望み
店に戻り、事務所のドアをあけるとそこには健吾さんしかいなかった。
「お帰り。」
いつもとかわらないように健吾さんは俺に言葉をかけた。
「ただいま…、父さんは?」
俺が聞くと健吾さんは複雑な笑みを見せて帰ったと言う。
「家に帰りたくないなら俺のところに泊まれってさ。」
父さんからの伝言を聞き、俺は黙ってソファーに腰掛けた。
健吾さんがコーヒーをいれて俺の隣りに座る。
「菜々穂と会えたか?」
俺は黙ってうなずく。
「責めてきたか?」
俺は首をふった。
「俺、別に父さんも菜々穂さんも責めようと思ってないから。」
俺の言葉に健吾さんは、そっかとだけ相槌をうった。
「でも、菜々穂さんは、父さんもそうかもしれないけど、責めて欲しいみたいだった。」
健吾さんはタバコに火をつけ煙を吐き出した。
「だろうな…。」
俺は黙ってカップを見つめた。
「2人が付き合ってたなんて誰も気付かなかった。それだけうまく、慎重に行動してだんだろうな。」
「健吾さんも知らなかったの?」
健吾さんはタバコを指にはさみ苦笑した。
「まったくな。俺が知ったのはここの店長になったときだな。長塚さんから直接教えてもらった。」
店長就任の祝いに2人で飲んでるとき、懐かしく昔の話をしていて、菜々穂さんの話題になり、父さんは思い切って健吾さんに話したらしい。
「ずっと2人の間で隠しとくつもりだったんだろうな…」
でもきっと父さんは絶えれなくなったんだろうと健吾さんは言う。
「自分だけが幸せなのが余計苦しかったんだろう…」
俺は首をかしげる。
健吾さんはわからないか?と優しく聞き、話を続ける。
「お前が生まれて、家族がいる暖かい場所で過ごすっていう幸せだよ。」
「…そっか。」
当たり前なこと。でも何ものにも代えれない幸せだ。
健吾さんは俺の頭を軽く叩くようになでた。
そして、悲しそうにでもっと言う。
「菜々穂にはそれがなかった。家族はもちろんいるけど、今まで当たり前のように隣りにいた一条ハルキを失った。幸せかどうかなんて、本人しかわからない。けど…」
父さんは家族と幸せに過ごす自分に、罪の意識を感じずにはいられなかったんだろうと健吾さんは言う
「菜々穂は、一条ハルキが死んですぐに店をやめた。俺やさやか、主にさやかとは連絡をとってたけど、長塚さんとは全くとってなかった。」
そして、偶然出会った。
俺が始めて菜々穂さんと会ったあの日に。あの時の菜々穂さんの表情の意味が今ならわかる。
突然いなくなった大切な幼馴染みと同じ名前の俺、しかも不倫という付き合いをしていた男の息子だ。
「いつから父さんたちは会うようになったの?」
「お前を連れて偶然会ったあとだな。長塚さんに頼まれた。」
12月25日に一条ハルキの墓参りを菜々穂さんがすることを教えたと健吾さんは言った。
「だけど、いまだにお互いの連絡先は知らないはずだ。毎年12月25日に一条ハルキの墓の前で会う。それくらいの付き合いだ。」
だから心配するなと健吾さんは続けた。
「俺、菜々穂さんに言ったんだ。俺に対する罪の意識があるなら、教えてほしいって、一条ハルキのことを。」
健吾さんは驚き、タバコをテーブルに落とした。幸い、テーブルが少しこげるくらいですんだが、健吾さんは何を言っていいのかわからないように、口を動かした。
「菜々穂はなんて?」
「すごく驚いてた。今の健吾さんと同じくらい。」
俺が笑って言うと、健吾さんは安堵の笑みをみせた。普通にしていたけど本当は緊張していたんだろう。
菜々穂さんの目から涙が止まり、菜々穂さんは震える唇でなんで?と聞いた。
俺は手を差し出しゆっくりと菜々穂さんを立たせた。いつのまにか俺の身長は菜々穂さんをこえていた。
「セツナイキモチを読みました。父さんとあなたが付き合っていたことも。でも、すべてがわかったわけじゃないから…。」
菜々穂さんは俺を見つめていた。
「あなたが、一条ハルキをどう思っていたか、今どんな風に過ごしてきたか教えてもらえませんか?」
菜々穂さんの目線がそれて一条ハルキをみた。
一度目をつぶり覚悟を決めた目を俺に見せた。
「あなたが望むならいいわ。」
俺が笑みを見せお礼を言うと、彼女は一瞬驚き、ぎこちなく笑った。
次に会う約束をして俺はその場を去ろうとした。すると、彼女が呼び止めた。
「ハルキ君!」
俺は振り返り彼女を見る。
彼女は言おうかどうかを迷った表情をしていた。しかし一度口を引き締めて言う。
「お誕生日、おめでとう。」
なぜ彼女が俺の誕生日を知っていたかは知らない。でも、そんなことどうでもいいくらい俺は嬉しかった。