新しい家族
キュルク。
その名ははるか数百年前までに遡る。
神話の中では四柱の神が語られ、それぞれ風の神、水の神、土の神、火の神が登場する。
その中の水の神の眷属にキュルクの名がある。キュルクはかつて水の神に仕えていたとされるが、現在ではそれも定かではないという。ちなみに、伝承にはキュルクの絵画は存在する。
キュルクは、澄んだ地域の湖沼深くに住むとされる。だがそれも目撃情報のみで、実際に捕まえたり使役したりする者はいないという。
「で、どうするの?」
フィルドの言葉に皆は何事かを考える。釣りを終えてあとは帰るだけだ。
「この姿のものを連れていくことはできないだろう。だが考えも無いわけではない」
シルフィは含みを持たせる。
もったいぶらずに教えてほしいものだ。
皆がシルフィに注目する。
「キュルクは神の眷属だと言ったろう? ならば姿は自由に変えられるはずだ。私はトカゲの姿にも変えられると記憶している」
「なるほど、トカゲならついてきても目立たないか。それにしてもそんなことよく知ってるな。旅で見聞を広げたのか?」
「そうよ、そんなこと聞いたことないわよ」
そりゃ神様だもんな。とは言えない。
それにしても姿を変えるって、うにょうにょってやるのだろうか? それは止めてほしい。俺は爬虫類は苦手だから。
「まあ、そんなところだな。どれ、私がけしかてみようか」
そう言い残してシルフィはスタスタとキュルクのもとへ行く。
キュルクはクリクリした目をぱちくりして、不思議そうにシルフィを眺めている。
「沼に帰らないのか?」
キュルクは首をフルフルと振る。
「お前は神の眷属だろう? ならば姿は変えられるはずだ。このままでは色々と不都合だからな、私たちについてきたいのなら、できたらそれをやってほしい」
口を嬉しそうにパクパクすると、コックリうなずく。次の瞬間、まばゆい青の光が輝いた。
『な?!』
一同はいきなりの閃光に、目を手で覆う。青の残像が瞼から引いたあと、何が起きたのかを目を開けて確認する。
するとそこには、翼を生やした小型の竜、いやドラゴンが鎮座していた。全身に心が透き通るような青い鱗をまとい、二本の後ろ足でちょこんと立ち上がって、二本の前足を所在なさげに動かしている。そしてぱっちりとした深蒼の瞳は相変わらずだった。
「キュルルルルルゥゥ」
(か、かわいい!!)
思わず俺はハグをしてしまう。
「キュッキュルル、キュルル?」
キュルクは前足を俺の胸に優しく押し当てる。ほんの少しもがく足が胸に当たってくすぐったい。
「おい! ったく、紅は無茶をする。そんなにいきなり触れたら引き裂かれても文句は言えなかったぞ。神の眷属と言えど魔物だ。まあ、何故か気に入られたようだが……」
「あら、可愛いわね! 私にも抱かせてッ!!」
黄色い声を出しながらフィルドが近付く。
すると、キュルクは一瞬、頭の上の毛をびびんと逆立てると、俺の脇に頭を突っ込んで潜ろうとする。
「な、何よ! 私のことは嫌いなの?!」
「キュルルルル……」
どうやらフィルドのお嬢さんは苦手らしい。
気が合うな、俺も若干苦手だ!
「その様子だと、紅に懐いちまったみたいだな。そうだ、餌はどうする? 魚でもあげとけばいいのか?」
ガルクスさんはシルフィにたずねる。
「それで問題ないはずだ。むしろ魚は大好物だと記憶しているぞ。紅が釣ったのをそのまま食べさせてやればいい」
シルフィはそう言った後、目を細めてキュルクを見つめる。シルフィもどうやらこの子のことが気に入ったようだ。キュルクも喉を鳴らせてそれに応える。
そこにガルクスさんの声が続く。
「じゃあそろそろ帰りますか」
空を見上げると、大分陽が落ちてきているようだった。決闘騒ぎのあと、結構な時間釣りをしていたようだ。
型のいい獲物を手にぶら提げ、俺たちは家へと足を進めた。
***
ガルクスさんの家に着くと、日が落ちて夕日が木々の間から差し込んでくる。キュルクはその様子を興味深そうに見つめていた。
「さてと、一休みしたら夕食にするか。ほらこれ、キュルクにやっとけ」
ガルクスさんは徐に、手に提げたビクの中から魚を掴み出す。魚はピチピチとまだ生きが良い。
「ありがとうございます。明日からは前の川でキュルクのご飯を釣りますね」
「はは、そりゃ釣りにも気合が入るってもんだ。それと今日はフィルドが料理を作るって聞かないからそのつもりでいてくれ」
「私だって、あれから少しは料理できるようになったのよ? 見てなさい、皆を唸らせるものを作ってやるから!」
フィルドは勝ち気そうに腕をたくしあげると、ずんずんと家の中へと消えていく。
(大丈夫なのか……)
俺はその背中に若干不安を覚えたが、トコトコと隣を歩くキュルクを連れて我が家へと向かう。
家に入ると、キュルクは目をぱちくりさせてキョロキョロしている。
「シルフィさん、キュルクってここに住まわせても大丈夫ですか?」
「いいんじゃないか? 偶に前の川で水浴びさせてやれば問題ないだろう」
シルフィの話によると、キュルクは、活動するときは本来この姿らしい。姿はこんなだが、高位の魔物なので体は丈夫なのだとか。さすがは神の眷属と言われるだけのことはある。
「その、この子は魔物なんですよね? こんなやさしそうな子なので危害は加えないとは思いますが、どれほどの力を持ってるんですか?」
これからこの子と同居することになるだろうから、一応、である。
「キュルクは平穏を好む魔物だ。それ故に普段はああいう沼や湖の深くに身を潜めている。そういう生き物だから最初はついてくるのに驚きはした。力についてだが、さっきも言った通り、平穏を望む生き物であるから危害を与えるような力はほとんどない。その代わりに降雨を敏感に察知したり、水源を探し当てたりすることに長けていると聞く。あとはさすがに私も知らんな」
「なるほど。見かけどおり優しい子なんですね」
体長は頭からしっぽまで70cmはあるが、可愛らしくて、不思議と気品のある外見からは威圧感は無い。今もこちらを見てしっぽをフリフリさせている。
(あ、そうだ。ご飯あげてみよう)
俺はシルフィから魚が二匹入ったビクをひったくると、中からそっと小さい方を掴み取る。そして脇にある布切れの上に置いてやると、キュルクの目が輝いた。
「ん? 食べてもいいのだぞ。お前の今晩の夕食だ」
シルフィが優しく諭してあげると、トコトコと魚のもとへと向かっていく。もう一度今度は俺の方を見遣り、俺が頷いてやると、さっと魚を口にくわえる。
パクパク、ごっくん。
キュルクは魚を丸呑みにした。その様子も実に愛嬌があり、ついもう一匹あげたくなる。
だがキュルクはお腹をぺたんと床に付ける。どうやらもうお腹がいっぱいらしい。
シルフィを見ると、満足げな表情を浮かべている。案外キュルクは小食なのか。
「使い魔って言ってましたよね? 僕は別にこうやって家にいてくれればいいんですが、使い魔ってどうやったらなるんですか?」
「ハハっ、こいつはもうお前の立派な使い魔だ。高位の魔物は人に近付こうとしないし懐こうとも普通はしない。だが見てみろ。こんなやって安心しているなら使い魔の他はあるまい」
当初俺は、特別な「血の盟約っ!!」なんかを経て使い魔になると思っていたが、どうやらそうではないらしい。
若干残念な気もするが、隣で気持ちよさそうに喉を鳴らしているキュルクを見ると、そんなことはどうでもよくなってくる。使い魔と言うよりは、ペット、に近いかもしれない。
眠そうなキュルクの近くに、布団代わりの布切れを置いてやると、俺たちはフィルドの作る夕食へと向かった。




