一匹狼とお片づけ
「まず床に落ちてる物片付けるから、見られたくない物とかあれば自分の部屋に隠しといて」
髪をポニーテールに結えながら、不来方が俺に早速指示を下す。
俺は「了解」と短く返事して、取り込んでから放置したままの衣類の山を物色する。
特にやましいものはないけど、下着とかは流石に見せられないからな。
つーか、向こうとしても好きでもない男のパンツとか見たくもないだろ。
回収した物を二階にある自室の衣類ケースの中にぶち込んでからリビングに戻れば、不来方は山積みにした衣類を畳んでくれていた。
手際良く綺麗に畳まれていくシャツやらタオルやらを目の当たりにして、俺は思わず感嘆の声を上げた。
「めっちゃ手慣れてるのな」
「……向こうにいた時は、家のことは殆ど自分でしてたから」
へえ、ちょっと意外。
心の中で呟けば、不来方の怪訝な視線が突き刺さる。
「というか、これくらい普通のことでしょ。洗って干した服を畳んでしまうなんて子供でもできるんだから」
「それは……まあ、はい。おっしゃる通りデス」
大人になってもちゃんと出来ないやつは一定数いると思うが、今それを言うのは野暮か。
感想を飲み込んでから程なくして、「はい、これ」と丁寧に畳んで重ねられた衣類を手渡された。
「下にあったのは埃とか犬の毛とか結構付いちゃってるから、後でもう一回洗濯しておいた方がいいよ」
「お、おう」
「じゃあ、それ戻しておいて。その間に私は床に落ちてる服を集めて洗濯カゴに放り込んでおくから」
言うや否や、不来方は床に散らばっている服をてきぱきと拾い集める。
そんな彼女の後ろをトコトコついて回るセツを横目に俺は、手渡された衣類を収納しにもう一度自室に戻ることにした。
ちゃちゃっとしまってから再びリビングに移動すれば、もう既に散乱していた服やタオルが全部なくなっていた。
何ならどこからか見つけたフローリングワイパーを使って床の掃除まで始めてくれていた。
——なんか凄く贅沢な気分。
なんとなくそう思う。
俺の為ではないとはいえ、とびきりの美人が甲斐甲斐しく我が家の掃除をしてくれているのだ。
これを贅沢と言わずになんと表現すればいいのか俺には思いつかない。
それはそうと、ちらりと見える白いうなじが妙に色っぽく感じる。
ちょっとだけ目のやり場に困っていると、俺が戻ってきたことに気づいた不来方が持っていたフローリングワイパーを指差す。
「あ……ごめん、借りてたよ。本当は掃除機かけたかったけど、この時間だと近所迷惑になりそうだから、これ使わせてもらってた」
「全然構わんよ。わざわざサンキューな」
礼を述べつつ、俺は相変わらず彼女の後ろをついて回るセツを抱き上げる。
「ごめんな、セツ。ちょっとだけ大人しくしててくれよ」
暫く部屋中動き回るから、ふとした弾みで誤って踏んだり蹴ってしまったりして怪我させたりするかもしれない。
タイミングが少し遅れてしまったが、そうならない為にもケージの中に入れてからふと振り返ると、不来方が不思議そうに目を瞬かせていた。
「ん、どうかしたか?」
「そういえば、そこの周りだけ綺麗にしてあるなって」
「当たり前だろ。ここはセツの生活スペースなんだから」
飲み水の入ったボトルもトイレシートも学校から帰ったタイミングで新しいのに取り替えてあるし、ドッグフードの受け皿も定期的に洗ってある。
ついでに言えば、ケージの周辺だけには物を置かないように心がけていた。
一度ケージ周辺に視線を落として答えてから顔を上げれば、不来方が何か言いたげに俺を見つめていた。
「……どうかしたか?」
「別に。ただアンバランスだなって思っただけ」
「アンバランス?」
「他人のことはすごく気にかけるくせに、自分のことには頓着しなさ過ぎ。それってアンバランスでしかないでしょ。アンタはもっと自分自身のことにも意識を向けなよ」
不来方のじとりとした眼差しが向けられる。
本人としてはそんなつもりは一切ないんだろうけど、睨まれてるみたいでついつい身構えそうになる。
「お、おう……気をつけます」
とりあえず頷けば、不来方は胡乱げにこちらを見ていたが、すぐに小さく嘆息を溢して作業を再開した。
掃除場所がリビング一室だけということもあり、終わるまでにそう時間はかからなかった。
床に散乱していた物は全部片付けられ、ゴミも一箇所にまとめて後は捨てるだけの状態になっており、シンクに溜まっていた食器も全て洗い終わっている。
流石に細々とした部分までは手が回らなかったが、それでも帰ってきた時と比べれば見違えるほど綺麗になっていた。
……まあ、作業の殆どは不来方がやって、俺は彼女の指示に従ってただけなんだけど。
セツの件といい不来方には本当に頭が上がらない。
「マジでありがとな。本当に助かった」
「……礼を言われるほどのことじゃない。あまりにも汚すぎて目も当てられなかったから。ただ、それだけ」
素っ気なく言いながら不来方は結んでいた髪を解き、床に置いていたスクールバッグを拾い上げる。
「じゃあ、帰るから」
「あっ、ちょい待ち! 今、飲み物渡すから!」
そもそものきっかけは、セツのわがままに付き合って家までついてきてもらった礼をしようとしたことだ。
元より手ぶらで帰すつもりはなかったが、掃除までしてもらった以上、余計このまま帰らせるわけにはいかない。
急いで冷蔵庫から缶ジュースを取り出し、とっておいたコンビニのビニール袋に詰める。
ジュースは五、六本あったが、労いの意味も込めてある分全部を袋の中に突っ込んでから不来方に手渡せば、
「……こんなにいらない」
困惑混じりの声が返ってきた。
「まあまあ、そう言わずに受け取ってくれ」
これでも対価としては足りないくらいなんだから。
ほら、と半ば押し付けるようにビニール袋を持たせる。
不来方は暫し逡巡していたものの、最終的には「ありがと」と控えめに受け取ってくれた。
「じゃあ、今度こそ帰るから」
それからリビングを出ようとすると、そのことに気づいたセツが彼女の元へ駆け寄った。
セツは不来方のの足元でくるくると旋回した後、潤んだ瞳で彼女を見上げる。
どうやらうちのお嬢さんは、まだ不来方と一緒にいたいらしい。
俺としてはセツの要望を叶えてやりたいところではあるが、流石にこれ以上彼女をここに引き止めるわけにはいかない。
「セツ、今日はもうばいばいだぞ」
なのでセツを抱えて窘めれば、不来方がセツをまじまじと見つめながら訊ねてきた。
「——ねえ、お礼の件だけど、本当に何でもしてくれるんだよね?」
「おう、俺にできる範囲でだけど。それがどうかしたか?」
「……ううん、ただの確認」
そう言って玄関へと歩いて行く不来方を見送りにセツを抱えたまま追う。
そして、「お邪魔しました」靴を履いた不来方が扉を開けようとしたところでこちらに——というより、セツに向けて——ちらりと視線を向け、
「またね」
ぽつりと呟いてから家を出て行った。
その際、彼女の口元にうっすらと笑みが浮かんでいた。
「……あいつ、あんな顔もするんだ」
初めて見る彼女の柔らかな表情。
——もっとあんな風に笑えばいいのに。
セツを床に降ろしながら、俺は素直にそう思った。




