あのね、えーっと
今日も課外の後部活に出て、寄り道もせずさっさと帰宅した。
去年はバイトを入れていたため部活帰りにバイトに行く感じだったが、今年は彼女のことで休み前にバイトを探す余裕もなかったし、随分ゆっくりした夏休みだ。
不純な動機で受けることを決めた課外授業だったが、バイトをしていないせいか特に眠くもならず、意外にちゃんと勉強している。
俺、彼女のおかげで成績上がるかも。
今日のように午後の部活の日は特に、帰りを太朗の迎え時間に合わせることも難しくはないのだが、未だに出来ないでいた。
気持ち悪く思われるのではという不安と、会えても彼女への思いがつのるだけだという自制とがあった。
ああでも、しゃべりたいなあ。明日部活の後、偶然っぽく園の前を通ってみようかな。等と、今まで何度も考えたことをしつこくベッドに転がって考えていた。
バッグの中で携帯が鳴った。俺に電話してくるのは、休み中に限らず政木くらいしかいない。悲しいことに斉藤はかけてこない。まあ俺も、よっぽどの事がない限り人に電話なんてかけないけど。
何の為に携帯持ってんだろうな、俺。
寝転がったまま無理やり手を伸ばしてバッグを掴み、携帯を取り出した。
目に入った表示に久々に心臓が止まりそうなほど強く打ち、続いてばくばく鳴り出した。
彼女からだった。慌てて通話ボタンを押す。
「 はい」
ばくばくが煩い。彼女の声がちゃんと聞こえるだろうか。携帯を耳にあてたまま、通話音量を最大にする。情けなくも指がふるえていてもどかしかった。
「 今晩は。お兄ちゃん?ええと、太朗の母です」
「 今晩は」
何を話していいのかまったく頭が働かず、言葉を続けることが出来ない。
「 今大丈夫?」
俺の様子がおかしいからか、彼女の声に不安が混じったように思えた。
「 あ、はい。大丈夫です」
「 良かったー。急に電話してごめんね」
「 いえ、大丈夫です」
そうは言ったが、やっぱり俺のぎこちなさが伝わったのか彼女の言葉が途切れた。まずい何か言わなきゃ。
「 えっと、太朗元気ですか?」
彼女が微笑んだような気配がした。
「 うん、元気いっぱい。お兄ちゃんに会いたいってー」
彼女の声がやっと穏やかになった。笑っているに違いない。良かった。
「 あ、そうなんですか?」
「 うん、飛行機やって欲しいって言ってる」
現金な奴だな。それは俺に会いたいんじゃなくて、飛行機やってくれる奴なら誰でも良いってことだな太朗。
「 ああ、飛行機か。いつでもやりますよ。飛行機でも肩車でも」
太朗の事で笑っていたら、何気なく凄い事が言えた。
「 ほんと?嬉しーい、ありがとう!」
馴れ馴れしかったよな。鬱陶しがられたらどうしよう、と言う不安を吹き飛ばすように、彼女の声がトーンを上げた。まじで。しかも喜んでくれてる!
もしかしてまた会えるのかな。そのための電話だったりするのだろうか。それなら太朗でかしたぞ!
ばくばくする心臓を抑えるよう努めつつ、彼女の言葉を待った。
「 あのね、えーっと、今日電話したのはですね」
彼女が変なしゃべり方をして、変なところで言葉を切った。
「 はい?」
「 えーっと、お兄ちゃん、勉強とか部活とかで忙しいと思うんだけど、あのー」
何だろう。何かのお誘いの予感がして心臓が破れそうに痛いんだけど、どうしよう。
「 はい?」
「 お兄ちゃん、虫、虫大丈夫な人?」
「 は?」
今なんて言われた?
「 ごめん!突然何かと思うよね」
虫って言ったよな。2回言ったもんな、間違いない。
「 いや、大丈夫ですけど、虫ってゴキブリですか?」
ゴキブリが出たんだろうか?
「 え!?ゴキブリも大丈夫なの?」
「 大丈夫っていうか、好きじゃないですけど何ともないです」
何の話なんだろう。ベッドに正座してかちこちに緊張して虫の話?
「 お兄ちゃん、頼もしいね!」
ゴキブリの話題で落ち着いてきていた心臓が、その台詞でまた酷く鳴りだした。
「 あのですね。・・・実はですね、ゴキブリじゃないんだけど、お願いがありましてー」
また彼女が言葉を切った。
「 はい」
「 あのね、幼稚園から宿題が出てて、虫取りなんだけど、あたし虫が非常に駄目で、お兄ちゃんがもし暇な日があったら手伝って欲しいの、ですけど」
うっわ!ウソだろ?マジで?やった!また会えるの!?
「 あ、はい。大丈夫です、やります」
「 やった!良かったー!」
マジで会えるの?俺の方がやっただよ!
両手を握って喜びを噛みしめた反動でジャンプしてしまい、ベッドの上に立ち上がって足を踏み鳴らした。
鳴らないけど、ボスボス言うだけだけど、この叫び出したい喜びの衝動を逃すには身体を動かすしかなかった。
「ありがとう!お兄ちゃんやっぱり優しー。良かったお兄ちゃんにお願いして!」
優しいわけじゃなくてあなたに会いたいだけなんですけど、俺もありがとう!俺に頼んでくれてありがとう!
たった今までしどろもどろだったのに、一転して大喜びの彼女がすごく可愛くて、もう一度布団の上でバタバタした。




