異郷の地で羽ばたいて
「ごちそうさま」
量はちょうど良く、満腹感が心地よい。
小鳥のさえずりを聞いてるいるとなんだか眠くなってくる。俺は弁当箱を風呂敷に包みなおし、木の根を枕に昼寝をすることにした。
ぽかんっ
「痛ッ!なに?!」
頭を襲った頭痛に目を覚ます。周りを見回すと、だらんと伸ばした足元に特大サイズのピピの実が転がっている。犯人はコイツだった。
ソイツをひん掴み、乱暴な手つきで籠の中に投げ入れる。せっかく惰眠をむさぼっていたのに台無しである。
俺はぶつぶつと文句を言いながら、またピピの実を集める作業に戻る。
下の方はほぼ採りつくしてしまったが、上の方はまだまだ上物の実がいっぱいなっている。三脚や高枝ばさみがあると楽なのだが、あいにくとそんな便利なものはここには無い。
こうやってモノ欲しそうに見つめていても埒が明かないので、少々行儀は悪いが、枝を足掛かりにして木を登る。
「ぃいい゛よいしょッと!」
見た目に反してピピの木は枝がしっかりとしていて、案外楽に登ることが出来た。
実をもぎ取り籠に放り投げながら更に高く登る。やがて数mも登ると疲れてきたので、一際太い枝を見つけて一休みする。
「うわー……」
村が展望できた。
手前に広がる畑に見える黒い点は、農作業をしている人たちだろうか。さすがにこれくらい登ると、蒸し蒸しとはせずに風が頬を通り過ぎる。腰をおろしている枝はかなりしっかりとしているから、しばらくはここで実の選別作業でもしていよう。
ぽいぽいと痛んだ実を投げ捨てていく。これはまた土に還って栄養になったり、新しい命を育んだりするだろう。
やがて作業を終えた。籠をゆっくりとまた背中に提げた後、今度は慎重に木を下りていく。
(登るときより降りるときの方が怖いんだよな。ひぇッ、あんなに高い……)
恐る恐る足を降ろしていると、ようやく5mくらいのところにきた。ここからが正念場である。
「そーっと、そーっと。よ~し……。ってウワァァァァアアアアアア!!!!」
俺が枝からズリ落ちたのではない。枝が折れたのだ。
「ウォアアアアアアア!!」
ものすごい勢いで地面が目の前に迫ってくる。
3mくらいの木から落ちたことはあるが、今回はその二倍近くの高さがあった。
迫り来る地面の速さを見て、俺はこれはただでは済まないと思った。思ったのである。
「……アレ?」
数mのところで俺は静止していた。
落下の風圧と恐怖の涙で目がしぱしぱしたが、すぐに、俺は自分が物理法則を無視していることがわかった。
尻には野太い枝が押し込まれていた。
***
「アレ?」
俺はまさに今、空中に静止している。木の葉がさらさらと風に揺れているので、世界が止まっているのではない。
「な、なんだこれ?! 下ろせって!! くそッ」
力むあまり、俺は失禁した。温かいものが股に広がっていく。漏らしたのは小学校の三年生以来である。しかし、そのとき俺に羞恥を感じる余裕は無かった。
ズドンっ。
下りられた。腰を打った。痛い。
着地と同時に、ドバーっとせっかく集めた実がこぼれ落ちる。だがしかし、問題はそこではなかった。
浮いていた。その言葉が頭を何度もよぎる。
腰をさすって大きなけがは無いことを確認すると、俺はその言葉が何を意味するかを悟った。
(浮いてた、さっきたしかに浮いてた……。今思うと長くはなかったけど、あれが飛ぶってことか? あの状態で同時に加速すれば、自在に飛び回れるんじゃないのか?)
冷たくなった股を気にしながら考える。
あんなに高いところから、また無防備に落ちるなどまっぴら御免だが、うまくそれと同じような状況を作れないだろうか。
こぼれ落ちてその辺に広がった実をかき集める。
そして弁当を持って家路につく。
まだ日は落ちていない。あの感覚を忘れないよう、籠をガルクスさんに渡したらすぐにでも練習に取り掛かりたい。そして、悲願の魔法での飛行に漕ぎつきたい。
はやる気持ちを抑えながら帰宅する。幸い着ているのはぶわっとした貫頭衣なので、手渡したときに失禁をガルクスさんに悟られることは無かった。ひとまず安心する。
だが下着を履き換える時間も惜しい。そう思って部屋のホウキをひったくり、森の方へまた向かう。
森についた。
一応人目につかぬよう、五分くらい奥へ分け入っていく。
やがて手頃な木を見つけると、器用にホウキを片手に登り始める。さっきのような立派な木ではないので、枝から枝に登っていくと、じきに3mほどの地点に到達する。
これくらいで十分だと判断すると、まだ冷たい股にホウキを挟み込み、意を決して俺は飛び下りた。
『……』
涼しくなった風が、枝の間から股間を撫でる。冷たい。
やってやった。俺はついに、滞空に成功したのだ。
「いよっしゃぁあああアアアアアアアア!! ふほッ! 浮いてる浮いてる!!!」
わずかに体が上下左右に揺れるが、まさに俺は今この瞬間、空気中に静止しているのだ。
感覚としては、浮き輪につかまって海中に下半身を晒しているときの感覚に近い。言葉として表現するのは至難だが、なんとも言えぬ所在なさを感じられるのだ。
その日は辺りが暗くなるまで練習をした。登って飛び下りて、登って飛び下りての繰り返しである。猛練習のおかげで、滞空だけならばできるようになった。
***
薄暗い道を小走りで滑ると、我が家に到着する。夕食を囲んで、早速ガルクスさんに今日の成果を報告する。
「ついに浮いてられるようになったんですよ。コツを掴んだきっかけは事故だったんですけどね。あはは、そう。偶然でしたね」
「お弁当絶品でした。美味しい空気の中で食べると、すんごく贅沢ですよね。今度一緒に行きませんか?」
日々の練習の苦労が実り、自分でもとても充実した一日だったと思う。それをこうやってガルクスさんと分かち合えるのだから、これほど幸せなことはことは無いと思った。
「今度は俺も是非乗せてくれよ。それにしても、最近はよく笑ってくれるようになったよな。いいことだ。フィルドの奴が来たらもっと賑やかになるな」
スプーンでスープを掬いながら、ガルクスさんは穏やかに言う。
たしかにこの世界に来てしまった当初はどこか上の空だったような気がする。
無理もない。ふとしたときに両親のことを想ったり、夢の中で大学生活を思い出したりもする。
でも最近は、少し落ち着いてきた。それがいいかどうかはまだ分からないが、もう少しすれば、答えが出るような気もする。
「色々ありましたけど、おかげさまで大分馴染めてきたような気がします。村の人たちもとても気さくですしね。どれもこれも、ガルクスさんのおかげです。感謝してます」
「はは、どうってことないさ。午前は畑を手伝ってもらってるしな。俺一人だったらああはいかなかったぞ。俺も今の生活には満足してるんだ。これからもよろしく頼むぞ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そうだ、いよいよ明日からは飛び回る練習を始めよう。上手くいったら久しぶりにギルドにも顔を出してみようか。
ハンターとして、少しでもこの村の平穏を守りたいと思う。それが俺に出来るせめてもの恩返しだ。
父さん母さん、色々あったけど、俺はこうして、ここでなんとかやってます。今、どうしてますか?




