少年ディオン
ガルクスさんとフィルドは、ディオンさんを探しに一足早く宿を出て行った。そこで俺とシルフィ、そしてキューが残る。
キューは、初めてきたであろうシュルツの街に委縮し、ずっと荷物の中に潜り込んでいた。しかし、落ち着いた雰囲気の宿屋に入った途端、鼻から目、そして首をひょこっと出し、ついには全身を俺たちの前に晒してくれた。
「キュルルル」
石の床の匂いをクンクンと嗅ぎ、それからホールの中を不思議そうに一望する。今俺たちは、宿屋の受付ホールにいるのだ。
そんなキューにシルフィが話しかける。
「キュー、落ち着いたか? 荷物を持って早いとこ部屋に入るぞ」
「キュイー」
ガルクスさん達に、ディオンのやつに会いに行くから荷物よろしく、と言われたのだ。それで俺とシルフィは二人で重い荷物を持っている。
たまげる主人に、キューは良い子なんです、と説明してから、俺たちは奥の方へと入っていく。部屋は3階らしい。
重い荷物を引きずりながら3階へと上っていく。途中、同業らしい人と3人すれ違った。アンバー色の皮鎧にカチャカチャと得物を携えていたので、おそらく近接の方達らしかった。俺の肩に乗るキューに目を瞠ると、おずおずと道を空けてくれたのでありがたかった。
『ふう』
という声と共に、俺たちは3階に辿り着く。廊下には定期的にろうそく台がこしらえてあり、そして宿屋全体がくすんだブロンズ色になっているようで、ここの階も例外ではなかった。
10歩も進むと「032」という番号の札がかけられた部屋を見つける。手に持つカギと同じ番号だ。
「ここですね、よいっしょと。今開けます」
キィイという音がしたあと、部屋が開け放たれる。
「お、こりゃいいな」
「ですね!」
軋む音をたてたドアとは裏腹に、部屋はとても趣があって素晴らしかった。なんといっても、ブロンズ色を通り越した薄めの褐色が基調なところだ。それにただ経年を感じさせるだけではなく、掃除が隅々まで行き届いているのだ。アンティークさに加えて清潔さも兼ね備えているとは100点満点だ。
荷物をその辺にほったらかし、俺とシルフィはそれぞれ布団に寝っ転がる。
俺は木でできたこれまた素晴らしい部屋の調度品を目で追う。化粧台はあいにくと出番がなさそうだが、俺の目は、その横の年季の入ったテーブルに釘付けだった。
「贅沢ではないが良い部屋だな。これは隣の私たちの部屋にも期待が出来そうだ」
「ホントですね」
しばらく俺たちはそうやって語り合っていると、ふとしたことでこれからの予定にまで話がいく。
「で、この後どうします? まだお昼にはちょっと早いですが、何か外で食べてきましょっか」
「そうしよう!」
「キュー!!」
キューはお腹が減っていたようで、一際大きな声で賛成を唱えた。
***
宿を出ると日差しが強くなっていた。屋内との光量の変化に目をしかめるが、プーンっと香ってくる良い匂いに足取りは軽かった。
「そういえば、あれから短剣に変化はあったか?」
先を行くシルフィに唐突に聞かれる。
「いや、それが全然ないんですよ。今のところ害も無いみたいですし、心配しなくても大丈夫です」
そうか、と気の抜けた返事が前から聞こえた。
俺は腰にさす短剣をちらりと窺う。変化がないのは本当で、俺自身肩すかしをくらったくらいだった。いずれにせよ、この短剣を使って試験に向けて訓練を重ねなければいけないのだ。
(試験? ……あっ!!)
「キュ!」
俺はいきなり肩を震わせたので、右肩に乗っているキューを驚かせてしまった。
すっかり忘れていた。近くハンター試験がこのシュルツで行われるのだ。だが今のところ特別に準備もできていない。
キューに謝ると、焦る気持ちを胸に思わずシルフィに相談した。
「シルフィさん、ハンター試験って覚えてます? このシュルツでもあるんですが」
「ん? ん~……。あったな! そんなの」
シルフィはポンと拳を手のひらに振りおろす。
「そういえば紅は受けるんだろう、それを」
「そうなんですよ。でもまだ全然準備してなくて」
「シルフィさんも受けるんですよね? よかったら食事しながら作戦会議しませんか?」
シルフィがわかった、と声を発したところで、ちょうど朝来たときに目星をつけた食堂に到着する。
「でもまずは、腹ごしらえからだ!」
にっと笑ってみせると、シルフィは食堂の中にずかずか入っていった。
さすがシュルツの街といったところか、広い食堂は、昼の喧噪に溢れていた。ここも年季を感じさせる石造りで、レンガが劣化してところどころ色が抜け落ちている。
チリンっと木のドアを開けた拍子に鈴の音が鳴ると、注文を待っているであろう人達はじろりとこちらに顔を向ける。しかし飢えたシルフィの顔と、俺の肩にチョコンととまるキューを見ると、一人を除いて、俺達から視線をさっと移した。
食堂は長方形のテーブルがずらりと整然に並んでおり、その間をウェイターさんが忙しく歩きまわっている。クロスはないが、テーブルは綺麗でつややかだ。
俺たちはドア側の席に運良くありつけた。テーブルは4人用で、向かいの席には一人の少年が座っていた。
「相席失礼するよ」
「失礼する」
目の前の少年はどうぞ、とおろおろして勧めてくれた。
「あの、僕の顔なにか付いてます?」
「え?! あ、いえッ!!」
そう、先ほどからじっと俺たちを見つめていたのは、この少年なのである。
少年はいきなりがばっと立ったかと思うと、いきなり気をつけをして謝罪をしてきた。
「すいません!!」
少年は身長165cmくらいで、くすんだ青の髪をしている。長めのその髪が、謝罪で頭を降ろしたことでさらっとはねる。それでぎゅっと目を閉じている彼の童顔が露わになった。
「なにも謝ることはないぞ少年。むしろそうしている方が迷惑だ」
「すいませんッ!」
(コントかよ!)
謝り続ける少年をやっと落ち着かせると、俺たちはメニューを決めてウェイターを呼んだのだった。
***
「へぇ、君、水の国の出身なんだ」
俺たちは今、テーブルを少年と囲んで食事をしている。喧騒の中で話し合うには少し大声になってしまうが、そんなことはお互い気にしていなかった。
「はい! ていっても生まれが水の国なだけで、ほとんど火の国で暮らしてたんですけどね」
「ほう」
少年は元気がよく、素直で明るい性格だった。それにシルフィも気を良くしたのか、料理に手をつける合間にしきりに相槌を打っている。謙虚なところもあれからは程良い感じだ。
「そうなんだ。もぐっ、うちにも火の国の人がいてね、モグっ。ちょっと強引なのがたまに傷なんだけどね、あ、カッとなりやすいところもかな。でもサッパリしてて悪い人じゃないんだよ」
「そうなんですか!」
俺たちはすっかり仲良くなってしまった。美味しい料理が後押ししてくれたのかもしれない。俺の目の前には、食べかけの肉のガーリック焼きが鎮座している。ステーキで言うと400gくらいある大型のサイズだが、今日は旅を終え、精力を養いたかったのだ。
「そういえば、名前を窺ってませんでした」
「紅だよ、望月紅」
「私はシルフィードだ。おい、ウェイター、もう1つガーリック焼きをくれ!」
自己紹介よりも、シルフィは腹ごしらえの方に執心だったらしい。まったく食い意地が張った神様である。
「紅さんですね。僕はディオンです。今年15になりました」
(あれ、ディオン? たしかガルクスさん達の昔の仲間も同じ名前だったはずじゃ……)
シルフィの料理が運ばれてくるのと同時に、チリンっと食堂のドアが開く音がした。
「いやー疲れたなフィルド。食事にしようぜ」
「そうしましょ、疲れたわ」
ドアから姿を現したのは、2人1組の美男美女だった。
***
「あ、どうもガルクスさん。偶然ですね」
『紅じゃない(か)!』
「キュー!」
偶然の再会に、足元の小皿で料理を食べているキューも反応する。量が多かったので、キューにも同じものを切り分けてあげたのだ。
食べ終わったディオンは椅子を動かし席をどき、ガルクスさん達2人が座れるようにした。
「なんだ、ディオンまで! 久しぶりだなぁ、元気にしてたか?」
そう言うと、ガルクスさんはディオンの頭をわしわしと撫でる。ディオン君は童顔なので、こうやっていると親子に見えなくもない。
(やっぱりこの子が探してた人なのか)
そこで、手をあげて挨拶をしながもくもくと料理を食べているシルフィの横から、フィルドがつかつとディオンの方へ向かって行く。そして、いきなり頭上高くに手を振り上げた。
(あっ!!)
引っぱたくのだと思った。無駄足に終わったことへのあてつけとして。
思わずキューと一緒に顔をそむけると、予想していた音は、いつまでたっても聞こえてこなかった。
「もう! 探したんだから。元気にしてた?」
「うん」
少年の頭を優しく撫でるフィルドの顔は緩かった。




