10.
「セレス! ……セレス・ディアナ! そこにいるのか!?」
胸の奥が嫌な予感とともにざわつく。振り返ると、人だかりの向こうに、金髪をなびかせた男——王太子アルフォンスが現れた。きらびやかな礼装こそまとっていないものの、彼であると一目でわかる。
「アルフォンス殿下……」
王太子は目を見開き、明らかに動揺している。どうやらわたしがここにいると聞いて、慌ててやってきたらしい。
「本当にお前か……! なんてところにいるんだ。しかも、こんな辺境で医療活動なんて……」
「別に、どこにいようとわたしの自由ですよ」
わたしは疲れた身体を支えながら、静かに答える。前のように“殿下”に仕える立場はもうなく、婚約も破棄されている。いまさら彼がわたしに何を言おうが、関係はないはずだ。
「お前、今回の聖女(あの娘)の暴走を止めるのに一役買ったんだろう? やはりお前は……必要だった。もしお前が王都に戻ってくれれば、こんな惨状にはならなかったかもしれない……」
アルフォンス殿下が苛立ち交じりに言葉を紡ぐ。どうやら新しい聖女の力は彼が想定していた以上に不安定で、王太子自身もこんなことになるとは思っていなかったらしい。
「……それはどうかしら。わたしがいても同じようになった可能性もあるわ。わたしは“完全な聖女”なんかじゃないから」
「そんなはずは……お前は本来、王家に仕えるべき高貴な存在だったんだ。あの娘なんかよりずっと……」
王太子は苛立ちを隠せないまま、言い訳じみた言葉を続ける。おそらくは、“もう一度お前が聖女の座に戻ってくれれば”と期待しているのだろう。実際、騎士や兵士の何人かも「セレス・ディアナ様が戻るなら……」という目でこちらを見ているのを感じる。
けれど、わたしは苦々しい思いで首を振る。
「わたしは捨てられたんでしょう。あなたたちが都合よく‘新しい聖女’を選び、それまでのわたしを要らないと判断した。記憶が違いますか?」
「そ、それは……! 当時は、もっと高い力を持つ聖女が出たと聞いたから、お前を解放したつもりで……」
「解放、ね。ええ、おかげで自由に生きられるようになりました。今さら戻ってこいと言われても、そんな気はさらさらないです」
たとえ戻ってくれと懇願されても、わたしの意思は変わらない。今回、助けを求められれば手を貸すことはあるかもしれない——けれど、王都に縛られる道を選ぶつもりはもうない。
「お前……! これだけ混乱しているのに、まだそんな強情を……」
「強情というより、これがわたしの選んだ道です。……それとも、わたしを救護活動から排除したいんですか? それこそ、大勢の人が困るんじゃないかしら」
皮肉混じりにそう返すと、王太子は唇を噛み、周囲の兵士をちらりと見やる。わたしがいないと医療が回らない状況もある程度理解しているようだ。
新しい聖女があの様子では、すぐに王太子の思い通りに奇跡を振るえないだろうし、強引にわたしを呼び戻すのは得策ではないと判断したのか、王太子は苦い顔をしたまま口をつぐんだ。
「……お前はいつからそんなに自分勝手になった? 昔はもっと素直で、王家のために祈りを捧げるような娘だったのに」
「王都にいた頃のわたしは、“あなたたちの”道具として仕込まれていただけですよ。いまは違う。自分の意志でここにいて、自由に生きているんです」
そこには、もはや取り繕うべき上下関係などない。王太子の感情的な視線を受け止めつつ、わたしは静かに言い放つ。
すると、ひとりの兵士がアルフォンス殿下のそばへ駆け寄り、耳打ちした。どうやら別の場所で魔物の残党が暴れており、そちらの対応に指示を出してほしいらしい。
アルフォンス殿下は仕方なくわたしへ最後の一瞥を向け、そちらへ向かおうとする。
「……いいだろう。だが、後でまた話をさせてもらう。王家として、このままお前を放置するわけにはいかないからな」
「わたしは、好きにさせてもらいます」
殿下はわたしの返事も待たず、足早に去っていった。その姿を見送るわたしの胸には、不思議なほど澄んだ感情があった。かつては怖かった王家との関わりも、いまは一切恐れはない。
——あの人たちは、自分たちの都合でわたしを捨てた。なのに今さら「戻ってこい」だなんて、何を言っているのかとしか思えない。
(本当に……“好きなこと”をやるわ。誰の命令もなく、わたしが望むからやるんだから)
そう決め、混乱の収束へ少しでも役立とうと、わたしは再び仲間たちと手分けして救護活動に戻った。
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