(第25話) 少年Mの 下心
ざわざわとした 町の音も、いっさい 耳には届かなかった。
通行人が 振り返る姿も、気にする余裕なんて、まったく無く。
「…… レンちゃんが、あんまり可愛い顔をするから、うっかり 《フライング》しちゃった」
ぺろりと 舌をだして、ウインクする 少年。
間違えなく、自分が知っている 《高遠 雅》なのだが。
――― 今のは、誰?
背後から 抱き締めて、耳元で 甘くささやかれて。
自分を、一瞬で 捕えたのは、いったい 誰?
「…………」
「ふふっ。 レンちゃんてば、大丈夫? …… 場所、変えよっか?」
いたずらっぽい声に、ここが 歩道の ど真ん中であることを思い出す。
「えっ…… わっ ……」
会社の近くで、駅までの通り道 ――― もしかしなくても、見物人が いっぱいだ。
「レンちゃん、走って!」
「わっ ……」
帰るつもりだったのに、何故か 目的とは違う方向へと、雅は走り出す。
「ちょっ …… 雅くん!?」
「えへへっ …… ごめんね、もう少し 僕に付き合って!」
イヤだと言いたいのに、うまく言えない。
走っているせいで、呼吸が乱れているからなのか。
可愛い 年下には、基本的に 弱いのか。
「………」
しっかりと握られた手は、解けそうもない。
おかしいな、どうしてしまったのだろう。
まるで、《魔法》にかかったように、言われるがまま。
夜の街を 駆け抜けていたのだ。
※ ※ ※
「はい、とーちゃく!」
「……… ?」
それから ほどなくして、雅は あるマンションの前で 足を止めた。
「いきなり走って ごめんね。 …… 苦しい?」
「…… 正直、長距離は 苦手デス ……」
酸素が足りなくて、クラクラしそうだ。
「ごめん、ごめん。 早く、二人きりになりたくて!」
「…………」
そんな 恥ずかしいセリフ、どこで覚えてきたのだろう。
いくら 飛び級して 《大学生》とはいえ、彼は まだ十八歳。 未成年なのだ。
いろいろな意味で、心臓に悪い。
「あのね、ここ 僕んちなんだ」
「え?」
「正確には、僕の 《持ち物》。 たまたま 一部屋空いたから、しばらくは ここに住むのもいいかと思って、荷物とか 運んじゃった」
「…… はい?」
さらりと、スゴイことを 言われたような気がする。
「持ち物って ―――」
つまりは、マンションの持ち主という意味だろう。
学生の分際で、なんたる贅沢者!
「ちがうよー。 これは、僕が株で儲けたときに、買ったヤツだもん。 そんなことは いいから、中に入ろ?」
…… いったい、いくら儲けると、マンションが丸ごと 購入できるのか。
知りたいような、知りたくないような。
「あ、そうそう。 ちゃんと レンちゃんの お家に電話して、おかーさんの 《許可》取ってあるから、安心して?」
「え! ウチに電話したの!?」
「もっちろん。 だって、真面目なレンちゃんが 帰宅しなかったら、おかーさん心配するでしょ?」
「それは ……… 」
この歳になっても、我が家の 《門限》は、いまだに 午後七時半だった。
別に、娘の身を案じてのことではなく ――― ただ単に、その時間に帰ってこないと、夕飯の時間が遅くなる…… というのが理由である。
夕飯の支度は いつも自分の 《役割》であり、よほどのことがない限り、それは変えられない。
仕事帰りの 《自由》なんて、自分には 存在しないのだ。
「…… 夕飯作ってくれるなら、私じゃなくても いいんだろうけどね」
葵たちの 介入があった時だけ、帰りが遅くても 許されたが ――― 結局、夕飯を作らなかったことに対する 母の《イヤミ》は、当然 後日受けることになる。
「痴漢にも 遭ったことのない娘なんか、母は 心配なんかしないよ ……」
家政婦のような存在にしか、きっと考えていないのだろう。
何をするにも、いちいち 母は面倒なのだ。
「僕は、心配だよ。 レンちゃん 可愛いから、誰かに連れていかれやしないかって」
「…… そんな人、誰もいないよ」
童話などでは、必ず最後に 素敵な王子様が現れて、夢のような世界に連れて行ってくれる。
けれど、所詮 それは作り話。
王子様だって、相手を選ぶ。 どうせなら、可愛らしい姫に 恋をするだろう。
自分には、まったく縁のない話だ。
「 ―――― じゃあ 僕が、攫ってもいい?」
「…… はい?」
聞き返したとき、マンションのエレベーターの扉が 開く。
「あ、着いた。 レンちゃん、来て!」
「………」
にこにこと、可愛らしい笑顔に 誤魔化されそうになるが ――― 今夜の 雅は、どこか おかしい。
いつもと、何かが 違う。
「はーい、ここが 僕の部屋でーす。 ささ、どうぞ、お姫様?」
「えっと …… お、お邪魔します……」
違和感を抱えつつも、流されるまま 足を踏み入れる。
そこが、相手の 《本拠地》であり、自分にとっては 一番 《不利》な空間だと気付かずに。
「…… レンちゃんの 会社から、すぐ近くでしょ? いい所 買ってあったなーって、一人で 喜んでたんだよねー」
「確かに …… すごく、近いかも」
アイボリーで 統一された部屋は、想像を裏切り、シンプルで 大人っぽい印象を受けた。
洗練されたデザインに、高級感と 色気が、どことなく漂う。
雅なら、もっとカラフルで、ポップな家具とか 置いていそうなのに。
「どうかした?」
「ううん ……」
さっきまで 繋いでいた手を 何となく思い出す。
固くて、自分よりも 数段大きい、《男の人》の手だった。
「ね、のど渇いたでしょ? ジュースでも飲まない?」
「うん ………」
そういえば、自分と雅は、こんなに 背の高さが違っていただろうか。
アイドルみたいに可愛くて、華奢な少年 …… この背中を見て、本当に、そう言える?
自分の 認識が、間違っていたとしたら?
「レンちゃん? …… どうしたの?」
「えっと ……」
よく考えろ。
さっきまで、自分は 何をされていた?
歩道の ど真ん中で、後ろから 抱き締められて ――― 。
「…… レンちゃん?」
「!」
感じていた 違和感の正体、それは……。
「可愛い顔して、あんまり 煽らないでって ………… 僕、言ったよね?」
甘い雰囲気が、足元から じわじわと 広がり始めていた。
頭の中で、何かのサイレンが鳴る。
これは、誰?
本当に、あの 雅なのだろうか?
「フライングじゃ、済まなくなっても ……… いいの?」
彼の瞳には、自分の顔だけが映っていた。
どうしよう、視線が 外せない。 声も 出ない。
「……… ねぇ、レンちゃん?」
もしかしたら、彼は。
自分が 思っている以上に、ずっと ――― 《大人》なのかもしれない。
※ ※ ※
「……… ダメだわ、呼び出しているのに、出ない!」
「雅の方も、ダメだね。 電源を切っているみたいだ」
ホテル・クラウンの最上階、いつもの 一室。
一ノ瀬、仁科、奈央、 そして ゆず子の 四人が集まっていた。
「……… おい、まさか」
「二人が 一緒にいると考えるのが、妥当だろうね」
「ちょっと 待ってください、レンの家に かけてみます!」
「…… 葵さんに、連絡した方がいいですか?」
「いや、待て 奈央。 葵さんに知れたら、それこそ 東京一帯 《大捜索》に発展するだろ」
「僕は、それの方が いいような気もするけど。 だって ――――」
…… 相手は、あの 《ミヤビ》だよ?
部屋の中に、独特な緊張が走る。
「珍しく、あの子が 《本気》で動いたとしたら、危ないのは レンさんだ」
「…… いくら ガキとはいえ、そこまで 《考えなし》だとは、俺は思いたくないけどな」
「レンの お母さんと、連絡とれました …… 昼間、雅くんから 電話があったって――――」
『ホテルで皆さんと、お食事会するんでしょう? いいわねぇ』
「…… レンのお母さんは、このホテルに、《皆で》いると信じたようです……」
「…… 雅のヤツ、とうとう 動き出したのか ……」
「あの、雅くんて ――――」
「…………… 」
「その沈黙は 何ですかっ」
「…… 狙った 《獲物》は逃さない。 素直なレンさんなんて、あっという間に連れていかれるよ」
「レンの奴 …… いくら 雅が年下とはいえ、ほいほい 男に付いていくなっつーの!」
ゆず子は、愕然とした。
いつまで経っても 恋のひとつもしない 奥手な親友に、恋人ができればいいとは 思ってきたが。
こんな展開は、ちがう。
「仕方ない …… 奈央。 雅が所有している 《物件》を、片っ端から探せ」
「…… 了解」
部屋に設置されているパソコンを立ち上げ、奈央は キーを叩き始める。
「物件って、どういうことですか?」
「ああ …… 雅の実家は 不動産を扱っていることは、話したよね? それとは別に、あの子は 自分で独自に購入した物件が、いくつもあるんだ」
「うわー 、スゴイ話ですね ……」
説明してくれる仁科の隣で、不機嫌そうに 次々と指示を出す 一ノ瀬。
危機的状況でなければ、シチュエーションとしては、ものすごい 《オイシイ》のだが。
「自分の 《城》に連れ込むのは、男の 常套手段だ。 …… あ、遠いところは 外していい、おそらく 近い場所だろうよ」
「了解 …… 近場に絞っても、けっこうな数ですけどね」
何よ、なんだかんだ言って、一ノ瀬さんも、けっこう イイ人なんじゃない。
不謹慎とは思いつつも、ゆず子は 嬉しくなってしまう。
「……… あ、これかも。 去年 買った、このマンション ―――」
「…… うわ、マジかよ」
「これ …… レンが勤めているビルから、すぐ近くじゃないですか!」
終業時間を見計らって、待ち伏せし、言葉巧みに 部屋へと連れ込む。
こんな 幼稚な手に 引っかかる 親友に、ゆず子は 脱力したくなった。
「レンってば …… 幼稚園児じゃないんだから ……」
「どうします? ウチの車、回しますか?」
「あー …… 待て。 奈央は 白石さんと、ここで待機だ。 俺と ハルさんで、強行突入する」
「………… 了解です。 お手柔らかに」
すっと 立ち上がった男 二人は、目配せし合って 部屋の入口へと向かった。
ああ、どうか。 何事も ありませんように。
レンの 《意志》を無視して 何かしたら、この私が 許さないんだから!
仁科が 扉を開けようとした瞬間、外から誰かが 入ってくる。
「あーれー? …… 二人とも、怖い顔して どうかしたの?」
「!」
「雅!」
「えっ」
なんと、そこには。
レンと一緒に 部屋に入ってくる、雅の姿があったのだ。
※ ※ ※
「……… どういうことかな、雅?」
「説明しろ、コラ」
「もー、ヤダな、二人して。 僕が そんな 《人でなし》に見える?」
「………」
「………」
やりそうな 《実績》が過去にあったから、周囲は 心配していたのだが。
「もー レンってば、何回も電話かけたのよ?」
「あれ …… そういえば、サイレントモードにしたままだった」
当の本人は、こちらの 《やり取り》など知らずに、のんきなものだ。
「僕の部屋が近くにあるよって、レンちゃんに見せたかったんだ~。 …… つい 走ったから、のどが渇いちゃって、ジュース飲んでただけだし」
「…… そんな言い訳、俺たちが信じるとでも?」
「だって、本当のことだもん。 ねー、レンちゃん?」
「うん ………」
珍しく、はっきりしない レンの返事に、男二人が詰め寄ったのは いうまでもない。
「おい、歯切れの悪い その返事は何だ? 正直に 白状しろ?」
「そうだよ …… レンさん? 隠し事なんて、僕たちの間には 必要ない。 さあ、いい子だから、本当のことを話してごらん?」
「…… 何もないですから! 二人して、近付き過ぎです! 特に、仁科さん!」
「…… ん? 月城さん、どうかなさいましたか?」
そして、騒動から 遅れること 約十分。
何も知らない 葵が、ようやく到着した。
「何か あったのか?」
「…… いいえ、何でもないんです。 さっ ゆずちゃん、今日は帰ろっか!」
「ちょっ …… 今 来たばかりなのに、ちょっと、レン?」
強引に 自分を引っ張る親友の表情を見て、間違えなく《何か》は あったのだと、確信する。
…… わかったわよ、じゃあ、今夜は ウチに お泊りさせるから。
覚悟しときなさいよ、レン?
「…… それじゃあ 皆さん、失礼します」
「白石さん、下に 車を用意させましたので、お使いください」
「まぁ、いつも ありがとうございます。 それでは、お言葉に甘えて」
「…… おやすみなさい」
レンの家に連絡を入れ、急遽 自分のマンションに連れ帰ることを伝え、出て行こうとすると。
ぼそぼそと 小声で話す 雅の言葉を、ゆず子は 聞き逃さなかった。
『レンちゃんは、みんなが 思っている以上に、《強敵》だよ』
『《本気》になるんなら、覚悟しておいた方がいい』
あまりにも 無垢で、可愛いすぎて ――――
『気を抜いた 《瞬間》、あっという間に 《飲み込まれる》んだから』
※ ※ ※
「…… ゆずちゃん? 駅に向かっているんじゃ ……」
「レン、今日は 私のマンションに お泊りだからね?」
雅くんと、何があったのか。
こんな顔をしておいて、何も無かったなんて、言わせない。
「包み隠さず、報告しなさーい!」
「!」
バスルームから ベッドの中まで、片時も 離れない。 女同士だからできる、究極の 拘束。
「さー、朝まで みっちり、取り調べしようじゃないの」
《手加減》という 言葉を知らない ゆず子の、容赦ない 《追求》が 始まるのである。




