自殺についての対話
一時期、ある喫茶店に通っていたことがあった。流行らないさびれた店で客も少なかったけど、それが逆に気に入っていた。
そのころ、その喫茶店にほとんど毎日来ていた女性と話をするようになった。しかし個人的な詮索はせず、その店でだけ話す関係だった。
その人はいつも悲しげで、会うたびに「死にたい」と言っていた。とても痩せていて…「昔は、すごく太ってた」と言っていたけど…いつも元気が無かった。
彼女にどんな事情があったのかは知らない。それを訊くのも気が引けるので、俺はただ彼女を慰めたり他愛ない話をしたりしていた。俺自身、自殺願望が無いではないのだけど、そうしていると気が休まるのだった。
一ヶ月ほどして、その時とても落ち込んでいた俺は、またその喫茶店に行った。
彼女と話をしたかったが、彼女は来ていなかった。次の日も、その次の日も、またその次の日も彼女は来なかった。店員の話では、十日ほど前から来ていないらしい。
俺は呆然と座って目の前のコーヒーを眺めた。
「まさか、本当に死んだのか…?」
いや、まだ死んだとは限らない。単に店に来なくなったとか、引っ越しただけかもしれないじゃないか。彼女が死んでいない事を確かめたかったが、俺は彼女の名前も住所も職業も何も知らない。
俺は後悔し始めた。もっと深く突っ込んだ話をして、彼女を思い止まらせるべきだったんじゃないか。名前くらい訊いておけばよかった。俺は自分の気を休めるために彼女を利用していたんじゃないか…等々。
俺はずっとその席で悩んでいた。悩んだって仕方ないのだが…
夕方頃になって、俺もそろそろ死のうかと考えていると、声がした。
「何か、お困りですか?」
横を見ると、神父の格好をした人がいた。俺がずっとここで悩んでいたのが気になったらしい。
一つ、気に掛かっている事があった。
「自殺した者は地獄に落ちる」
と聞いたことがある。確かめようもない話だが、今の俺にはとても気になることだった。
俺は言った。
「僕の友達が、自殺した……かもしれないんです。いや、自殺したとは限らないんですけど、いつも死にたいと言ってましたし、行方がわからないんです」
「ああ、それで…。痛ましい事です」
「あなたは神父ですか?」
「そうです。正確には司祭ですが」
「一つ訊きたいんですが、自殺した人が地獄に落ちるって本当なんでしょうか?キリスト教では、ほとんど自殺行為のような殉教者の話も聞きますけど」
「確かに、私達は殉教者を尊敬しますが、自殺とは区別しています。自殺を肯定することはできません」
「じゃあ、やっぱり自殺した人は地獄に落ちるんですか?」
神父は少しためらったようだが、言った。
「伝統的には、そう言われてきました」
俺は机を叩いて言った。
「何で地獄に落ちなきゃいけないんですか!?」
しかし、神父に怒っても仕方ないと思い直して、言った。
「…すみません。いや、自殺が罪だという考えはまあ、分かるんです。
でも自殺する人って、それが分かっていてもどうしても苦しみに耐えきれず死ぬものなんじゃないでしょうか?それなのに死んだ後もまた苦しまなきゃいけないんでしょうか?」
神父は言った。
「今では自殺した人のための祈願も行われています。自殺した人が「絶対に」地獄に落ちるとか落ちないとかは人間には言えません。結局のところ、審判なさるのは神ですから、人にはあずかり知らぬことです。
ただ、自殺するほど苦しんでいる人を神は哀れまれますし、神のなさることは最終的には必ず最善の結果になる「はず」だということはできます。
すでに亡くなった方達については、神の慈悲にゆだねるしかありません。
しかし、生きている人については、その人が自殺する事はやはりあってはならない事ですし、そういう人を助けるのが教会の務めであることは間違いありません。」
「そうですか…」
「それに、その人はまだ亡くなったと決まったわけではないのでしょう?もしその人に会ったら、その人が生きていけるように助けてあげてください。それに…、失礼ですが、もしあなた自身が自殺を考えているなら、思い止まって、生きて救いを求めることです。」
次の日もその店に行った。今日も彼女は来ていない。昨日と同じようにずっと悩んでいると、声がした。
「何か、お悩みですか?」
横を見ると、頭を丸めて、仏教の僧の格好をした人がいた。
俺は昨日と同じ説明をして、言った。
「仏教では自殺は罪なんですか?即身仏とかありますし、仏教ではそうでもない気がしますけど」
「…いえ、仏教でも大抵は、自殺は他殺と同じく殺生の罪だとみなされていますよ」
「じゃあ即身仏はどうなんですか?それにベトナムでは焼身自殺した僧侶がいたそうですが」
「即身仏は一部で行われていただけですし、あれはあくまでも衆生を…人々を救済する目的で行われるもので、自殺とは異なるものです。ベトナムの僧の行為も同じ意義のもと行われたと思いますよ」
「じゃあ、やっぱり自殺は地獄行きの罪なんですか?」
「そういう断定は仏教的ではありませんが、もし自殺が自分も他人も苦しめるものであれば、苦を輪廻させる事になりますし、罪だと言えるでしょう。
とはいえ、人は皆、仏性を持っていて、一切は成仏するとも言われています。罪にはそれなりの懺悔が必要ですが、そうした様々な苦しみも、仏の命の中の修行として越えていけるでしょう」
「そうですか…」
「それに、その人はまだ亡くなったと決まったわけではないのでしょう?もしその人に会ったら、その人が生きていけるように助けてあげてください。それに…、失礼ですが、もしあなた自身が自殺を考えているなら、思い止まって、生きて救いを達成することです」
次の日も、その店に行った。今日も彼女は来ていない。昨日と同じようにずっと悩んでいると、声がした。
「何か、お迷いですか?」
横を見ると、テレビとかで見る、ムスリム(イスラム教徒)がよくかぶっている帽子をかぶって、髭を生やしたスーツ姿の人がいた。日本では珍しいがムスリムらしい。
俺は昨日と同じ説明をして、言った。
「イスラム教では自殺は罪なんですか?こう言うと失礼かもしれませんが、自爆攻撃とかありますし、イスラム教ではそうでもない気がしますけど」
「…いえ、イスラム教でも自殺は禁じられています。イスラム教国では自殺率がとても低いんですよ」
「じゃあ、自爆攻撃はどうなんですか?あれは殉教だから別なんですか?」
「確かに、信仰やイスラム共同体を守るための戦いでなら、自爆攻撃をしても殉教といえるでしょう。しかし戦いは死ぬことが目的ではなく、守ることが目的です。
それに、非戦闘員を…民間人を攻撃することは許されません。すなわち、テロ行為は許されません。
それが自爆攻撃なら、自殺の罪にもなります。」
「じゃあ、やっぱり自殺した人は地獄に落ちるんですか?」
ムスリムはためらいがちに言った。
「この点イスラム教はとても厳しいのです。確かに、預言者様は自殺した者は業火に投げ込まれるであろうと言われました。ただし「もし、敵意や悪意をもってこれを…つまり自殺を…する者があれば」と前置きがありますが…。
殉教者や、善行のために結果的に死んだ者にはアッラーが大いに良い報いをくださいます。いずれにせよ、審判なさるのはアッラーですから、誰が救われるのか人にはあずかり知らぬことです。もしかしたら、救われる者もあるかもしれない…」
「そうですか…」
「それに、その人はまだ亡くなったと決まったわけではないのでしょう?もしその人に会ったら、その人が生きていけるように助けてあげてください。それに…、失礼ですが、もしあなた自身が自殺を考えているなら、思い止まって、生きて救いを得ることです。」
「……なんで、宗教には自殺を否定するものが多いんでしょうね」
「それは、人の命が神からの預かりもので、個人の所有ではないからですよ。
こう言うのはイスラム教だけではないでしょうが、神は人が死ぬことを望まれず、生きて善行をなすことを望まれるものです。」
次の日も、その店に行った。今日も彼女は来ていない。昨日と同じようにずっと悩んでいると、声がした。
「何か、お考えですか?」
横を見ると、白衣を着た医者のような人がいた。
俺は昨日と同じ説明をして、言った。
「自殺は罪だと思いますか?地獄に落ちるような?」
「私は来世を…私が言うのは死後の生という意味ですが…あまり信じません。でも、基本的に、自殺はよくないことだと思いますね」
「なぜですか」
「それは人にとって、幸福ではないと思うからです。
しかし、その人はまだ亡くなったと決まったわけではないのでしょう?それに…、失礼ですが、もしあなた自身が自殺を考えているなら…」
「そんなに、俺には死相が出てるんですか!?別に俺が自殺したっていいじゃないですか?自分だけが生き残るより、一緒に行った方が…」
「仮に、その人が自殺していたとしても、その人はあなたが自殺することなど望まないでしょう」
「なぜですか?来世を信じないなら、望むも望まないもないでしょう」
「もし仮に、来世があるとしたら、自殺が罪だと言われている以上、その人はあなたが同じ罪を負うことを望みはしないでしょう。
また仮に、来世が無いとしたら、死者はすでに無に帰している以上、やはりあなたが死ぬ事を望みはしないでしょう。」
「そうかもしれませんが…」
彼の理論には穴があるように感じたが、俺は言わなかった。彼が俺の自殺を止めるために言っているのが分かったからだ。
医者は言った。
「古代の哲学者のエピクロスは、生きる目的は平安を得ることだと考えました。さらに、死は恐ろしいものではないし、死ねば無になるだけだと言っています。
しかしそのエピクロスでさえ、楽になるために自殺するべきだとは言わず、むしろそういう考えを批判しています。
死んで幸福を求めるより、生きてそれを求めるほうが良いことであると、私は思いますよ」
次の日、またその店に行くと、店は営業を停止していた…つまり、つぶれていた。もともとあまり客も来ていなかったし、不思議ではない。
結局、彼女はどうなったのだろう。もうここで彼女に会える見込みもない。
俺は彼女に生きていてほしいと思った。
もし、生きていなかったとしても、来世で幸福になっていてほしいと思った。そう祈った。
家に帰るため、駅で電車を待っていると、急行電車がホームに入って来た。この駅には止まらず、目の前を通過していく……
俺はハッとした。通り過ぎた車両に、彼女が乗っていた…ように見えたからだ。
しかし一瞬で通り過ぎてしまったので、来世のようにおぼろげで、ハッキリしないままだった。
でも俺は、彼女は生きているだろうと思うことにした。
俺も生きよう。
あのさびれた喫茶店で自殺を語りながら過ごすのをやめて、生きていこう。きっと彼女も、一足先にそうしただけだと信じて。
完