最初の君
目を丸くしたあと、菜々穂さんは俺を見て静かな声で言った。
「ええ、本気で好きだったわ。」
そこにはあのときの父さんと同じ表情があった。
2人は本気で好き合っていた。
だったら、一条ハルキの気持ちは、やっぱり片思いだったんだ・・・
そう思っていると、菜々穂さんが話を続ける。
「でもね、あとでわかったの・・・
私もあなたのお父さんも、大切な人がいたから、お互いに惹かれたの。
絶対に側にいる、かけがえのない、大切な存在がいたから・・・好きになれたの・・・」
わがままよね・・・?
苦笑して言う菜々穂さんい俺は何も言えなくなる。
「実際、今になって振り返っても、私はあなたのお母さんを妬んだこともなかったし、長塚さんを奪いたいと思ったことなんてなかった。」
その言葉に俺は驚く。
不倫というものがどんなものか、俺にはまだわからない。
人を本気で好きになったこともない。
でも、もし好きになったら、その人を1人じめしたいって思うものなんじゃないだろうか・・・?
一条ハルキがそう思ったように・・・
なのに、菜々穂さんはそんな気持ちになったことがないと言う。
お互いがお互いのこと好きだとわかっているのに。
「私があなたのお父さんと別れた日のことは聞いた?」
「・・・俺が母さんのおなかの中にいるって分かった日に、別れを告げたって・・・」
言うと、菜々穂さんは少しだけ悔しそうに、でも微笑んで頷いた。
「ハッキリ言われたわ。
あなたの存在を知って、なんか大切にしなきゃって思ったって。
もともとあった幸せに、さらに大切なものが増えて、長塚さんは気付くことができた。
私と長塚さんはそういうところが似ていたから、好きになったの。」
微笑を絶やさずに言う菜々穂さんに俺は何も言えなくなる。
俺の存在で気付くことができた父さん・・・
だったら菜々穂さんは?
父さんと似ていたという菜々穂さんは・・・・
一条ハルキの死で、そのことに気付いた・・・・?
もし2人の関係が罪だったとして、もし神様がいて、2人にそのことを気付かせたとして、なんで1人は幸せが増えて、1人は亡くさなきゃいけなかったんだろう・・・?
もしそれが罰だというなら、なんで菜々穂さんにだけ罰がくだったんだろう・・・
何で、2人が同じように幸せにならなかったんだろう・・・?
俺は自分の存在が菜々穂さんを傷つけているような気がして、視線をそらし、再びアルバムをめくりはじめる。
すると、今度は2人がケーキの前で嬉しそうに笑っている姿の写真が出てきた。
「その年から始まったの。
私とハルの誕生日。」
アルバムを覗きこんで菜々穂さんが言うと、俺は本の内容を思い出す。
「2人の真ん中バースデー。」
そう言うと、菜々穂さんはにっこり笑ってうなずく。
そして、少しだけいたずらっぽく笑って俺に言う。
「そして、その日は、ハルキ君の誕生日。」
「え?」
俺はその言葉に驚く。
本には日にちまで書かれていなかったから。
あの日、菜々穂さんと再び会ったあの日は、俺の誕生日だった。
2人の真ん中バースデー。
だからあのとき菜々穂さんは一条ハルキの眠る場所に行っていたんだ。
毎年していた2人のバースデーを祝うために・・・
「私にとってもハルにとっても、21日が自分たちの誕生日だった。」
懐かしそうに話すその顔にはどこか寂しさがあって、濡れてもいないのに、瞳からはいつ涙が落ちてもおかしくないようにみえた。
こんなに一条ハルキを想っていたのなら、菜々穂さんは一条ハルキの気持ちを知っていたのかもしれない。
そんな風に思ってしまい、俺はそのことを質問した。
「菜々穂さんがハルキさんの気持ちを知ったのはいつだったんですか?」
少し考えればわかるはずだった・・・
父さんが別れを告げた次の日に、一条ハルキは帰らぬ人となった・・・
本の中で一条ハルキは、菜々穂さんに想いを伝えられないことにあんなに悩んで、それでも側にいて、菜々穂さんを支えてた。
そんな一条ハルキが、菜々穂さんに自分の想いを悟られるようなことしてなかったはずなのに・・・
俺のした質問は、菜々穂さんの傷を深くするものだと気付いたのは、質問をした直後。
菜々穂さんの表情を見てから・・・
「ちゃんと知ったのは本を読んで・・・。
長塚さんに別れを告げられたのは、クリスマス・イヴ。
その日は夜にハルが家に来てくれる予定で、ハルの本が発売される前日だった。
プレゼントにサインを入れた本をくれる約束で・・・
でも、ハルが来たとき、私は長塚さんに別れを告げられたショックで泣いてた。
ハルが来て、側にいてくれて、そして私は話してしまったの・・・
別れを告げられたこと、それでもやっぱり長塚さんが好きなこと・・・
そのとき、ハルにキスされた・・・
でもハルはゴメンだけ言って帰ってしまって・・・」
どんな気持ちだったんだろう?
自分の好きな相手が、他の奴を想って流す涙をみて・・・
父さんとの関係を知りながらも、菜々穂さんの側に居続けた。
もし俺なら?
そんなふうに側にいることなんて、できただろうか・・・?
「私はハルをどれだけ傷つけていたのか、考えもしなかった・・・
・・・・ハルキ君、本の冒頭の言葉覚えてる?」
菜々穂さんの質問に俺はうなずく。
「“これを最初に渡す愛しい君へ”」
本をめくったときに最初に出てきた言葉。
一条ハルキが菜々穂さんにキスをした日、それは本の発売日前日。
あの言葉はそういう意味だったんだと俺は納得する。
一条ハルキは、言葉どおり、誰よりも先に菜々穂さんに本を渡した。
最後に告白したと思っていたけど、彼はすでに最初に告白をしていたんだ・・・
心が熱くなるのを感じ、菜々穂さんを見ると、そこには目を伏せ、瞳に涙を浮かべる姿があった。
「私は“最初”になれなかった・・・」
俺は意味がわからなかった・・・