プロローグ
「黒白の魔法少女初等生 - sorcier noir et blanc -」
プロローグ
愛なんてない。
希望なんてない。絶望しかない。
――奇跡なんて起こらない。
「…………」
漆黒の服を身に纏った黒髪の少女は、開かれた鉄製の門の前に立ち止まるとその黒い瞳で無言のまま屋敷を見上げた。
二階建ての白い屋敷。特別なところはなく、横に並んでいる家並みと見比べても取り立てて目の付くものはない。
造りも外観も場所もいたって普通で平凡な屋敷。庭をやや広くとっているのは、家主が、というより婦人が植物や花でいっぱいにしたかったからだが、それも主婦の間では一般的な趣味であり、身嗜みでもあった。家と庭を見れば、婦人のセンスと器量が分かるといわれるほどに。ただし、この屋敷の婦人は――正確には以前の婦人は庭を広くしたものの器用なほうではなく、庭の有様といえば散々なものだったのだが。
少女の目の前に広がっている玄関前の今の庭はどうなっているかといえば――つまり今手入れしている婦人のセンスはどうかといえば、素人目だが悪くはないと思えた。いや、悪くないどころか綺麗に整理されている。
瑞々しい木々と陽光を浴びて輝く新緑の葉、そして、同じように輝く一面の花々……
綺麗だと思う。本当に……本当に綺麗にしてもらっている。
「あら、あなたは――」
意識しないまま、知らず感傷的になっていたところで急に声をかけられ、少女は我に返った。
「すみません……じっと見てしまって」
咄嗟に答え、心の内で苦笑する。意識しないようにするつもりだったのに、感傷に浸っていた自分に対して。
「綺麗な庭ですね」
視線を移し、声をかけてきた老婦人へ向かって微笑んだ。髪はすっかり白くなっているが、品のよさそうな、それでいて、優しさの中にもしっかりとした芯の強さを持っていそうな老婦人。綺麗な歳の重ね方をしているのだろう。背筋もシャンと伸び、立ち居から受ける印象も柔和で涼やかだった。
「ありがとう。良かった、そういわれると嬉しいわ」
自分のことを褒められたように――実際、自分のことよりも嬉しいのだろう、老婦人は目を細めて優しく微笑み返してくれた。
「さあ、中へ入って。奥も花でいっぱいにしてるの」
「……いえ」
優しく誘ってくれる――見ず知らずの人間でも庭へ誘うのは普通の対応で不思議なことではない。逆に見せる為に手入れしているのだから――老婦人の言葉に少しだけ首を横に振り断ると、少女はもう一度にこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。また今度見せてください」
「そう、楽しみに待っているわ」
少女と同じくもう一度微笑み返してくれる老婦人に軽く会釈し、少女は門から離れ歩き出した。
見慣れた――というと少し正確ではないかもしれない。月日の流れはどうしようもなく、時が経てば経つほど古くなっていくのは仕方のないことだった。
それでも、やはり見慣れたというべき屋敷の塀の横を歩きながら、少女は顔を上げた。
塀の上からは屋敷の二階部分が見える。開け放たれた窓からカーテンが見え、緩やかな風にそよいでいた。部屋の中までは見えないが……というところで隣の家の壁に視界が遮られる。
「…………」
歩き続ければすぐに見えなくなるほどの住宅街の一軒家。以前の家主はもう少し自然に溢れた静かな場所が良かったようだが、規定があるためこの付近にしか住むことができなかった。
視線を落とし、また知らず感傷に浸っていた自分に苦笑する。
庭を見学する必要も、部屋の中を気にする必要もなかった。例え花を植えられ見える風景が多少変わっていたとしても、屋敷のことは全て知っている。
部屋の中にある物も、どこが誰の部屋で、どういう生活をしていたかも――そう変わってはおらず、そのままだろう。
門にあった家主の名前は以前のままだったのだから。
「…………」
変わっていなかったことに、変えないでいてくれたことに――そして、綺麗にしてくれている老婦人に少女は心から感謝した。
(ちゃんとお礼を言わなくちゃ)
全てが終わったらもう一度来よう。
――例え、どんな結果になったとしても。
少女は見上げた顔を下ろし、歩みを進める。
空には雲一つ無い青空が広がっている。春の暖かく柔らかな優しい陽光が自然も街も人々も包み込み、明るく穏やかな空気が全てに溢れていた。
桜咲く、希望溢れる春。
その中にあって、少女の心には冷たい絶望しかなかった。