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次の日、固めの丸パンとコーンポタージュ(あくまでも味で判断しただけなので、本当にそうなのかはわからない)で朝食を済ませた面々は教会の前にいた。
今日は晴れてはいるものの、朝から風が強い。その上、かなり冷たい。春先とはいえ、震え上がるような寒さだ。
用意された着替えは、やはり白いシャツと黒いズボンだった。蓮の方も同じデザインで、あくまでシンプルなものだった。
どうやら夜中のうちに、ラミエルが再び町に出て新たな衣服を調達してきたらしい。そのせいか朝食のときから、目をしょぼしょぼさせている。
「ほら、ぼけっとしないでよ。時間ないんだから」
しかしその背中を、リアは容赦なくぶっ叩いた。
身の竦むような鈍い音が周囲に響き、蓮がびくりと身を震わせる。そして、あくまで控えめに彼女の顔色を窺いながら言う。
「で、でもまだ朝、だよ」
「あー……実はイメトレ、結構時間かかるんだよ。子供に教える場合でも、長くて一ヶ月短くて三日ってとこだな」
「えっ、そんなに?」
怯えることも忘れて素で驚く蓮。それを見たアウスが何故か高らかに笑声を上げた。
『それが当たり前なんだよー。だって、大事な力なんだからね。大事なことは時間がかかるんだって、フリージアも言ってたもん』
エレアは体力と同じく、時間の経過と共に回復するものなのだろう。しかし普段は自然に消費されているそれを、わざわざ取り出してきて利用しようというのだ。
おそらく、失敗すればただでは済まない。
「失敗したら、どうなる?」
気付けば、そんな言葉が零れていた。
今まで逸れていた視線が、一斉に陸斗に集まる。
蓮はぽかんと口を開けて呆然としていて、アウスはどことなく不安げだ。が、リアとラミエルは一瞬完全に無表情になった。
そして暫し顔を見合わせ、最終的にリアが口を開く。つい先ほどと同じ、いたずらっ子のような笑みを浮かべながら。
「失敗すれば死ぬわ。例えばエレアを使いすぎたり、暴走させたりなんかすれば、ね」
それは何の脚色もない、まさに直球の言葉だった。その剛速球をもろに食らった蓮が、一瞬ふらつく。
死ぬ。それは軽々しく口にしていい言葉ではないし、陸斗と蓮の日常においてはほとんど意識することのないものだった。
しかし、この世界ではその“死”が限りなく近くに存在する。
夜に出歩く、という選択肢など、そもそもこの世界の人間にはないのだ。少なくとも向こう側にいるときは、親が過保護でもない限り夜に外へ出ることなど造作もないことなのに。
うろうろと陸斗と蓮の周囲を歩くアウスは、尻尾を股の間に挟んで耳を後ろに下げている。見るからに不安げだった。
陸斗はその様子を見るともなしに観察していたが、蓮はそんな余裕もないようで明らかに表情を強張らせている。
口を開いて、閉じる。そんな動作を何度も繰り返した後、ようやく出た声はからからに干からびていた。
「し、ぬの?」
「ええ、死ぬわよ。そうやって消える人も、何度か見たことあるわ」
びくりと蓮が肩を震わせる。見れば、彼は泣き出しそうな表情になっていた。しかしあっという間に臨界点を超えたようで、その目には既に涙が溜まり始めている。
あまり脅かさない方がいいのではないか、と陸斗は思う。このままでは、蓮はエレアの習得を諦めてしまうかもしれない。
もしそうなってしまったら。いざというときに、彼は自分の身を守ることができないのだ。そうなってしまってからでは遅い。遅すぎる。
「リア。脅かすのもそれくらいにしとけよ」
ここでようやく、ラミエルが口を開いた。昨日と同じような苦笑いを浮かべ、頭を掻く。
朝の麗らかな日差しの中でも、彼の朱色の短髪は鮮やかに輝いた。
「何よ。私はあくまで、本当のことを言ってるだけじゃない。嘘は言ってないわ」
「言っていいことと悪いことってのがあるだろ。レン、心配しなくても、やばくなったら俺たちがすぐ止めるからな。死ぬことはないよ」
ぷくりと頬を膨らませる彼女を余所に、蓮は小さく息を吐く。そこでようやく涙が出てきていたことに気付いたようで、気恥ずかしげに目元を拭った。
重々しかった雰囲気が少しだけ軽くなったような気がする。邪魔をされて機嫌を損ねたリアとは違い、蓮はとりあえず普段と変わらぬ様子に戻った。
本来エレアの習得法について話すのは彼女だったのだろうが、現在その役目を完全に放棄しているためラミエルが代わりにやや前に出る。そしてその間に、アウスが機嫌直しにリアの元へ向かった。
リアはわざわざ体をくっつけて座った彼を一瞬見下ろし、すぐに自分も座り込んで体を密着させる。まるで、幼子のような仕草だった。
しかし内心驚く陸斗以外にそのことに気付いた者はいないようで、何事もなかったかのように講釈が開始された。
「まあとにかく、方法さえ覚えれば後はそれを繰り返すだけだからな。まずは、心の中に部屋を想像する」
「部屋?」
「そう。できれば、シンプルな奴な。後、まだドアは付けなくていい。無駄な装飾もいらないから、白くて四角いだけのがベスト。とりあえず、中もまだ想像するなよ」
つまり、単純に大きな角砂糖のようなものを想像すればいいということだろうか。ただ単に部屋を想像するだけならば、簡単かもしれない。
先ほどリアに脅されたせいもあるだろうが、蓮は真剣な表情で説明に聞き入っている。ラミエルは一瞬陸斗と蓮へ視線を巡らせてから、すぐにまた口を開いた。
「その部屋がエレアの出所になるんだ。使うときはそこから取り出す」
「ドアがないのに?」
「まあ、話は最後まで聞けって。部屋をしっかり想像できたら、次は壁に穴を開けるんだ。そこがドアをはめ込むための場所になるんだよ」
一連の動作は全て自らの想像によって執り行われる。実際に現実でどうこうするわけではないのだ。
それがどうにもぴんと来ないのか、蓮は心許なげに首を捻っている。本当にそんなことができるのか不安なのだろう。
その様子を見て、ラミエルが苦笑いを浮かべる。一方で、リアは相変わらずアウスにくっついて黙り込んだままだった。
「始めはイメージし辛いだろうけど、やってみればわかるよ。部屋の姿さえぶれてなければ、壁にはちゃんと触れるからな」
「……そういう、ものなの?」
「ああ、そういうもの」
『あのね、ただ何となーく想像するって感じじゃないんだよ。こう、心の中の違うとこに飛んでっちゃう、みたいな』
アウスはおそらくよりわかりやすくするために言ったのだろうが、蓮は頬の辺りを微妙に引き攣らせたままだ。どうやら余計にわからなくなってしまったらしい。
特に口を挟んではいないが、陸斗も完全に理解できたわけではなかった。ただ漠然と、とりあえず部屋を想像すればいいのだろうなと思っている。
その気配を悟ったのか、ラミエルは肩を竦めて笑った。
「まあ、やってみればわかるさ」
教会前の開けた場所に立つ。寒風が容赦なく吹き荒び、あっという間に手足の先が冷たくなった。
とにかく、始めは緊張せずリラックスすること。あまりくよくよと考えないこと。危ないと思ったら、すぐに引き返してくること。失敗したと思ってもすぐに諦めないこと。
ラミエルからの注意事項を反復しながら、陸斗は隣で教会の天頂辺りを見つめる蓮を見やる。彼は雰囲気と言わず体自体が奇妙に強張っていて、どう見ても明らかに緊張していた。
声をかけようか否か迷う。しかし余計に緊張させてしまうような気がして、どうにも一歩が踏み出せなかった。
リアとラミエルは、彼らに向かい合う形で佇んでいる。アウスは蓮の隣に座っていた。リアの視線がどことなく険を含んでいるように見えるのは、果たして気のせいなのだろうか。
『レン、そんなに緊張しなくたって上手くいくよ』
「で、でもオレ、こういうなんか……繊細、そうな作業とか、苦手なんだ」
『大丈夫だってば。ラミエルだってできたんだよ?』
「お前、今すぐ黙らないと鼻面ひっ叩いてやるからな」
はしゃいだ悲鳴を上げながら、アウスが蓮の後ろに隠れる。後ろからぐいぐい押されてよろける彼を余所に、リアの表情はどんどん険しくなっていく。
「いいからさっさとやりなさいよ。こんなことやってたら日が暮れるわ」
「え、あ、ごめん」
謝罪の言葉を口にしたものの、蓮は未だに心許なげな表情をしている。しかし実際には、蓮どころか陸斗もまだ何をすればいいかわからなかった。
想像すればいいと言われても、本当にただそれだけでいいのだろうか。
二人の戸惑いを察したのか、ラミエルがすかさず口を開く。
「とにかく、まずは真っ暗な空間を想像するんだ。その方が部屋の想像するのに気が散らないからな」
「真っ暗って、本当にただ真っ暗?」
「そうそう。まあ暗い、っていうよりは背景が全部黒く塗り潰されてる感覚だな。だから、見ようと思えば自分の体はちゃんと見える」
黒く塗り潰された空間。ラミエルの言葉を脳内で反芻しながら、陸斗は目を閉じる。
脳裏に浮かんだのは、あの青い竜と邂逅を果たした空間だった。見下ろせばはっきりと自分の両手のひらを視認することができ、トゥルースもよく見えた。
あの空間を再現するような心持ちでいけば、きっと上手くいくはずだ。
視覚の遮断に呼応して、周囲で吹き荒ぶ風の音すらも聴覚から消え去る。頭上は晴天だったが、瞼裏も完全に闇に閉ざされた。




