5.
その夜。寝つけずにベッドで横になっていると、急に外で大きな物音がした。誰かの怒鳴り声も聞こえる。こんな時間に何があったのだろう?
わたしは急いで外へ出る。すると、通りの暗がりに人影が見えた。よく見ると、黒鎧の男がいる。彼の周囲に、数名の人間が倒れているようだ。
「何、何事……?」
わたしが声を掛けると、黒鎧の男がこちらを振り向いた。その目は血に飢えたような鋭さを放ち、さらに倒れている人物たちの姿は、どうやら王都兵らしい。
「……少々喧嘩になっただけだ。俺の部下を侮辱し、暴力を振るおうとした輩がいるから叩き伏せた」
黒鎧の男は淡々と言うが、その背後からは王都兵の苦しげなうめき声が聞こえる。
「何を……き、貴様、一体何者なんだ……このっ……」
倒れた兵がうめきながらも彼を睨むが、黒鎧の男はまったく動じない。
わたしは慌てて近寄り、倒れた兵士たちの怪我を確認する。どうやら命にかかわるほどではないが、あちこち打ち付けられ、骨にひびが入っていそうな者もいる。
すぐに治療しなければ、後遺症が残る可能性もある。
「……いろいろ事情はあるでしょうけど、わたし、彼らを放ってはおけません。治療します」
そう言うと、黒鎧の男はわずかに目を細め、嘲るように口の端を歪めた。
「好きにしろ。どうせ、こいつらが悪いんだ。俺は俺のやるべきことをやっただけ。……あとはお前が引き受けるのも自由だ」
自由。それを聞いて、少しだけ肩の力が抜ける。
わたしは急いで店の中へ戻り、道具と薬を取りに走った。こんな暗闇の中で治療するのは大変だが、一刻を争う状況には違いない。
「うっ……こんな奴、領主の目をかすめて勝手に動いて……咳……くそっ……」
「今はしゃべらないで。痛むところはどこ?」
兵士に声をかけながら、まずは外傷の処置を優先する。骨折らしき症状があるなら固定が必要だ。魔力も使って痛みを和らげ、出血を最小限に抑える。
黒鎧の男は腕組みをしながら、その光景を黙って見守っていた。やがて、処置が大体終わる頃、彼はぽつりと口を開く。
「……相変わらず、すごい腕だな。こんな短時間で彼らを落ち着かせるとは」
「これでもまだ応急処置よ。ちゃんと寝かせて安静にしないと」
わたしは大きく息をついた。一度に複数人を治療したので、魔力の消費も大きい。額に汗が滲んでいる。
「……お前はよく、そんな相手を助けられるな。俺にやられた連中なんだぞ?」
「誰だって怪我をすれば苦しい。悪事を働いたかどうかはわたしには判断できないけど、人が苦しんでいるのなら治したいと思うだけです」
わたしは正直な気持ちを伝えた。かつて聖女として育てられた名残かもしれない。誰かが助けを求めるなら手を差し伸べたい、そんな気持ちは捨てられない。
すると、黒鎧の男がわずかに微笑んだように見えた。しかし、その笑みはなんとも猛々しく、どこか独占欲を孕んでいるようにも感じる。
「……なるほどな。だからお前は“俺のもの”にしたくなるんだ」
「は?」
「どんな相手も分け隔てなく癒やそうとする……そんな存在を、好きなように扱う王都の連中が多いのも当然といえば当然だ。だが、もう誰にも支配されないと決めたんだろう?」
「ええ、それはそうですが……」
いきなり“俺のもの”発言が飛び出し、戸惑いを隠せない。以前も似たようなことを言われたが、この男は本気でわたしを自分の支配下に置きたいのだろうか。
でも、わたしはまた誰かに縛られるなんてまっぴらだ。それは彼が相手でも同じだと、はっきり言ってやりたい。
「あなたがわたしを気にかけてくれるのはありがたいですが……わたしは自分の生き方を変える気はありません。どうか、そこを勘違いしないでくださいね」
少し強い口調で言い放つと、黒鎧の男は予想外にあっさりと肩をすくめる。
「わかってるさ。だが、それはそれ。お前がどれだけ拒んでも、俺のほうから離れない……という選択肢もあるからな」
「……はぁ」
まるで一方的な求婚宣言のような強引さに、ため息がこぼれる。でも、これはきっと“口説き文句”とかじゃない。もっと危うい、所有欲に近いものを感じる。
わたしが返す言葉も見つからずに黙っていると、黒鎧の男は「それじゃあな」とだけ言い残して暗闇に消えていった。
夜風が冷たく、彼の去ったあとの通りには手当てを受けた兵士たちがぐったりと横たわっている。
(……なんだか、わたしと同じくこの人も“王国”から離れたいと思っているのかもしれない。あるいは、王国とは違う勢力に属しているのかな)
その正体を探る恐怖と、なぜか胸の奥に生まれる奇妙な安心感。それらがないまぜになって、わたしは混乱する気持ちを抱えながら、彼らの応急処置を続けていた。
◇◇◇
翌朝になると、わたしは夜の一件の後始末に追われていた。怪我を負った兵士たちは、簡易ベッドに移して寝かせており、引率の上官に連絡を取って引き取りを待つ状態だ。
「まさか仲間同士で衝突が起きるなんて……」
やってきた王都兵の上官は頭を抱えつつ、わたしや街の人々に平謝りしている。どうやら、酔った勢いで地元兵を侮辱し、そこに居合わせた黒鎧の男が激怒して手を出した——というのが真相らしい。
「これだけひどい怪我を……。ですが、セレスさんがいて本当に助かりました。彼らは命に別状はなさそうですし」
「いえいえ、当然のことですから。早く本格的な治療を受けさせてあげてくださいね」
わたしがそう言うと、上官は深く礼をして、部下たちを引き連れて帰っていった。今後は規律を厳しくし、こういう揉め事が起きないようにするつもりらしい。
店の裏口から外に出ると、地元の人々が片付けの手伝いをしてくれているのが見える。夜中の騒ぎがまだ冷めやらず、ざわつきも少し残っているようだ。
そんな中、あの黒鎧の男の姿は見当たらない。もしかしたら、どこかで魔物の討伐や何か別の任務に出ているのかもしれない。
「はあ……」
大きく息をつき、気を取り直す。わたしにはわたしの仕事がある。余計なことに首を突っ込みすぎないのが一番だ。
ところが、まさにそんな矢先、裏手の路地を歩いていると、ひそひそ声で何かを話す二人組を見かけた。隠れて聞くつもりはなかったが、彼らはわたしに気づかず会話を続ける。王都兵の制服を着ているようだ。
「……聞いたか、どうやらこの辺境には“魔王”が潜んでいるらしいぞ」
「魔王? そんな馬鹿な……。確かにここは魔族の領土が近いが、直接来るとは思えん」
「でもあの黒い鎧の男は普通じゃない。噂では、魔族の王が人間界にやってきているって。だから奴が王都兵を叩き伏せたと聞いたが?」
「ま、まさか……。もし本当なら、辺境が大変なことになる。新しい聖女や王太子殿下も来るかもしれないし……」
そこまで聞いて、わたしは息を呑んだ。黒鎧の男が“魔王”……? そんな噂をしているのか。
魔王といえば、人間界を脅かす最大の敵。王国にとっては宿敵中の宿敵とされている。でも、その実態は一般人にはよくわかっていないし、長らく姿を見せたという話もない。
(黒鎧の男が、もし本当に魔王だとしたら……?)
脳裏にちらつくのは彼の不穏な言動、圧倒的な力、そして自由を尊重するようなそぶり。魔王がこの地に潜んでいる理由はわからないが、彼の強大な魔力を思えば、ありえない話ではないのかもしれない。
しかし、同時にわたしの中に疑問が湧く。もし彼が本当に魔族の王であるなら、人間界に介入するのは危険なはず。大きな紛争を招くだけだし、わざわざ王都兵に混じって行動するなんて常識では考えられない。
いずれにせよ、黒鎧の男の周囲にはさらなる波乱が待ち受けているような気がする。以前のわたしなら恐れ慄いたかもしれないが、今のわたしには、なぜか妙な期待感さえ浮かんでしまうのだ。
誰にも支配されず、自分の道を生きるためにここへ来た。その途上で出会った、得体の知れない男。もし“魔王”であろうと、わたしはわたしの生き方を変えるつもりはない。
(……彼が何者だろうと、また利用されるのは御免だわ。わたしは、わたしの自由を守り続ける)
そう心に決める一方で、彼の言葉——「お前がどれだけ拒んでも、俺のほうから離れない」——が耳を離れず、胸をざわつかせるのだった。
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