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Lost Place  作者: 宮野香卵
第三章 大事な選択は他人の手によって為されるべきではない
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 その巨大さに呆気に取られる蓮を余所に、リアは当然のような顔をしてカウンターの前に佇んでいる。そしておもむろに、纏っている黒コートのポケットに手を入れた。

 コートは薄手ではあるが、その形状は陸斗にも見覚えがあった。いわゆる、ダッフルコートだ。ただ、この世界でもダッフルコートと呼ばれているのかは定かではない。

 しかし何故この状況で、コートのポケットに手など入れるのか。ポケット自体は手のひらより少し大きいくらいのサイズだが、どう見ても中身は膨れていない。そのはず、だった。

 リアが、ポケットから手を抜き出す。その手には、刃と鍔と柄、無駄な装飾など一切存在しない剣が一振り。

「……えっ?」

 彼女の挙動を見守っていた蓮が、びくりと身を震わせた。

 剣の刃渡りは四十センチ程度だが、到底コートのポケットから現れていい大きさではない。

 が、目を丸くする陸斗と明らかに挙動不審に陥る蓮、驚いているのは二人だけだった。ラミエルもアウスもトールも、カウンターの向こうで鉄を打つユージオですら頓着する様子がない。

 二人を一瞥さえすることなく、リアはポケットから取り出した剣を当然のようにカウンターに乗せた。そこで陸斗は初めて、そのシンプルな装いの剣が、町中で度々見かけたものと同じだということに気付く。

 やはりこの世界では、帯刀していることが普通なのだ。

 何から身を守ろうとしているのかも想像が付いた。おそらく、あのフェロー、という存在だろう。

 蓮が話したそうにちらちらと視線を向けてきていることには気付いていたが、とてものんきに雑談できる雰囲気ではなかった。陸斗も空気が読めないわけではない。

 トールが、カウンター上に出された剣を検分する。

「傷は……そこまで酷くないな。これなら、少し手入れすれば売りに出せる」

「差額、ぼったくらないでよ」

「さすがにそこまで鬼畜じゃない。それより、問題はこっちだ」

 一度剣を置いて、今度こそ本命の布地が取り払われる。

 現れたのは、巨大な鎌だった。緩く湾曲した刃は、罪人の首を刈り取るためのものにしか見えない。少なくとも、草刈りに使うには獰猛すぎる。幅広の刃は鈍く煌めいていて、おまけに柄の先端には小さくはあるものの槍の穂先まで付いていた。

 それは明らかに、陸斗たちがリアとの邂逅を果たしたあの夜に彼女自身が携えていたものだった。しかしあのときは、その異様な武器をじっくり見物する余裕などなかった。

 絶句する蓮を余所に、会話は続く。

「お前は遠慮なしにエレアを使いすぎだ。刃の方がだいぶ傷んでたぞ」

「……それは、言い訳できないわね」

『しょうがないじゃん。手加減なんかできないもん』

 今までおとなしく黙っていたアウスが、拗ねたように口を挟む。

「それとこれとは話が別だ。戦い方なんていくらでもある。そのたくさんある中で、わざわざ武器を磨耗させる戦い方ばっかり選ぶな、ってことだ」

 そう言ってから、男は鎌の刃を無遠慮にべしべし叩いた。

「とりあえず、お前のエレアは極力刃に触れさせずその少し上を流す形で行くことにした。戦闘に支障は出ない。なのに武器は傷みにくくなってる親切設計だ。感謝しろよ」

 トールは片手で軽々と巨大な鎌を振り回し、改めて布で包み直した。その状態になってしまえば、まさかそれが鎌だと思う者はいないだろう。

 リアは鼻を鳴らしてから武器を受け取り、布に予め縫い付けてあった紐を斜め掛けにした。その雰囲気からは明らかに刺々しさが消失していて、少なからず彼女が感謝の念を抱いていることが窺える。

 そして、トールも一仕事終えたと言わんばかりの表情で、次の対象を指名する。

「次、そこの」

「……オ、レ、ですか?」

 蓮は落ち着きなく周りを見るが、指さされた先にいるのはどう見ても一人だけだ。その表情が、瞬く間に不安で曇る。

 一方で、陸斗は蓮よりやや後方に立ってその様子を傍観していた。

 残った包みは、後二つ。一つが蓮のものなら、もう一つはおそらく自分に割り当てられるはずだ。寧ろこの流れでアウスにシフトしたら、一人だけ何も貰えなくなるのでさすがに若干気まずい。

 結局鋭利な視線で射抜かれることに堪えかねたらしく、蓮は恐る恐るカウンターに近付いた。

 カウンターは上部だけが平らに磨き抜かれていて、それ以外の部分はごつごつした岩石そのものだ。そのせいか、蓮は怯えたように一定の距離を保っている。

 しかしそんな彼の様子に全く頓着する素振りを見せず、トールは包みの布を剥がした。瞬間、薄暗い室内が微かに明るさを増したような感覚。

 布の中から現れたのは、純白の刀だった。緩く湾曲した鞘も柄も、全てが淡雪のような色彩で彩られている。柄の下部には、細い銀鎖で繋がれた雪の結晶が煌めいていた。無論本物ではなく、あくまで結晶を象ったものだが。

 言葉もなく立ち尽くす蓮の目の前で、男は鞘と柄を握って静かに手を滑らせる。現れた刀身は、やはり銀というより白い。

「これはまあ、見た目通り刀だ。手入れもラミエルのと比べれば全然楽だからな。商業通りに砥石やら何やら売ってる店がごまんとあるから、後で買いに行けよ」

 言いつつ、刀身を鞘の中に収める。鍔と鞘が衝突する硬質な音は、蓮の身を竦ませるのに十分だった。



 男の目は、どことなく不思議そうだった。が、蓮には何故この男が自分のことを訝しがっているのかがわからなかった。

 だって、剣が。正真正銘、刃物という表現さえ生温いような凶器が、こんな目の前にあるのに。

 体の震えが止まらなかった。まるで、巨大な手で全身を揺さぶられているかのようだ。

 蓮は、思わず周りを見回した。恐る恐る、あくまで緩慢に。

 リアもラミエルもアウスも、平気そうな顔をしている。こんなに怖がっているのは、自分だけだ。陸斗だって、普段通りの無表情だ。

 しかし、その無表情にはどことなく違和感があった。記憶の琴線を爪弾かれるような感覚。この違和感の正体は何だろう。蓮は無意識のうちに首を傾げていた。

 陸斗は元々表情の変化に乏しい。彼の母親によると、幼い頃からそれは変わらないそうだ。昔からあまり笑わない子だったと、そう聞いたことがある。

 しかし――いくら何でも、ここまで表情に変化がなかっただろうか。

 蓮は必死でここへやってくる前の記憶を掘り返してみる。確かに、ほとんど笑ったことも怒ったこともない。が、もう少しくらい表情は豊かだった。それに、今よりずっと口数も多かった。

 気のせいかもしれない。ただ、理解不能な事態に陥って頭が混乱しているだけなのかもしれない。

 それでも蓮の脳内には、蜘蛛の糸が絡まったかのような不快感が纏わり付いたままだった。思わず身を捩りたくなるのを堪えて、彼は状況も忘れて思考を深めようとする。

 が、結局それは叶えられなかった。



「後がつかえてるのくらい、見ればわかるよな?」

 男の壮絶に苛立った声に、蓮はびくりと身を竦ませた。陸斗は暫く様子を眺めていたが、反射的にその他の面々に視線を巡らせる。

 少なくとも、リアやラミエルに動揺は見られない。今までずっと、心のどこかで信じたくないという思いが強かった。しかし、この世界では本当に、剣を持ち歩くのは当然のことなのだ。

 しかもよく見れば、ラミエルの左腰のホルスターにはなんと銃が収まっている。

 つまるところ、この場で異端なのは陸斗と蓮、ということだ。

 が、突然元いた世界とは真逆の常識が蔓延る世界に放り込まれ、すぐ慣れろという方が無理があるのではないだろうか。蓮は一人暮らしの経験もあるし包丁くらい握ったことはあるだろうが、陸斗に至ってはそんな経験すら希有だ。

 しかしかといって、そのことを進言できるような空気ではなかった。男の苛立ちは如実な圧力となって空間を埋め尽くしていき、カウンター奥で響く金属音すら歪ませるかのようだ。

 蓮はそれでも、何かに抗うようにその場に佇んでいる。その後ろ姿からは、この場から逃げ出したいという願望がありありと見えていた。

 しかしついに、彼はその圧力に屈した。ひったくるような勢いでカウンター上の刀を手に取り、そのまま陸斗の隣へ逃げ帰ってくる。明らかに、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「そうそう、わかればいいんだ」

 そんなこととは露知らず、トールは満足げに頷いている。元々そこまで苛立っていたわけではなかったのだろう。それは、自分の見た目をよく知っているが故の言動だった。

「ほら、最後」

 節くれ立った手に手招かれ、陸斗はさっさとカウンターの前へ出る。その際に、横目でアウスがどことなく不満げなことに気付いた。

 おそらく、自分には何も当たらないことがわかって拗ねているのだろう。

「で、こいつがお前の、なんだけどな」

 そこで初めてトールが口ごもった。布にかけられた手も、それを剥ぐまでには到達していない。

 陸斗が思わず凝視すると、どこか気まずげに目を逸らされた。厳つい外見には到底似合わない態度である。そして、そう感じたのは陸斗だけではなかった。

「何? さっさと出しなさいよ」

「いや……うん。そうだな、さっさと済ませるに越したことはない」

「とか言ってるくせに、手は動いてないぞ」

「うるさい揚げ足取るな」

 トールはなおも躊躇っていたが、ついに意を決したように布地を取り払った。勢いが良すぎたせいか、ばさり、とやけに大仰な音が鳴る。

 いかにも肝が据わっていそうなトールがあまりに躊躇しているので、陸斗はてっきりチェーンソー的な禍々しい代物を想像していた。が、現れたのは、蓮に渡された刀とはあらゆる意味で対照的な剣だった。

 刃渡りは先ほどリアが男に差し出した剣より少し短いくらい。が、刃も柄も黒い。まるで、たった今夜の最も深い位置から引っ張り出してきたかのように。

 本来鍔があるはずの位置には、漆黒の羽根飾りがあしらわれていた。もこもこした羽毛が、そこだけは間が抜けていると感じるほど可愛らしい。

 また、既に専用のベルトに付属されている鞘も特殊だった。鞘といえば得物を上部から差し込むものだが、これは横に切れ込みが入っている。納める、というよりははめ込む、という表現が正しそうだ。

「……これ、あんたが作ったの?」

 ともすればカウンターに張り付こうとするアウスを牽制しつつ、リアが訝しげな声を上げた。ラミエルも言葉には出さないが、眉根を寄せてその剣を見つめている。

 つい先ほどまで泣きそうだった蓮も、そろそろとカウンターに近寄って漆黒の剣を眺めていた。

 リアの言葉を聞いたトールが、お手上げとでも言いたげに両手を上げる。

「実は、これだけ俺じゃないんだ。俺はただ、こいつに渡すように言われただけで」

『じゃあ、ルンペン?』

「そう。だからこいつはどっちかというと、あんまり切れ味重視って感じの剣じゃないと思うぞ」

 急に話を振られて、緩く湾曲した刃を凝視していた陸斗は視線を上げた。男はやはり、畏れのようなものを瞳の奥底に内包している。

「……切れ味重視じゃないなら、どうすればいいんですか」

 本当はルンペン、という誰かについての方も気になったが、そこは自重しておいた。トールの様子からしても、あまり大っぴらに話していい人物ではないらしい。

 陸斗のあくまで平坦な声には特に頓着せず、彼はあっけらかんと言い放った。

「これは術者向けだろう。敵をばっさばさ切るよりは、エレアを伝わせてぶっ放す方が楽そうだな。……ああ、使い方は自分で何とかしてくれ。俺は術者体質じゃないから、そこら辺はよくわからん」

 あっさりと切り捨て、剥ぎ取った三枚の布をくるくると纏める。話はもう終わった、とでも言いたげな態度だ。

 蓮はまだ呆気に取られていたが、陸斗は素直にカウンターからベルトを取って、一瞬逡巡してから会釈した。トールがその様子をほとんど見ないまま、鷹揚に片手を振る。

 ズボンには元々付けていたベルトがあったため、それを一旦外して新しいベルトを巻き付けた。

 革製のそれはいかにも頑丈で、ちょっとやそっとでは切れそうにない。が、新しく二本の剣を差しているせいで腰が重かった。大丈夫だろうとは思うが、ズボンが落ちそうな気さえしてくる。

 この感覚も、暫くすれば慣れるのだろうか。

 刀を抱えたままへどもどしている蓮へ飛ぶリアの苛ついた声音を聞くともなしに聞きながら、陸斗は何となく右側の剣の柄を撫でた。

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