きしめ、震えを押さえつけようとする。

荒い呼吸を整え、震えが収まるのをじっと待つ。


(...私は、なにをしているの)


椿と桜を助けるんじゃなかったのか。

生きることを諦めたんじゃないのか。


冷静さを獲得するまで、同じ言葉や似た言葉を一つの詩のように脳内で反響させる。



次第に冷めていく心と落ち着きを取り戻しつつある身体を感じ、

改めてここから何をすればいいのかを思考する。

我に返り漸く今自分が椿と桜の現状についてほとんど何も分かっていないことに気付いた。

本上茉莉花からの着信履歴に表示されていた時間から既に一時間以上も経ってしまっているのだから、

まっすぐ病院に向かったとしても二人がそこにいるとは限らない。

何より何故家に電話を掛けてきたのか、その理由さえもはっきりしていないのにただ向かうのはあまりに愚かだ。

ぼんやりと直感的に二人の身に危険が訪れようとしている気がしたが、

冷静になって考えればそれは根拠も裏付けもなく、推測の域を出ない。


私が今するべきことは現状を出来るだけ多く把握すること、そのための手段を考えること。

やはり病院に行って確認することが最善だろうけど、それはきっと選んではならない選択肢。

決して論理的ではないけれど、私は今し方病院へまっすぐ向かっているところを車のクラクションに止められ、

そして冷静に思考を巡らせることを選択している。

理性的ではないが、今の私は病院に行くことを良しとしていない。


ならば別の方法で、病院を確認すればいい。


(...高いところ...あそこがいい)


近くの背の高過ぎず、病院方向に遮蔽物などない大通り沿いに位置する建物を見つけ、

さらに路地側に最上階の5階まで続いている非常階段を見つけた。

幸い階段自体は鍵付きの柵などで封されていなかったので、私は一段飛ばしで上まで登っていく。

最上階までたどり着くと、近くの手摺に足をかけて屋上によじ登る。

掌が強く擦れて表面に傷が付いて血が滲んだ。

それでもなんとか登り切り、立ち上がって病院の方角を向いて白いブロックを探す。


「な...」


そして、視界に捉えた景色に私は言葉を失う。


私が見たものは、隔離病棟にある桜の病室の壁が失われて部屋の中のベッドがなく、

ベッド脇にあった本棚が倒れて中身が散乱し、キープアウトのテープが貼られていて検察官らしき人物が数人というものだった。

理解が私の心に届かない。理性が事実と推察を拒んでいる。


少し遅れて、警察がいるということを理解出来た。

すると今まで気が付かなかったのがおかしいくらいにけたたましいサイレンの音が聞こえて、

視点を下にずらすと、病院の前に数台のパトカーと消防車が停まっているのが見えて、

それとは別に黒の外車が近くに不自然なほど並んで停められている。


(どういうこと――)


ガチャリ


鈍く金属音が背後から聞こえると同時に、背中に何か硬いものを押し付けられる感触を覚えた。


「油断しすぎだよ、百合嬢」


「……雨宮さん?」


「こんばんわ。今夜は夜空が綺麗だよ」


背中の圧迫が離れたので振り返ると真っ黒のコートを羽織った雨宮月夜が立っていた。

その左手には私が持ってきたはずの銃が握られている。


「そこの非常階段に落ちていたよ。拾ったのが僕でよかったね」


「………どうして貴女がここに?」


「この辺りをドライブしていたところに百合さんを見かけてね。何やらただならぬ様子だったからこうして追いかけてみたというわけさ」


おそらく、嘘は言っていないと思う。

偶然にしては不自然だが今この瞬間に関しては好都合だ。彼女を利用してしまおう。


「それで、あの病院が大変なことになっているようだけど」


「あまり説明している暇はなさそうなの。雨宮さん、一つ頼まれてくれないかしら?」


「内容を訊いてから決めるよ」


当然だ。私たちはもともと利害関係が一致する点のみで繋がっているのだから、

私は彼女に椿以外のことを頼めない。

雨宮月夜にとって大切なのは椿だけで、逆に言えば椿の頼みならいくらでも聞いてしまうのだろうけれど。

ならば――



「…椿を助けて欲しいの」

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