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異世界情調紀行<凍結>  作者:
風の国編-風の街シュルツ
38/46

森の捕食者クィルン-中

 興奮で眠れぬ夜が明けると、俺は早めに布団から這い出る。


 床に足をついたときに不快なべた付きが足裏を襲った。天気の良い昨日と違い、明け方からさめざめと雨が降っているせいだ。


 まだガルクスさんは起きていない。


(雨か。雨でも討伐に行くのかな)


 ぽつぽつ、ぴちゃんと雨水が滴る音だけがあたりに響いている。


 ガルクスさんを起こさないよう、そっとを窓を開けてみると、外は小雨が降っていて草木の湿った匂いがムンと鼻をついた。


 あれから一カ月はとうに過ぎた。記憶という己のよりどころを探すという意味では、シルフィも俺と似たような境遇かもしれない。最近はだいぶ落ち着いたが、それでも、こういう天気の日には郷愁の念を抱いてしまうのだ。


(今のところ、俺もシルフィも手掛かりなしか)


 とはいえ、ガルクスさん達との日々は始まったばかりである。焦ったところで何かが分かる訳でもない。今は目の前のことに一生懸命になっていればいい。本当にまだ、何もわかっていないのだから。


 やがて起き出した面々と一緒に、村長家族と共に朝食をいただいた。昨夜は魚料理だったので、今日は山菜と肉料理だ。肉料理は、髪がすっかり白くなった奥さんが、精力がつくように、と朝から丹精込めて作ってくれたものだ。


「ん、うまい」


 シルフィは、肉料理と山菜を忙しく交互に平らげていく。ガルクスさんとフィルドも言葉を交わしながら一口一口味わっている様子だ。


 俺はというと、この先のことで緊張してあまり食欲がわかなかった。


「今日、雨降ってますけどクィルン討伐に行くんですよね?」


 俺の言葉に、ガルクスさんはトンと食器を置いて言った。


「おう、行くぞ。他の依頼なら遅らせてもいいんだがな。だが今回のは事態が切迫してるからな」

「そうね。村の人たちも大変だろうし。さっさと片付けましょ」


 俺は腹をきゅっと引き締めると、わかりました、と少し力んで言ったのだった。


***


「キュー、はぐれちゃだめだよ。おいで」


 キューは雨模様の天気にとても喜んでいる。所々にできた水たまりに入っては、ぴちゃんぴちゃんと脚でダンスをしては空模様に歓喜している。


(キューはいつも元気だけど、雨の日だと特に元気だよな。今日ばっかりは元気に救われるかも)


 今俺たちは、いよいよ出発という時を迎えている。村長家族の他に、村の主要人物、特に小麦色の肌をした中年の村人たちが、戦地へ向かう俺達を励ましてくれる。


「気をつけるんじゃよ。泉が使えなくて大分不便をしておるが、それよりも人命の方が何倍も大切じゃ。危なくなったらいつでも帰ってくるんじゃ」

『ありがとうございます』


 降りしきる雨の中、いつまでも手を振ってくれる村人を背中に俺たちは出陣する。


 泉までは村の南東部から西に向かってすぐだと言われた。しかし毎日利用していただけあり、道はすっかり踏み固められて横手の木々もまばらで、村長には注意せよということを言われた。クィルンに気付かれてしまうかもしれないからだ。


 泉までの道中までを、俺たちは雨に喜ぶキューと一緒に歩いていく。いくら村の道とはいえ、土は降り続く雨をしみこんで、慣れない出立ちをしている俺は足を取られそうになる。左手にホウキを持っているのでなおさらだ。


 そこでガルクスさんが、慣れた足取りのまま振り返って俺にこう言う。


「悪いな、こんな悪天候の日に空飛ぶのはしんどいだろ」


 いえいえ、これぐらいしか今のところ役に立てないんで、と返す。


 本音を言うと、どんちゃんやっている皆に混じって、俺も魔法を派手にぶっ放したい。だが攻撃魔法は使えない。補助魔法も今のところ二つだけ。そして防御魔法も……。


「防御魔法ってどんなのですか? シルフィから聞いたんですけど、ちょっと特殊なんですよね」

「防御魔法? 私は使えないけど、そうね……」


 防御魔法。


 防御魔法とは魔法を区分したときのひとつで、文字通り対象からの攻撃の防御を行う魔法である。通常、魔法は詠唱を経て効果を発現させるが、防御魔法はそこが少し特殊と聞いたのだ。


「詠唱が短いのよ、ほんとに」


 フィルドが端的に教えてくれる。


「正確には術名しか詠唱しなくていいということだ。たとえば、これは汎用魔法だが、〈ウィンドステップ!〉と唱えれば効果が発現する」


 それはすごい。魔法使いの弱点である詠唱時間を大幅に短縮できるのだ。


(……あっ)


 俺はあることに気づいて、ガルクスさんにそのことを言ってみた。


「たしかに防御魔法が必要なときって、かなり切迫した状況ですもんね。悠長に長い詠唱なんてしてたら、クィルンとかにパックンされちゃいますよね」

「たしかにそうだ。それにしても……ハハッ!!」


 ガルクスさんは途端に笑いだす。俺の横のシルフィも言葉に顔を歪めている。


(あれ? 俺なんかおかしなこと言ったっけ)


「縁起の悪いこと言わないでよ!」


 次に襲ったフィルドのジャストミート(!)に、俺はしばらく千鳥足でフィルドに許しを乞うたのだった。


***


「勉強になります。風の魔法にはどんな防御魔法があるんですか?」


 村は広く、雨のせいで歩みが進まないのと相まって、こうして雑談をしていなければ、ふつふつとこれからの不安が胸を圧迫するのだ。


 そんな俺の問いにフィルドは親切にこたえてくれた。こういう世話好きなところがフィルドの長所なのだ。


 風の防御魔法のうち、初級に属するのは2つあるらしい。具体的には……。


「着いたぞ」


 ふいっと俺は前を見ると、「ドゥールの泉」と書かれた、若干黒ずんだ石碑が目の前に立っているのが見えた。どうやらここが、今日の戦場らしい。


(ついに)


「それじゃあ、一足早く、紅はソイツに跨ってキューと一緒に舞い上がってくれ。上からでも、道は舗装されてるからハッキリと見えるはずだ。気付かれないように上空で待機だ」

「わかりました」

「きゅいっ」


 どくどくと高鳴る鼓動を感じながら、俺はゆっくりとホウキに跨る。横でキューはいったん翼を広げると、ばさばさと水滴を飛ばして、首をこちらに向けることで準備完了を知らせた。


「では、行ってきます!」

『気をつけて(な)』


 その言葉を合図に、俺は高々とホウキで空へと舞い上がる。一呼吸遅れてキューも隣に旋回する。


(よし、行くか)


 雨粒がぐっしょりと髪を濡らし、行く先の視界を油絵のように覆う。雨足が強くなってきたようだ。キューは力強く翼をはためかせるが、俺は目を開けて眼下の戦地を探すのに精いっぱいだった。


「あれかな?」


 自分の存在を悟られないよう、声を抑えてキューに伺う。


 上空からでも見える一直線に伸びた道。額から、緊張で滲み出た汗と雨水が混じり合った液体がおりてきて、遠くを凝視する俺の瞳を邪魔するが、それでも泉の存在は確認できた。


 泉はほぼ円形で、少し開けた林の中にあった。先の林に近い突き当り、隣接する樹木の前からは、ぼこぼこと水面がしきりに波打っている。そしてその横には……。


 いた。


「キュー、あれ、だよね」


 キューは声を出さず、コクコクとこちらに頷くことで意を伝える。


 湧き出る水が、ぶよぶよとした腹をたぷんたぷんと撫でている。ソイツは気持ちよさそうに、その数mはあろうかという黄緑の巨体を波にあずけ、口をくぱりと開けながらそこに居座っていた。


(あれがクィルン……)


 森の捕食者クィルン……。その異名を、しかと自分の目で確かめることが出来た。


***


 クィルンの死角になっている裏手に回ると、こちらからでも、遠い向こうから得物を手にさげた狩人たちがやってくるのが見えた。


 俺の仕事は周囲の監視である。クィルン一匹となれば、俺以外の戦力で十分だからだそうだ。なので今は自分の任務を全うすることだけに集中する。


 林が風雨に揺られて、木々が不気味にザザザーと擦れる音がする。髪がべたついて鬱陶しいのを我慢すると、俺は泉の周囲をぐるりと見渡してみる。


(なにも、他にはいないみたいだな)


 視界が悪いことを除き、上から目を凝らして見た限りでは、この先の泉のクィルン以外には異常は見当たらない。


 そして、怒号が林に響いた。


「始まったみたいだね、キュー」


 俺はわずかな疎外感と心もとなさでキューに話しかける。しかしキューは、泉の左端の方を凝視し、グスグスと鼻でしきりに匂いを嗅いでいる。


 初めは動物特有のしぐさかと思った。雨で視界が悪く、キューも状況の把握を嗅覚に頼っているのだと考えたのだ。


(でも、一応、ね)


 キューは賢い。人語も難しいもの以外なら解する。そんなキューの仕草に、初仕事という事もあって頭に不安がよぎったのだ。


 戦闘が始まっている以上、遠回りをして泉に近づく必要はない。かなりの速度でキューが見ていた辺りまで飛んでいく。


 ガルクスさん達の声が聞こえるあたりまで近づくと、一際大きい苔むした大木が目の前に現れた。


(やっぱり、何にもないか)


 十数mはあろうかという大木に上から目を凝らすが、やはり異常は見られない。所々、樹皮を覆う苔たちがざっくりと無くなっている部分は見られるが、それ以上は何にもない。


 そこへ遅れてキューが辿りつく。バサッバサッと身体を上下に揺らしながら、やはり目の前の光景に見入っている。その視線は、木の下の方を……。


「あッ!!!」 


 のそり、のそりと、ぶよぶよした2m近くの影が木を下りて行くのが分かった。


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