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月の御影  作者:
18/30

18. 椿

「今日は全くやる気が起きないよー」


「なら明日に変更しますか、教える気がないなら帰ってくれていいですよ」


「えー、なんでそんな冷たいこと言うのさー」


「せめて私の机から退いてください、邪魔です」


次の日も私は放課後、生徒会室で前生徒会長と一緒にいた。

会長代理の権限を学園から譲渡される為のサポートをしてくれるはずだったのだけれど、

何故か昨日今日と前生徒会長は生徒会室で寛いでいるだけだ。

それも私のデスクに腹這いになって。

時々生徒会室にやって来る生徒達はこの光景を見て何故か嬉しそうな顔をして何も言わずに出て行くため、私以外にこの人を咎める人がいない。


「だってこうして副会長様と過ごせるの四ヶ月振りなんだよ?もっとこの時間を堪能したいね」


「ならせめて黙ってください、相手しないからって喚き散らさないでください」


「むぅ...なんでそんなに余裕がないのさ、滅多に笑わないし」


笑わないのは今この瞬間が楽しくも嬉しくもないからだ。四六時中無表情な訳じゃない。

余裕がないように見えるのは正解だ。私の心は常に桜のことで満ちている。

他人を気にかける隙間があれば私は桜の事を考える。


「ねぇ、どうして笑わないのさ?」


「楽しくも嬉しくもないのに笑いませんよ」


「...ふーん?ま、僕はそんな副会長様が好きだけどさー」


「あまり面倒なことばかり言ってると本格的にここからつまみ出しますよ」


「おぉぉなんだかいつもより副会長様が厳しい」


口ではそんなことを言いつつまるで気にしていない様子で私のデスク上でゴロゴロしながら煮干を口に咥えている。

ポケットから小さなパックに入れられたそれはひとつ取り出しては閉じて、匂いが部屋に充満しないようにと多少の気遣いはしてくれているようだけれど、

すぐ近くにいる私は乾き物の独特の匂いをダイレクトに受けている。

私の不機嫌に少しは関係していると思う。


「ところで副会長様は今日これが片付いたらお暇かな?」


「予定があるので」


「まだ何も言ってないじゃないか」


「何かに付き合えって言うならお断りです」


「むむむ...じゃあ一つお願い、今日この部屋の施錠は僕に任せてくれないかな?」


「この部屋を使うってことですか?」


「そうだね、先生方には後で僕から言っておくから、ね?」


「...私のデスク荒らさないでくださいよ」


「ふふ、分かっているよ」


よく分からないけれど今日は私が帰ったあともこの生徒会室に残りたいらしい。

別に私の私物はこれといってあるわけじゃないから困ることはないだろうけれど、単純に何をしでかすかわからないこの人が不安だ。

それ以降すっかりおとなしくなった前生徒会長は私に絡んでくることもなく、時々ニヤニヤしながらただゴロゴロしながら煮干を食べ続けていた。


 ◇


今日は早く帰れたので一度家で着替えてから桜の見舞いに行くことにした。

いつものように言葉はなく、視線と表情、動作で図るコミュニケーションは不思議と心地いい。


日が落ちて、看護師が病室に夕御飯を持ってくる時間になると桜に別れを告げて帰路に着く。


その内心は穏やかではなく、困惑と動揺と自己嫌悪で渦巻いている。

記憶と現在の対話が際限なく繰り広げられていくのを全て自分の中で消化しながら私は遠くぼんやりと眺める。


暗がりに街灯や車のライト、店舗から溢れ出す明かりで遠く道が一点の光から伸びているようにも見える。

あの一点の先にあるのは真っ暗で何も見えない大きな山。百合の眼なら鮮明にあの暗闇も見通せるのだろうけれど、私には見えない。

歩道を歩きながらそっと目を閉じる。

聴覚と嗅覚で近くする真っ暗な視界は目で見るそれよりも遥かに鮮明だ。

前方四十メートル先の歩行者が時速およそ二十キロメートルで近づいてきていること、

この数秒間の間に手前側の車線を何台の車が私を通り過ぎたのかも知覚できる。


あの家にいた頃はこの聴覚には感謝していた。

視野の範囲外に桜がいてもより広範囲に見つけ出すことができたし、不自然な音と音の不純物を濾過し、

欲しい音だけをよりはっきりと聴くことができる。

聞きたくない音は雑音と一括りすることでその内容を情報として脳が処理することなく聞き流し、

余計なことは考えないでただ純粋に桜の事を思っていたいと願う。

だけど今は、どれほど耳を塞いでも、聴こえたくない音まで聴こえてしまう。


桜の弱くなっていく心音、極端なまでの低血圧、あらゆる関節、骨の軋む音、筋肉の弛緩、

不十分にしか硬直できずにいる頼りない首周り、体がより酸素を求め、呼吸が落ち着かなくなるのを桜は必死に隠そうとしていることも、

一寸たりとも改善に向かわない桜の体の詳細をどうしても雑音として分けることなんて出来ず、

涙がこぼれてしまいそうで、この病室に痛くないと少しでも考えてしまう自分が許せなくて、


私の心は磨り減っていく。


私の欲しいものは桜が全部くれたから、それ以外は切り捨ててしまっても構わないと思う反面、

我が儘で暗い気持ちが消えてくれなくて、逃げ道が少ないからより苦しくて。


もう少しできっと、私は壊れてしまう。


随分と間が空いたにも関わらず短くてすみません。

というか読んでくれている人っているのでしょうか。

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