8.
それからしばらく後、実際に前線からの報告で「魔物の大群が押し寄せてくる」との連絡が届いた。しかも複数の方向から同時に攻められているらしく、兵たちは総出で応戦することになる。
医療班も気の休まる暇がない。血まみれで運び込まれる兵士、毒や呪いに侵された冒険者……。わたしは限られた魔力と薬を駆使して、精一杯処置に当たる。
そのさなか、突如として上空が白い光に満ちた。まるで雲間から巨大な太陽が降りてくるような、あるいは雷鳴が閃光を放つような圧倒的な輝き。
「……何……? まさか……!」
見れば、前線基地の中心部に立つ新しい聖女が、高々と両手を掲げていた。周囲には彼女の神官や護衛が固められ、邪魔されないように防御結界を張っている。その中央で聖女は豪奢な装飾の杖を振りかざし、限界を超えるほどの光を呼び込もうとしていた。
隊長や多くの兵士たちも後方へ下がり、「ここで一気に魔物の群れを殲滅する」と期待を込めて見つめている。
「大切なる神よ、どうか我が願いに応え、この地を覆う邪悪を浄化してください……!」
聖女の声が震え、光がさらに増幅していく。——けれど、わたしの目には、その光が不自然なほど膨れ上がり、制御を外れかけているように見える。
(いやな予感が……)
その予感は一瞬で現実化した。聖女の放った眩い閃光が、あたりの空気を焼き切るように走ったかと思うと、突如あちこちに火花のようなものが弾け、衝撃波が周囲を薙ぎ払った。
「ぎゃっ……!?」「うわああっ!!」
聖女のすぐ近くにいた兵士や神官たちが吹き飛ばされる。結界を張っていたはずの騎士たちも、想定以上の衝撃に耐えられず意識を失ったり、その場に倒れ込んだりしていた。
白い輝きが紫色に変色し、不気味な轟音を放ちながら渦を巻く。巨大な力が制御を失い、辺りの草木やテントまでも巻き込み始めたのだ。
「まずいわ……あれ、明らかに手に負えない」
医療班のメンバーも悲鳴を上げながら逃げ惑う。わたしは咄嗟に治療中の兵士を庇ってしゃがみ込み、飛んできた破片を避けた。
その中心で、聖女が杖を振り下ろそうとしている。だが、その表情は明らかに恐怖に歪んでいた。
「ち、違う……こんなはずじゃ……っ!」
彼女は必死で光を制御しようとしているらしいが、すでに手遅れだ。暴走する浄化の力は、魔物だけでなく周囲の人間にも容赦なく牙をむき始めている。
「いやあああっ!!」
聖女自身も光の触手のようなものに捉えられて悲鳴を上げる。霊力が逆流して身体を蝕んでいるのだろうか、その姿はもはや正気を失いかけているように見える。
このままでは前線基地は壊滅し、負傷者も巻き添えを食ってしまう。わたしは動揺しながらも、どうにか手段を探す。
しかし、わたしに単独で暴走を止めるほどの力はない。完全にあれを抑えるには、同じかそれ以上の神聖力か、あるいは強烈な魔力の干渉が必要だ。
(……そうだ。あの人なら……)
脳裏に浮かぶのは、先ほど姿を消した黒鎧の男。あの圧倒的な存在感は、もし彼が本当に“魔王”ならば、この暴走を抑えられるかもしれない。
——だけど、彼が手を貸してくれる保証はどこにもない。むしろ、この状況を好機と見る可能性もある。
それでも、あのまま放置すれば基地も街も危険だ。ならば今、わたしにできることは一つしかない。
「アデル、みんなを安全な場所へ避難させて。わたしは……一度、黒鎧の男を探しに行くわ!」
「えっ、でも危険ですよセレスさん!」
「わかってる。でも、このままじゃもっと被害が広がる。あの男なら、何とかしてくれる可能性があるかもしれないの。……ごめん、任せたわよ!」
そう言い残して、わたしは荒れ狂う光の渦を避けながら基地の端へ走り出した。誰もがパニックに陥っている。火の手が上がり、悲鳴がこだまする。
——黒鎧の男は、あの混乱の中にいるのか? どこを探せばいい?
焦燥感に駆られながらも、わたしは“魔力の高い存在”を感じ取ろうと五感を研ぎ澄ませる。すると、前線基地から少し離れた岩場のほうに、かすかに強い力の波動を捉えた。
(あっち……!)
がれきや悲鳴を振り払い、わたしは全速力で駆ける。そこは遮蔽物が多く、まばらに岩や崖が続く危険な地形だ。先ほどまで誰も寄り付かなかった場所に、黒い影がたたずんでいた。
息を整えながら近寄ると、やはり彼だった。黒鎧の男が腕組みをし、不動の姿勢で暴走の光を遠巻きに見据えている。
「ハアッ、ハアッ……! そこに……いたの……?」
「来たか、セレス。……見ろ、あれが王国の“聖女”の本性だ」
彼が顎で示す先には、今にも自滅しそうなほどに力をこじ開けている聖女の姿があった。自国の兵を巻き込みながら、あの暴走は止まらない。
「……こんなこと、放っておいたら……本当に最悪の事態になるわ!」
「だろうな。とはいえ、俺が救ってやる義理はない。むしろ、勝手に滅べばいい」
男は酷薄な笑みを浮かべる。まさかここまで露骨に言うとは思わなかったが、確かに彼からすれば王国と聖女は敵対者のはずだ。
けれど、その渦に巻き込まれているのは、罪もない兵士やわたしの仲間たち。街の人々だって危ない。わたしは彼の前に立ち塞がるようにして、必死に訴える。
「お願い……! あなたが魔族の王だとしても構わないから、どうか力を貸してほしい。これ以上、誰かが犠牲になるのは耐えられないの!」
「お前……」
「確かにわたしは、二度と誰かに利用されたくないと思ってる。でも、今はそんなことを言っていられない。あれを止めないと、取り返しがつかないわ……!」
自分の言葉が震えているのがわかる。けれど、黒鎧の男はそれを冷ややかに見つめていた。
「……俺が手を出す理由がない、と言ったらどうする? 人間が勝手に暴れ、勝手に滅びる。お前はそれでも構わないと言っていたな?」
「そんなわけないでしょう……! わたしは誰だって、助けられるなら助けたい。あなたにだって、本当は……」
言いかけて言葉が詰まる。思えば、わたしがこの男に惹かれるのは、その放たれた“自由”を感じるからかもしれない。王国に縛られず、思うままに生きている姿。それはわたしがずっと憧れ、ようやく手に入れようとしている生き方でもある。
でも、今この瞬間は、わたしひとりの力ではどうにもならないのも事実だ。
「頼むわ。これ以上被害を拡大させないで……!」
ほとんど泣き叫ぶような勢いで懇願するわたしに、黒鎧の男は短く息をついた。微かに眉間に皺を寄せ、何か言いかける——。
そのとき、再び空気を裂くような衝撃音が轟き、わたしは思わず耳を塞いだ。暴走する光の爆発が近づいてきたのだ。
男はひどく面倒くさそうに吐息を漏らし、ぐいっとわたしの腕を掴んで引き寄せる。
「チッ……。仕方ない。お前の頼みとあれば、少しだけ手伝ってやる。だが……その代償として、お前には相応の覚悟をしてもらうぞ」
「代償……?」
「覚えておけ。俺は自由を拘束したりはしないが、俺なりの方法で“お前を守る”と決めたからな」
意味深な宣言に戸惑う間もなく、彼はわたしを後ろに庇いながら、まるで“闇”そのものを纏うような異様な力を解放した。黒い気配が周囲を渦巻き、まばゆい浄化の光と激しく衝突していく。
それはまさに、神聖な光と魔の闇がぶつかり合う凄絶な光景だった。
「さあ……暴走ごと、封じてやろうじゃないか」
男が低い声で呟くと、わたしの背筋に鋭い震えが走る。同時に、前線基地で辺りを焼き尽くそうとしていた光が、強力な闇の力に押し戻されていった。
——この先、どうなってしまうのか。それは誰にもわからない。
けれど、わたしは初めて“誰かに何かを頼る”ことを選んだ。自分だけで動こうとせず、この男の持つ圧倒的な力に手を伸ばした。
そうでもしなければ守れないものがあると悟ったからだ。
混濁する光と闇が渦巻く戦場の只中で、わたしは固く唇を結びながら、彼の背を見つめ続けていた。
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