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明日があるさ  作者: いぬまた
第五章
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明日があるさ5【第四話】






 時刻は18時を過ぎた。終業時間だった。明日葉は倉庫の返品物が置かれた棚を睨んでいた。

 いくつかの返品物が置かれているものの、処理はすべて終わっている。こんな時に限って仕事は非常にスムーズだった。明日葉はがっくりと首を垂れて詰所へと戻った。

「護さん、帰りましょう」

 着替えを終えた亜笠がそこに立っていた。大柴はすでに帰宅後のようで姿が見えなかった。相変わらず早い。明日葉はため息をついた。

(ダメだ……ちゃんと話さないとな……)

 明日葉は亜笠の言葉に頷くと、ロッカーの扉を開けて作業用手袋を放り込んだ。作業着を脱いでハンガーにかけ、スーツの上着を腕にひっかける。

 着替えを終えたところで、背後から静かな声がした。

「今日、行ってもいいですか」

 振り返ると、バックパックを背負った亜笠が立っていた。顔は相変わらずの無表情。その瞳は真剣そのものだった。

「話をさせて下さい」

 責める口調ではなかった。明日葉は苦笑した。これは逃げられないかな、と思った。

 バックパックを取り出して床に置く。ロッカーの扉を閉めて、明日葉は息を吐いた。

「お前に言わなきゃいけないことがある」

 緊張に、少し声が震えてしまった。亜笠の瞳が真っ直ぐに明日葉を見る。

 ずっと先延ばしにしてきた。帰省から戻ってから、何度も話そうと思った。

 だが、亜笠の笑顔を見る度に、言葉は声にならなかった。

 もう少しだけ、と思った。仕事が落ち着いてから、棚卸が終わってから。そんな言い訳を重ね続けた。

 でも、ついに限界が来た。先延ばしにしていた自分を罰するかのように、目の前に雨宮が現れてしまった。

 お前はここから逃げられないよ、と見えない誰かに言われているような気がした。

 彼が現れてしまった以上、隠し続けることはできない。ましてや彼の口から自分の過去が語られることは絶対に避けたかった。

 明日葉は覚悟を決めて、出来る限り平然として、その言葉を口にした。

「おれ、お前とは付き合えない」

 言葉が落ちた瞬間、亜笠の身体が大きく揺らいだ。

「――――どうして、いきなり」

 掠れた声だった。信じられないものを見るような目で明日葉を見つめていた。

「いきなりじゃないよ」

 明日葉は力なく首を振る。

「前々から話そうとは思ってたんだ」

「何でですか」

 亜笠の拳は震えていた。だがその声はしっかりしていて、できる限り冷静に話そうとしているのが感じ取れた。

 明日葉は亜笠から目を反らした。自分のデスクの上に重ねられた伝票を見る。

 言えるわけがなかった。雨宮との関係も、その間何をされてきたのかも。

 亜笠にだけは知られたくなかった。

 誰よりも大切な、この人にだけは。

「言えない」

 明日葉は視線を逸らしたまま、淡々と言った。自分でも驚くほど静かな声だった。

 亜笠は何も言わない。しばらく、二人の間に沈黙だけが流れた。

 沈黙に、明日葉の喉の奥がひりついた。亜笠の表情を見るのが怖かった。

 やがて亜笠が静かに口を開いた。

「雨宮さんに関係があるんですか」

 問い掛ける声は穏やかで、そこに責めるような空気はなかった。どこまでも優しい男だな、と明日葉はひとりごちた。

 とんでもなく身勝手なことを、自分は言っているのに。

 明日葉は小さく頷いた。

「うん」

 短い返事に、亜笠の拳がさらにきつく握られた。

「――――よりを戻すんですか、彼と」

 聞きたくない、でも聞かずにはいられない。葛藤が滲んだ声だった。

 明日葉は不快そうに顔を歪めた。

「まさか、そんなんじゃないよ」

 百歩間違っても誰があいつとよりなんか戻すか、そう思った。明日葉の返事に亜笠は一歩踏み出した。

「じゃあどうして!」

 大きくなった声に、明日葉は思わず亜笠の顔を見上げた。亜笠は――――苦しそうに、眉を寄せていた。

「ごめん、言えない」

 情けなくも、その一言しか返せなかった。

「それじゃあ納得できません!」

 当然亜笠は抵抗した。普段冷静な彼の取り乱した態度に胸が痛む。

 拒絶するんじゃない、守るためだ。明日葉は自分にそう言い聞かせた。

「うちにも、もう来ないで」

 その言葉を口にした瞬間だった。

「護さん!」

 強く腕を掴まれる。

 次の瞬間、身体が引き寄せられた。

「――――っ!」

 唇に柔らかな感触が触れた。驚いて目を見開く。

 ほんの数秒。けれど、明日葉にはひどく長く感じられた。

 ゆっくりと唇が離れていく。亜笠は額が触れそうなほど近い距離で明日葉を見つめていた。

「キスだって嫌がらないのに」

 震える声だった。

「何で別れなきゃいけないんですか」

 明日葉は何も言えなかった。そのまま抱き締められて、されるがままに亜笠の肩に顔を埋める。明日葉はため息をついた。

 さてどうやって別れようか……というかそもそも付き合い始めていないと思っていたが――――と思ったところで、詰所の扉が開いていることに気が付いた。

「――――お取込み中悪いが」

 つり目の不遜な表情をした女性が、そこに立っていた。

 明日葉の顔がサーッと青くなった。

「話しかけて大丈夫か?」

 明日葉の元先輩――――愛染が、片眉を上げて言った。

「愛染さん……今の、見て……?」

 明日葉はわなわなと震えながら問いかけた。愛染はフンと鼻を鳴らした。

「神聖な職場でいちゃつくとはいい度胸だな」

「いやぁああああ!」

 明日葉は亜笠を突き飛ばし、両手で顔を覆って床に転がった。

「愛染さん、お疲れ様です」

 その横で、亜笠は何事もなかったような顔で頭を下げた。

「今日はどうされたんですか」

 あまりにも普段通りの声だった。明日葉は勢いよく顔を上げた。

「お前は何でそんなに冷静でいられるんだ!」

 知人、しかも会社の元先輩と言う親しい人にキスシーンを見られるということは、明日葉にとって社会的に死んだも同然だった。

 亜笠は平然として首を傾げた。

「駅前でもしましたよね」

「全然知らない人に見られるのと、知ってる人に見られるのとでは大違いなんだよ!」

 顔を真っ赤にしながら反論する。亜笠は思い出したように「ああ」と頷いた。

「阿部さんにも見られたじゃないですか」

「ああああああ!」

 忘れかけていた傷口に岩塩を捻じ込まれた気分だった。明日葉は再び床を転がった。

 そんな二人を腕組みしたまま眺めながら、愛染は口を開いた。

「続きは家でやれ」

 呆れた声だった。

「なんだよ。せっかく人が飯奢ろうかと思って来たのに」

 愛染の言葉に、床へ転がっていた明日葉がぴくりと反応した。亜笠が愛染へ向き直った。

「何かあったんですか」

 愛染は悪戯っぽく微笑んだ。

「MRの試験に合格してな」

 床に転がっていた明日葉は、がばっと上体を起こした。

 愛染は河和を退職後、製薬メーカーに就職していた。MRの研修を受けていることも聞いていたところだった。

「来月から晴れてエリア担当MRだ」

「すごい!」

 明日葉の表情が見る間に明るくなった。

「おめでとうございます!」

 手を叩いて祝福を口にする。さっきまで床を転げ回っていた人間とは思えないほどの笑顔を浮かべていた。

「あっ、じゃあお祝いしないと!」

 目を輝かせて言う。愛染はそんな明日葉を見て小さく笑った。

「――――と、思って来てみたが、別にいいぞ。取り込み中なら」

 意味ありげな視線が、明日葉と亜笠を交互に見た。

「いや全然取り込んでません!」

 明日葉はぶんぶんと首を振る。

「めちゃくちゃ取り込み中ですが、行きましょう」

 亜笠が真顔で言った。

「言わんでいい!」

 思わずツッコむ。愛染は親指を立てて二階の事務所を指差した。

「櫟もいたら呼んで来い」

 その言葉に明日葉は頷いて、二階への階段を駆け上った。






 着替え途中だった櫟に声をかけ、4人は駅前の居酒屋へ来ていた。

 仕事帰りの会社員で賑わう店内は、串焼きの香ばしい匂いと煙で満ちていた。少しばかり狭い座敷に通されて、明日葉の隣には亜笠が、向かいに愛染と櫟が腰を下ろした。それぞれ飲み物とおつまみを適当に注文する。飲み物はすぐに運ばれてきた。

 亜笠はウーロン茶の入ったジョッキを、それ以外の3人はビールジョッキを手に乾杯をした。普段は飲酒を控えている明日葉も、さすがに今日は飲みたい気分だった。

 愛染がビールを一口飲んでから、明日葉と亜笠を交互に見た。

「――――で、お前らは何をそんなに揉めてたわけ?」

 明日葉はつまんでいた枝豆を喉に詰まらせそうになりながらも、すぐに答えた。

「なんでもないです」

 が、隣からは平然とした声でとんでもない言葉が聞こえてきた。

「別れ話が出たので」

 明日葉の向かいに座った櫟がビールを噴き出した。

「は、破局の危機!?」

 テーブルへ身を乗り出してくる櫟に、明日葉は額に青筋を浮かべた。

「糸目は黙ってて」

 手にかかったビールをおしぼりで拭いた。

「だって気になるじゃん。ラブラブだったのに」

「ラブラブじゃない!」

 口元を拭きながら言う櫟に明日葉は抗議した。亜笠はまるで構わず話を続けた。

「元彼が現れた途端に急に言われました。納得できません」

 愛染の箸が止まる。櫟もきょとんと目を丸くした。

「元彼?」

「富士見製薬の雨宮部長です」

「全部バラすな――――っ!!!」

 明日葉が思わずテーブルを叩いた。ガタガタとジョッキが揺れる。櫟は驚くどころか腹を抱えて笑い始めた。

「ぶはっ! 富士見の雨宮が元彼!? やばい、面白すぎる!」

「糸目……いつか覚えてろよ……」

 明日葉は恨めしそうに睨んだ。櫟は涙を流すほど肩を震わせていた。そんな二人を見て、愛染は呆れたようにため息をついた。亜笠は真剣な表情で続けた。

「もうすでに半同棲状態なのに、家に来るなとまで言われました」

「ああ、だから最近、週の頭は二人で出勤してたのね」

 櫟が納得したように頷いた。明日葉は思わず額を押さえた。

「だから半同棲じゃないって……」

 反論するが、誰の耳にも入っていないようだった。櫟は串焼きを手に取りながら明日葉を見た。

「そこまで流されといて、今さらどうしたのさ、明日葉は」

 明日葉は口を結んで、自分の前にあるジョッキを見つめた。

「何か理由があるんだろ」

 愛染は冷静にそう言うと枝豆を摘まんだ。

 明日葉は答えられなかった。隣の亜笠がゆっくりと口を開いた。

「――――雨宮さんと何かあったんですか」

 明日葉は小さく首を横へ振った。

「ないよ。何も」

 何もないわけがない。が、今の明日葉にはそう言う他になかった。

「じゃあ、どうして急に」

「急じゃない。雨宮がきっかけだったっていうだけで、ずっと思ってた」

 二人の会話を、愛染と櫟は黙って聞いていた。

「いつからですか」

 亜笠が静かに尋ねる。明日葉は目を伏せた。

「この間、帰省した時から」

 その場に沈黙が落ちた。店内は相変わらず賑やかなのに、自分たちのテーブルだけ時間が止まったようだった。

 亜笠は何も言わず、ただ明日葉を見つめていた。明日葉は小さく息を吐いた。

「ごめん。話さなきゃって思ってたんだけど……」

 帰省から戻ってから何度も機会はあった。だが、あまりにも居心地が良すぎて、言えなかった。幸せな時間を終わらせたくなくて、結局何も言えずに今日に至ってしまった。

 明日葉は自分の弱さに情けなくなった。

「どうしてですか」

 明日葉の沈黙が返事だった。

「……話せませんか」

 亜笠の声は、どこまでも優しかった。

「うん。ごめん」

 明日葉は静かに、だがきっぱりと言った。明日葉にはそれ以上何も言うことができなかった。

 おもむろに亜笠の手が伸びてきた。

「……っ!」

 思わず肩を竦ませる。一瞬だけ身構えたが、亜笠の手は明日葉を通り過ぎて、その手前に置かれたビールジョッキを掴んだ。

「あ」

 止める間もなかった。亜笠は、明日葉がまだ一口しか飲んでいないそれを口へ運び、一気に喉へ流し込んだ。

「お、お前、下戸じゃ……」

 なかったっけ、とは言葉にならなかった。上下する喉に、明日葉の顔が青くなる。ジョッキはあっという間に空になった。

 亜笠は小さく息を吐くと、静かにジョッキをテーブルに置いた。

「わかりました」

「え」

「無理には聞きません」

「亜笠……」

「でも別れるのだけは嫌です」

 きっぱりと、亜笠が言った。明日葉はため息をついた。

「そもそも付き合ってたっけ……」

 明日葉の言葉に櫟が眉を寄せた。

「いや、お前まだそんなこと言ってんの?」

「だっておれまだ返事してないし……」

 櫟は持っていたジョッキをテーブルへ叩きつけた。

「同棲してセックスもしてるんだろ!? これで付き合ってない方がおかしいって!」

「ああああああ! 公共の場でなんてこと言うんだお前は!」

 よりにもよって大声で話す櫟に、明日葉は真っ赤になって叫んだ。

「明日葉、セックスだけして責任とらないってのはセフレと変わんないぞ」

「愛染さんまで!? やめてぇえええ!!!」

 っていうかみんな何でそこまで知ってるんだ!? いや最悪知っててもいい、口に出さないでくれ!

 明日葉が抗議しようと口を開いた、その瞬間だった。

 隣の亜笠の身体がぐらりと揺らいだ。見ると、亜笠の顔が見る間に赤くなっていった。今の明日葉の顔よりも赤かった。

「え」

 耳まで真っ赤だ。明日葉がそう思った時にはもう遅かった。

 亜笠の身体が前方に倒れてきた。

「うわっ! あ、亜笠!?」

 慌てて腕を出し、その身体を受け止める。

 テーブルへぶつかりそうになった頭を抱え込むように支えるが、力が抜けきっていて起こすことができなかった。仕方なく自分の方へ引き寄せて、その頭を膝の上に乗せる。

「おい、大丈夫か!?」

 愛染がテーブルに手を付いて立ち上がる。櫟も目を丸くした。

「まじか」

 明日葉は亜笠の口元に手をあてた。呼吸は荒くはなっていない。ただ眠っているだけのように見えた。

「ジョッキ一杯で……?」

 確かに酒に弱いとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。道理で普段から一口も酒を飲まないわけだ。

 明日葉は躊躇いながらも、ポケットから携帯電話を取り出した。

「きゅ、救急車呼んだ方がいい……?」

 愛染と櫟へ助けを求めるように視線を向ける。

 二人は亜笠を覗き込み、それから顔を見合わせた。まるで答え合わせでもしたように同時に頷く。

「救急車はいいだろ」

 愛染が落ち着いた声で言った。

「明日葉んちが一番近いんだから、泊めたげなよ」

 櫟もあっさり続ける。明日葉は半眼になって、二人を見た。

「あの、さっきの話聞いてました?」

 呆れ半分、焦り半分だった。

「おれ、ついさっきこいつに家に来るなって言ったばっかり」

 櫟は悪びれもせず肩を竦める。

「だって僕と愛染さんじゃ亜笠のこと運べないもん」

「お前なら亜笠くらい余裕で運べるだろ」

「愛染さんまで!?」

 助けを求めるように視線を向けるが、愛染も櫟同様に肩を竦めた。

「明日葉――――亜笠とは、ちゃんと話せ」

 優しい、諭すような愛染の声に、明日葉は唇を噛んだ。

「別れるにしろ別れないにしろ、こいつは理由をちゃんと聞かないと納得しないぞ」

 愛染の言う通りだった。曖昧なまま終わらせようとしても、亜笠は絶対に諦めない。その隣で、櫟も頷いた。

「僕もそう思うよ」

 いつものからかうような笑顔は消えていた。

「だってお前、亜笠のこと好きじゃん」

「…………」

 明日葉は何も否定することが出来なかった。

「何で別れるのか、僕でも疑問」

「だからまだ付き合ってないって……」

 力なく言い返す。櫟は苦笑した。

「もう一回大声で言ったろか」

「やめて」

 顔を顰めると櫟はいつもの悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

「ちゃんと話し合いなよ」

 大事なんでしょ? 首を傾げられて、明日葉は黙り込んだ。

 愛染が立ち上がって、明日葉の頭に手を添えた。

「一人で抱え込むな」

 そう言って、ポン、ポン、と優しく頭を撫でてくれる。

 愛染の微笑みに、明日葉は膝の上で眠るように目を閉じた亜笠を見下ろした。

「愛染さん……すみません。お祝いの場なのに、こんな風になっちゃって」

 明日葉の謝罪に愛染は首を振った。

「あたしのことはいいから、二人でゆっくり話せ」

 明日葉は亜笠の頬をそっと撫でた。

 赤くなった頬も、苦しそうだった表情も、今は少しだけ穏やかだった。






 明日葉は仕方なく亜笠を背負って店を後にした。トボトボと歩き自宅に到着する。鍵を開けて中に入る。

 自分の靴を脱いで上がり、亜笠をベッドに転がした。それから亜笠の靴を脱がせる。ネクタイを引き抜き、シャツのボタンをいくつか開く。スラックスのベルトも外して、丸めてサイドテーブルに置いておく。

 亜笠は安らかな寝息を立てていた。

 そのことに安心して、明日葉はため息をついた。台所に移動して水を飲む。

 コップを流しに置こうとして、ふと冷蔵庫が目に入った。

 結局あの日は冷蔵庫の購入には至らなかった。亜笠の納得するものがなかったからだ。

『適当に答えないで真面目に考えて下さい』

 眉を寄せて言う亜笠が脳裏に蘇った。

(そもそもおれはこの冷蔵庫で十分なんだけどな……)

 相変わらず行動力がブルドーザーだ。思い立ったら即日過ぎる。

 明日葉は苦笑した。

 部屋の中を見回す。

 壁際には亜笠のジャケット、ハンガーラックにも自分のものではない服がいくつも掛けられていた。流しには歯ブラシが二本。一つだったコップがいつの間にか二つに増えている。皿も、調理器具も、知らない間に増えているものがたくさんあった。

 気が付けば亜笠の存在が生活の中に溶け込んでいた。

 明日葉は亜笠が眠るベッドに腰掛けた。

 乱れた前髪を優しく梳いて整える。相変わらずよく整った顔。穏やかな寝顔は起きている時よりあどけなく感じた。

(これがなくなるのは、きついな……)

 あと少しだけ、と思う間に一ヶ月過ぎてしまった。せめて棚卸が終わるまでは、そう思って今日まで過ごしてきた。

 だが、今日――――雨宮に、会ってしまった。

 もう見ないふりは出来ない。

 あそこまで堂々と元彼を自称してくるくらいだ。黙って見過ごすつもりはないだろう。下手をすれば、亜笠は彼から自分の過去を聞くことになるかもしれない。

 眠る亜笠を見つめる。明日葉は亜笠の指先に、そっと自分の指を重ねた。握り返してはこないことに少しだけ安堵する。

「おれなんかよりいいやつ、他にいっぱいいるだろ……」

 明日葉の呟きは誰の耳にも入らなかった。







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