ちょっとどうしたの?
すみません。遅くなりましたー。
驚くことに、でも考えてみたら当然のことに、彼女は初めて太朗を伴っていなかった。一人だったのだ。
「 太朗は?」
不思議に思って問う俺に運転席の彼女がすこぶる硬い声で言った。
「 無理言って家に押し付けてきた」
「 連れてくれば良かったのに」
呆れて言う俺に彼女がまた緊張したような横顔で答えた。緊張?
「 だって太朗がいたら気になっちゃって、落ち着いて考えられないのよ」
「 何を考えるの?」
俺が聞くと黙り込んでしまった。
「 まあいいけど、どこ行くの? 」
彼女は初めてちらりとだけど俺の方を見た。
「 どこか行きたいとこある?」
「 いや、別に」 あなたと一緒だったらどこでも良かったんだけど、今日で最後なのかもね。そう思うと面白くなくなった。
「 じゃあ取り敢えず出すね」
彼女はそれから一言もしゃべることなく、一時間近く車を走らせ続けた。
だんだんと緑の多くなっていく風景を眺めて、こっそり彼女の横顔を盗み見て、沈黙の車内を最初のうちこそまったりと、それでいてこれからの展開を想像し辛くもなりながら過ごしていたがそろそろ耐えられなくなってきた。
「 ねえ、どっか目的があって走ってんの?」
どうも俺の存在を忘れられているような気がして、こちらを見向きもしない彼女に声をかけた。
彼女ははっとして、こっちを振り向いた。
「 やっぱり、俺が乗ってんの完全に忘れてたろ。俺乗ってる意味あんの?」
流石に嫌味っぽい言い方になった。こんなに長く忘れられてたらそりゃ嫌味のひとつも言いたくなる。
しかし彼女は聞いていなかった。
「 ここどこ」
愕然とした彼女を見て、俺も愕然とした。なんだって?
「 なに」
「 ごめん、考え事してたら、ねえ、どのくらい走ったの?」
「 えー。自分で運転してたんだろ?1時間くらい走ったよ」
彼女はうろたえて叫び始めた。
「 うそー!どこー!ここどこー!?」
道なんか誰かその辺の人間を捕まえて聞けばいいんだからと、彼女を納得させ落ち着かせるために路肩に車を止めさせた。
「 そうだね。良かった。一生戻れなくなるかと思った。ところで本当にここ何処なんだろうね」
落ち着きを取り戻した彼女の言葉に周りを見渡すが、なんだかだだっ広い山の中の主要道路って感じで遠くに民家はぽつぽつ見えるけど車以外の姿がなかった。
「 どっか店でも入らないと道聞く人間に出会えないかもな。適当に進んでみよう」
しばらく行くとコンビニがあった。山の中でもコンビニが溢れている時代でよかった。
コンビニの店員に道を尋ねると地図を出して現在地を説明してくれた。
彼女は、俺を拾ったコンビニからただひたすら北上してきた様だった。とにかく帰り道は簡単だった。
「 良かったー。なんとか帰れそう。帰ったら絶対ナビつけよう」
それから俺の方を向いて情けない顔をした。
「 ごめん。呼び出しておいてこんなことしちゃって」
硬い声と表情がハプニングの所為で少しは和らいでいた。
「 良いよ別に気にしないで。ドライブしただけだろ」
まあ一言も会話のない寂しいドライブだったけどな。
「 さっきの店員足湯あるって言ってたじゃん。行ってみようよ」
眉尻を下げ、物凄く変な顔をした彼女が頷いた。
コンビニでもらったすごく観光する場所の少ない観光マップに頼り、足湯を見つけた。
「 だーれもいないな」
細長い形の東屋の下に通された澄んだ湯からは湯気が昇っているが、人っ子一人いなかった。
「 いないねえ。すごく綺麗だけどねえ」
彼女が見ているのは湯ではなく景色だった。足湯につかりながら山からの景色が一望できるように設計されているらしい。一望と言っても、山しか見えないが。まあ視界がほぼ緑と空色でいっぱいっていうのは思いの他気持ち良かった。
「 もうちょっとしたら紅葉でお客さんが増えるんだろうねえ、きっと」
なるほど、紅葉か。今まで紅葉など漢字の読み方以外で俺の頭に登場したことはなかったが、確かにここから紅葉が見られれば絶景だろうな。
「 そうだな」
彼女が俺を見上げた。
「 足湯入る?タオルはあるよ」
「 ああ、せっかく来たから入る」
俺が言うと、彼女は車の後部座席に頭を突っ込みタオルを引っ張りだした。
「 乗せっぱなしで良かったー。あ、太朗のお腹にかけただけだから汚くはないと思うよ」
こういういい加減なところを見ても、もはや可愛いと感じるだけだな。
これから、もう会わないと告げられるのだと覚悟しているはずなのに、彼女を諦められる気は全くしなかった。どうすりゃいいんだろうな。
並んで足湯の淵に腰掛けると、彼女がパンツの裾を捲った素足を湯に浸けた。
「 あー気持ちいー」
彼女が思わずと言った風に溜息混じりで呟いた。変なことを想像してしまわぬよう、彼女の足から視線を逸らし前方の景色を眺めた。山しかない。手前にも向こうにも山だ。しかし良い気分だった。
時折涼しい風が吹き抜け、揺れる彼女の髪が視界の隅に入った。木の枝葉が揺れる音と、鳥の声くらいしか聞こえない静かな場所で風に吹かれていると、その風が心の中のわだかまりやもどかしさを洗い流していくようだった。しばらく二人とも無言で景色を眺めていた。
暖まって眠くなってきたな、そう思った時だった。
「 おわ!?」
不意に隣の彼女の身体が前に傾いだ。
焦って捕まえ引き寄せると、ぐったりと俺の身体にもたれてきた。
「 ちょっとどうしたの?」
尋ねるが反応がない。俺の膝へ崩れ落ちそうになる彼女の身体を抱えなおし、顔を覗き込んだ。一瞬目を疑い、そして安堵した。
「 マジで?寝てんの?」
彼女はすやすやと居眠り中だった。まあ、失神とか発作じゃなくて良かったな。びっくりした。
彼女の身体を抱えなおし無理のない体勢を探す間も、一向に起きる気配はなかった。
酷い音を立てている俺の胸にピッタリと頬をくっつけて、気持ち良さそうに寝ている。
まあ、もう、これでいいか。起こさない方がいいよな。運転帰りも長いし。
背をもたれる壁さえもなく楽とは言えなかったが、自分の後ろについた腕で俺の胸にもたれかかる彼女を支える形に落ち着いた。
俺は座椅子だ。だから手を回してはならん。手で彼女を触るのはアウトだ。
と最初に決意したものの、あのおんぶ以外で自分の身体にこれほど好きな異性を密着させた経験もなかった俺が、長時間耐えられるはずもなかった。
一昨日抱きしめたときは俺の胸と彼女との間に彼女の腕があったし、彼女はかなり身体を緊張させていたのだろう。
おそるおそる背中に手を回してみると、彼女の身体は驚くほど華奢でふにゃふにゃで、柔らかくて頼りなかった。まるで子猫を抱きしめているようだった。
俺の着ているTシャツ1枚と彼女の薄いブラウスごときでは、到底彼女の身体の感触は遮れず、やはり出ているところが柔らかく自分の身体に押し付けられ意識せずにはいられなかった。
片手を彼女の背に回したまま、俺の顔のすぐ近くにある彼女の頭を撫でてみる。髪を触っても身動きすらしない彼女の頭を手のひらで包みぎゅっと胸に押し付けた。
どうにも止まらず彼女の髪に唇を押し当てた。息を吸い込むと汗とシャンプーの甘い匂いがした。
何やってんだ俺、変態だ。
慌てて両手を自分の後ろに戻し、もう一度彼女に触らない努力を始めた。




