どうせ
太朗の着替えの手伝いは意外に難なく終わったが、それからが不味かった。いざ俺が着替えようとすると、太朗が俺の傍から離れ走り出したのだ。
「 こら!待てって!」
ほとんど脱げていた水着を足から蹴り飛ばすと、腰にタオルを巻いただけの格好で視界から消えた太朗を追いかけた。
更衣室の床も濡れている。あんな勢いで走れば滑るに違いない。胆の冷える思いで太朗を探すがロッカーで死角だらけの更衣室の中には見当たらず、待合に飛び出した。
「 太朗!」
周りを見渡すとすぐそこで、彼女に捕獲されている太朗の姿が見えた。
「 ああ太朗お前、俺が着替えるまで待てよ・・・。びっくりすんだろ」
泣きもせずにこにこしている太朗を見て、転びはしなかったのだろうと判断した。胸を撫で下ろした俺に彼女が申し訳なさそうに言った。
「 ごめんお兄ちゃん。やっぱりあたしがやれば良かったね」
そうか。 太朗のこの行動も想定内か。卑屈に邪推しないでちゃんと彼女と話せば良かったのか。
ひとり反省していると、彼女が今日ここで会った時のような、困ったような顔をしていた。
「 お兄ちゃん。着替えて来て。心臓に悪いわ」
は?彼女が気まずげな表情で口にした予想外の台詞の意味が即座に理解できず、彼女に怪訝な顔をむけていると、その視線が俺の腹辺りをチラ見した。わ!もしかしてタオルの中を想像されてる?
慌てて彼女に背を向け、落ちないようにタオルを掴んで更衣室に戻った。
俺の身体見てドキドキして心臓に悪い?いや、ないだろ。タオルが落ちそうで心臓に悪い方だよな。そうだよな。
いや、例え競泳水着の俺を見て意識してたとしても、俺が高校生なのは変わらない。何も意味なんてない。そう自分に言い聞かせると、ぬか喜びしそうになっていた気分が一気に下がった。
太朗は丸いテーブルの席について、紙パックのジュースを飲みながら俺を待っていた。いや、太朗はジュースで座らされていただけで、俺を待っていたのは彼女か。
「 お兄ちゃん。何か飲むー?」
彼女が俺を見つけて笑顔で言った。さっきまでの変な顔を気配もない。
「 ああ良いよ。持ってるし」
ペットボトルを振りながら言った。
「 そう?送るからちょっと待っててくれる?」
彼女が太朗を見ながらそう言った。
「 ああ、はい」
太朗の横の椅子をひいて腰掛けると、彼女とテーブルを挟んで向き合う形になった。
「 太朗見てた?」
「 勿論。結構ちゃんと練習してたね。びっくりした」
「 こいつやっぱちゃんと習わせた方がいいかもな。オリンピック選手とかになれるかもよ」
彼女が楽しそうに笑った。
「 あははーそりゃ良いね。でも、お兄ちゃんも言ってたじゃん。太朗が順番待ってられると思う?お兄ちゃん一人も待てないのに」
さっきの更衣室でのことだろう。
「 ああ、確かに。習い事はもうちょっとしてからだな」
あれをもし、彼女が着替えさせている時にやられるとどうなるのだろう。
「 着替え中の脱走、あたしも母親と温泉に連れてった時にやられたことあるのよー」
俺の思考を読んだような話を始めた彼女が苦笑いした。
「 え?どうしたのその時?」
「 当然お兄ちゃんと一緒よ」
え?一緒って?冗談だろ。
「 全裸にタオル1枚で脱衣所から出たわよ」
「 マジで!?」
デカい声をだした俺を若干引いて一瞥してから、彼女が遠い目をした。
「 大きい温泉施設だったから人も多くて、あの時は死ぬほど恥ずかしかったわ。でも今よりさらにチョロチョロが酷かったし、すぐに捕まえないと建物の外まで必ず飛び出す子だったからね・・・」
身体にバスタオルを巻いただけの濡れた彼女が、男性客どものいやらしい視線に晒される場面を想像しムカついてきた。
「 説教が必要だな」
太朗に対して初めて腹を立てて呟いた俺の声が聞こえたのか、彼女が冷めた目で俺に言った。
「 説教して通じるなら、さっきお兄ちゃんあんな目に遭ってないからね」
「 じゃあ大人の着替えが必要なところには絶対行くなよ」
半目でそう返すと、彼女が俺を見て表情を変え、吹き出した。
「 そんなに心配しないでも、今は大丈夫よ」
「 何で?現に今日走っただろ?また裸で追いかける気?」
しつこく文句を言う俺に彼女が可愛い笑い声を大きくした。
「 コツがあるの。太朗の襟首掴んだまま着替えるのよ」
呆れた顔を隠せなかったが、その様子を想像して最終的に吹き出した。
やってそう。キレ気味に小さく太朗に怒鳴りながらやってそう。
「 大変だな、太朗の母親って」
笑いながらそう言うと、彼女が笑顔のまま嬉しそうに答えた。
「 でしょー?家族以外ではお兄ちゃんが一番分かってくれてるわよ」
そう。そんな可愛い顔で、俺を有頂天にさせるような言葉を吐いたって、どうせ太朗の父親候補としては見てくれないんだろ。
また卑屈な考えが浮かび、嬉しいのに、辛くて、素直に喜ぶことなんて出来なかった。
強張っていく俺の表情を見ながら、せっかく可愛かった彼女の笑顔が変なあの笑みに変わって行くことが悲しかった。




