シュルツへの道程-下
翠の波紋は収束した。
瞼を開け、そこで視線を短剣に戻すと、短剣の刀身にはエメラルドの断裂面が浮き上がっていた。同じ色の素子がやさしく散っていくと、すっかり元の様相へと戻った。
「どうした、なにがあった!」
ガルクスさんが叫び駆け寄ってくる。フィルドも正気に戻ったのか、目を見開いてから同じようにする。
「なんともないです。それよりも、いきなり短剣が光り出して」
短剣を渡すと、ガルクスさんは恐る恐るそれに見入る。
一見、何の変化もないようだ。
手に汗握るガルクスさんの横で、シルフィは何かを考え込んでいる。
不思議な緊張が4人を取り巻いていたが、それは慌てて近づいてくる商人によって破られた。
「今のは何ですかい! 皆さんご無事でぇ?」
商人は俺たち全員が無事なのを確認すると、少し落ち着きを取り戻した。それからやや早口で、さきほどの様子を説明する。
「いやぁ、皆さん、なにもなくてよかったでさぁ」
「傷一つないわよ、ほら!」
フィルドは腕を誇らしげにかかげる。一同はやっと落ち着いた。
(やっぱりこの短剣、いわくつきなのか? 今のところ害はないようだけど……)
そこで気がついた。
(きっかけは多分、シルフィから貰った玉をくぼみに押し込んだことだ。それからすぐにあんな)
俺は手にぶら提げた短剣をひっくり返すと、柄の根元部分を覗いてみる。
するとどうだろうか。
くぼみは最初、円形だったはずだが、今は綺麗な花の形をしている。花びらは4枚あって、左右上下シンメトリーになっており、しゅっとした外見をしている。もちろんそれは翠色だった。
他の部分も色々見てみたが、変わっていたのはそれだけだった。断裂面は今は姿を消し、銀色の刀身が日光に眩しく反射している。
商人がそろそろ昼食にしないか、というので、俺たちは馬車の方へと戻っていった。
***
馬車に戻ると、キューが心配そうにこちらを窺っていた。
俺は抱き起して心配いらないよと言ってあげる。そうすると、昼食の準備をする商人とガルクスさんのもとへトコトコと歩いて行き、くんくんと鼻を鳴らしながらその様子にくぎ付けだった。
5人と一匹で仲良く昼食を囲む。
林から風が馬車に吹き付け、料理のいい匂いを鼻まで届けてくれる。
やがて俺たちは料理を食べ終わると、今度は俺とフィルドが後始末を担当する。
片付けをする俺の横から、シルフィの声が聞こえてきた。
「この後釣りでもしないか? 二日もしていないのでうずうずするぞ」
「つってもなぁ。俺もしたいが、この辺水場なんてなさそうじゃないか?」
釣りとはなんです、と聞く商人も混じり、ああだこうだと竿を出してきて盛り上がっている。
後片付けを終え、俺も嬉々としてそれに混じる。
話は水場をどうやって探すのかということになった。しかしそれからは、いっこうに話が進展しなかった。
俺も短剣がなにもなさそうなので、同じく釣りについて思考を巡らす。
(水場がなければ釣りもくそもないよなぁ。どうしよう)
今は休憩中で、何時間も水場を探し回っている暇はない。商人には予定があるだろうし、俺たちだってディオンさんを待ちぼうけにさせるわけにはいかない。
前の誕生祭では、無提唱のウィンドステップを使って優勝できた。詠唱と見せかけて無詠唱をかましたのだが、どうやら今回、ウィンドステップは効果がなさそうである。
(ウィンドステップで探し回るにしても、林の中は足場が悪くて無理だもんなぁ。陸はダメなら……あッ)
「僕が飛行魔法でひとっ飛びしてくればいいんじゃないですか? 馬車の3倍は速度が出ますよ。空高くに飛び上がれば、下から林を一望できそうですし」
『それだ(よ)!』
皆の声が重なる。
一人だけきょとんとしている商人にも、俺が空を飛べること、なるべくそのことは口外しないようにしてほしいことを説明する。それを聞いて、商人は半信半疑といった感じだったが、ガルクスさんまでもがうんうんと頷いているのを見て、やっと頭では理解してくれたようだった。
俺は馬車から愛用のホウキ君を引っ張り出す。飛空魔法は久しぶりなので、手で握ったり、股で挟んだり、念入りに感触を確かめた。
「じゃあ行ってきますね。なるべく早く戻ります」
「気をつけてな」
「気をつけるのよ」
「いってらっしゃい」
シルフィは竿を弄っていて気付かなかったようだが、俺はホウキに跨ると、準備完了とばかりに空へと舞い上がった。
***
「あれ? キュー?!」
「キュイー!」
バサッバサッと翼をはためかせ、青い竜が空を謳歌している。その様は、空の王者たる風格を表していた。
キューが空を飛んでいるのを見るのはこれが初めてだった。キューはいつだって俺の肩にとまっていたし、寝るときだって地面にぺたんと座っていた。
だが目の前のキューはどうだろうか。
ドラゴン。翼を広げた凛々しい姿は、そう言う他はなかった。
キューは空を羽ばたきながら嬉しそうに俺の横を並走する。
「風気持ちいいね、キュー」
キューがきたのはシルフィの後だったから、こうして二人だけで過ごすのもとても珍しかった。
やがて高度は100mに達する。これくらいにもなると、広大な範囲の林を一望できた。
(あの赤褐色の一帯なんだろう。もしかしてシュルツの街?)
林の遠くにレンガ色の一帯が見えた。まだまだ距離はあるが、数日もすれば着くだろうという距離だった。
するとキューは頭を上にやり、えもいわれぬ神秘的な声を発する。
『クゥゥゥー』
笛の叫びのような声が林にとどろく。
そしてキューは真下に急降下するので、俺も急いで後を追う。
木々の間を縫うように下りていく。そこは、小ぶりの滝が流れている、ちょっとした秘境になっていた。
「こんなところあったんだ」
言いながら深呼吸をする俺の前で、キューは滝溜まりの水をごくごく飲んでいる。
(そうだ。釣りが出来るか確認しなきゃ)
そう思って、急いで俺は水場へと足を進める。
滝は小型で、頭上約3mくらいの岩肌から流れ落ち、その下は半径10mほどの円形の水溜まりになっている。滝が落ちる直下は白泡がたって動きが激しいが、水溜まりは広いので、端の方にいくにつれて穏やかになる。滝の周囲の草葉は、流れ落ちる水飛沫に揺られてさらさらと踊っていた。
ざっざっと俺はごつごつした岩の地面を歩いていく。
「どーれ……」
変態親爺のような声を出し、眼下の水面をのぞく。キューが少し遠くで水浴びをしているせいで、水面は波打っていたが、悠々と泳ぎまわる黒い魚影達を見つけるのはたやすかった。
3匹いた。
うち1匹はとても鮮やかな体表だ。あの細い長い魚はミールだろう。しかし、そのうち2匹は今まで一度も見たことがない魚だった。
(さっそく、ガルクスさん達に知らせよう!)
キューに懐のドライフルーツをあげて機嫌をとると、俺たちは再び空へと舞い上がっていった。
***
来た道、いや空を戻って分かったのだが、あの滝のポイントは、馬車を停めているところからそう遠くないらしい。ちなみに滝は、目指すシュルツとは逆の方向から流れているようだ。
「戻りましたよ」
おかえり、と口々に言う皆に、さっそく絶好のポイントがあることを知らせる。
「1時間くらい、この先をいったところにその滝があるんですよ。見ただけでも魚影がかなりありました」
「ほう! でかしたぞ紅。商人も釣りに興味があるそうで賛成らしい」
とシルフィが鼻息を荒くして言う。ガルクスさん達も急いで出立の準備に向かった。
ちょうど1時間ほど馬車を走らせると、水が叩きつけられる音が耳に届いてくる。一同はそれに目を輝かせ、めいめい自分の竿を用意する。
竿を用意し終わったところで、そういえば、という顔をして、ガルクスさんとフィルドが俺にたずねてきた。
「エサはどうするの? 現地調達?」
「そうだろうな。それでいいか、紅?」
(うーんどうしよう)
もちろん現地で実際に魚が食べている餌を使うのが一番いい。しかしあの滝壺では、調達は難しいかもしれない。水深がかなり深そうだったから。
結局、パンを1個ずつ持っていくことになった。魚卵の類でもあればよかったのだろうが、こればかりは贅沢は言っていられない。
「あそこですかい? 水しぶきが見えますぜ」
『どれ』
さらに数歩歩いて行ったところに、はたして小ぶりの滝は流れていた。こちらから向かうと、水飛沫のせいで、周りより空気がひんやりとして気持ちがいい。
すぐに俺たちは釣りを開始した。といっても、俺以外の他のメンバーはいたって真剣な顔で釣っているので、俺は邪魔にならないくらい離れると、浅いところを見つけて岩をひっくり返し始めた。
「お、いるいる」
俺は顔をほころばせると、左手に持った網を右手に持ちかえる。網はいわゆるたも網で、途中のアケト村の出店で購入したものだ。
住処を荒らされて必死に逃げようとする虫たちを、俺は無表情でもくもくと網にすくいあげる。足が疲れて休憩する頃には、手元の器にわらわらと動く数十匹の虫を捕まえていた。
(こんなもんかな~)
俺は満足して皆のもとへ向かう。さすがにエサがパンでは厳しいようで、まだヒットを知らせる声は聞いていない。
「ほら、捕まえてきましたよ」
竿を握ったまま一同は顔だけ振り向けた。それぞれに器で虫達を分配すると、仕切り直しとばかりに勢い良く竿を振り込む。
俺が少し遅れて、自分の竿を垂らそうと思ったとき。
「きたッ!!」
ヒットの声が水面を震わせた。その声はフィルドだった。
「お、きたか!! がんばれッ」
ガルクスさんがフィルドを応援するが、なかなかの大物のようで、フィルドの顔は必死の形相だ。
あたふたする商人の横から、シルフィが竿を放り出して助太刀に向かう。
「ほら、しっかりしろ! 私も協力するぞ」
「助かるわ!!!」
フィルドの持つ竿は、ぐにゃりと90度以上根元から曲がっている。魚にのされないよう、フィルドは必死に竿を立てるが、なかなか獲物の魚影は見えてこない。
さすがのフィルドも疲労を募らせたとき、ついに、そいつは姿を現した。
「な、なんでさぁこいつ!!」
姿を現したのは、70cmはあろうかというヒゲを生やした野郎だった。
***
「な、なにこれ?!」
釣り上げたフィルドが悲鳴を上げた。
魚はナマズのような、黒色のクネクネした体をしている。違うのは、等間隔に体表にうかぶ銀の斑点と、その背中に生える立派なヒレだ。ヒレは硬質でビンっと存在を主張している。
「こ、こりゃ、ノルバーヌっていう魚ですぜ! 今じゃめっきり減りましたけどねぇ、静かな深いところに生息してるんで。1回だけ取引したことがありますからまちげぇねーです、思い出しました」
商人によると、このノルバーヌの用途は広く、上等な弓の加工や建築には欠かせないものなのだとか。今では乱獲により数が減り、品薄でとても貴重なのだそうだ。
(にかわってやつかな?)
「ほう。じゃあ食べるより売った方がいいのか。となると鮮度の心配もしなくていいな」
「こんなの食べる気にならないしね。ちょうどいいんじゃない?」
「私も同じ意見だ」
ガルクスさんとフィルド、そしてシルフィがさっそく算段をする。商人も頷くので、この獲物はシュルツに持って行って売ることになった。
そのあとは川虫のお陰で大量だった。そんなに長い時間は釣っていなかったが、合計で13匹も釣りあげた。そのうち1匹はさきほどのノルバーヌ、残りはマスとミールだ。
馬車に戻ってさっそく獲物を塩焼きにする。
夕日を望んでのバーベキューは格別だった。酒が入ってお互い談笑もはずみ、キューもひどくご機嫌のようだった。
(こうやって皆と過ごすのが、一番幸せなのかな)
俺の胸はとても暖かく、心も満ち足りていた。
シュルツにいけばもっと賑やかになるだろう。そこを拠点に、各地を旅してまわったり依頼をこなしたり。
便利な道具、手軽なファストフードはないが、気心の知れた仲間たちと、こうやっていつまでも一緒にいたい。
このときばかりは、家族への憂いを忘れることが出来た。




