襲撃
俺は夢を見ていた。
朝8時過ぎに起きて、眠い目をこすり顔を洗う。
大学に入学した直後は、毎朝が、1日のきらきらした始まりのように思えた。しかし、そんな日々も長くは続かなかった。大学生活というのは、一種のモラトリアムのようなもの。
あんなに頑張って受験勉強したのに、俺は今、眠い目をこすって講義の消化試合に臨んでいる。
(はぁあ。今日は臼井の講義かぁ。だるいな。サボりたい……)
どうして、こうなってしまったのだろう。合格したときは、将来この国を引っ張ってやるぐらいの意気込みだったのに。
(さてと、朝食かき込んで早く行かないと。この前サボったし、ばっくれたら単位とれないもんな)
洒落っ気のない上着を羽織って靴を履く。この玄関を出たら、今日も退屈な1日が始まるのだ。
「よし、行くか。戸締まりオッケーっと」
今日は天気予報で曇りといっていたから、傘を一応持って家を出る。
「え、あ……れ?」
寮の前は、おどろおどろしい、世紀末の荒野のような世界が口を開けていた。
***
「アアアアアアアアアァァァァッ!」
俺の大声が部屋全体に響き渡る。
(……あれ、夢か? とんでもない夢だったな。もう少しであのおぞましい闇に飲み込まれるところだった……)
落ち着くと、窓から野バトのような鳥が呑気に喉を鳴らしているのが聞こえる。朝の石造りの部屋の中は、しっとりと涼しい。
(あ、そっか。昨日あんなことがあって、この部屋で寝たのか。って、やっぱり異世界に来たのは夢じゃなかったのか……)
昨日は「もしかして」と長い夢かと思ったが、今俺はここにいる。現実だったのだ。
(……顔洗ってこよう)
寝違えたのであろう痛む首を気にしながら、俺は外に出た。
朝霧がノビルモドキの草原を薄くたちこめている。向こうから、太陽はまだ控えに顔をのぞかせている。ここは村のはずれだから、音といったら鳥達の呼びかけくらいだった。胸一杯にしっとりとした空気を吸い込む。
「気持ちいいなぁ。こんなに空気が澄んでるなんてすごいよな」
そこへ、重たそうな瞼をしたガルクスさんがやってきた。
「今日も晴れそうだな。しかし、昨日の今日で早起きだな……」
しばらく二人で朝霧の引いていく様子を眺めていると、段々と眠気が覚めてくる。それと同時に、少しずつ鳥たちのさえずりが盛んになってくる。
すっかりしゃきっとしたガルクスさんが言った。
「さてと、朝食済ましてちょっと休憩したら畑をいじるぞ。そんなに広い畑じゃないがな。でも案外疲れるぞ!」
畑仕事など、汗水流して必死に頑張ってくれる一次産業の人たちにしか縁のない日本に住んでいたが、まさか高校を卒業してからやることになるとは思っていなかった。
***
ガルクスさんの家で昨日の残りと堅めのパンをとると、一息付く。ちょっと顎の筋肉が痛む。
そろそろ耕すのかなと思っていたら、ちょうどガルクスさんに呼ばれた。
「おっしゃそろそろ始めるか。まずは俺についてきてくれ」
俺はタンスの中に収納されていた粗末な貫頭衣に着替えると、家のドアの前で立つガルクスさんのところへ急ぐ。ガルクスさんは右手と左手に2本鍬を携えている。1本は俺用だろう。
南に向かって5分程歩くと、大豆畑の脇に雑草が顔を覗かせる300坪くらいの畑に辿り着いた。かなり広い。
「ここだ。見て分かると思うが、まだろくに耕してないんだ。お互い反対方向からやってくぞ。疲れたらその辺に寝っ転っててもいいぞ」
「はい!」
小学生のときに「生活」という科目があって、校舎前のプチ畑をクラス皆で耕したっけ。変な芋虫の幼虫みたいなのが出てきて気持ち悪かったな……。
文句は口に出さず、黙々と鍬を振りおろす。意外とこの世界の草は根っこがしぶといらしく、ブチブチとかなり手に伝わってくる。
(あ、いた!)
案の定、2,3cmくらいの幼虫がお目見えする。太陽にさらされて迷惑そうだ。
そうして数時間くらい休憩も挟みながら作業をすると、3分の1くらいの範囲をあらかた耕した。あのしぶとい根っこの切れ端が良い土壌を作ってくれるのを祈る。一生懸命親の敵みたいに切り刻んでやったから。
「おう、お疲れさん! 意外と普段使ってない筋肉使って疲れたろ? こりゃ、ハンターのいい訓練になるぜ」
「あはは、ハンターの訓練ですか。そういえば、昨日ギルドに行ってきましたよ。絡まれそうになったときにガルクスさんの名前を出したら大丈夫でした」
「マジかよ、だから絡まれるって言ったろ? まあ何ともなかったならいいけどな。俺も昔は血の気が多くてしょっちゅう喧嘩してたな。まあ自分から絡むようなことはしなかったが」
体格のいいガルクスさんなんかに絡まれたら、有り金置いてアルティメット土下座するわ!
労働後の雑談もそこそこに、俺たちは岐路に着く。といっても歩いて五分ほどなので、凝り固まった脚をほぐしがてら歩いているとすぐに着いてしまった。
「お疲れさん。初めてで疲れたろうし、昼食も俺が作るよ。しばらくしたらできるから待っててくれ」
お言葉に甘えてクールダウンすることにする。肉体労働なんて久しぶりだから、流れる風にしばし当たっていると、とても気持ちがいい。
そして、なぜか俺は鍬を手に持ちながら散策に向かった。
川辺にでも横になろうと思った。
***
川に到着し、その辺の草をひっこ抜いて口にくわえると、ふっと、視界に何かが映る。
(なんだ? あの林の奥の二つの点は?)
不気味な赤の点が2つ、尾を引きながらこちらに向かってくる。ふつふつと、近寄らない方がいいと本能が囁く。しかし俺は、何かに魅入られたように近づいていく。
(こっちに来る!)
薄暗い林の中から姿を現したのは、大型犬よりも二回りも大きいグレイ色の狼だった。荒い息を吐き出しながら、鮮やかな赤い舌をだらんと垂らし、爛々とその眼を輝かせている。
間違いない。コイツは、あの紅い眼は、魔物だ。
(や、やばい……。ガルクスさん、ガルクスさんを呼ばないとッ!!!)
昨日の遭遇で慣れたのか、足はもつれるものの自由はきいた。俺は2、3歩後ずさると、くるりと方向を変えて、つんのめりながらやっとのことで走り出す。
すぐ後ろを駆ける音がする。川を飛び越えたであろう後、瞬く間に追い付かんとする足音に戦慄する。一歩一歩、俺は自分の二本の脚を慌ただしく懸命に漕ぎ出すが、ついに、追いつめられる。
「うわぁぁぁぁああああ!! 来るな、クルなアアアアアアアァ!!!!!」
跳びかかられ喉笛をザックリやられる瞬間に、俺は、見た。
淡い翠色の粒子が俺を中心に吹き付け、一気に胸元に吸い込まれる。思わず瞼を閉じる。
ビュウウンッ。
独特な高揚感が身体を支配すると、数秒後、足元には、目を剥きだした人食い狼の首が転がっていた。