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月の御影  作者:
17/30

17. 百合-三年前-

夕闇を乗り越えて訪れた夜。月明かりが私を影にする。

遠く虫の鳴き声が冷たい風を涼しさに錯覚させる。

今宵、私は後戻りできない選択肢を掴み取る。

今まで通りなんて全て過去で、近く未来に大切なものが崩れ落ちて取り返しがつかなくなる。

それでも覚悟は既に出来てるから、今更迷うことはない。

廊下は静寂に私の足音を強調するばかりで高揚を抑えきれていないことを私に教える。

しかたないじゃない、こんなにも特別な選択を二度も出来るんだから。


私が目指すのは母の寝室。

今頃無駄に広い和室で、使用人に用意させた布団の上でさぞ安らかな眠りについていることだろう。

ここにいる人達は女房と呼んでいたか、時代錯誤もいいところだ。それとも風情のお話なのか。

まあ、別段興味はない。数刻もすれば私はこの世からいなくなるか、ここを支配するかのどちらかだ。

その先のことは椿を信頼してる。あの子は私よりもずっと賢くて一途だから。

どれだけ嫌われようとも構わない。私にとっては大事な妹の一人だ。そこは変わらない。



私は許せない。例え桜がそれを望まなくても、これだけは。

桜が死の恐怖に脅かされ続けるか、死ぬか。どちらも嫌に決まってる。

これは私のエゴ、だからそんな環境を作り出している原因を消し去り、私達だけの理想を叶えることにした。

だから決めたの、私たちの桜を殺そうというのなら、私は親だって殺す。

父親はもう殺した。次は桜を木津付けた張本人である母親の番だ。人を殺すのは二度目たから一度目ほど躊躇いはなかった。

寝室の前に立つと一度深く呼吸をして手に握るそれの感触を確かめ、カバーに収めてポケットにしまってから、音を立てないように襖を開けた。

部屋の真ん中には布団を敷いて仰向けに寝ている母親の姿があった。

周りに何かないかを確認してゆっくりと近づいていく。一定の呼吸を繰り返し、隆起する胸元を確認して完全に眠っていることを確認すると、

そのすぐ側に膝を折って座る。そしてポケットからプラスチック製のテープと布切れ4枚を取り出す。

私は布団の上に眠りこけているそれの両足をぐるぐるに固め、身体を前側で両手を固定し、それを胴にテープを回して縛り、口に布を当てて塞いでから目も布で覆う。

そこでようやく目を覚ましたそれは呻き声をあげながら困惑を訴える。気持ち悪い。

まともに動けない母親の耳元で「睡眠導入剤を服用しているにしては早い段階で目が覚めるのね」と囁いてあげると、

今度は怒気を含んだ呻き声を撒き散らし始めた。私だとすぐに気がついたのだろうか。


「あんたを殺す。この手を汚しきる覚悟はとうにできてる」


極めて静かに、本気が伝わるほどに冷酷に吐き捨てると芋虫のようになった全身を暴れさせて私から逃げようとしはじめた。

蠕虫みたいに畳の上を這いずりまわり、目隠しをずらそうともがき苦しむその姿を私は人と認めなかった。

呻き声を強めて俯せになったそれの背中を捉えて私は踏みつけ、背骨が悲鳴を上げる寸前まで力を入れる。

表情は見えないけれど一つ一つの動作からそれの感情が見えてしまう。

この後膝で圧迫して肋骨に内臓を傷つけさせるのも悪くないけれど、それにはもっとじっくり恐怖を味わってほしい。

足で動きを止めたまましゃがみ、変わらず呻き声を出し続けるそれの頭を掴むと私は力一杯畳に叩きつけた。


ごりっ


畳から出たとは思えないような鈍い音を感じながら左足の膝でそれの左肩を抑える。

これでもうろくに動けやしない。動きたくても身体が恐怖で硬直してるかもしれない。


まぁ、どうでもいいんだけれど。


ねえ、もう気が付いてるんでしょ?でもまだまだ痛めつけないと、恐怖を味わってくれないと。私は怒ってるの。

左ポケットから私は先ずコンバットナイフを取り出す。刀身を隠すカバーを外すとかすかに外から漏れる月明かりが鈍色に煌く。

こんな暗闇の中でその輝きは色褪せないのね。

それの首筋に刃先が当たらないように腹を当てるとびくっと反応する。冷たいよね、これ。

ねえ、何か分かる?分からない?分かりたくない?ふふ、教えてあげない。

痛覚での恐怖はきっと面倒になりそうだと思ったから少しずつ奪ってあげる。

とりあえずこの部屋を真っ赤に染め上げるための染料を満たしてもらう。

痛みを最小限に血管を露出させて血液が最も集まる場所を切り開く。そう、心臓。今頃その鼓動は異常な程高鳴っているのかな。

肩胛骨を避けてナイフを少しずつ沈ませていく。寝着を裂き、皮膚を貫き、肉を裂いて骨に掠る感触が伝わってくる。

呻き声はもう聞こえなかった。私の神経は左手とナイフの刃先に集中していた。

高揚感が凄くてナイフの先まで神経を巡らせてしまうほどに没頭しているなんて。

先端が強く鼓動するそれに届いた瞬間に私は吐息を漏らす。後戻りなんてとうの昔に置いてきた。

刃先を鼓動が押し上げる感覚も分かる。今私はヒトを殺そうとしている。

あるのは自身の手が、心が、存在が穢れで塗りたくられていく実感。

一息ついてから私は、その鼓動を続ける袋を貫いた。


 ◇


どれくらい時間は経っただろう。

うつ伏せだったそれを仰向けにしてから、じっと見つめていた。少しの間びくんびくんと跳ねていたそれは今はもう全く動くことなく横たわっている。

それを中心に赫色が広がっていく。暗がりの中でも私の眼には鮮明に映る。布団の端を染め、畳を汚して、溢れ出る鮮血は私の膝まで届いていた。

先程までの高揚感から醒めた私はその場でただぼうっとしていた。


コロシタ。


取り返しのつかないことを私はした。それを望んだから。

次第に胸が熱を帯びてくる。この感覚、呼吸が少しずつ早くなって胸の鼓動がどんどん強くなる。


「はぁっ、はぁっ」


体が熱い。人としての何かを今一度私は葬り去った。二度目は私が望んだから。

後悔なんて全くしてない。ただこれから襲いかかるありとあらゆる出来事に思いを馳せて私は先程とは全く別の高揚感に包まれる。


「はぁっ、ははっ、はははっ、あっはははっ」


笑い声が溢れ出す。これからは二人以外の全てが私の敵だ。私を守るのも私自身。

手が震えてる。顔も、膝も、私のところまで広がっている血が波紋を作り続けてる。全身が震えてる。

どうして震えているんだろう?さっきよりも左手のコンバットナイフが重く感じる。どうして?

余計な力を抜いて荒くなった呼吸を整える。そうすることで今私の心を占めているものの正体を見極めようとする。


「...ああ」


ほんの少し冷静になればその正体は直ぐに分かった。

疎外感、もしかしたら桜はもうこんな私のことなんて見てくれないかもしれない。

あの暖かい微笑みを見せてくれないかもしれない。

既に覚悟していたことで、それでも桜に拒絶されるかもしれないという考えが私の中の一番の恐怖だった。

身の振り方は考えた。これからの行動、必要なもの、考えられるだけの全てを計画して、この場に挑んだ。

つもりだった。

どれだけ歪になろうとも所詮私は人間でしかない。

私の我が儘、エゴであろうとどこか成し遂げたことに対して見返りを求めてしまう、浅ましい生き物だ。


きっとこの先私は幾度と迷い、強烈な不安に襲われるだろう。

その時に私は何を支えに乗り越えることになるのだろうか。




ひとしきり思考をかき混ぜてから私は立ち上がり、部屋を後にする。

まずはここにある母親だったものの死体、殺人の事実の対処をする必要がある。

普通なら犯人が自分だってことを隠し通さなくてはいけないが、ここは普通じゃない、神代の家。

外部に決して弱みとなるものを露呈させない為に必ず動く。

それを利用して私は二人をこの家から遠ざけて、関わりを限界まで希薄にする。


人一人の死を隠蔽するためにはどうすればいいか。

一つの嘘をつけばその嘘を真実たらしめるためにさらに嘘を重ねていく。

何重にも積み重なった嘘は俯瞰すると一つの物語のようにさえ感じる。

けれど所詮は幻想。嘘は嘘。罪と置き換えてみても遠くはない。

歯車をひとつ壊せば動きが悪くなる。つまり、違和感が生まれる。

人はその違和感を探し出して原因を突き止め、違和感を切除しようと試みる。

それと同じ。

人一人殺せば人は違和感を覚える。違和感は排除される。

違和感が排除されないためには違和感が違和感でなくなればいい。

歯車だけじゃなく、その機械そのものを壊してしまえばいい。そうすれば違和感じゃなくなる。

人一人の死は悲劇だが、百万の死はなんとやらというやつだ。

それが選択肢の一つ。

もちろんこれを選ぶつもりなんて初めから微塵もなかった。

一番大切なものを輝かせるために、私はどんな罪も裏切りもなしてみせる覚悟をしたのだから。

私以上にことが露呈して困る人間に隠蔽させる。これが私の選択肢だ。当然その誘導を最後まで行うつもり。

自分の力で成し得ないならば自分よりもはるかに力のあるものを利用すればいい。

これが私の決めた選択肢だ。


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