13. 桜
夕日が沈んでいく。斜陽はゆっくりと降りて電気の消してあるこの部屋も暗くなってきた。
かれこれ一時間ほど椿姉は私の膝で眠っていることになる。
相変わらず穏やかな寝息で安らかな寝顔を私に見せてくれていることに幸せを想う。
ずっとこのままでいたい。
私も、椿姉も、きっと同じことを想ってる。こうして触れていれば分かっちゃうんだよ。
だけどもうすぐ夕御飯を運びに看護師さんがここに来る。
それに家できっと百合姉が待ってる。
名残惜しいけれど、もう起こさなくちゃ。夢はここでおしまい。続きはまた今度。
私は髪を梳かしていた手で椿姉の肩を揺する。
――ほら、もう起きなきゃ。日も暮れちゃったよ?
「....んむぅ...ん...あ...桜」
寝起きのぼんやりとした表情、とろんとした瞳、全てが好き。
椿姉のこんな無防備な姿を見られるのは私だけ。
その目を見て私はいつものように柔らかく微笑む。少しでもこの想いが伝わるように。
眠りにつく前に流していた涙が固まって跡が出来てる。
全部は無理でも、その胸の内に抱えた悲しい何かが吐き出せたなら、今はそれでいいよ。
ずっとずっと我慢してきたんだから、今までの分沢山笑って、泣いて欲しい。
「ごめん、足痺れたりとかしてない?」
起きてすぐに心配そうな顔をする。本当に甘えるのが下手だよね、椿姉は。
顔を小さく横に振ると本当に、と怪訝そうな顔をして私の膝を触ってから安堵の表情を浮かべた。
ね、ホントでしょ?という感じで微笑みながら首を傾けるとようやく笑ってくれた。嬉しい。
「...ありがとう、桜」
真っ直ぐに私の顔を見てそんなことを言っちゃうところが可愛い。
少し恥ずかしいけれど、いつも言葉にしてくれるのは本当に嬉しいからつい顔が綻ぶ。
きっとここから少しずつ変わっていく。今の椿姉を見られるのは今だけ。
そのことがなんとなく分かって不意に涙が溢れそうになって堪えた。
それでも私はちゃんと笑えてたかな。笑えてたらいいな。
椿姉が帰った後、入れ替わるように看護師さんが入ってきた。
「...今の子、桜ちゃんのお姉さん?」
変わらず明るい声を私にかける。その表情も日溜まりのように暖かい。
私が頷くと看護師さんはドアの向こう側を向いてまた小さく笑う。
その笑いの意味は分からなかったけれど、誰かを不快にするそれではないと思えた。
それはきっと私がこの人に対して抱いている印象の所為だ。
この人は、壊れてる。
きっと人として社会に生きる上で必要なものを手に入れ、不必要なものを手放してきたんだろう。
それも本当に器用に。器用すぎるくらい器用に。
どうしても護りたいものを護れるように丁寧に取り込み、削り落としてきたのだろう。
その際限がこの類稀なる社会適合者。不自然を取り込みただ目的も既に見失った悲しい人。
もう気付けないし、思い出せない感情がこの人にはある。
双眸から溢れるそれは一体何と問いかけてもきっとこの人は理解しない。
色とりどりの絵画をセピア色の写真と解釈するように、潜在無意識が取り入れる情報を制限している。
こんなにも器用な人、視たことがない。
「綺麗な子ね」
半分私に向けられた椿姉に抱いた印象は不自然に発せられる。
その理由も私は解る。だから何も反応せずにただこうしてベッドに身を預けたままだ。
看護師さんが運んできてくれた夕食はいつものトレイの上に綺麗に並べられていて、
ベッドに付けられた簡易デスクを窮屈に感じない程度に私の胸の近くで固定すると、トレイが私の前に置かれる。
「無理して全部食べようとしなくてもいいからね」
柔らかい口調で、心配をさせないよう気遣いの感じられる言葉が私に与えられる。
それにも頷くとまた笑顔で応えてからドアへと引き返していく。
その後ろ姿は希薄で、今この瞬間にでも消えてしまいそうに見えた。
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