2.
そうして数日後、長旅を経てベルタスの街の近くへとたどり着く頃には、王都の洗練された雰囲気とはまるで違う空気を感じていた。石畳ではなく砂利道が広がり、木造の家々はこぢんまりとした佇まい。防衛拠点らしき砦のような施設も見え、まさに“辺境の地”という印象だ。
街の入口には、険しい顔つきの兵士が数名立っている。外から来た人間をチェックしているのか、「おい、そちら。用件を言え」と声が飛んだ。
御者は手綱を引きながら答える。
「定期便だ。今日は薬草を仕入れに来た商人たちも同乗している」
「ふむ、では通れ。最近は魔族とのいざこざが増えているから警戒していてな。無闇に街をうろつくなら注意しろよ」
ベルタスの街が魔族に近い領域だということは、王都でも噂に聞いていた。まだ正式に戦争状態ではないものの、魔族の領地がすぐ隣にあるせいで、ちょっとした衝突が絶えないらしい。
兵士たちの目は厳しいが、わたしは怯むどころか、逆にこれぐらいのほうが落ち着くとさえ思った。王都のように体裁だけ取り繕う世界より、余程現実を見据えている。
街の中央にある広場に着くと、御者が知り合いらしい商人を呼び止めた。
「おーい、バルド。このお嬢ちゃん、宿や仕事の口を探してるらしいんだが、知り合いを紹介してくれないか」
「へぇ、可愛らしいお嬢さんだね。……そうだな、うちの店の奥に空いてる倉庫があるんだけど、改装すれば店としても使えそうだ。借り手を探していたんだよ。買い取るなら破格の値段で譲ってもいい」
その商人・バルドは人当たりがよく、にこやかにわたしへ話を振ってくれた。
「自分の店をやりたいと聞いたけど、何をするつもり? 薬師の仕事って聞いたが」
「はい。薬草を使った薬や、少しばかりの治療もできます。聖女の……じゃなくて、まぁ、わたしには少し特殊な力があって」
思わず言いかけて慌てて口をつぐむ。もう“聖女”ではないのだから、こんなところで名乗る必要はないと思った。
「なるほど。薬師はこの辺りでは貴重だ。なんせ怪我人や病人が多いからな。とくに魔族との小競り合いで傷ついた兵士たちが多いんだ。腕が確かなら即人気になれるぞ」
「本当ですか。ぜひお願いしたいです」
早速話がとんとん拍子に進み、わたしは街外れの倉庫——と言ってもほどほどに広い建物——を見に行った。その外観は少々くたびれているが、内装を改装して薬や材料を並べる棚を設置すれば、立派な店舗兼住居になりそうだ。
「ここがあなたの新しい拠点ってわけだ。どうする? 気に入ったなら俺と契約して、買い取るなり借りるなりしてくれ」
「はい、借りたいです。でも、そこそこ値段が張りそう……」
「すでに倉庫として使ってた建物だから、安くしとくさ。改装も手伝うよ。俺も長年この街で商売してきたし、新たに薬師が増えれば助かるからね」
バルドの好意に甘えて、わたしは倉庫を借りることに決めた。借金をすることになるが、薬師として成功すれば返済はできるだろう。それに、せっかくの自由を謳歌するならば、ここで思い切って挑戦してみたかった。
そうしてまずは空いたスペースを掃除し、薬棚や道具を揃え、ひと部屋を寝泊まり用に改装する。バルドや周囲の人々も手伝ってくれたおかげで、何とか形にはなった。
「おお、ずいぶんと様になったじゃないか。これなら店として立派に営業できそうだ」
「ありがとうございます。本当に大助かりでした」
「ま、こっちも薬師が定着すれば儲かるからな。うちは商売の仲介をやってるんだが、今後はあんたの薬を売りたい客も紹介するよ」
こうして、王都から遠く離れた辺境の地で、わたしは“薬師セレス”として新たな生活をスタートさせた。
しばらくして、わたしの店には徐々に客が増えてきた。最初は小さな怪我や体調不良を訴える村人だったが、噂を聞きつけた兵士や冒険者も訪れるようになる。
「ここに来ると、不思議と痛みが和らぐんだ。まるで聖女様のような力だよな」
「はは、まさか。わたしはただ薬草を使ってるだけですよ。……少し手当のコツを知ってるだけです」
表向きはそう言ってごまかすが、実際にはわたしの“神聖魔法”に近い力も多少は使っている。完全に隠すこともできないが、露骨に「元聖女だ」と言い触らすと、また面倒事を呼び込みそうなので控えていた。
それよりも、わたしはこの土地での生活が楽しくて仕方ない。客の治療をし、その合間に薬草を採取したり新しい調合法を試したり。もちろん、自分が望んでやっていることだから苦にならない。
そんなある日——。
店の外から、「おい、そこにいるのか」という低い男の声が聞こえた。入り口を開けて応対すると、そこには険しい目つきの男が立っている。筋骨隆々で、黒い鎧のような装備を着込み、腰には大振りの剣を帯びていた。
「薬師か? 腕がいいと聞いたが、本当かどうか確かめに来た」
「ええ、薬師のセレスです。怪我か病気があるなら診ますが……あなたは辺境の兵士さんですか?」
「俺は……いや、詳しくは言えん。だが領主の命令でここいらを巡回している」
その男は名乗ろうとしなかったが、人相や雰囲気はただ者ではない。兵士というより、もっと高い身分を持つ者が“変装”をしているかのような印象だ。
わたしは気を引き締め、丁寧に応対する。
「治療をご希望なら、ご遠慮なくどうぞ。手のかかる大怪我でも大丈夫ですよ」
「……いや、俺自身には特に外傷はない。ただ、部下が魔物にやられてな。普通の薬師では間に合わないと言われている怪我だ」
「そうですか。では、ぜひ連れてきてください。わたしができる限り手当てをしましょう」
男はわたしをじっと見据えたあと、面倒そうに口を開いた。
「怪我人はすでに村の宿屋で寝かせてある。今すぐ来てもらうわけにはいかないか? ……もちろん、治療代は払う」
「問題ありません。すぐに道具を持って向かいます」
こうして、わたしはその謎めいた男——仮に“黒鎧の男”と呼んでおく——に案内され、少し離れた宿へと足を運んだ。そこには、深い爪痕のような傷を負った青年が横になっていた。普通の治療師ではとても対処できそうにない重傷だ。
わたしは現場で急いで怪我の状況を確認し、彼を少しでも楽にしてあげるため、手持ちの薬と魔力を使って治療にあたった。
「……傷を洗浄して、止血用の薬草を粉末にして……。痛みはあると思いますが、じっとしてくださいね」
青年は唸り声を上げるが、わたしがそっと手をかざして魔力を注ぐと、急激に痛みが和らいだのか、大きく息をついて安堵していた。
「うっ……嘘みてぇに楽になった……」
「治療はこれからしばらく続ける必要があるので、食事や水分補給は欠かさず、無理をしないでくださいね」
すると、黒鎧の男がわたしの手際を驚いたように見つめる。
「なるほど。その腕、確かに評判以上だ。普通なら死にかけている傷だが……まるで奇跡のように落ち着かせやがった」
「奇跡なんかじゃありません。しっかりとした薬学と、少しばかりの魔法があれば可能な範囲ですよ。あとは本人の生命力次第ですが……」
控えめな言い方をしたが、黒鎧の男はわたしをさらに怪訝そうに見る。
「……お前、まさか聖女の力を持っているんじゃないか? こんな治癒魔法、普通の魔術師に扱える代物じゃない」
「さあ、どうでしょうね。ただの薬師ですよ」
はぐらかすように笑っておいた。もし相手がただの兵士ならともかく、この男の雰囲気は尋常ではない。正体を明かして面倒が降りかかるのは御免だ。
黒鎧の男は納得したのか、していないのか、微妙な表情を浮かべる。そして無骨に切り出した。
「治療してもらった礼をしたい。……お前の店に必要なものはあるか?」
「お礼なんてそんな。治療代は普通にいただければ十分です」
「それじゃ俺の気が済まん。お前の店へ今度行ってやる。そのときに何か望むものを言え。……俺は領主の部下、ということになってるが、それなりに融通は利く立場だ」
正体を言わないままだが、どうやら相当な権限を持つ人物らしい。奇妙な申し出だが、わたしは断りきれずに曖昧に頷くしかなかった。
彼は青年が落ち着いた様子を確認すると、ちらりとわたしに視線を向けて一言。
「一度助けてもらった程度で終わらせる気はない。……お前のこと、また見に行くからな」
上から目線とも言える強引さに少し苛立ちながらも、これまで散々“縛り”を受けてきたわたしは、露骨に反発する気にはならなかった。むしろ、“また店に来る”という言葉に危うさを感じながらも、どこか心がざわつく。
こうして、わたしと“黒鎧の男”との奇妙な出会いは幕を開けた。
◇◇◇
その翌日。わたしはいつも通り店を開き、来客の対応をこなし、薬草の調合に励んでいた。新たな街での生活は戸惑うこともあるが、何より好きなことを好きなだけできるという喜びは大きい。
誰からの強制もない。行きたい場所へ行き、欲しいものを作り、必要とあれば必要な人を治す。そうして毎日が過ぎていくのは、かつての王都での生活とは比べ物にならないほど充実していた。
夜になると、今日の売り上げや使った薬草の在庫を確認し、店の片隅に作った簡易ベッドに潜り込む。ここはまだ簡素な環境だが、不思議なほど安心感がある。
「それにしても……本当に、あっさり捨てられちゃったわね」
ひとりごとのように呟きながら、わたしは王都を出てきたときのことを思い返す。王太子アルフォンスは新たな聖女候補を見つけたと言っていたが、その後どうなったのか。おそらくもう新しい儀式や式典に勤しんでいるのかもしれない。
もし今頃になって「お前が必要だ」と呼び戻されたら? ……考えただけでうんざりした。あの息苦しい環境に戻るなんて、まっぴら御免だ。わたしを捨てたのは彼ら自身なのだから、もう戻る道理もない。
それより、今はわたしの将来を見据えて、もっと店を大きくしたり研究を進めたり、やりたいことが山ほどある。今さら王家がどう動こうと、関係ないのだ——わたしは新しい場所で、自分の足で自由に生きていく。
そんな決意を胸に、わたしは目を閉じた。
やがて眠りに落ちる寸前、ふと昨日の“黒鎧の男”のことが頭をよぎる。あの威圧的な態度や、どこか得体の知れない雰囲気。どう考えてもただの兵士や傭兵ではない。もしかすると、噂に聞く“魔族の王”に関係があるのかもしれない……。
万が一、そうだとしても、また誰かに利用されるなんてわたしはまっぴら。今度こそ、自分の意志で人生を選び取ってやる。
「……どうせ誰のものにもならない。自分が好きなように生きるだけよ」
わたしの心には、かつて抱いたことのないほどの自由への意欲と、自立を貫く強い決意が宿っていた。
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