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Lost Place  作者: 宮野香卵
第四章 例え痛い目にあったとしても、必ず真実が明らかになるとは限らない
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15

 何故、こんなことになったのだろう。

 蓮は一人、ぼんやりと虚空を見つめていた。

 それは文字通り、謎の襲撃だった。どこの誰か行ったのかもわからない、何の意図があったのかすら定かではない。

 その、まさに悲劇としか形容しようのない出来事から、既に三日が経過していた。

 もしかしたら、町の偉い人たちは何か目星が付いているのかもしれない。が、少なくとも蓮には伝わってこなかった。

 負傷らしい負傷をしていないために町の復興に駆り出されている面々からも、それらしい話は聞けていない。

 重傷者に割り当てられた部屋で、蓮は溜め息を吐き出した。そこは、領主館の中にあった。領主の館というだけあって、館内には大小様々な部屋が無数にあるらしい。

 負傷者の大半がここに収容されていて、それは陸斗と蓮も同じだった。軽傷者は治療した側から町へ送り出される。が、重傷者はそうはいかない。

 そこは本来ならパーティでも催されそうな、とてつもなく広大な広間だった。主に命に別状がないと判断された重傷者が詰め込まれている。

 高い位置に紐を張り巡らせて、そこにシーツをかけることで簡易的な仕切りが作られていた。

 割り当てられた区画には、やや余裕がある。しかしそれでも、純白の仕切り越しに時折耳を塞ぎたくなるような呻き声や叫声が聞こえた。

「何、で」

 蓮は、思わず途方に暮れたように呟いた。

 三日目ともなれば症状も安定してくるのか、今日は室内が静かだ。時折、医者と助手の押し殺した囁きが聞こえてくる。

 床に寝かされた陸斗は、どことなく顔色が悪い。それでも、場違いなくらい平和な寝顔をしていた。その様は、とても重傷者とは思えない。

 蓮は思わず、右肩を押さえた。負傷した肩は、本調子にはほど遠い。が、医者から付けられた湿布のようなもののおかげで、回復は順調すぎるほど順調のようだ。

 それなら、きっと陸斗も大丈夫だ。

 蓮は、必死で自分にそう言い聞かせる。本当に危篤の重傷者は、それぞれ個室を割り当てられているのだ。ここで雑魚寝している以上、陸斗は大丈夫だ。絶対に。

 思い出したくないのに、脳裏に三日前の光景が過ぎる。

 アウスの先導で陸斗とクーの元へ向かっていた三人は、町の中心へ進んでいたという二人と鉢合わせした。クーも体中に切り傷や擦り傷や打撲をこしらえていたが、陸斗の傷はその比ではなかった。

 腹部を横切るものと、右肩から左脇腹に到達しているもの。ざっくりと、体に切れ目が入っていた。

 それは化け物に襲われた結果できたものではなく、明らかに人の手によってやられたもの。少なくとも、医者からはそう告げられた。

 ぐったりとクーの背中に負ぶさっている陸斗の姿が、脳内で瞬く。同時に心の奥底にこびりついていた光景まで蘇った。

 真っ白な部屋、真っ白なシーツ、痩せ細った腕と痩けた頬。

 蓮は、頭を抱えて呻く。吐き気がした。

 ──オレのせいだ。オレがいたから、陸斗は。



 耳障りな、音が聞こえる。瞼の裏を通して、白っぽい光が見える。

 体にかかっているシーツが薄っぺらくて、少し肌寒い。

 この音は、何だろう。注意して聞いていると、いくつか思い当たるものがあった。

 一つは、自分が呼吸している音。隙間風のような調子で、ひゅうひゅうと響く。

 そして、もう一つは。

 陸斗は、ゆっくりと目を開いた。自分は、どうやらどこかに寝かされているらしい。背中が痛いのは、ほとんどそのまま床に寝転がっているせいだ。

 顔を横に向けると、蓮が俯いていた。その場に座り込んだまま、その両肩が不規則に跳ね上がる。左腕で乱暴に目元を擦る。

 瞬間、陸斗は音の正体を理解した。これは、嗚咽だ。

「……れ、ん?」

 眠り始めてから、どれくらい経っているのだろう。声はやたらと掠れていて、喉の粘膜をざらざらと擦っていく。

 蓮が、弾かれたように顔を上げた。黒というより茶の強い虹彩。その双眸から、だらだらと涙が零れていた。

 一瞬きょとんと固まっていた彼の表情が、ぱっと明るくなる。

「陸斗っ!」

 瞬間、至る所から、ちょうどカーテンを勢い良く引いたような音が聞こえた。蓮は慌てて口を押さえると、おどおどと周囲を見回す。

 幸い、両隣からは物音すらしなかった。

 肩を縮めて蓮が固まっている間に、今度は幾分静かに先ほどと同じ音が聞こえた。

 陸斗はその様子をぼんやりと眺めながら、僅かに息を吐き出した。濃密な消毒液の匂いが、鼻の奥の方にこびり付いている。

 ふと見回したところ、蓮以外の人影は見当たらなかった。そもそもこの狭い空間では、みんないたところで入ってこられなかったかもしれないが。

 じわじわと蘇りつつあった記憶が、シリルと出会った時点まで到達する。そういえば、彼はどうなったのだろう。

 ぬらぬらと光る血溜まりの中に沈む、少年の背中。

 しかし、蓮はシリルのことを知らないはずだ。どう聞こうか散々迷った末に、陸斗は結局一番無難そうな言葉を選んだ。

「みんな、は」

 蓮が、再び目元を擦る。力強く擦りすぎたのか次に顔を上げたときには真っ赤になっていた。しかし当然ながら、本人に気付いている様子はない。

「ええ、と、瓦礫片付けたりとか、怪我人運んだりとかしてるよ。怪我してない人は、みんな行かなきゃならないんだって」

「……じゃ、あ、蓮も?」

 蓮は首を傾げて硬直した。眉根を寄せて僅かに考え込むと、ようやく納得したように頷く。

「あ、え、で、でも、オレは大したことないんだ。でも、一応怪我人だから、無理するなって……り、リア、が」

「──人をダシにするなんて、いい度胸ね」

 地獄の底から這い上がってくるような声音に、蓮が大仰に飛び上がった。陸斗は蓮ほど怯えることはなかったものの、さすがに肩が震えるのは抑えきれなかった。

 直後、スペースを区切っていたシーツが音高く引かれる。現れたのは、仁王立ちして腕を組むリアだった。

 恐ろしいほどの無表情で佇んでいた彼女は、素早くシーツを元に戻す。隣とは一応もう一枚のシーツで区切られているものの、それがいつ開くかは予測できない。

「うえ、あ、ごめ」

「何でよりによって、私なのかしらね。結構痛い目に遭わせたつもりだったんだけどな。しかもつい最近」

 座り込んだまま後退さる蓮の怯えようは尋常ではない。陸斗は思わず目を瞬かせた。

 確かに元々リアに対して怯えていた節はあるが、それでもここまでではなかったような気がする。彼女は“つい最近痛い目に遭わせた”と言っていたが、特に何も思い当たらない。

 そこで初めて陸斗が目を覚ましていることに気付いたのか、リアの目が丸くなった。

「っ、お、起きてた、の」

「起き、てた」

 生き生きと輝いていた目が途端に色を失った。リアは気まずげに俯くと、おもむろに蓮の隣に腰を下ろす。つい先ほどまで怯えに怯えていた蓮も、殊勝な面持ちで押し黙ってしまった。

 室内のどこかから、呻き声が聞こえる。さらに、慌ただしい足音がいくつか。もしかしたら、患者の容態が急変したのかもしれない。

 部屋の空気が掻き乱され、消毒液の匂いが潮の如く満ち引きする。

 もぞもぞと居心地悪そうに身動ぎしていたリアが、意を決したように顔を上げた。その表情には、常にはない迷いと焦りが浮かんでいた。

「その……ご、めん、なさい」

「……何が?」

「はあ?」

 完全に落ち込みきっていた彼女は、急に柳眉を逆立てた。身を乗り出し、覆い被さるような体勢になる。その鬼のような形相には、さすがの陸斗も微かに頬を引き攣らせた。

 二人の横で、蓮が今にも逃げ出さんばかりに顔を青くして震えている。

「何がって、ねえ。ほんっとに、心当たりないの」

 そもそも、何故そんなに怒っているのかすらわからない。

 本当はそう言ってしまいたかったが、陸斗はとにかく口を噤んだ。悪戯に相手の神経を逆撫でしても、何も解決しない。

 しかし、本当に何のことだかわからないのだ。目覚めたばかりの脳は、いまいち回転が鈍い。久々に動かした機械の歯車が錆び付いているのと同じだ。陸斗は寝転がったまま首を捻った。

 また、外から足音が響く。真っ白なシーツが、微かに揺れた。

 いつまでも返事をしない彼に痺れを切らしたのか、リアはがっくりと肩を落とした。魂を吐き出そうとでもするかのように、深々と息を吐き出す。その姿には、溢れんばかりの疲労感が漂っていた。

「もう、いいわよ。何も覚えてない、っていうか、覚えがないならそれでも。と、とにかく、私は謝ったから。それくらいはきちんと覚えときなさいよ」

「わ、かった」

 陸斗が何度も首肯すると、リアは心なしか満更でもなさそうな表情で頷いた。わざとらしく咳払いをして立ち上がる。

「じゃあ、私は行くから。蓮、あんたもちゃんとおとなしくしてなさいよ」

「わ、わかってる」

「もしこっちに出てきたら小突き回してやるから、覚悟しなさい」

 唇の端を吊り上げると、リアはシーツをめくって出て行った。入れ違いに、するりと小さな人影が滑り込んでくる。

「あっ」

 僅かに焦ったような声が聞こえた。しかしそれについて陸斗が深く考える前に、鳩尾に凄まじい速度で何かが激突した。

「ぐっ」

 速度と当たり所が悪かったらしく、陸斗は激しく咳き込む。が、その小さな影──クーは、間髪入れずに今度はぎゅうぎゅうと体に回した腕に力を込めてきた。

 さすがフェローと言うべきなのだろうか。腕自体は年と性別相応の細さなのだが、力が尋常ではない。胸部を盛大に締め付けられ、息が詰まった。

「うっ」

「陸斗。陸斗ー」

「っ、くる、し」

「く、クー、駄目駄目駄目! 陸斗死んじゃう」

 その鶴の一声に、クーは素直に腕を離した。一気に空気を吸い込んだせいで、陸斗はまた少し咳き込んだ。傷のせいか、全身が軋んだような気がする。

 それがようやく落ち着いたところで、初めてクーの顔を見上げる。そして、内心ぎょっとした。

 クーが泣いていたのだ。涙の粒が、ぽろぽろとその頬を伝う。

「ご、めんね。私が、もっと早く陸斗のところに行けば、こんなに怪我しなかったかもしれないのに」

 彼女の指先が、陸斗の腹部を撫でた。傷はまだ、じくじく痛む。

 その生白い指先を見つめていると、そこはかとない空しさに似た何かがこみ上げてきた。

 あの金髪に碧眼の青年は、確か“世界のために死んでくれ”と言った。君に恨み辛みはないけれど、と前置きして。意味がわからない。

 結局、この町にやってきてからの一連の事件は何だったのだろう。

「……これ、何だったんだ」

「え?」

 蓮が、困惑したように首を傾げる。が、クーは思い当たることがあったようですぐに何度も頷いた。

「あの人、変なことばっかり言ってたよ。任務任務って。任務だから、しょうがないんだって」

「にんむ? っていうか、それって、誰?」

「陸斗のこと、切った人」

 クーは涼しい表情で言い切ったが、蓮はくしゃりと顔を歪めた。今にも泣き出しそうで、それでいて凄まじい憤怒を孕んだ表情だった。

 陸斗は、思わず身を引く。蓮のこんな表情を見たのは初めてだ。

 違いすぎる環境は、少しずつ人を蝕んでいくのだろうか。

「そういえば、リアも言ってたよ。変な女の人に会ったって」

「そっか、だからあの男の人、いい匂いしたの、かも」

「いい、匂い?」

「うん。ほとんど血の匂いだったんだけど、ちょっとだけ女の人が付ける感じの、香水の匂いもしてた。後ね、アウスも変な奴と戦ったって」

「あ、猿と狼?」

 話はまだ続いていたが、陸斗は思わず思考に耽った。

 リアが会った女の人といえば、十中八九あの黒髪に黒いドレスの女だろう。つまり、彼らは仲間だったということだ。一瞬翡翠色の瞳が脳裏を過ぎり、陸斗は思わず身震いした。

 そこでふと、また記憶が蘇る。

「東から、来た」

「……え」

「その女が言ってた。東から来たって」

 陸斗にとっては、ただ蘇った記憶に従って零しただけの言葉だった。が、クーにとっては違ったらしい。

 目を限界まで見開いたまま、固まってしまった。蓮も驚いてはいたが、彼の場合は彼女の過剰な反応に対してだ。

 クーは問い質す暇もなく立ち上がると、そのまま垂れ下がったシーツを引いて出て行ってしまった。彼女が巻き起こした微風が、頬を撫でる。

 蓮が呆気に取られたように口を開け放ち、緩慢に陸斗へ視線を移した。その目には、明らかな戸惑いが浮かんでいる。

「……どう、したんだろ」

「さあ」

 クーが立ち去ったのを皮切りにしたように、室内には再び医師たちの慌ただしいやりとりが響き始めた。

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