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月の御影  作者:
16/30

16. 百合、椿

これでようやく半分ほど。

私の朝は遅い。椿が学校に出てからさらに一時間ほど経った頃に目が覚める。

そこから体を起こすことなく暫くベッドでごろごろと過ごして、欠伸がため息に変わった頃にようやくベッドからでる。

身体が重くて、足を引っ張るように部屋を出てリビングに入ると、

変わらず今日もテーブルには私の分の朝食がおいてくれてある。勿論椿が用意してくれたものだ。

重い瞼を少しだけ開いてリモコンを探してテレビをつけると私は椅子に座って箸を手に取る。

食べ終えて食器を流し台において水に浸してから顔を洗いに洗面所に向かう。変わらず足取りは重い。

ヘアゴムで髪を適当に纏めて温水で顔を濡らし、洗顔料を使って涙の跡を落とす。

となりの引き出しから私の使う化粧水を取り出して軽くパッティングしてようやく微睡みから抜け出せた。


「ふぅ...」


ここに引っ越してきてから日に日に朝が弱くなっている気がする。

改めて出勤形態の仕事じゃなくて良かったと思う。いや、そうでないからこんなに朝が遅くなったのか。

最近はほとんど早く起きないといけない日もなくて倦怠感が加速している。

だけど特に悪いとは思わないし、必要なことはちゃんとしているからこれくらい構わないだろう。

その場で着ていたシャツを脱いで洗濯カゴのなかに放り込む。あとは下着だけの格好。

自室に戻ってシャツとジーンズを引っ張り出して着るといつもの服装だ。

着替えてからリビングに戻り、流し台の食器を洗う。洗い終えると消し忘れていたテレビを消して、

棚からマグカップを取り出し、冷蔵庫からパックの紅茶と袋詰めのフレッシュを一つ取ってカップに注ぐ。

適当にぐるぐる回してなじませてからそれを持ってまた自分の部屋に戻る。

微睡みから覚めた後の景色は全く同じものなのにどこかコピーのような違和感を孕んで見えて妙だ。

デスクチェアを引いてパソコンの電源を付け、PC用のファンを付け、コースターの上に右手のマグカップを置いたら一息。

大抵の朝はここまでが恒常で、私なりの一日の区切りの一つだ。


私は今三つの仕事を行っている。

一つが今からするとある会社の番組ホームページのデザイン、エフェクト、CMS、プログラムの作成、埋め込み等の

いわゆるウェブデザインの仕事。

自宅でできる仕事を探しているうちに見つけたもので、初めの頃は知識も技術も無かったけれど、

派遣会社に登録して、研修の場を設けてもらい、仕事の紹介をうけて何度か経験したことでこうしてそれなりに仕事が入るようになった。

はじめの方はコンサルタントと話し合いで朝出かけることがあったけれど、今はこうしてほとんど自室で作業が出来ている。

数年前の私なら想像もできないことだ。

けれどもこれは私の収入源のほんの二割程度のもので、もしこれだけだと椿の学費、大学まで行くことを考えたらとてもじゃないけれど足りない。

食費、光熱費等の基本的な生活費もかなりいっぱいいっぱいになるだろう。

だからこれで得る収入は全て椿と桜の将来の為にとっておくことにしている。

二つ目はその片手間にアクセスが集中しそうなコンテンツをテーマにしたサイトを作成し、一時的に広告での収入を得る仕事。

でもこれは私個人で行っているだけのもので、半ばホームページ作成の練習として始めただけなので収入源としてはあまり期待していない。

三つ目は...これは例え椿に感づかれてしまったとしても私の口からは絶対に言わないし、関わらせたくないこと。

主な生活費はこれで得ていることになる。これは私の罪だ。


けれど二人を本家から連れ出して来たのは私なのだから、私には責任がある。

何度もこの選択を省みては間違いだったのではと頭を抱え、弱音を吐きたくなってしまう。

でもこんなこと誰にも言えないし、言いたくない。

そういう意味で私は本当に孤独だと思う。誰かに相談もできないし、私を叱る人もいない。

今だってこんなただれた生活を続けているのは私を咎める人が誰もいないからだ。


与えられる側から与える側に回ること、これが大人になるということなんだろうね。


 ◇


気が付けば外は日が落ち始めて遠くの空は夕闇で覆われていた。

どうやら昼も忘れてしまって作業に没頭し続けていたみたいで、マグカップの表面の汗が全てタンブラーに吸われてしまっている。

自覚すると喉が渇いてきた。少しだけどお腹も空いているみたいで私は数時間振りに椅子から腰を上げる。

凝り固まった背中と両肩がぱきぱきと音を立てて急な伸縮に悲鳴を上げた。

止まっていた血が出口を探し求めて一斉に全身を巡り、流動し始める。

急に立ち上がったせいか視界が真っ白に染まり始めて立ち眩みがして思わず両手をデスクについて体を支える。

目の奥がじわりと痛みに包まれていく。

何度か瞬きをして落ち着いてくると視界も安定し始める。長時間モニターを見つめ続けていたから目が疲れているんだ。

取り敢えずなにか飲み物が欲しいので部屋を出てリビングに向かう。

一階のリビングはカーテン越しに外から漏れる光以外に明かりがなく、キッチンは真っ暗になっていた。

誰もいない部屋。この時間はまだ椿は帰ってきてないからこの家には今私一人だ。

キッチン側のライトだけをつけて冷蔵庫から麦茶を取り出して飲み干す。喉を潤す冷たさが心地いい。

棚からナッツの入った袋を取り出してソファに腰掛けながら一つずつ口にする。

いつものことながらこの時間帯は暇だ。何かをする気にもなれないし、かと言って何もしないのも退屈で仕方ない。

周りの家では今頃夕飯の準備でもしているのだろうけれど。

別に私も料理ができないわけじゃないけれど、やっぱり椿の方が上手だし、レパートリーも多い。

それにきっと私が作ったものを椿は食べようとしないだろうから。


こうして一人リビングでくつろいでいるとやはり寂しさを感じることだってある。

自宅でなるべく完結させられる仕事をわざわざ選ばなくとも良かったと思うことだってあるし、

今こうして手に入れたものよりも手に入れなかったものの方が魅力的に思うこともある。

それはきっと今を生きる人の誰もが選択してきたことで、私の場合は単純に少数派の人生を生きているに過ぎなくて、何も特別なわけじゃない。


つまり何が言いたいかというと、最後に振り返ってみて良かったと思えるなら幸せでいいんじゃないかってこと。


「...ちょいと散歩でも行きますか」


一日中家に篭もりっきりだとロクな事を考えないし、私だって気分転換くらい必要だ。

食べかけのナッツの袋をくるんで棚に放り込み、電気を消してリビングを後にする。

自分の部屋に戻ってジャケットを羽織り、財布とスマホをポケットに放り込む。

それから、


(これはお守りだから)


デスクの引き出しからそれを取り出して左のポケットに収める。

部屋を出て玄関に降りると散歩用のスニーカーを履いて鍵を取り、家を出る。

日中の熱気に夜風が合わさって心地いい。最近は良く晴れの日が続いている気がする。


「あぁ、洗濯物くらい取り込めばよかったかな...」


ベランダにはバスタオルや下着、数枚のシャツが干されている。半分は当然私のものだ。

だけどせっかく外に出たばかりだし今から戻るのも気分が萎える。

私はあえて見なかったことにしていつもの道を歩き始めた。



 ◇


いつも歩くこの道は信号が一つもなくて、立ち止まることなくただ歩き続けられるから私は好きだ。

家を出て右手を少し歩いてから左折し、そこからまっすぐ公園まで進む。

公園に入ると道なりに進み、歩道橋で自動車道路を横断して大通りの奥の脇道を少し抜けると背の高い木々に囲まれた秘密の散歩道に出る。

今の時期はそれほど惹かれる場所ではないけれど、秋になると銀杏や紅葉に囲まれてまるで映画のワンシーンのような光景に包まれる。

そこから少しそれれば桜の入院している病院がすぐ近くにあるから桜の外出許可を取ればここに連れてくることも十分出来る。

だから近いうち、紅葉に彩られる季節には桜と椿を連れて三人で見たいな、なんてことを計画したりもしたり。


日はもうすっかりと落ちてしまったけれどこのあたりはまだかすかな夕暮れを残して綺麗だ。

交通量も少なくて、少し耳を澄ますと葉と葉が擦れる音やカラスの鳴き声、椿ほどじゃないけれどいつもよりクリアに聞こえてくる。

音から分かる情報とは無差別で淀みなく、視界で得るそれよりもなんだか新鮮だ。

風が微かに耳を掠めてどこかへ飛んでいく。もしかしたら椿なら、あの風の行方を追えたりするのかな。


「こんなところまで散歩に来てたんだ」


「...椿?」


振り返ると制服を着たままの椿が無表情に立っていた。病院から家に帰る道の途中だから鉢合わせたのだろう。

随分と珍しいこともあるものだ。普段なら私を見つけたとしても話しかけることなんてないのに。


「...その、桜は、元気だった?」


「はぁ、気になるなら会いに行ってあげてよ」


「え、ええ、そうね...」


「?...それで、今から帰って夕飯作るけど、何時頃に帰ってくるの?」


「もう帰るわ、気分転換は十分出来たし」


「そう...」


それだけ言って椿は私の前をどんどん先に歩いていく。

足が長いというのもあるかもしれないけれど、それ以上に私と並んで歩くのが嫌なんだと思う。

今更だけど、私は椿に恨まれている筈だから。


「あれ、今日は部活無かったの?」


今日はいつも肩にかけているスポーツバッグが見当たらない。


「暫く生徒会が忙しくなるから部活はそれまで行かないことになったの」


「何かあったの?」


「...生徒会長が倒れた。原因は詳しく聞いてないけど」


「そう...椿は確か副会長だったわね?」


「うん、だから会長が戻ってくるまで私が代理をすることになったから」


「これから大変そうね...」


「うまくやるから平気。私にとってはあまりに些細なことだし」


「まあ、あんたがそういうなら私はもう何も言わないわ」


「いつも百合は何も言わないでしょ」


「本当に椿が困ってたらなにかしてあげたいと思うわよ」


「ふーん...じゃあその時は一度とこないよ」


「大した自信ねぇ、でも何かあったら相談しなさいよ。あんたは一人じゃないんだから」


「...分かってる」


背を向けたままそう言う椿はいつもよりもなんだか弱々しく見える。

私の気のせいだといいけれど。そう、全てが私の杞憂ならいいのに。


「ところで椿、今日の夕飯は?」


「中華にしようと思ってる」


「えー、暑いのに」


「嫌なら食べなくていいよ、外食でもしてきたら?」


「食べる、食べるわよ...極端なんだから」


「百合に言われたくない」



こんな会話が出来るのだってあの頃からすれば奇跡だ。椿はどう思ってるかわからないけれど、私は楽しくて仕方がない。

たとえ恨まれているとしても。

こうすれば読みやすい、等のアドバイス・指摘がありましたら頂けるととても喜びます。

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