世界はどこまでも蒼くて
我が家にシルフィードさんという風変わりな家族が増えた。
ガルクスさんはシルフィードさんのおかげで俺が助かったことを知ると、快く迎え入れてくれた。現在シルフィードさんとはあばら家で一緒に暮らしている。
当初は、妙齢の女性とひとつ屋根の下で暮らすことに鼻息を荒くしていた俺だが、しだいにガサツな神様を必要以上に意識しなくなっていった。
「ほらッ、もう朝ですよ! もう、いつまで寝てるんですか!! ほら今日は天気がいいですよ」
「う~むあとちょっとだけ……。ちょっとだけ……」
「もうその言葉何十回も聞きましたよ!! ほら、起きろっ!」
寝起きの悪い神様に業を煮やし、俺は布団を剥ぎ取る。
「おぉい!!……そりゃあないだろう。このっ祟るぞ!」
「はいはいやっと起きましたね。目も冷めたようですし顔洗ってきてください」
俺も寝起きは悪い方なのであるが、この神様は悪いなんてもんじゃない。下手したら夕方まで寝ていそうな勢いだ。祟る余裕があったら起きろってんだ。
しばらくすると、顔がしゃっきりとしたシルフィードさんが戻ってくる。
「今日は本当にいい天気だな。ここ2日くらい雨だったから久しぶりだな。今日は外で釣りをするぞ」
「いいですよ。でもその前に朝食を手伝いましょう」
シルフィードさんはあれからすっかり釣りにご執心である。なんでも、ウキが潜る瞬間がたまらないのだとか。
「それとだ。私のことはシルフィでいい。敬語もいらん。これから付き合いも長くなるだろうからな」
愛称はともかく、神様相手にため口はちょっと憚られる。
(まあ、急がなくてもいいよね)
俺は頷いて一応了承する。
今日の朝食は、パンに肉の燻製を挟んだものだった。
ベーコンはカリカリに焼いているが、所々お焦げも目立つ。これは、シルフィードさん、シルフィが私にもやらせてくれというので焼くのを任せたところ、嬉々とした表情でベーコンを執拗に苛めていたものである。気付いた時にはもう遅く、良い匂いと共に端の方が焦げてしまっていた。
村の人からお裾分けで貰った野菜も、お好みでパンに挟み込んでかぶり付く。その瞬間、油の焼けた香ばしい香りを野菜が優しく口の中に広げてくれた。
その美味しさに、ガルクスさんがたまらない、といった表情でこぼす。
「美味いな!! 朝からでも食欲がそそられる。所々焦げているようだが、それもなかなか悪くは無い」
「だろう? 私がじっくり焼いてやったのだ。美味くないはずがあるまい」
そう言いながら、シルフィは野菜をモッサリとパンに挟み込む。そして大きな口を開けてむしゃむしゃ咀嚼する。その姿は豪快だが、不思議と勇ましくもあった。
朝食を終え、俺たちは今日することを胡坐をかきながら話し合う。ガルクスさんも今日は暇だというので、3人で外で何をするか作戦会議中だ。
「私は釣りに一票だ。紅が獲ったウィンドフィッシュを私も釣ってみたい。それにこの辺は魚の楽園だ。まだ見ぬ獲物がいるかもしれんぞ」
「俺はヴァルグを倒したくらいの紅の飛行の腕前を見てみたいな。夕食の席で練習の成果は逐一報告してくれるが、やはりこの目で見てみたいからな」
シルフィの提案にガルクスさんも続く。俺としてはどちらでもいい。
「時間はたっぷりありますよ。飛んだあと、涼しくなった頃に釣りをすればいいんじゃないですか?」
『それがいい!』
重なる声をきっかけに、各々は準備へと向かった。
***
「忘れ物とかないですか?」
「俺は無いぞ」
「私もだ」
二人の返答を聞き、俺はガルクスさんからパクったホウキを片手に歩き出す。
「ガルクスさん狩りでもするんですか? 様になってますよ」
ガルクスさんは、その長身に立派な直槍を携えているのだ。剛直な胴の先は、分厚い皮にスッポリと収納されている。
「まだヴァルグの残党がいるかもしれんから一応な。ハンターは武器が手元にないと落ちつかないのが理由なんだがな」
「そこそこの業物のようだな。華美な装飾がなく実用性に優れているようだ。殊勝なことだ」
そう仰るシルフィの片手には、何故か釣り竿が握られている。
(さては散策がてら川に垂らすつもりだな)
「シルフィさん何で釣り竿持ってきてるんですか? 釣りはこれが終わってからでも十分できますよ」
「はは、ガルクスと一緒で一応というやつだ。立派な獲物がいて指をくわえているのは嫌だからな!」
一理あるが、それじゃあもう立派な釣りバカである。
しばらく歩くと、ヴァルグと死闘を繰り広げた広場に辿り着いた。
「ここでヴァルグと遭遇したんですよ。先にシルフィさんが闘ってましたけど。開けてるおかげで飛び上がれて命拾いしました」
「ここにあいつがいたのか……。ちょっと周辺を探索してくるぞ」
その掛け声とともにガルクスさんは森に消えていった。
「大丈夫ですかね、ガルクスさん一人で」
「問題ないだろう。あれでも修羅場をくぐりぬけてきたであろう勇士だ。すぐ戻るだろう」
(修羅場って)
「ガルクスさんが手練なのは分かってますけど、修羅場をくぐってるんですか?」
手練といえど、今まで、気さくな人柄からはとげとげしいオーラは感じられなかったのだ。
「ああ、まずあいつに任せておけば大丈夫だ。それよりも、その杖に跨ってまた空を飛んで見せてくれ」
「わかりました」
杖じゃなくてかっぱらったホウキなのであるが、良い機会なので、俺の華麗なテクを披露することにする。
「じゃあちょっと離れててくださいね、一応」
そう言い残して、俺は広場の中央に歩いていく。
やがて、ヴァルグが暴れ回ったせいで、地面がハゲになった中央部に辿り着く。
俺は相棒に跨ると、準備完了とばかりに声を発する。
「行きますよ!!」
「ああ。飛べッ!」
俺は手に力を込めると、満を持して粒子を操る。
『フワォォオオアアアアアア』
下半身に力を込め過ぎ、離陸は急発進と共に終了する。
空が蒼い。どこまでも蒼い。きっと明日も晴れるだろう。
俺は下に向かって手を振ると、シルフィもすぐに手を振り返す。表情を崩して興奮気味だ。
吹きつける風に身を委ねていると、何やら下が騒がしい。俺は髪をなびかせて下を窺う。
ここから仰ぐと広場が小さく見えるが、どうやらガルクスさんが帰ってきたようだ。
『おーい!! すごいな、本当に飛んでるんだなッ!!! 飛び回って練習の成果を見せてくれ!!』
急降下して了解の意を伝えると、再度上昇して粒子をコントロールする。
例えるなら風。背中を優しく押してくれる、一陣の風をイメージする。
『ヒュォォオオオオオオ』
俺は自転車が走るよりも速い速度で、蒼い海を自在に泳ぎ回る。はるか上空には大型の鳥が旋回し、俺の空の旅を祝福してくれているようだった。
(気持ちいい……)
10分ほど広場の上空を飛び回ってから、ゆっくりと下降して地面に降り立つ。ガルクスさんとシルフィさんが興奮した表情で迎えてくれる。
「おい、凄いな紅! あれじゃまるで風の精みたいだったじゃないか! いや、いいものを見た。ハンターとしての未来も明るいぞ!!」
「ガルクスが言うように、紅は風の精のように自由に空を走り回るのだな。なぜだが知らんが、私も懐かしい思いがしたぞ」
二人は、手放しでさっきの様子を褒めてくれるので、俺は照れくさくて頬を掻きながら聞いていた。
「あれくらい飛べるまでかなり苦労しましたけどね。練習の賜物です。でもまだまだですよ。空を飛ぶ鳥たちはもっともっと自由でしたから」
「たしかにまだ伸びシロはある。魔法の制御がさらに上達すれば、誰から見ても精霊たちが駆けまわっているように見えるだろう。今度私も是非乗せてくれよ!」
「ああそうだ。怖そうだが俺も空を旅してみたい。さらに上達したら是非後ろに乗せてくれ!」
後ろに人を乗せて、ホウキで空を飛び回るなど、日本にいたときは誰ができると思うだろうか。誰も思わないだろう。俺もそうだった。
しかし、現実はどうだろうか。
鳥があんなにも身近に感じられた。でも、少し遠くにも感じられた。
俺はもっと成長して、いつかこの世界で自由に羽を広げて生きていきたい。
そう、思った。




