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月の御影  作者:
10/30

10. 椿

放課後、部活を休んで私は生徒会室に来ている。

試験が近いからなるべく済ませられる書類を消化しておきたい、という建前で今日の昼休みに私は生徒会長に依頼された。

本音は自分ひとりじゃ間に合わない、だけど弱音を吐くわけにはいけない。

あくまで生徒会長を補佐するのが役目だから構わない、というわけか。

生徒会長が私に依頼した仕事はたった三つ。

各委員に送る依頼等をまとめて不備がないかを確認して印鑑を押す。不備があればチェックを入れて訂正する。

今月の各部活動の活動記録に目を通して印鑑を押すこと。

会計の子がまとめた来月の予算案に目を通し、確認の印鑑を押すこと。

つまり本来なら生徒会長が行う書類の最終確認を私が行うというのが依頼内容。


「......」


それを淡々と目を通し、印鑑を押す、その繰り返しをかれこれ一時間近く行っている。

向かいに座る生徒会長も黙々と作業を続けている。

心音からかなり疲労に苛まれているのがわかる。だからどうというわけでもないけれど。

私のほうはもうすぐ終わる。

デスク左端の残り少ない書類の一番上を手に取る四枚をクリップされたものだった。

内容は図書室の新旧の蔵書入れ替えとそれに伴う金額、行程、業者への依頼内容等細かく丁寧にまとめられた書類。

確認作業のため副会長用とされているパソコンでそのフローを一から辿る。

問題がなければこの要望を正式な書類に起こしてから印鑑を押し、学園へと委託すればこの要望は実現されるわけだ。

ただ、どれほど丁寧で細かくてもこうも読みにくいと失礼だとは思わなかったのだろうか。

可能な限り簡潔に、判り易くまとめてくれないと正式な書類を作成する際に困るのは生徒会長だ。

紛れ込んでしまったのだろう、これは副会長の補佐範囲外の内容だ。

メモパッドから一枚千切り、『不備なし。正式書類作成を』とかいてそれに貼り付けてデスク中心から除けておく。

終わった後に会長に渡せばいいから。


「...どうして...」


次の書類に手を伸ばそうとしたときに不意に声が聞こえた。

それは生徒会長が蚊の鳴くような声で、けれど確かに私に向けられた言葉だった。

当の本人は俯いたままでその表情は見えない。


「...どうしてっ...」


今度ははっきりと吐き出すような声で、けれどまだ俯いたまま。

なんだろう、怒ってるの?


「...生徒会長?」


よく分からないけれど、私に対しての怒りならば詳細を聞くべきだ。

私は席から立ち上がって生徒会長のそばに歩み寄る。

その時に生徒会長が勢いよく立ち上がって私の方へ振り向く。

その目は涙に濡れていた。

生徒会長が私の目の前まで近づくと、両手で私のシャツをしがみつくように掴んで。


「どうして貴女はっ!...そんなにっ...!..っ」


そこまで言って、突然私を映す双眸は反転する。

次に全身を脱力させて倒れようとする身体を受け止めると、触れた箇所から心音が聴こえてくる。

その音は随分と弱々しい。続いて足元から水の流れる音が聞こえてくる。


「っ!?」


その匂いで正体が分かって私は少し後退る。

一瞬この身体を突っぱねて蹴り飛ばしてしまおうとしたが場所と相手を考えてなんとか思い留まった。

嫌悪感がこの空間を包んでいて今の私はきっと冷静さを欠いている。

どうすればいい?どこまでが私一人で、どこからが他者の手を借りればいい?

いや、そもそも生徒会長の容態は?気絶なんて滅多に起こすものじゃない。

抱えた体を反転させて顔を見ると青ざめて、目はひっくり返り、口と鼻からは液体を垂れ流している。

尋常じゃない。時折全身を小さく痙攣させているし、呼吸も不安定だ。

私は医者じゃないから詳しいことなんて分からない。医者...保険室。

最低でも後一人いて欲しいけれどそんなことは言ってられない。

呼びに行けば一人にしてしまう。ならここから呼べばいい。


(...学園内線で...保健室は...)


すぐ近くのダイアル表から保健室のナンバーを探す。1021。

もしでなければ次は職員室に。そっちは2037。

受話器を取りすぐさまコール、...................居ないか...


『ガチャッ』


一度受話器をおいて切ろうとする寸前に向こうが受話器を取る音が聞こえて直ぐ様耳に当てなおす。

そして先に向こうからの返信を待つ。


『はい』


「生徒会副会長の神代です。竹村先生ですね?」


『あぁ神代さん?珍しいわね、どうしたの?』


「生徒会長が倒れました。現在意識がありません。直ちに救急車の要請と指示をお願いします」


『えっ!?倒れたって...どういう』


「呼びかけにも反応しません。目の焦点は反転していて、全身の筋肉が弛緩、心音、呼吸共に弱くなっています」


『...今場所は?』


「8階、生徒会室です」


『分かったわ、貴女が判断したなら病院の手配は任せて。私はそちらに向かうわ』


「お願いします。こちらへの指示は」


『本条さんをいつでも搬送できる状態にしておいて、貴女の出来る範囲で』


「分かりました、お願いします」


『ええ』


深刻さが上手く伝わったのかどうかはわからないが私は異常だと判断した。

先生と話ができたおかげで多少私も冷静さを取り戻すことが出来てる。

私は生徒会長を抱えると相談室のソファまで運んで横にすると、

近くの引き出しの二段目にタオルを見つけたので、足元のそれと、ティッシュで鼻と口元を軽く吹いておく。

瞼を手で下ろして保健医が来るのを待つ。


 ◇


手際の良さは流石というか、搬送までの時間はあっという間だった。

竹村先生は「後で連絡する」と言って救急車に乗っていったけれど、後でと言われても私はずっと此処にいる訳じゃない。

本当なら今すぐにでも桜の所に行きたい。

どうせ先の展開なんて想像できるし、生徒会長の安否なんて一昨日の天気ほど興味がない。

私が守りたいものはいつだって桜と桜の世界だけだ。

とりあえずさっさと今日生徒会長に依頼された書類の残りを消化してしまおう。

この部屋に充満している匂いをどうにかする為に換気扇をつけると、私はデスクに戻り、先程取ろうとした書類を手に取る。

体育祭のスケジュール、委員会議の資料をまとめた稚拙な報告書のようなもの。

つまり、『話し合って決めた結果こうなりましたけれど構いませんね』というだけの内容。

これも副会長の補佐範囲外。そもそも私はこの委員会議とやらに参加していない。

学校行事の決め事の際に干渉するのは生徒会長から依頼がある場合のみで、

当然学園祭実行委員とも依頼がなければ私は一切関与しないまま最初と最期を迎える。


これにも私は『生徒会長の印鑑のみ』と書いたメモを貼り付けて除ける。

あと一枚、というよりそれは封筒だった。

宛先等は一切記入されておらず、テープで封をされてもいない。

中身を確認すると便箋がひとつ入っていた。海外からのエアメールのようだ。

これには宛先が書かれていた。


『本条 茉莉花 様』


(これって確か...生徒会長の名前だっけ)


普段から名前で呼ぶことが全く無いから記録は曖昧だが、あまり関係ない。

中身を確認することもなくそれを封筒に戻すと除けていた二つの書類と重ねてから生徒会長のデスクに置く。


(...これでいいかな)


依頼された仕事は全部消化した。時計を確認すると時間はもうすぐ5時を迎えようとしている。

私は椅子の横に置いてあるカバンを拾い上げてデスク上を片付ける。

パソコンをシャットダウンして静寂を取り戻す。

幸い生徒会長のほうのパソコンは起動していなかったので手間が省けた。

デスクに広げられたそれらも現場保存ではないけれどなにも触れないでおこうと思い、そのままにしておいた。

ドアのすぐ近くの換気扇と電気のスイッチをを消すと、そのままドアに鍵をかけて閉める。

エレベータを使って一階へ降りると、管理室へ足を運んで鍵の返却を行う。

記録用紙に返却時間をボードに記録してからようやく私はここから出ることができた。



外はまだ雨が降り続いている。

曇りがかった空は灰色のコンクリートを一層陰鬱な薄暗さでコーティングする。

だが私の心は晴れていた。桜の好きな雨が降っていて、こんなにも早い時間に桜に会いに行ける。

いつもより一緒にいられる時間もその分長くて構わない。

あの笑顔が見たい。

私は傘を広げてから校舎を後にする。

病院までは多少時間はかかるけれど徒歩で向かおうと考えていたが、

その途中ちょうど病院前に止まるバスが来ているのを見つけて乗ることにした。

少しでも早く会いたい。こんなにも無邪気になれるのは桜だからだ。


大切なのは桜と桜の世界だけ。


何度も頭の中で繰り返す。自己暗示にも似た執着に真っ直ぐに向き合える。

病院前に着くまで私はずっと桜のことばかりを考えていた。他の事なんてどうでもいいくらい、一途に。


感想、指摘等頂けると非常に嬉しいです。

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