楽しい楽しい採集依頼-吉凶再び
青い青い湖面――ライカル湖の湖畔に到着した。
湖の広さはスラハ村の二倍くらいで、ひょうたん型の湖の周りをぐるりと緑のカーテンが覆っている。湖の入り口となるところは、大きく分けると2ヶ所あるらしく、北門を出てしばらく歩いて行ったところの此処と、街から北西部にあたる向こう側だ。両方とも、大型の帆船が二つ三つと、小型の年季の入った木製船が多く泊まっている。
湖面から伝うのどかな風に、肩に乗るキューと共に身を委ねていると、見知った格好の武装した一団が俺たちに近寄ってきた。治安組織の騎士団である。
「おい、何をしている。まさかその網で魚を獲る訳じゃあるまいな」
隊の長らしき中年の厳つい男が、すっかり日焼けした顔を曇らせて言った。
「違いますよ。これは別の用途の物なんです。決して、魚を獲る訳ではありません」
誤解をされているようなので、俺は素直にそう答えた。
だが男は更に表情を厳しくし、さりげなく腰元の剣を左手で音を鳴らせながら、詰問をするような口調で吐き捨てた。
「嘘を言うな。密漁をするバカ共は決まってそう言い訳をする。だが今日は、後ろの綺麗な譲さん達に免じて見逃してやる。有り難いと思え、さっさと失せろ」
(ぐっ……)
この男は気に食わない。騎士団の奴は皆こんな粗野な連中ばかりなのか。少しはこっちの事情に耳を傾けてもいいじゃないか。
俺は腹立たしく思ったが、同時に自分の考えが浅はかだったと痛感する。たしかに、この立派な網を持って湖の入り口に足を踏み入れれば、誰だって密漁をしに来たと思うのだろう。騎士団が定期的に見回りをしているのは知っていたのに、こういった状況を想定しなかったのは考えが足りなかった。
後ろを見ると、シルフィは涼しい顔で黙っている。ディオン君はオロオロするばかりだ。対して爆弾娘のフィルドは……。
「はあ? ちょっとはこっちの言い分を聞いてくれたっていいんじゃないの? あ、そっか。日に焼けて頭の中身まで溶けちゃったのね、カワイソウに」
俺の言いたいことを全てぶちまけてくれた。さすが、フィルドである。
いやいや、騎士団はいわば警察組織。後半部分はまずかったんじゃないのか……。
「なッ!」
案の定、隊長様はすっかりお冠の様子である。短く刈りそろえた深緑の髪を逆立て、黒い顔を真っ赤にし、今にも手元の剣を引き抜きそうだ。
ぷるぷると身を震わせているのが限界に達したとき、背後に続く部下たちが必死になだめるのとほぼ同時、聞き覚えのある声が横から掛けられた。
「ゼトス、落ち着け」
姿を現したのは、風に湖面と同じ色の髪を靡かせるアレンさんだった。
***
アレン・コールドウェル。
以前、重傷を負った右腕を無償で治癒してくれた人だ。腕利きの水の魔法使いにして、この街の騎士団のお偉いさん。その地位にふんぞり返るのではなく、書類に向かって実務を淡々とこなす姿は、組織における理想の上司の印象を受けた。
ゼトスと呼ばれた騎士は、今度は顔を恐縮でこわばらせ、ようやく姿勢を正して口を開く。
「これは副将軍、ご無沙汰であります!!」
「それはいい。で、この騒ぎは何だね」
「それが、この者達が密漁を企てていたようで。もちろん国に申請を通した者ではありません。そこで、こうして事前に密漁を阻止した次第であります!」
ふむ、とアレンさんは口に手を当てて考えると、今度は俺たちに顔を向けて言った。
「それは本当かね?」
アレンさんは俺たち一同を落ち着いた表情で見回すと、最後にディオン君に向けて問うた。
「いえ、違います! この網は、昆虫採集の依頼のための道具なんです。決して密漁を企てていた訳ではありません!!
それを聞いて、再度アレンさんは考え込む。
副将軍とゼトスは言った。偉い人だとは思っていたが、さすがにそこまでだとは思わなかった。いくら知り合いのディオン君がいるとはいえ、この状況でこれは、拘束は免れないかもしれない。
たいそう不満げにしているフィルドと、共に弁明をしようとしていた折、緊迫した空気をアレンさんが破った。
「投網を所持して湖に立ち寄った状況では、ゼトス達は職務を忠実に遂行したと言える」
その言葉を聞き、ゼトスら騎士団員たちは、安堵の気持ちと誇らしいといったような雰囲気を発する。
たまらず俺が再び弁明しようとしたが、それはアレンさんの紡ぐ言葉に遮られた。
「だが、日中に白昼堂々と網を背負って密漁を行う輩はいまい。密漁は早朝か深夜と相場が決まっている。万が一昼間に密漁を企てようとも、大切な商売道具は隠しておくはずだ」
「いや、でも、しかし……」
アレンさんの言葉にゼトスは項垂れるが、それでもせめてもの抵抗を見せ、食い下がる。
「それにだ。現行犯でもあるまいに、剣を抜こうとしたのは騎士団員にあるまじき行為だ。まずは理性を働かせて事情をきく。市民の暮らしを守るのが騎士団員の務めだろう」
「分かりました……」
ゼトスは、今度こそ自説の主張を諦める。背後に控える他の団員も、同様にしゅんとした表情をしている。
(あれ、今度こそ何か悪いことをした感じがしてきたぞ)
ゼトスはともかく、他の団員は単に仕事熱心な人たちなのだろう。見ると皆、人の良さそうな顔をしている。俺達が疑われるような真似をしたのも悪かったのだ。
「今回は何事も無かったことにする。双方ともそれでいいか?」
『ハっ!』
『はい』
アレンさんの計らいで、こうして俺たちの密漁容疑は晴れたのだった。
***
ゼトス達見回り騎士団は通常の任務に戻り、もといた場には俺ら一行とアレンさんが残った。
「アレンさん、ありがとうございました」
俺とディオン君は、居住まいを正してアレンさんに礼を言う。
一呼吸遅れ、他の面子も同様に礼を尽くした。
「それはお互い様だ。あのままゼトスが抜刀していたら騎士団全体の不祥事だ。例には及ばないよ」
アレンさんは柔らかにそう言うと、今度は少し真面目な表情で続けた。
「ディオンもいるから密漁はないだろうが、実際のところ、投網を持って何をするつもりだったのだ?」
「採集依頼のためよ、ギチギチのね」
フィルドの言葉に皆が頷く。
アレンさんは意表をつかれたような顔をしてたずねる。
「ギチギチのか? 私は門外漢なのでよくは知らんが、たしか単独の個体を探し回るのが常套だったはずだ」
すこし、興味深そうなそぶりを見せるアレンさんに、俺は今日のギチギチ採集の作戦を語ってあげた。
「ほう、なるほど……」
アレンさんに語った作戦の全貌はこうである。
まず、罠を、足場の良い湖畔沿いの林道に仕掛ける。罠の中には、ギチギチの好きな完熟したピピの実がすり潰されてふんだんに入っており、酒の匂いも相まって、ギチギチの嗅覚を強く刺激する。仕掛けるのは見通しの良い木の低部。身長より少し低いくらいが良いだろう。木の肌に適当にぶちまけ、誘いの匂いを林全体にまき散らす。
そしてそのまま今度はお楽しみの釣りへ向かうのだ。釣りはおそらく数時間を要するので、その間に、ギチギチが匂いにつられてうじゃうじゃ集まってくるだろう。
釣りを終えて、釣果に思い思い満足しながら、最後に再び罠を確認しに行く。そこでこの投網の活躍となる。
「しかし、そうするとかなりリスクもあるんじゃないか? まず、こちらに気付いたギチギチが追ってくるのを、どうやって振り切るのだ?」
それは聞かれると思っていた。
そこが俺の出番なのだ。我ながら大胆不敵すぎるとも思う。もちろん魔法を使う。風の魔法、シルフィの教えの賜物である。
俺はまずギチギチに近付き、ウィンドスローでも何でもいいが、その辺の石を罠に投げつけて盛大に挑発する。するとギチギチは一斉に俺に向かってくるだろう。そして俺は失禁を訴える下半身をいさめ、嬉し涙を流しながら全速力で逃走するのだ。後ろからはおぞましいまでの羽音と、ギチギチという顎を鳴らす地獄の叫び。
付かず離れずの速度で林道を走り抜け、ついにフィルド達が控えるポイントに到着する。シルフィとフィルドは両脇の木の上で、投網を手に待機している。ディオン君は茂みに隠れている。そしてギチギチがポイントに差しかかった瞬間、投網が上空から、重しの重力も相まって、勢いよくギチギチ共へ絡み落ちる。そしてほぼ同時にディオン君が登場し、冷気を操る水の魔法「アクアコールド」を発動させ、投網で混乱の渦中のギチギチは、必死の抵抗も空しく、冷気にもろに当たって戦闘不能となるのだ。
弟子の晴れ舞台が喜ばしいのか、アレンさんの問いにシルフィが答える。
「ウィンドステップを使うそうだ。ディオンの冷気魔法も役に立つだろう。もしものときは、このフィルドが火の魔法で焼き払うので、危険は少ないと言える」
その言葉に、アレンさんはやっと納得がいったようで、気を付けろ、という言葉を残してゼトス達騎士団のもとへと歩いて行った。
***
アレンさんと別れたあと、俺たちは早速湖の東部付近の林道に罠を仕掛けてきた。
林道の脇に罠を仕掛けるにもってこいの巨木があったのだ。雄々しい巨木の樹皮は所々良い具合にめくれ、手の届く範囲にはぽっかりと大きなウロが口を開けていた。そこに、たっぷりと、潰れてドロドロになった汁を塗りたくった。
そうして一方の依頼の準備を終え、俺たちは本命のレイクミールを釣ることとなった。
しかし、この広いライカル湖で釣りをするには、第一に船が必要である。そこでうろうろと周囲を歩きまわり、舟を漕いでくれる漁師を探す。
(お、あの人、漁師だよな)
一際古びたボロ船の上で、ボーッと空を見上げている男性を見つけた。職人臭い風体はいかにも漁師を想わせる。
「あのう」
口をぽけぇと開けたまま男は振り返る。
歳は三十半ば、髭が口の周りを覆っている。顔には生気が無く、眼元は少し窪み、顔全体の色もくすんでいる。
「なんだい」
「船に乗せていただきたいのですが。四人と一匹」
頼み事と言うことで、フィルドもしっかりと礼を尽くしている。こういうところは、不思議と洗練されているような気がする。
慌てて俺も、肩に乗るキューを振り落とさないように頭を下げた。
男は、俺の肩に乗るキューに少し驚いたが、やがて表情を戻して力の無い声で答えた。
「ああ、いいよ。でも何するんだ?」
「ありがとうございます。釣りをしようかと思いまして」
「釣り? なんだ、そりゃ」
いけない。釣りと言う概念はこの世界に存在しないのだった。
乗り気のフィルド達が懇切に説明すると、男は大体納得したようだった。そして、慣れた様子で俺達を船に乗せてくれた。
「気を付けろよ」
親切な船乗りは注意を呼び掛けるが、なるほどそれも現実味があった。
乗せてもらってなんだが、船はかなり古く、水漏れこそしないものの、男が漕ぐたびにゆらゆらと危なげに左右に揺られる。五人乗ってほぼ満員なので、それぞれが上手く左右のバランスをとらなければならなかった。
「この辺でいいか?」
「はい」
俺たちの乗る船は、湖のほぼ中央部に漕ぎついた。それに合わせたように、涼風が何処からともなく、ザーッと湖面を駆け抜ける。
「始めるわよ!」
フィルドの威勢のいい掛け声を皮切りに俺たちは釣りを始めた。
活きのいい小魚を針先にちょいっと引っ掛け、早くも仕掛けは出来上がった。今回の仕掛けはとても簡素なのだ。上手く食いついてくれればいいのだが。
5分は経ったか。未だメンバーからのヒットの雄叫びは無い。音といえば、船が緩やかな湖水に揺られる音と、手に持った仕掛けを上下させる際に聞こえる、皮鎧の腕当てが鈍く軋む音くらいだった。
「お名前、聞かせて頂いてもいいですか?」
俺は沈黙に耐えかね、小舟に揺られながら虚空を眺める男に問いかけた。
「ゼラスだ。よろしくな」
俺も自分の名と、他の面子の自己紹介を済ませる。
それに耳を傾けるゼラスさんは、相変わらず顔色が悪い。俺はそれが気になったが、気遣ったところで、自分に何かが出来るわけではない。なので釣れるまでの間、ディオン君と共にたまに世間話を交わしていた。
15分くらい経過し、それそろ魚が誰かの仕掛けにかかって欲しいと思い始めた頃、それは、唐突にやってきた。
「き、きた!!!!」
第一声をあげたのは、やはりフィルドだった。
フィルドは竿釣りに慣れ親しんでいるので、前のようにむやみに引いてこようとはしない。その代わり、次々と、余分の釣り糸が手元からずるずると水中へと引きずり込まれていく。
「おいおいおいおい、マジなのか?」
ゼラスさんもすっかり興奮気味だ。巻き込まれていく水面を目を凝らして見ている。一瞬でも生気を取り戻したゼラスさんの姿に、俺は悠長に顔をほころばせるものの、対するフィルド達は、次々と巻き込まれる糸に金切り声をあげて必死の形相である。
糸一本を隔てた死闘は、それからしばらく続いた。
***
力という力を使い果たした魚は、やがて、フィルドの怒涛の巻き返しの前についに姿を晒す。
「で、でけぇ……」
漁師であるゼラスさんも、水中から浮き上がった白銀の魚影に息をのむ。もちろん俺も釣り人魂を盛大に煮たぎらせざるを得なかった。
むなしい抵抗と共に姿を現したのは、美しい――白銀の肌に一筋の虹を走らせた巨大魚だった。そのでっぷりと太った図体が見えたところで、ゼラスさんは、流れるような手つきでタモ網を掬い入れる。
『……』
廃れた船上に似つかわぬ宝石。
湖の王者の風格を前に、一同はしばらく言葉を無くす。ゼラスさんは、自分の獲物に小躍りするフィルドの横で、これまた素早く船に備わった生け簀の中にレイクミールを投げ入れた。
そのすぐ後に狩人たちが再び仕掛けを投げ入れたのはほぼ同時。例外なく、皆まだ見ぬ湖の獲物に目を血走らせている。
俺も、ドクドクと、全身の血管という血管がはち切れんばかりに躍動するのを感じた。




