5.魔性の女
グランドと体育館を挟んだ場所にある運動部用の部室棟。部活が始まる前の準備や、終わった後の着替えの時は騒がしい場所である。しかし今は練習真っ只中の時間で誰もいないため、静寂につつまれていた。そんな中、一つの部室に男子高校生一人と女子高生二人。何も起きないわけがなく―――――
「これギリギリ犯罪じゃないですか?」
「逆だったら大事になってたでしょうね」
松下先輩は俺をサッカー部女子マネージャー室に連れ込み、椅子に座らせてガムテープでグルグル巻きにされた。ガムテープだからと舐めていたが、何重にもされると鎖のように固くなっていた。まったく身動きが取れない。
「花音ちゃん一応扉のカギ閉めといて」
「え、あ、はい」
はい扉閉めた監禁罪。
一緒にいる『聖女』こと本間さんも状況が呑み込めず、困惑しながらも松下先輩の指示に大人しく従っている。『聖女』ともあろう者が悪に手を貸すとは何事か。いや松下先輩のことだから言うとおりにするよう脅したに違いない。時代は令和だというのに暴力で解決するような人だからな。
松下先輩は片手で俺の両頬を挟むようにして顔面を掴んできた。
「お前…私に対して失礼なことを考えただろ」
「すんぬくつうるむすん(そんなことありません)」
「他の女は騙せても私のことは騙せないぞ。お前がその表情をするときは人を馬鹿にしてる時だ」
「そんな顔に出てました?」
「やっぱり考えてたのか」
「あ」
松下先輩が拳で俺の頭をグリグリとしてきて悲鳴を上げていると、本間さんはお腹を抱えて声を出して笑い始めた。
「ごめん、お姉ちゃんが怒るなんて珍しくてつい」
「お姉ちゃん?」
俺は本間さんの口から出た言葉に驚きを隠せなかった。松下先輩からの攻撃の痛みが感じなくなるほどには。学校の『聖女』様と二つ名をつけるなら『狂戦士』がお似合いの人が姉妹!?
「学校ではお姉ちゃんと呼ぶなと言ってるだろ」
「ごめんごめん、つい癖で」
「え、二人って姉妹なんですか?」
「いや違う。家が近いから小さいころから仲が良いだけだ。まあいわゆる幼馴染ってやつだな」
「そうですよね。優しそうな本間さんとバイオレンスな松下先輩が姉妹なわけ…いたたたたたっ!?」
「お前は昔から言わなくてもいい事をベラベラと…!」
「ははははっ!!」
松下先輩は先ほどより更に力を込めて俺の頭をグリグリする。頭蓋骨が…頭蓋骨が割れて頭無くなっちゃうよ!!頭を立体に保てそうにない。
本間さんは再びお腹を抱えて爆笑している。俺はこのとき彼女が『聖女』と言われる理由の一つが分かった気がする。淑女らしい「ふふ」といった綺麗なものではなく、どちらかというとゲラに近い。しかし、その笑顔は絵になるくらい可愛く、そしてこちらの心を温かくしてくれるものがある。
「先輩それくらいで許してあげなよ」
「ふむ…確かに時間もないからな」
危なかった…あと少し本間さんが松下先輩を止めるのが遅かったら今の姿を保てていたか分からない。やっと拷問の時間が終わった。そうだよ、今の時代は話し合いで解決するのが常識なんだ。松下先輩と本間さんはそれぞれ俺の体面に椅子を置いて腰掛ける。
「あ、俺は椅子に縛られたまま話をするのね」
「万が一にも逃げられたら困るからな。まあもっともお前はこの部屋を出る勇気があるかな」
「どういうことだ!!」
「この部室棟は一階が男子用、二階が女子用になっている。部屋を出たときに誰かに見られでもしろ。一瞬にして校内で『女子の部室に侵入した変態』として噂が広まるだろうな」
「なんという鬼畜なっ…!」
まだ女子と一緒に出てきたら荷物を運ぶのを手伝っていたなどと言い訳ができるが、一人だとアリバイも作れないし疑いを晴らしようがない。ここはおとなしく従うしかない。入学したばかりに『変態』のレッテルを張られるのか、この先の三年間真っ暗だ。
「話がそれてしまった…さて本題だがなんでサッカー部に入らないんだ?」
「逆になんで俺を入れたがるんですか?」
「質問を質問で返すな!」
「ひええええっ!?」
俺の方に飛びかかろうとしてくる松下先輩を本間さんがギリギリで止めてくれた。もう松下先輩は人じゃなくて猛獣だろ。クマが強化ガラス越しに襲ってくる動画を思い出した。
「先輩が伊崎くんに入部してほしい理由を言ったほうが納得してくれるかもよ」
「な、なるほどな」
おいなんか俺と本間さんで明らかに態度が違うくないか?やけに素直というか。これは松下先輩に対抗できる手段として本間さんは有用な人材だ。というか松下先輩は俺以外に良い先輩なんだよな。俺以外には。中学校の時に出会った時の印象とは大違いだ。
「えっと…その…」
松下先輩は少しうつむきながら指でクルクルと髪を触ったり、スカートを握ったり離したりを繰り返している。窓から入り込む夕日の光のせいか、少し顔が赤いように見える。
「何ですか急にそんなもじもじして。先輩らしくない」
「っ!?そのだな…」
「はっきり言ってくださいよ」
「…お前が頑張っているところを見ながら、私は側でお前を支えたい…」
「何ですか気持ち悪い。乙女みたいこと言って―――ぐはっ!!??」
俺の言葉を遮るかのように腹に良いストレートパンチが突き刺さった。ガムテープという名の鎧がなければ間違いなく風穴が空いていたと思う。そのままの勢いで椅子と共に地面にぶっ倒れる。そして容赦なく何回も踏みつけるという追撃をしてきた。
「お前という奴は…お前と言う奴はいつも!」
「ぐへっ!?ぐへっ!?本間さん助けて!!死ぬ、死んじゃう!!」
「いや~…今のは伊崎くんが悪いよ」
必死に本間さんに救援要請をするが、本間さんは頬を指でかきながら苦笑いする。しかし、今の松下先輩は止まりそうにない。まさに狂戦士。このまま攻撃が続くと本当に死んでしまう可能性がある。
「助けて!誰か助けて!!」
「ちょ、伊崎くん。そんなに大声を出したら誰か来ちゃう――――」
「誰かいるの!?」
ガチャンと一人の女子生徒が勢いよく扉を開けた。どうやらちゃんと鍵が閉められてなかった…いやたぶん壊れていたんだろう。第三者の登場に俺、松下先輩、本間さんの動きが固まった。しかし、それはお相手も同じだ。どう言い訳しようかな。
「女子の部室に入ってくる変態がいたから捕まえた」
「嘘つくな!!??」
「…ぷっ、あははははははは!!!!」
松下先輩が俺に濡れ衣を着せようとするため、俺はその弁明を言い続ける。そしてその様子を笑っている本間さん。
「え、どういうこと?」
部室に飛び込んでいた人はひたすら困惑していた。
◇
どうにか本間さんの協力もあって誤解を解くことには成功した。本当に今日は散々な目にしか合っていない気がする。
「そういえば伊崎、コースはどちらを選んだ?」
「いろいろあって商業科コースになりました…」
「そう、なら良かった」
「良かったってなんですか…」
誤解を解いた後は三人で部室棟にあるベンチで話をしていたのだが、松下先輩は「よっこらしょ」と立ち上がった。
「じゃあ私はサッカー部の練習にそろそろ顔を出さないといけない。入部届の手続きとかしないといけないし」
「早くいけ―――いってらっしゃいませ」
「よろしい。私は伊崎がサッカー部に入るの諦めてないからな」
「はいはい」
「生意気な返事だが今日のところは勘弁しといてやる。花音ちゃんも気を付けて帰るんだよ」
「うん!」
松下先輩はそう言うとグランドの方へと向かっていった。さっきまでは顔なじみの松下先輩がいたから何も感じていなかったが、いざ『聖女』様と二人きりになると気まずいな。さっき会ったのが初めてだし。
「本間さんは行かなくてもいいの?」
「いいよ。だって私マネージャーじゃないし」
「え!?」
てっきりサッカー部マネージャーになったから松下先輩に部活動説明をお願いされたと考えていたが、入ってすらないのに頼まれたのか。完全にこれは松下先輩が『聖女』の力を良いように利用したな。本間さん目当てで入部したやつは可哀そうに。一度入部してしまったら逃がしてくれないだろう。
「伊崎くんはなんでサッカー部に入らないの?」
「別に…ただ毎日練習するのが嫌になっただけ」
「そっか」
俺が話をそらすようにそう言うと、本間さんは察したように微笑みそれ以上は深入りしてこなかった。本当にいい人だ。誰しも話しにくいことはあるものだ。
「本間さんは何か部活に入らないの?」
「う~ん、挑戦してみたい部活はあるんだけど。正直迷ってる」
「そうなんだ。本間さんなら何でも出来そうだけどね」
「何それ、私にだって出来ないことはあるよ」
「何というか…本間さんはきっとどんなに挫折する経験をしても最後まで頑張れる力があると思う。何度こけてしまっても必ず立ち上がって前に進み続けられる。そんな力が。まあ本間さんとはさっき会ったばかりだけどね」
返事がこないため隣に座っている本間さんの方を見ると驚いた表情をしていた。やばい冷静に考えるとめちゃくちゃクサいセリフを吐いてしまった。本間さんはみんなを支えることができる。だからこそ辛いことがあってもみんながきっと本間さんを支えてくれる。そう心の中で思ったことをまたいつの間にか口に出していた。
「そっか…ちょっと考えてみる」
「う、うん。別に無理にとは言わないけどきっと上手くいくよ」
「でもね私」
本間さんはベンチから立ち上がったかと思うと、座っている俺の前へと移動する。そして俺の顔を覗き込むように背中を曲げる。
「伊崎くんがサッカー部に入るなら、私はマネージャーになってもいいよ」
俺の耳元でそうささやくと、本間さんはウインクをして部室棟を出て行った。
「『聖女』じゃなくて『魔性の女』だろ」
俺は誰もいなくなった部室棟でボソっとツッコミを入れた。
「伊崎くん…商業科コースか…」
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