愚者
夏休み中だが今日は登校日で、正午まで学校があった。学校が終わっていつも通り、君と一緒に家へ帰る。今日は夏を嫌うには十分な日だ。うんざりするほど蒸し暑く、蝉の声が耳障りだった。ただ歩いているだけなのに汗が吹き出す。空は雲ひとつなく、あまりにも綺麗で、私がこの世界に相応しくないことを伝えているようだった。こんな季節は早く終わってほしいと私は思う。でも君は、「夏が終わったら寂しいよな」と言う。そして私に笑いかける。
君の屈託のない笑顔を見る度に、私は首を掴まれるような感覚を覚える。それは、首を絞めて私を殺そうとするのではなく、ただ、ここで生きることへの罪悪感を植え付ける。
私は、醜さしか持っていない。対して君は、君の存在を全てから祝福されている。君は私とは正反対なのに、私とずっと一緒にいてくれる。人口の少ない町なのに互いの家がすぐそばにあるので、幼い頃から共に過ごすのが必然だった。だが中学高校と、年齢が上がるのにつれて君に友人が増えていっても、君は私のそばにいた。君の唯一の欠点は私とつるんでいるところだと、誰かが言っているのを聞いたことがある。君への信頼も、君との友情も、とても大きくて大切なもので、私にはなくてはならないものだ。それでも、それらを壊し得るほどの、劣等感を持っている。
君を壊したくなった。君の醜い部分を見たくなった。君の顔を、怒りや憎しみで歪めさせたくなった。君はいつも誰に対しても善人で、天使のような顔をしている。でも、例えば、私に突き落とされたらどうだろう。一瞬で良い、君の憎悪にまみれた顔と共に、この青すぎる空を見てみたい。こんなことを考えるなんて、恥じるべきであると自分でもわかっているし、実際に恥じている。それでも、君も人間らしく、負の感情をむき出しにすることもあるのだと実感できなければ、私はこの先、生きていける気がしなかった。
途中、提灯をいくつか持った男性達が、私たちを追い越して行った。そういえば、今日は夏祭りか。向こうの方の河川敷で、出店の準備をしているのが少し見えた。君にもそれが見えたのだろう。「そういえば今日だったな。」と君が呟いた。それから数分ほど、ほとんど無言で、時折他愛のない話をして、君と家までの道を歩いた。私が君に酷なことをする機会をずっとうかがっていたなんて、君は思わなかっただろう。
家の近くの川まで来た。大きく、流れは緩やかな川だ。川にかかった橋を渡る。橋を渡っている途中、君が不意に立ち止まり、私に背を向けて橋の柵によりかかった。川を見ているようだった。「水面、すごくキラキラしてる。」独り言だと受け取り、言葉は返さなかった。君が寄りかかってる柵のすぐそばが、壊れたようで、一部分がなくなっていた。今なら、そこから君を突き落とすことができそうだ。橋から川の水面までは、少し高さがある。君は泳ぎが得意だし、落ちても死なないだろう。意を決する。息を止めて、君の方へ一歩近づく。そのとき、君が私の名前を呼び、振り向いた。私はゾッとした。バレただろうか。私の思惑を見透かしていて、軽蔑する言葉を投げかけようとしているのだと思った。気道が狭まる感覚がし、呼吸が苦しくなった。君からの次の言葉を待つ3秒ほどの時間が、とても長く感じた。私の顔から汗が滴り落ちたとき、君はこう言った。「お祭り、また5時にいつものとこ集合でいい?」
……お祭り?思考がすぐには追いつかなかった。バレたと思ったのは、私の勘違いだったのか。私は胸をなでおろした。だがすぐにハッとし、目が覚めた。私はさっき、何をしようとした?私は、君を突き落とそうとした。大切な君を、裏切ろうとした。危うく全てを壊してしまうところだった。よかった、君はちゃんと、私の目の前にいる。でも、それに安堵するのも一瞬で終わった。次に私は思う。ああ、私はどこまでも下衆な人間だ。私は最初から、君の隣にいるべきではなかった。
君からの問いかけに何も答えない私に、君は不思議そうに私の名前を呼ぶ。ごめん。やっとのことでその一言を絞り出して、私は君に背を向けて走り出す。そして柵を乗り越える。水面から岩が出ていた。私はそれを目掛けて、頭から飛び降りた。