13
『リア!』
アウスの声が、夜空に高く響き渡った。
辺りに人気はなく、置いて行かれた屋台だけが整然と並んでいる。まるで、主を待ち望む忠犬のように。
ラミエルと蓮、アウスは、結局また広場へ向かって道を歩いていた。それというのも、宿へ到着する目前で、ベタなことに道が大量の倒木で塞がっていたからだ。無論、回り道すれば辿り着けないことはない。
が、地図で確認したところ、大回りすると正規のルートの数倍は時間がかかる。この町は基本的に家屋の隙間がほとんどなく、小道というべきものが存在しないのだ。
かなり前に通った場所を再び通らなければならないと思うと、蓮はそれだけで足取りが鈍るような気がした。そして見覚えのある姿を見つけたところで、アウスが脱兎の如く駆け出したのだ。
反射的にその後を追おうとした蓮を、ラミエルが手振りで押し止める。
「急ぐなって」
「あ、うん。ごめん、何となく」
蓮は右肩を押さえつつ、申し訳なさげに俯く。
実際、内心は二人の足を引っ張っていることに対しての罪悪感で埋め尽くされていた。こんな怪我などしなければ、少なくとも今よりは役に立てた、かもしれないのに。
両肩をがっくりと落とし、蓮は目眩を堪えながら歩く。貧血のせいだろう、頭全体がやたらとぐらぐら揺れた。
しかし、悟られてはならない。これ以上足を引っ張ることになれば、罪悪感だけで地面にめり込んでしまいそうだった。
極力歩調を早め、蓮とラミエルもリアの元に辿り着く。が、蓮はそこで思わず首を傾げた。ラミエルも眉根を寄せている。
『リア? ねえリアってば。どうしたのさ』
アウスが話しかけても、何故かリアに反応がないのだ。
彼女はぺったりと地面に座り込んでいた。そのせいで、背を流れる長髪が地面に付いている。彼女の表情は、どこか呆然としていた。呆けたように口を小さく開け、その目は虚空に固定されたまま動かない。
蓮の背筋を、得体の知れない怖気が走った。
リアは、一体どうしてしまったのだろう?
『ねえリア! リア!』
痺れを切らしたアウスが、ついに彼女に頭突きした。さすがにその衝撃には耐え切れなかったらしく、群青色の双眸が焦点を結ぶ。
リアは、ゆっくりと顔を上げた。全てが抜け落ちてしまったかのような無表情。リアは自分の手のひらを目の前に差し出し、目を落とす。
次の瞬間、彼女は猛然と自らの右手を引っ掴んだ。細い手首に、白い指先がぎりぎりと食い込む。そして、それを高く掲げた。
「ちょ、待て待て待て待て!」
「いや、離して!」
ラミエルが慌てて押さえにかかると、リアはその細身からは想像も付かないほど猛烈に暴れた。アウスも蓮も、呆気に取られたように傍観しているしかない。
蓮は必死で彼女を説得するラミエルを眺めながら、先ほどの光景を思い起こす。
リアは──まるで、自分の手を石畳に叩き付けようとしているように見えた。何故、そんなことをするのだろう。
それに、蓮には今こうなる前の彼女の表情も気になっていた。まるで、たった今回避しようのない絶望を味わったとでも言いたげな、あの表情。
人は、本当に絶望すると表情など作る余裕もなくなるのだ。
彼の思考を余所に、ラミエルの奮闘は続いていた。暴れるリアを必死で押さえているが、いくら力で勝るとはいえ彼は腕が片方欠けている。
「お、い、ほんとやめろって。どうしたんだよ?」
「いいから離して! 私、わ、たし、は」
今にも噛み千切ってやると言わんばかりの表情で、リアは叫んだ。
「──私のせいで、あいつが連れて行かれたのっ!」
その絶叫に、辺りに空気が凍結したような沈黙が満ちた。リアの荒い息遣いだけが、嫌に鮮明だ。
今度は、蓮がぽかんと口を開けた。
あいつって、誰だ?
再び精魂尽き果てた様子で座り込んでしまったリアに、ラミエルがしゃがみ込んで話しかける。
「あいつって……ひょっとして、陸斗のことか?」
その問いに、彼女の両肩が震える。程なくして、俯いたままゆっくりと頷いた。
蓮は彼女から何を聞いたとしても、ラミエルに任せた方がいいと思っていた。リアがあいつと形容した時点で、既に対象は一人しかいない。
しかし覚悟を決めていたにも関わらず、思わず疑問が口をついて出た。
「陸斗が、どう、したの」
「変な、女が来たの。逃げてるときに、そいつのエレアを当てられて。それで、それで、私が」
リアは、まるで極寒の地に一人で放り出されたかのように震えていた。誰よりも分厚いコートを纏っているはずなのに。
震える腕で頭を抱え込むと、指を食い込ませる。掻き乱された頭髪が、ぐしゃりと嫌な音を立てた。
「私が──私が、あいつの、首、を」
「く、び?」
「……首を、絞めた」
その言葉に、蓮は今度こそ声をなくした。
首を絞めた。それは、そのままの意味だろうか。というか、そのままの意味以外考えられない。しかし、何故そんな結果になってしまったのか。
例えいくら激怒したとしても、さすがにそこまでする人間はいないだろう。
ぎしぎしと、痛みと混乱で脳が軋む。
今まで眉根を寄せて考え込んでいたらしいラミエルが、困惑したように口を開いた。
「それは……お前が、究極にぶち切れたわけじゃないんだよな?」
「ちっ、違うわよ! いくら私でも、そんなことするはずないでしょ」
『そうだそうだ! お前の頭は腐ってる!』
「うっさいなお前、ちょっと黙ってろよ」
首の後ろを掴み上げられ、アウスが奇声を上げる。荷物の如く吊り上げられた彼は、間髪入れずに多少距離を取っていた蓮の方へ放られた。
『ふぎゃあ!』
「うわっ」
迷った末に受け止めようとしたせいで、結局一人と一匹はもつれ合うように倒れる。仰向けで倒れた衝撃で負傷した肩に激痛が走り、蓮は声もなく悶えた。
せめてもの抵抗で、恨みがましげな目を向けてみる。が、ラミエルは何事もなかったかのように苦悶するリアに向き直っていた。
「エレアに当てられたって言ったよな。それは、そいつのせいか」
リアが、無言で小さく首肯する。
「なら、悪いのはお前じゃないだろ。そのエレアを使った奴だ。陸斗は知ってるか? それ」
「……一、応、言った、けど」
自信など欠片も含まれていない言い方に、ラミエルは一人満足げに頷く。顔を上げたリアが、ぽかんとした表情でそれを見つめた。
蓮とアウスは、倒れ込んだまま状況を見守る。ちなみに、アウスは蓮の腹の上にいた。
「なら、余計大丈夫だろ。あいつはたぶん、人に言われたことは簡単に信じるタイプだ。な?」
「え? う、うーん……そう、だね。どっちかというと、そうかな」
『じゃあ、全然大丈夫じゃん。良かったね、リア』
相変わらず呆けた顔のまま、リアは縋るように全員の顔を見回した。やがて、ぎこちなく笑みを浮かべる。
ぎしり、と軋む音が聞こえてくるかのような、顔面筋が一つ残らず強張った笑みだ。
「そ、れ、本当に、大丈夫なの?」
「う、ん。大丈夫。きっと。絶対」
「……やっぱり、ちょっと信用できないわね」
リアは溜め息混じりに言うと、一度膝を叩いて自ら立ち上がった。そこで初めて、蓮の右肩に目を留める。緩やかに首を傾げ、盛大に眉根を寄せた。
「あんた、それ、どうしたの」
「え? あ、い、いや、大したこと、ないよ」
「大したことないって……そんな、血塗れで?」
「う」
蓮が反射的に後退ると、反対にリアがじりじりと距離を詰める。その目が、まるで水を得た魚のように輝いていた。
蓮は咄嗟にラミエルとアウスに視線を向けたが、一人と一匹はどこか微笑ましげな様子で状況を静観している。普段なら必ず突っかかってくるはずのアウスまで、口の端を吊り上げていた。
『それが、全然大したことあるんだよ。ねー?』
「そうそう。何て言ったって、尋常じゃないくらい嘴が尖ってる鳥が背中から入り込んで突き抜けたんだもんなー」
「つっ、きぬけ、た……?」
そこはかとなくわざとらしいやりとりに、リアが絶句する。そして、視線で射抜かんばかりに傷口を凝視した。
蓮はとてつもない威圧感を感じ、怯えたように後退する。右肩を左手で押さえ、ほとんど嗚咽を漏らさんばかりの泣き顔で。実際、じわじわと涙がこみ上げてくる。
刹那、リアがぐるりと彼に向き直った。般若だ、と蓮は思う。
「ひ、いっ」
「じゃあ何であんた、宿に戻ってないのよ!」
「だ、だって、木が、木が」
「木なんてどうでもいいのよ。さっさと戻れ。今すぐ!」
蓮は反射的に逃げ出そうと彼女に背を向けたが、がっしりと襟首を掴まれ未遂に終わった。
心配してくれているのだろう、とは思う。けれど、本当に木が道の真ん中にいくつも倒れていて、通れなかったのだ。宿に戻るには迂回しなければならない。が、そうするととてつもなく時間がかかる。だから、自分は今ここにいる。
そう言いたいのは山々なのだが、蓮の口は縺れに縺れ全く本来の機能を果たそうとしなかった。頼みの綱であるラミエルもアウスも、助けてくれない。
「余所見するな」
「し、てない」
「バレバレの嘘吐けるくらいには余裕あるみたいね? でも、状況はどんっどん悪くなるわよ。今嘘まで吐いちゃったし」
「よ、余所見した」
「もう遅いわ。はい、時間切れー」
いじめっ子だ。完全に。
蓮はもはや、状況を冷静に判断する能力を失っていた。完全にパニック状態に陥り、自由な方の左腕で必死にもがく。しかし、元々負傷らしい負傷もしていないリアの力には敵わない。
ぐるりと、リアと対峙する形を取らされる。正面から見つめなければならない彼女の顔は、やはり生き生きと輝いていた。まるで、生き甲斐を見つけた定年後の老人のようだ。
心の片隅でそんなことを考えた蓮を、リアは底意地の悪そうな表情を作って睨め付ける。
「今、すっごく失礼なこと考えたでしょう」
「か、考えてない」
「あんた、すぐ顔に出るのよねえ。そこがあいつと違って、まだマシだと思うわ。でも、得することばっかりじゃないみたい」
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
ついにナイフまで抜き放たれ、蓮は必死で謝罪した。我ながら、噛まないのが不思議なくらいの速度で。
ひいひい泣き叫ぶ少年に、ナイフをちらつかせてにやついている少女。
その絵面は、完全に恐喝の現場だ。
一見完全復活を果たしたようにしか見えないリアを眺めつつ、ラミエルは不安げに表情を曇らせた。乱入したいのかうずうずしているアウスは、全く気付いていない。
陸斗が、連れて行かれた。
何故彼だったのだろう。ただの人攫いなら、普通いかにも無愛想な少年ではなくリアの方を狙うのではないか。少なくとも、彼女は口さえ開かなければ完璧な美少女だ。
吹き抜けていく夜風に、ラミエルはぶるりと身震いする。
何か、あまりよろしくないことが起こっているような気がしてならない。
彼は思考に耽りつつ、一方どのタイミングでこの騒乱を収めるか機会を窺っていた。




