狂人ヴァルグと森の神シルフィード
「ああそうだ。あそこの籠忘れるなよ」
見ると、森の木陰に籠が置いてある。騒ぎで今日の収穫をすっかり忘れていたのだ。
籠をよいしょと背負う。中身を確認してみたが、無事なようだ。
「これ、ありがとうございます。意識失ったので、中身はメチャクチャだと思ってました」
「礼には及ばん」
つかつかと俺が先導すると、その後を女性が魔物の巨体を背負って続く。
「そういえば名前を聞いていなかったな。命の恩人だ、名前は覚えておきたい。私はシルフィードだ」
「僕は望月紅です。紅でいいですよ」
「紅だな。あい覚えておく。そしていきなりだが、紅はこの世界の住人ではあるまい?」
「え゛?」
なぜ俺の身の上が分かってしまったのだろうか。神様だからなのか?
「あまりにも唐突だったな、すまない。さっき言ったろう。私はこの森の神であると。永いことここにいるとな、この森の住人ではない者くらい気配で分かるのだ。ここに来て、数十日になるな」
「その……」
ガルクスさんにも一応、俺がこの世界の住人ではないことを打ち明けたが、この神様は本質を突いてきた。
しばらく無言を貫くと、俺は意を決して打ち明ける。どうせ神に隠し事したっていずれバレるのだ。
「ほう、なるほどな。異質な存在だとは思っていたが、そんなことがあったのか」
「はい。ここに来て、すぐに親切なこの世界の住人に拾われたんです。ガルクスさんっていう人なんですけどね。それからずっとお世話になっています」
洗いざらい身上を話した。神様ならきっと理解してくれるだろう。
「それは不幸中の幸いだったな。紅の世界では魔物など存在しないのだろう? そやつがいなかったら今頃餌にされていたかもな。あ、これはすまん。」
何気に物騒なことを仰る。無意識にシルフィードさんが背負っているソイツを見る。血走った目を剥いて涎が滴っていた。まるで今も生きているようだ。
「怖いこと言わないでくださいよ! ……でもそうだったかもしれませんね。僕は案外運がいいのかもしれない」
「ははっ。私も是非その運にあやかりたいものだ。先ほども救われたしな」
「それはもういいですよ。そうだ、記憶を辿るって言ってましたけど、具体的にこの後どうするんですか?」
「そうだな。しばらく旅でもしようかと思う。紅にはそれを手伝ってもらいたい。もちろん、私にできることはするつもりだ」
旅か……。ガルクスさんと二人でスラハ村でのんびりと暮らすのも悪くなかったんだけどな。
「旅ですか。ああ言ってしまったのでしょうがないんで付き合いますが、少し色々と落ち着いてからでいいですか? この先の村でお世話になっているので」
「ああいいぞ。私は神だからな、時間にはさほどこだわらん。それに付き合ってもらうのもタダとは言わんぞ」
そう言うと、よいこらせっと両肩に魔人を背負いなおし、粗末な小麦色のローブの胸元から、一粒の石を取り出す。石は淡い翠色で、太陽がきらきらと透き通っている。
「これをやろう。この石は魔法の制御を容易にしてくれる。紅の魔法は威力こそ特筆ものだったが、制御は粗削りと見えた。いや、貰っておけ。旅の道中でも役立ってくれるはずだ」
神からの贈り物など恐れ多いと思って一度は断ったが、貰っておけと言われたので今度はしっかりと受け取る。
「ありがとうございます。じゃあ貰っておきます」
村の畑が遠くに見えてきたところで、慌てて俺は畳みかける。
「シルフィードさん。森の神様だなんて言ったら村中大騒ぎになるので、その、旅人にでもしておきませんか?」
「ふむ、なるほどな。それはそうだ。ではこの先も旅人と名乗ることにしよう」
「お願いします」
そう言葉を交わすと、俺と神様は森から道路に下りて行った。
***
「おい、なんだ、村が騒がしいぞ。私の威光に慌てているのか? それともこいつが原因か?」
「後者だと思います……」
案の定、巨大な魔人を可憐な女性が一人で背負っているので、二重の意味で目立ってしまった。こうなるんじゃないかと思っていたのだが……。
「それでこいつは何処に持っていけばいいんだ? さすがの私もそろそろ疲れてきたぞ」
「前に言ったギルドですよ。ここをもう少し直進したらあります。ほら、ここからでも見えますよ」
シルフィードさんは俺の言う方向を目を細めて見ると、しきりに何事かを言っている。
「あれがギルドか! ほう、なかなか立派な建物じゃないか。あんなのは初めて見るぞ。いや、なかなかどうして年季が経っていて素晴らしいじゃないか」
「シルフィードさんもそう思います? うふァ、僕もそう思うんですよ!!」
そして二人でガッチリと握手をする。危うくシルフィードさんは背中の巨体を落っことしてしまいそうだった。手を握るシルフィードさんの手はひんやりと冷たかった。
「ここですね。重そうですし入りましょう」
ギギィとギルドの扉を開く。
すると、何事かを聞きつけて集まったのか、見知った顔が大勢いた。
「おぉい……。あれ本当だったのかよ……。おい! ちょっと近づかないでくれ!!! ヒィィイイ!」
「キャァァアアアアア!!! そこ、そこに置いてください!!」
人々はシルフィードの抱える魔人を見て絶叫する。無理もない。俺も近くづきたくないから。
そのときである。
「おい紅! そりゃどうしたんだ!! もしかして森にいたのか?!」
ガルクスさんだ。隣の村での用事はどうやら終わったらしい。
「はい。ほら、この籠を持って薬草を採ってたんですが、運悪く鉢合わせしてしまって。隣のシルフィードさんは通りすがりの旅人さんで、一緒に奮戦したんです」
「そいつをたった二人でか……。ヴァルグはAランクのハンターでもチームを組んで戦うんだ。さすがに今回は信じられん! どうやって倒したんだ!!」
シルフィードさんは重さに耐えきれなくなったのか、ドゴッと音を立てて魔人を転がす。それに合わせてサーッと人が引いていく。
「僕は空に飛び上がっても魔人、ヴァルグの攻撃を避けることしかできませんでした。ヴァルグは木を引っこ抜いてそれを投げつけてきたんです。でもシルフィードさんがそこへ駆けてつけてくれて、魔人がバランスを崩して。それで僕が必死に跳ね返した巨木が、運良くヴァルグの胸に突き刺さったんです。そのあとは僕も分かりません」
「そのあとしばらく起き上がろうとしていたが、やがて力尽きた。そして強力な魔法を打って気絶した紅を意識が戻るまで介抱した。それが今回の顛末だ」
シルフィードさんが続けてくれる。
今回ヴァルグを倒せたのは、偶然に偶然が重なったからなのだ。おそらく真っ向から二人で挑んでも返り討ちにされていた。
「なるほど…そうだったのか……。いやまだ信じられんが、ヴァルグがそこに転がっているというのは、そういうことだったんだろう」
ガルクスさんも頭では理解できたようだが、目の前の常識外れの現実に未だ混乱しているようだった。当事者の俺も、完全に納得できたわけではない。
しかし、目の前に転がる魔人が、現実であることを如実に訴えていた。
「うわぁ!! やっぱり紅さんは魔法の達人なんですね!!!」
とそこへ、いつかのギルドの受付嬢が割って入ってきた。なぜか目がきらきらしている。
「この前のベルマーもそうだったじゃないですかぁ!! ベルマーも凶暴ですけど、狂人の由縁を持つヴァルグまで倒しちゃうんですもんね! すごいッ! スゴイッ!!!」
俺は詰め寄られて、尻もちをついてしまった。




