ウィンドフィッシュ
ここ1週間ほど、俺は魔法の練習を続けながらも、釣りをするために道具作りに勤しんでいる。
釣りをしたいとガルクスさんにかけあって分かったことだが、この世界にはどうやら魚を釣る概念は無いという。
投網、そして大きい魚は銛や銛で突いて取るらしい。それらも面白そうではあるが、やはり釣りには勝らない。ちなみに投網はこの村では禁止されているらしい。大抵の場所でも、環境保護のために禁止されているそうだ。
そんな訳で、今は竿作りに着手している。
適当に林の中で見繕ってきた枝を干し終えて整形中だ。なるべくまっすぐでしなやかなモノを選んできた。本当は憧れのバンブーロッドが欲しいところだが、切り出して処理する技術も無ければ、そもそもその辺には竹らしきものは見当たらない。探せばあるのかもしれないが、このところ色々物騒なので自重しておいた。
取ってきた枝切れは意外と中身が詰まっているようで、壁に押し当てて曲げてみると粘りがある。案外悪くないかもしれない。振ってみるとヒュンヒュンと軽快な音がする。
糸はどうにでもなるとして、問題は釣り針である。釣りが存在しない以上、残念ながら期待できないのである。
「針どうしようかな。何か曲げて作るしかないよなぁ」
あぐらをかいて作業をしながら独りごちる。
「……そうだ、裁縫用の針ならいけるんじゃないか!」
思い立ったが吉日、さっそく飛んでガルクスさんのところへ行って頼み込んでみた。そうして三本の短い縫い針をもらった。
「もしかしてガルクスさん縫物できるんですか?」
「ああ、簡単なほつれ程度なら直せるぞ」
ガルクスさんはなんでもできるのか……。
これは女性も顔負けである。
「じゃあお借りしますね。」
もちろん借りパクするつもりである。出世払いってやつ。
家に戻り、俺は床にもらった針を押し当てて曲げてみる。だがしかし、フローリングの床では十分に曲げられなかった。
そこで今度はガルクスさんの家の石壁に押し当てる。悪い顔をしながら指先に力を込める。
「んぐぐググ。……よし、できた!」
慨形であるが、直線の針を弧を描くように曲げることが出来た。あとはフローリングでも問題は無いだろう。魚がバレないように、微調整はそのときすればいい。
焼き入れと焼き戻しもするか。
***
二日後、絹糸を同じくガルクスさんから数mいただくと、久しぶりに川へと繰り出した。ちなみに、ガルクスさんは未だに何をするのか理解できていなそうだった。
針はやや内側に反った感じに曲げ、糸を通す穴にそのままハリス兼道糸を結ぶ。ウキはその辺に落ちていた鳥の羽である。さぞかし感度がいいことだろう。
エサを探す。俺はガルクスさんに借りている粗末なメッシュの靴を脱ぐと、すこし前に落っこちた川にざぶざぶと入っていく。といっても、向こう岸のレキが転がる浅瀬である。
「んっしょッ!」
ぐぐっとレキをひっくり返す。いるいる!
おそらく水生昆虫やその幼虫だろうが、肢体を懸命に動かして逃げようとする。俺も負けじと、逃がすまいと手を突っ込む。これもまた借りてきた、陶器の椀の中に川の水と一緒に掬い入れると、小さい器の中に放り投げられた昆虫たちは、元気に泳ぎ回っている。
君達が今日の主役である。かれこれ十匹は捕まえる。
土手に戻り、2mちょっとの竿に仕掛けを先端の節に結び付ける。竿を、仕掛けを持ちながら曲げてニタリと満足する。
そして針先に慎重に虫をくくり付けた。ちょっと可哀想だが気にしない。
ひょいと川の肩に仕掛けを投げ入れる。するとすぐにまた静寂が支配する。右から左へ、羽がゆっくりと水面を這っていく。
十秒ほど眺めていると、ぐいッと羽が水中に引き込まれた。
「よっしゃきた!」
竿がググンと弧を描きながら水中に引きずり込まれた。
それを、必死になんとかいなす。そして竿を垂直に立てると、やがて深緑の川底から魚影が浮き上がってきた。
「い゛いぃよぉーし!」
糸が切れないかとひやひやしながら土手に上げる。
ピチピチと暴れのたうち回る魚は、深い翠色で鱗がきめ細かく、そして幅が広い。大きさは手のひら一個半であるから、25cmくらいだろうか。驚くべきことに、背びれがなんと体高の二倍くらい斜めに突き出ている。河川や渓流でこんな神秘的な魚は見たことがない。
「うわ、何だこれ? 図鑑でもこんなの載ってたっけな。しっかし上手く釣れたもんだな~」
一通り装備を整えた俺も、まさかこんなにあっさりと釣れるとは思っていなかった。
その後も四匹の魚を釣ることが出来た。最初の魚は一匹しか釣れなかったものの、イワナの亜種であろうオレンジの斑点が綺麗なマスをそれだけ釣りあげた。1日目にしては驚くほど大漁だった。
「さてと、日が落ちそうだしそろそろ戻ろう」
綺麗にツルで編み込まれたビクを背負う。今日は五匹も釣れたが、肩にかかる負担はさほど気にならなかった。
(ガルクスさん喜ぶかな。二匹は誰かにお裾分けしよう)
我が家に戻る大漁の釣り人の足取りは軽かった。
***
家に帰りガルクスさんにビクを手渡すと、信じられないといった顔でこちらを凝視し出した。
「おい、これ本当に紅が獲ったのか? こんな匹数獲るには、半日粘らないとまずダメだ。何だったか、例のやつでこれを?」
「そうですよ。えっと、僕の故郷では良く知られた獲り方なんですよ。魚釣りって言うんですけどね。糸の先端に曲がった針を結んで、そこに魚の好物を付けるんです。仕掛けを魚に悟られないように気をつければ結構簡単に釣れますよ。この辺の川の魚は警戒心薄そうですし」
日本にいたときは道楽で続けているくらいの腕前だったが、あんなに簡単に釣れるなんて、この世界の魚は警戒心が薄いとしか思えないのだ。
「ほう! そりゃすごい。俺でもできるのか?」
「もちろん、ちょっと気を遣えば出来ますよ。それに、魚釣りって、魚を釣るのを楽しむのが大きいんですよ。食料調達だけじゃないんです」
「それは興味深いな。明日は俺も連れて行ってくれ」
「もちろんです。一緒に色々話しながら釣るのも楽しいんです」
魚釣りは一人でも楽しいが、釣り仲間と一緒だと楽しさは倍増だ。自然に囲まれてのアウトドアは最高である。ガルクスさんもきっとやりたいと思って、竿と仕掛けもしっかりもう一セット作ってある。
ビクを預け、今日の夕食は何だろうかと考えて踵を返すと、後ろから、再び驚いたような声でガルクスさんに呼びとめられた。
「おいおい、こりゃあ……。この緑の、ウィンドフィッシュじゃねえか! これも釣ったのか?」
あの緑で背びれの大きい魚のことだろうか。あれは実に神秘的で、釣ったとはいえ食べるにはちょっと勿体ない。
「背びれの大っきいやつですか? ならそうですよ、一投目に食い付いたんです」
「このウィンドフィッシュはな、滅多に獲れないんだ。一年に数匹だ。恐らく警戒心が強いんだろうな。そんなんだから、獲れたときは新鮮なうちに大騒ぎで急いで街に運んで行くんだ。それほどのやつだ」
なんだと! 一年に数匹ってかなりの珍味じゃないか。どうりで立派な訳だ。
「そんなに珍しいんですか! そんなんだったら食べるのも勿体ないですよね。どうします?」
「そうだな……。銛で突いたんじゃないから傷も無いしな…。形も立派だ、商人に任せよう」
つまり、売るということだろう。確かに傷も無いし、また近いうちに獲れるだろうから快諾する。
「そうしましょう。それでいくらくらいで売れるんですか?」
「ハハ、それは売れてからのお楽しみだ!」
ガルクスさんはホクホク顔だ。一年に数匹と言っていたし、かなりいい値を期待できるのではないだろうか。
その日はマスのフルコース。自然の恵みに囲まれた二人の食卓は、終始ウィンドフィッシュのことでもちきりだった。




