ずぼらと一匹狼
「っ〜〜〜……!!!」
後頭部に走る衝撃と鈍い痛みに悶絶する。
幸い意識ははっきりしていて、体も問題なく動かせるが、起き上がれるようになるまでにはまだ少し時間がかかりそうだ。
仰向けのまま暫く悶えていると、ふと頭上を陰が覆う。
セツを両腕で抱き抱えた不来方が、心配と呆れが入り混じったような表情で俺を覗き込んでいた。
「……大丈夫?」
「見ての通り、全然だいじょばないです」
「だろうね」
言って、不来方は小さく嘆息を溢す。
「ていうか、なんで不来方が……?」
「家の中からドンってすごい音がしたから様子を見に。あと入る時にノックはしたし、声もかけたよ」
「マジか」
じゃあ単純に俺が聞こえていなかっただけか。
まあ、痛さでそれどころじゃなかったしな。
別に黙って入ってきてもらっても構わなかったのだが、それよりも——、
「すまん、不来方。パシるようで悪いけどさ、セツの足拭いてもらっていいか? 足拭く用のタオルは靴箱の上に置いてるから」
「……いいよ、ちょっと待ってて」
何か言いたげにじっとこちらを見つめた後、不来方はやれやれとため息を吐き、セツを抱えたまま玄関へと歩いて行った。
——やっぱり、セツのことになると対応が甘くなるよな。
意外と犬好きだったりするのだろうか。
もしくは、小さい動物とかに庇護欲を掻き立てられるタイプとかなのか。
まあ、何にせよ不来方がいてくれて助かった。
横目で玄関に移動するのを見送った後、そんな取り留めもないことを考えながら、ぼーっと天井を眺めていると、やがてトタトタと床を駆ける足音が聞こえてきた。
足音の主——セツは、リビングに入るなり、
「うわっぷ!?」
俺の顔面に飛び込んで、そのままペロペロと顔中舐め回してきた。
引き剥がすのも面倒だったので、好きに舐めさせていると、少し遅れて不来方もリビングに戻ってきた。
「うわ……まだ寝転がってたんだ」
「おう」
「おう、じゃなくて、いい加減起きなよ……」
言って、不来方は部屋の中を一望する。
全体をざっと見回すと、今度は完全に呆れた様子で俺に半眼を向けた。
「というかさ、何この部屋?」
「見ての通り、リビングだけど」
「それは見れば分かる。そうじゃなくて、なんでこんなに汚いのかって聞いてるんだけど?」
なんでって……そりゃあ、俺が整理整頓が超絶苦手でその上、部屋の掃除をめっちゃサボってるせいだが。
セツが俺の顔を舐めるのを止めたところで起き上がり、床に座ったまま室内を見渡す。
脱ぎ散らかしたり、洗って干したのに畳まないまま床に山積みにされた服やタオル。
水に浸しただけの食器が積み立てられたシンク。
袋に縛っただけでテーブルの上やゴミ箱の傍に放置してあるコンビニ弁当やカップ麺の空。
——うん、我ながら中々に酷い光景だ。
散らかした張本人である自分でさえそう思ってしまうのだから、第三者の不来方からすればもっと目も当てられない惨状なのだろう。
「全く……これでよくこの子を飼おうと思えたよね」
「決めたのは、俺じゃなくて親父。引き取った当の本人は、長期出張で県外だけど」
本当にまさかだよな。
セツを飼い始めた矢先に遠くに異動するハメになるなんて。
出張を命じられて帰ってきた日の親父は、ものすごく申し訳なさそうにしていたが、決まってしまったものは仕方がない。
「そういうわけで、今のところは実質俺一人でこいつの面倒を見てる状態」
「一人? お母さんは?」
「あー、母ちゃんなー……母ちゃんなら、あそこ」
部屋の端っこにある小さな仏壇を指差す。
すると、不来方の表情が一気に曇った。
「十年くらい前に事故でな。それ以来、親父と二人で暮らしてる」
「……ごめん」
「いいって。もうずっと前のことだし、近くには住んでないけど、いざって時に頼れる親戚もいるしな」
「そっか……」
しかし、不来方の表情は依然として暗いままだ。
なぜ彼女がここまで気にするのか理由が気になりはするが、あまり詮索する気にはなれなかった。
訊いたところでちゃんと答えてもらえるとは思わなかったし、それ以上に気軽に触れてはならないような気がした。
「だからその、なんだ……マジで気にしなくて良いからな。もうずっと昔のことだしよ。……と、そうだ。コーヒーかお茶でも淹れるよ。折角、中に入ってもらったんだし」
「……いらない。私の事なんかより、この部屋のことに気を回しなよ。実質一人暮らしといっても、アンタだけの部屋じゃないんだから」
不来方は俺の膝の上に鎮座するセツを一瞥すると、眉を顰めてリビングの奥に進んでいく。
「掃除機も全然かけてない……こんなとこに洗濯した物を置いたら、またすぐ汚くなっちゃうじゃん。それに、その子にも埃とかついちゃうし。犬だって埃が溜まるとアレルギー反応を起こすことだってあるんだから」
「うぐっ」
「というか、こんなに物を散らかしてなかったら盛大に転ぶこともなかったでしょ。アンタ一人だったからまだ良かったけど、近くにその子がいたら巻き込んでた可能性があるんだから、物を散らかすにしても、せめて動線上には置かないくらいのことはしなよ」
「……うす、気をつけます」
相変わらず無愛想な物言いではあるが、彼女から漏れ出る小言のどれもが至極もっともな正論だ。
なので、素直にお叱りの言葉を受け止めていると、不来方は何やら考え込むような素振りを見せた後、背負っていたスクールバッグを床に置いてみせた。
「本当は様子だけ見たらすぐ出ていくつもりだったけど、気が変わった。——掃除するよ」
「へ? それって、どういう……」
「どういうも何も言葉通りの意味だけど。動物を飼うには部屋が汚すぎるから掃除するって言ってんの。また転んで怪我でもされたらこの子が困るし、これ以上この子をこんな汚いところに住まわせたくないし」
——あの、さっきから言葉の棘が鋭くない?
突っ込みたくなるも、喉元でぐっと堪える。
不来方がここまで言うのは、セツを慮ってのことだからだ。
どうしてここまでセツのことを気に掛けてくれるのかは分からないけど、いずれにせよ彼女の申し出は願ってもないものだった。
とてもじゃないが、俺一人で部屋を綺麗に出来る気がしないしな。
なのでここは、ありがたく厚意に甘えるとしよう。
「……すみません、是非ともよろしくお願いします!」
深々と頭を下げれば、不来方はやれやれと困ったようにため息を吐いた。




