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やっぱり、凄く胸が痛い


力強くいけそうな気がする!と言ったわりに、俺の想像を遥かに超えて彼女は虫が駄目だった。


俺の手のひらに乗せたてんとう虫を、太朗がしゃがんで覗き込んだ。その後ろから、彼女がそうっと顔を出した。

一緒に観察なので、まさに今、てんとう虫談義で盛り上がって欲しかったのだが、俺の指を上りきったてんとう虫が飛び立った。

瞬間、彼女は小さく叫んで目を瞑り、身をすくめて固まってしまった。びっくりした。てんとう虫が飛んだくらいで、巨大ゴキブリが自分めがけて飛んできたような反応だった。

彼女の近くでバッタが飛んだ時にはもっと酷い反応だった。声も出ず、青ざめて固まる、みたいな。


「 無理そうですね。俺と太朗で済ませるから離れて見てて」 

彼女にそう言うと、ほんとに可愛そうになるくらい哀しそうな顔で、「 ごめん」と項垂れてしまった。

最初は俺に丸投げしそうな様子だったが、彼女としても、太朗と一緒に虫観察をしてやりたい気持ちになっていたのだと、その悄然とした表情から良く分かった。

ひとまず太朗の手に俺が捕まえたてんとう虫を乗せたりして遊び、課題を済ませた。



「 飛ぶ奴が苦手なんですか?」

木陰のベンチに並んで腰掛け、ダンゴムシ探し中の太朗を眺めながら、浮かぬ表情の彼女に尋ねた。

セミが鳴き始めると滅茶苦茶煩くなるけど、大きな樹が多いと晴れた真夏の公園もわりと心地よく過ごせるんだなと思った。

まあ、暑いのは暑い。汗もかく。

彼女が熱中症予防にって、太朗にも俺にも何本もスポーツドリンクを買い与えてくれたので、一層汗が出る。

帽子をかぶらされた太朗は、何か見つけて座り込むたびに彼女に木陰にずらされている。

せめて走ってる時以外は涼んでろってことだろう。


「 うーん、そうなのかな。でも飛ばないのでも怖いのはいる」

「 怖いんだ、嫌なんじゃなくて」

日光の下ではつばの広い帽子に長そでシャツといった出で立ちで暑そうだった彼女も、流石に木陰ではふうと息を吐いて帽子を取った。

ぱたぱたと帽子で顔を扇ぐと、汗で湿り気を帯びている様に見える髪が重たげに揺れた。

この間も思ったけど、俺この匂い駄目だな。

汗とシャンプーの匂いが混ざった様な、甘い汗臭さが何かもう駄目だ。

皆好きな女の子の汗の匂いでムラムラしたりするんだろうか。もしかして俺だけ変態? 

慌てて太朗に視線を移した。いやいや、今話題は虫だ。汗でも変態嗜好でもない。


「 あっついねー。どうかなー。見るもの嫌なんだけど飛んでくると怖いのかも。虫じゃないけどカエルももの凄く怖いし。ああでも、カタツムリもすっごーく嫌」 

予想外の生物が出て来て思わず彼女の横顔に視線を戻した。

「 カタツムリ?あんなの嫌とか好きとかじゃなくてどうでも良くない?ナメクジならともかく」 

ちょっと怒った感じで俺を睨んだ可愛い彼女と目が合う。

「 どうでも良くない。どっちもすごく嫌。知らずに踏んじゃったら嫌だし。バッタも踏んだら嫌っていうのもある。捕まえると脚が折れたり取れたりして怖いし。ちょうちょも触ると羽が壊れてすぐ死んじゃいそうで怖い」

なるほど。


「 でも、ほんとに、子供の頃は大丈夫だったのよ。トカゲもカエルもミミズもバッタも平気で掴んでたし。でも何故か大人になったら見るもの駄目になってて」 

「 ミミズ掴んでたの?わりとすごい女子だったんですね」

「 そうよ。あたしすごかったのよ。なのにこんな情けないことに」 

落ち込む今の彼女と、ミミズを振り回す想像の中の幼い彼女を比べて勝手に面白くなった。

「 どうして笑うの?深刻なのよ。逆上がりも、大人になって出来なくなってるのに気付いたときはへこんだけど、それ以上に深刻なの。太朗が虫捕まえたら、来ないでって大声で怒鳴りつけたくなるんだから」 

へこんでる彼女は可哀想だけど、話の内容が可愛くて仕方なかった。

「 逆上がりも出来なくなったんだ?」 

笑いながらそう言うと怒られた。

「 今大事なのはそこじゃないの!」 


俺が大丈夫で彼女が大丈夫じゃないことが話題のせいか、年の差を感じず彼女と対等であるような、むしろ俺の方が年上みたいな初めての気分だった。

「 ごめん。でも、しょうがないよ。無理して大丈夫になる必要もないんじゃない?」 

彼女は俺を覗き込み、真意を窺うように確認した。

「 そう思う?」 

可愛かった。

「 思う。きっと、近づいたり触ったりしてすぐ傷つくような弱そうなのが嫌いなんでしょ。嫌いって言うか、傷付けるのが怖いというか傷ついたところを見るのが怖いというか」 

彼女は俺の顔を見たまましばらく考えた。

「 そう、かもね。確かに、蛇とか頑丈そうなのの方が平気かも」

蛇大丈夫なんだ。にやにやしてしまったが、辛うじて吹き出すのは堪えた。 

やっぱり可愛いなあこの人。



太朗が戻ってきた。

手にてんとう虫をくっつけている。

「 ぼくじぶんでとったー」 

得意げだ。彼女はいつ奴が飛び上がるかと無意識のうちにおびえているのだろう。見るのも辛いという感じだ。

「 やったな太朗。あっち行って飛ばしてきな。指の一番上まで上ったら飛ぶぞ」 

自分の指を立てて見せると、太朗も真似して指を立て、走って行った。

「 平気にならなきゃ生きてけない訳じゃないし、太朗が虫好きなんだから、飛んできそうだったら太朗に助けてって言えば良いんじゃない?」

俺にでも良いけどさ。

「捕って遠くに持ってってくれるよ」 

太朗を追いかけていた視線を彼女に戻すと、口角を下げ泣きそうにも見える顔をしていてびっくりした。

「 そうだね。そうしよ」 

すぐに笑顔に戻った彼女が、明るくそう言った。



帰りの車の中で、やはり太朗はすぐに寝た。

「 ほんと寝るの早いな」 

「 家でその分寝なくなるから、本当は車の中で寝て欲しくないんだけどね。寝るな!寝るな!って言いながら運転する訳にもいかないし。車ってすごいのよ。幼児の寝かし付けに」

「 そうなんだ」 

今日の虫取りのおかげで、使い慣れない丁寧語なしに、自然に彼女と会話できるようになった気がする。

「 お兄ちゃんさ」 

「 はい?」 まあ返事ぐらいちゃんとしてもいいだろう、実際恐らく10近く年上なんだから。

「 3年生なの?」 

「 いや、2年です」 駄目だ。ですます抜けてなかった。

「 そうなんだ。夏休みも授業受けてるみたいだから、受験生なのかと思った」 

ちょっとほっとした感じだった。受験生を虫取りに引っ張り出したと気にしていたのかもしれない。

そう言えば、旦那どうした。肩車できないうえに、虫も駄目なのかよ。

「 選択で朝1時間取ってるだけだから」 

「 へーでも偉いよ。2年生から勉強頑張ってるなんて。頑張らなかった大抵の大人が思ってると思うけど、あたしももっと勉強しとけば良かったって思うし」 

「 そうなんですか?」

彼女が俺を見て苦笑した。

「 うん。まあ勉強と言うより、就職活動に関わること全部かな。もっと頑張れば良かったって。でも有利にするにはやっぱり高校で勉強頑張るとこからやり直した方がいいもんね」 

就職をもっと良いところにしたかったってことだろうか。旦那の稼ぎが悪いのかな。旦那よ、良いとこ有るのか?もしやマッチョなだけ?前を向いて考え込む俺に彼女が続けた。

「 あたしみたいに後悔のない様に、なるべく早めにいっぱい頑張るのだよ、お兄ちゃん」

彼女がわざとふざけた調子で俺に笑いかけたが、何だか高校生に対する決まり文句ってわけじゃなく、本心からそう思ってるんだろうなって感じだった。

彼女の旦那にだけは負けない稼ぎの仕事につこうと決意した。まあ、稼ぎどころか何やってる奴かも知らないけどな。 

「 はい、頑張ります」

俺の好きなこの人が、稼ぎも悪くて虫も駄目で肩車も出来ないような男のものなんだと思うと、やりきれなくて胸が痛かった。

 



別れ際、動悸と共に悶々と温めていた台詞を、ようやく口に出すことが出来た。

「 あ、太朗が、飛行機とか肩車とかやりたがったら、連絡して下さい。夏休み中は部活終わりが17時くらいのこと多いから、幼稚園に寄ってもいいし、日曜休みも多いし」

自分の顔がどうなっているのか緊張で分からない。引き攣ってなければいいけど。でも、言えた!

彼女が運転席の窓から嬉しそうに笑ってくれた。

「 ほんと?」 

ああ良かった。言えて良かった。

「 はい。太朗めちゃくちゃ興奮するから面白いし」 言えて良かったけど、我ながらどんな理由だよ!

「 えー、そんなこと言って良いの?本当に連絡するよー?」 

彼女がいたずらな表情で俺を見上げた。可愛い。本気なの?大人の冗談なの?社交辞令?ほんとに、お願いだから連絡して。

「 どうぞ」 

必死さのあまり、答える声がふるえてしまいそうだった。


「 おにいちゃーん?ばいばいなのー?」 

太朗が起きたようだ。浅く息を吐いて、車内の太朗を覗き込んだ。

「 ああまたな。飛行機と肩車したくなったら電話しろよ」 

太朗が煩く言えば、彼女がしぶしぶでも連絡してくれるかもしれない。

「 ぼくでんわもってないよー」 そうだな。お前は確かに電話持ってないだろうな。

「 母ちゃんに言ったらかけてくれるよ」

太朗がきょとんとした。

「 かーちゃんてなにー?」

彼女が可愛らしく吹き出した。

「 おかあさんだよ。おかあさんに言って俺に電話して貰えよ」

「 はーい」 

こいつも可愛いんだよなあ。にこにこしている太朗に手をふる。


「 じゃあ、今日もありがとう。またね」 

彼女が遂に、お決まりの別れの言葉を口にした。

また、はいつ来るんだろうか。もしかしたら来ないのかもしれない。これが最後なのかも知れない。可愛い太朗と、そしてこの人と交わす最後の言葉なのかも知れない。

「 はい」 

やっぱり、凄く胸が痛い。










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