リシェル外伝:冗談だったのに、本気になってた
──最初は、ただの暇つぶしのつもりだった。
屋敷に“管理人”がやってくると聞いたとき、正直ちょっとだけ期待してた。どんな面白い人が来るのかなって。
そして現れたのが、あの真面目くさった、堅物な顔をした青年。
(なーんだ、絶対冗談通じなさそう)
それが、第一印象だった。
でも、会ってすぐに気づいた。
あの人──レオンは、からかい甲斐があるタイプだって。
「んふふ、管理人さんって意外と顔赤くなるの早いよね」
「ちょっと近すぎる!」
「えー、まだ触ってないじゃん? ドキドキしてたの?」
反応が、いちいち可愛い。からかえばからかうほど、頬を赤らめたり、視線を逸らしたり。
(ちょっと……可愛いかも)
そんなことを思ってしまったのが、たぶん、始まりだった。
私は侍女として、屋敷の掃除や来客対応もこなすけど、ちょっとくらい“息抜き”があってもいいと思ってた。
レオンにちょっかいをかけるのは、軽いゲーム感覚だった。
彼が真面目に反応してくれるから、やりがいもあったし。
だけど。
ある日、彼がクラリス様の髪を撫でていたのを見て、胸がもやもやした。
(……なにそれ)
あんな優しい顔、私には見せたことなかったくせに。
別に、嫉妬してるとかじゃない。ただ、なんかムカついただけ。
──そう思いたかった。
「おーい、管理人さん。今日も可愛がってあげよっか?」
「もう慣れたぞ。リシェルには負けない」
「ふーん? じゃあ今夜は特訓しなきゃだね」
からかい合いのやりとりの中、私は笑っていた。でも、心の奥では何かがちょっとずつ変わっていた。
いつからだっただろう。
あの人の笑顔が、本気で見たくなったのは。
その手に触れたいと、思ってしまったのは。
──最初は、冗談だったのに。
気づいたときには、もう目を逸らせなくなっていた。
***
クラリス様は、ずるい。
あんなに綺麗で、おしとやかで、でも誰にでも優しくて……しかも、レオンにだけは時々ちょっと特別な顔をする。
それを見るたび、胸の中がキュッと締め付けられるような気がして。
(なによそれ。私だって──)
でも言えない。私は、冗談でごまかしてきた。
「レオンって、意外と頼りになるじゃん。まあ、子犬感あるけど?」
「はは……それって褒めてるのか?」
「もちろん、超かわいいって意味♡」
いつも通りの軽口。でも、最近の私は、ちょっと違う。
視線が合うたびに、胸が高鳴る。
手がふれてしまうたびに、鼓動が早くなる。
(なんなのこれ……こんなつもりじゃなかったのに)
クラリス様のようにはなれない。
上品さも、気品も、気遣いも……きっと敵わない。
でも、あの人の隣に立ちたい気持ちは、きっと同じ。
ある日の午後、レオンが中庭の花を手入れしているのを見つけた。
何気なくそばに座り込み、軽く足を伸ばしてみる。
「ねえ、靴脱がせてよ。今日、ちょっと歩きすぎてさ」
「まったく……ほんとに甘え上手なんだから」
文句を言いながら、そっと膝をついてくれる。
その姿に、胸がじんわりとあたたかくなった。
──もっと、こうしていたい。
もっと、私のこと見てほしい。
(……どうしたら、振り向いてくれるの?)
笑顔の裏で、私はずっと悩んでいた。
だって、もう分かってる。
これは、ただのからかいじゃない。
好きになっちゃったんだ、私──ほんとに。
***
夕暮れ時、廊下の端からふと見えたのは──クラリス様と、レオンがふたりきりで話している姿だった。
柔らかい笑顔。
優しい声。
触れそうで、触れない距離感。
(……あの距離、私には出せない)
胸が、ざわつく。
なんでこんなに見てられないんだろう。別に、いつものことなのに。
ぐっと拳を握りしめた。
悔しい。自分の弱さが、情けなかった。
「リシェル、どうかしたの?」
声をかけられて、慌てて顔を上げる。
いつの間にか、すぐそばにいたレオンが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「べ、別に。ちょっと疲れてただけ」
「そうか。無理はするなよ」
頭を撫でられた。
優しい手。あったかい。
(……なんで、そんな顔するの)
優しくされるたび、嬉しくなる。
けどそれが、自分だけのものじゃないのが、つらかった。
(クラリス様には敵わない。そんなの、分かってる)
だけど、私は引き下がりたくなかった。
レオンの笑顔を、誰かに全部持っていかれるのは──嫌だった。
その日の夜。
私は、クラリス様の気配がないことを確かめてから、そっとレオンの部屋の前に立った。
(やるなら、今しかない)
何を言うか、どうするかなんて決まってなかった。
でも、動かなきゃ何も変わらない。
深呼吸。
ノックの音が、やけに大きく響いた。
***
扉が開くと、レオンは驚いたように目を見開いた。
「……リシェル?」
気まずい空気にならないように、精一杯、いつも通りの口調を作る。
「なによ、そんな顔。お邪魔だった?」
「いや、そうじゃないけど……どうしたんだ?」
「ちょっと。疲れたから、癒やしてもらおうかなって」
にっこり笑ってみせたけど、心臓はバクバクだった。
だって、嘘だから。本当は、癒やされたいんじゃなくて──伝えたくて来たんだから。
レオンは困ったように笑って、部屋に招き入れてくれた。
「はい、ハーブティー。クラリス様に教えてもらったんだ」
「へぇ……やっぱり仲良いんだ」
ふと出た一言に、自分でも驚いた。
「……あ、違う、今のは別に……」
慌てて言い直そうとしたけど、レオンが黙ってこちらを見ていた。
「リシェル、今日、何かあったか?」
「……あるよ、そりゃあ。っていうか……ずっとあった」
もう、誤魔化せない。
言わなきゃ、今日来た意味がない。
「最初はさ、あんたのことちょっとからかってただけだったの」
目をそらしながら言う。
「真面目で、反応がいちいち面白くて、可愛くて……。だけど、気づいたらそれじゃ足りなくなってた」
ティーカップを置いて、立ち上がる。
レオンの前に、ほんの少しだけ距離を残して立った。
「他の子と話してると、ムカつくの。頭撫でてると、なんで私じゃないのって思っちゃうの」
そして、勇気を振り絞る。
「……好きなの。癒やしたいんじゃない。好きだから、ここに来たの」
沈黙。
ほんの数秒だけど、永遠みたいに長く感じた。
レオンが、立ち上がって、私の手を取る。
「……ありがとう、リシェル。来てくれて、嬉しい」
その言葉が、全部を救ってくれた。
気づけば私は、彼にそっと身を預けていた。
その夜、私たちは、初めて本音を交わした。
甘い言葉も、恥ずかしい沈黙も、全部ひっくるめて。
やっと手に入れた“本気の夜”は、癒やしなんかじゃない──恋だった。
***
あたたかくて、心地よくて── 私は、夢を見ているようだった。
ぬくもりが、こんなにも安心できるものだったなんて。
昨夜のことを思い出すたびに、胸がじんわりと熱くなる。
(ほんとに……言っちゃったんだ、私)
冗談じゃなくて、本気の気持ち。
レオンが、ちゃんと受け止めてくれて……それだけで、嬉しくて。
(今も、隣にいてくれる……)
まどろみの中で、私はそっとレオンの腕に頬をすり寄せた。
彼の腕を枕にしていることが、妙に幸せで、ふわふわする。
(やば、幸せすぎて……また寝ちゃいそう)
でも、確かに聞こえた。
静かな足音。
そして、ベッドの向こう側、誰かが布団に潜り込む気配。
(……ん? 誰か来た……?)
意識がぼんやりしていて、現実と夢の境目が曖昧だった。
ふと、かすかに髪を撫でるような動き。
それはレオンじゃない、誰か別の……優しい、でも少しだけ緊張した手。
(クラリス様……? まさか、夢……?)
その瞬間、現実が音を立てて戻ってきた。
「リシェル、起きて。お客様が来てるわよ」
クラリス様の声だった。
「……んー……誰……? クラリス様ぁ……!?」
私は跳ね起きた。
夢じゃなかった。クラリス様が、目の前にいた。
「おはよう。随分と、仲睦まじいようで」
その微笑みが、柔らかくて、でも少しだけ怖い。
(やば……まさか、見られてた? 昨夜のことまで……?)
胸がドキドキする。
恋の余韻のせいだけじゃない。
でも、私は後悔してない。
ちゃんと伝えた、ちゃんと想いが届いた。
それは、誰に何を言われても揺らがない。
(戦いは、これから……かもだけど)
私はもう、からかうためじゃなく、
本気で、恋をしてるんだから。
──冗談だったはずの気持ちは、今、ちゃんとここにある。