3.
ベルタスの地で薬師としての生活を始めてから数週間。開店当初は閑古鳥が鳴くかと思っていたが、傷病者の多い辺境では治療と薬がまさに必需品だった。評判は口コミで広がり、わたしの店には冒険者や傭兵、さらにはこの街を護る兵士たちが訪れるようになっている。
ちょうど店先で薬草の選別をしていたとき、顔見知りの兵士トールが、仲間を連れて現れた。
「よう、セレス。ちょっと怪我人が出ちまってな。診てやってくれ」
「はい、わかりました。傷の具合は?」
「腕に魔物の爪が引っかかったんだ。浅いっちゃ浅いが、痛みがひどくてな」
彼らは最近よく依頼を持ってきてくれる常連さんだ。トールが連れてきた若い兵士は苦悶の表情を浮かべている。すぐに店の中へと案内し、施術台のように使っているベッドへ横になってもらう。
「少し痛むかもしれないけれど、我慢してね」
声をかけつつ、傷口を丹念に消毒し、薬草ベースの消炎剤を塗り込む。それだけでも多少は楽になるはずだが、深い痛みが残る場合はわたしの魔力で回復の手助けをすることになる。
ただ、魔力を使いすぎれば周囲に正体を悟られる恐れがあるので、あくまで「薬で無理なく治るように補助する」という体裁で使うのがコツだった。
「ぐっ……」
若い兵士が顔をしかめるが、わたしがそっと手をかざし、ほんの少し魔力を流し込むと、呼吸が落ち着いていく。
「大丈夫、落ち着いて。もう少しで痛みが和らぐわ」
その様子を見ていたトールが目を丸くした。
「不思議なもんだな。普通ならあんな痛みがすぐには収まらねえもんだけど……。さすが評判の薬師だ」
兵士仲間たちも口々に「やっぱ腕がいいよな」「あちこち回ってからここに来るけど、結局ここが一番助かる」と称賛してくれる。
わたしは苦笑いを浮かべながら、包帯を巻いて最終的な処置を整えた。
「はい、お疲れさま。二、三日ほど安静にして、包帯を汚さないように注意してくださいね。痛みが残るようならまた来てください」
「ありがてえ……助かったよ。正直、もっとひどいことになるかと……」
「ちゃんと治れば大丈夫よ。無理はしないでね」
その後、トールが治療代を支払ってくれる。もっとも兵士にはある程度の治療補助が出るらしく、彼らが困窮することはそうそうない。わたしも安定した報酬を得られてありがたい。
「それにしても、最近魔物が活発だって話だな。おかげでうちの仕事も増えちまう」
「街の守りを担う皆さんは本当に大変そうですね」
「ま、怪我は増えるが、飯のタネにはなる。おっと、悪いな、セレス。俺たちはこれで引き上げるが、今後も頼むぜ」
兵士たちが去り、店内が静かになる。わたしは治療道具を片付けながら、ふと窓の外に目をやった。
ベルタスの空はくすんだ灰色で、どこか肌寒い。王都と比べると気温差も激しく、自然環境は過酷だ。しかし、わたしはそこにむしろ“生きている”実感を覚える。
「……さて、次の薬の調合を進めないと」
そうして、一息つく間もなく働いていると、来客を知らせる鈴の音が鳴った。軽やかな金属音が響くたび、わたしは「いらっしゃいませ」と出迎えるのだが——。
「よう。また来たぞ」
低く威圧感のある声。その主は、先日“深手の兵士”を連れてきた黒鎧の男だった。相変わらず不穏な雰囲気を纏い、店の狭い入口にどっしりと立っている。
「……あら、いらっしゃいませ。今日はどうなさいました?」
「部下の怪我の経過を見に行ったら、あっさりと快方に向かっていた。あれほどの傷をここまで早く落ち着かせるとは、やはりお前の治癒力は只者じゃないな」
「それは彼自身の治癒力が高かったのと、薬や休養がうまく作用したからですよ。わたしはちょっと手助けしただけ」
わたしが冷静に応じると、黒鎧の男はふん、と鼻を鳴らした。
「まあいい。今日は、前に言った礼をしに来たんだ。お前、何か望むものがあるのか?」
「うーん、特にありませんよ。治療費はちゃんと受け取りましたし」
正直なところ、あまりこの男とは深入りしたくない。どこか政治的・軍事的な要素を匂わせる雰囲気があるし、万が一わたしの正体を追及されたら厄介だからだ。
しかし、黒鎧の男は納得しない。重苦しい沈黙の後、言いづらそうに口を開く。
「実は……部下たちが、お前にもう少し手伝いを頼めないかと言っている。そろそろ大規模な魔物退治に出る予定があるが、今の時期は新手の魔族も動き始めていてな。死傷者が増える可能性が高いんだ」
わたしは思わず目を瞬かせる。ここベルタスは魔族の領地と接しているため、定期的に“掃討戦”のようなものが行われるらしいのだが、わたしは具体的な規模などは知らなかった。
「それって、ずいぶん大掛かりな作戦なんですか?」
「そうだ。領主の命令で、王国からも追加の兵が送られてくる予定らしい。……だが、医療施設や人員は十分じゃないからな」
「なるほど。つまりわたしに治療班として協力しろ、と?」
黒鎧の男は唸るように短くうなずいた。
「少なくとも、応急処置に関してはお前に勝る者はいない。薬を配合して兵士たちに持たせるだけでも、大勢の命を救えるだろう」
「確かに……できる範囲で助力はしたいです。街に住ませてもらっているし、わたしも何か貢献したいと思っていました」
実際、わたしも困っている人を放ってはおけない性格だ。さらに薬師としての知識や魔法を活かせる場面があるのなら、ぜひ役立ちたいという思いもある。
ただ、王太子や王宮のように、わたしを“利用できる道具”扱いされるのは御免こうむりたい。そこが難しいところだ。
「ですが……わたしはこれ以上、自分を縛りたくありません。あくまで“自由”な立場でできる協力なら、引き受けたいとは思います」
わたしは遠回しに念を押した。過去の経験から、曖昧なまま首を縦に振ってしまうと、いつの間にか拘束されかねないから。
すると、黒鎧の男はわずかに口元をつり上げて、まるで獲物を見すえる猛禽のような目を向けてくる。
「ふん……。お前、やけに‘自由’にこだわるんだな」
「そうですね。せっかく大切なものを手に入れたのだから、守りたいです」
「……わかった。ならばこちらも強制はしない。協力してもらえる時があればそれでいい。報酬はしっかり出す」
その態度に少しホッとする。見かけによらず、ちゃんとこちらの言い分を聞く余地があるのだろうか。
わたしが胸を撫で下ろしていると、黒鎧の男がさらに言葉を続ける。
「そこでお前にもう一つ、提案がある。お前ひとりでやれる範囲には限界があるだろう。作戦の間だけでも、手伝いの者を増やしてみたらどうだ?」
「手伝い……ですか? この店に、ということですか?」
「そうだ。薬を調合するにしても、大量の注文が来れば人手不足になる。お前の治療技術を学びたいって者もいるだろうしな」
なるほど、とわたしは考える。確かに最近はお客さんが増え、ひとりで回すのは少し大変だと感じていた。商品棚に並べる薬の仕込みや整理、店の掃除や事務的な仕事まで全部わたしがこなしているのだから。
だからといって、いきなり見ず知らずの人を雇うわけにもいかない。でも、黒鎧の男が紹介してくれるなら、それなりに信用できる人が来るのだろうか。
「わたしとしては、助かる面もありますね。……でも、そんな人をどこから連れてくるんですか?」
「部下の中に、戦闘にはあまり向かないが医療や補給面での活躍を志望している者がいる。そいつらを預けてもいい。お前の仕事を手伝わせながら、医療を学ばせたいんだ」
「なるほど」
彼らにとってもメリットがあるなら悪い話ではない。わたしは慎重に考えた末、静かに頷いた。
「わかりました。では、ぜひお願いしたいです。……ただし、わたしは“聖女”じゃない。できるのは薬学の指導と、わたしなりの治療技術くらいですから」
「かまわん。お前が持っている力、まるごと利用……いや、活かしてもらえればいい」
おいおい、いま「利用」って言いかけたような気がするけれど。まあ、多少なら仕方ないか。わたしだって“利用する”部分はあるから、お互いさまだ。
ともかく、彼の顔は得体が知れないが、この話に関しては悪意があるようには感じない。
「それから、もしお前がさらなる道具や設備を望むなら、遠慮なく言え。俺が手配できる範囲なら、用意させる」
「あなたって、ずいぶん面倒見がいいんですね。意外と親切なのかしら」
「……親切だなんて思うな。俺がそうしたいだけだ」
まるで拗ねたような言い草に、わたしは苦笑いを浮かべる。なぜそこまでしてくれるのかは、やはり謎だけれど……困っているのは事実なのでありがたいのも確かだ。
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